8-8 俺と萩村と涼の過去
「私の話を最後まで黙って聞いてくださいね。それから聞いた後に涼ちゃんを、もう貴方とは関係なくなるけれど、軽蔑したり嫌いになったりしないで上げてください」
そう告げた萩村の顔はどこか怯えていた。
その言葉に俺は不安を隠しきれない。
きっと顔に出ている。
もうそれを隠す事も出来ない。
何が起こっているのか分からない。
「涼ちゃんと体の関係があったならお分かりでしょうが、彼女は貴方が初めてではありません。昔、まだ大学に居た頃に彼女には初めての恋人が出来ました。便宜上、彼を佐藤と呼びましょう。佐藤は女遊びの激しい人でした。そして束縛する事が愛情だと思っていたのです」
一度彼女が言葉を区切る。
沙織を見ればその話を聞くのが苦痛だというような顔をして唇を噛み締めていた。
萩村はそれを分かっているのだろうが何も言わず何も示さず続ける。
「私達、沙織ちゃんともう一人高校の時から涼ちゃんとずっと仲が良かった三人は彼女を含め別々の大学に進みました。目指す物が違っていたのでそれは仕方ないと思っています。恋人が出来たと報告してくれた涼ちゃんはそれはそれは嬉しそうでした。私達も後へ続こうと励むほどに、輝いて見えた」
その口調は寝かし付けにおとぎ話を読んでいるようだった。
けれどこのお話の結末はきっとハッピーエンドではない。
眉を寄せて彼女たちを見た。
「涼ちゃんは昔から自分の意見をはっきりと主張する方ではなかったんです。けれど佐藤と付き合えば付き合うほど自分の意見を言わなくなりました。しばらくすると連絡が取れなくなりました。私もみんなも心配したけれどきっと恋に勉学にバイトに忙しいのだろうと気にしませんでした。自分たちの生活を謳歌するのを優先したんです」
ふっと目を伏せて萩村が言う。
決して細くはないどちらかと言えばぽっちゃりとした彼女の体が小刻みに震えている。
「気がつけば涼は携帯の番号もメアドも変わっていました。連絡すら取れなくなって初めて異変に気づいて大学まで訪ねました。久しぶりに見る彼女は変わらない笑顔を浮かべていたのに目が怯え、真夏というのに長袖を着てていたんです」
はぁっと息を吐きまた顔を上げる。
さっきまでの勢いが消え眉が下がっている。
「その顔を見た時もっと早く来れば良かったと後悔しました。もっとのびのびと健やかに控えめではあるけれど元気な子だったからです」
そう言われ思わず首をかしげた。
控えめではあるけれど元気というのは今の涼には当てはまらない。
「どこかで話を聞こうと外へ誘っても断られました。遠まわしに早く帰れとまで言われ沙織が怒鳴りそうになった時に影が動くように涼を背後から抱き寄せたのが佐藤でした。初めて彼に会った時その容姿と顔から滲み出る厭らしいそれに嫌悪を抱きました。髪は金髪に近い茶色、眉は薄くだらしなく着崩した服、くちゃくちゃとガムを噛み、気分が悪くなるほど強い甘い匂いの香水をつけていました」
その顔も知らない男の姿を想像するだけで、そいつの腕の中に涼がいると考えるのも嫌なくらい、同性からしてもむかつく。
「彼はね言ったんですよ。涼は俺の物だって。彼女がごめんねと謝り私たちは仕方なく帰ることにしたんです。彩音ちゃんというもう一人の友達が正門を出る前にトイレに行きたいと言って駅から少し離れた大学だったのでそれもそうだとみんなで戻った時に、それを見ました。罵声を浴びせ首から下を殴り、崩れた涼をけり続ける佐藤の姿です。彼は嫉妬心も凄かった。誰であろうと涼に近づく者は許されない、そうさせたのは涼が悪いからだと、後から言っていました。沙織があわてて止めようとすると痛みに堪えたままの涼が私たちを見て小さく首を振りました。目の前で友達がひどい目に遭っているのに、何も出来なかったんです」
萩村の口から出る真実がそれが本当のことなのか受け入れられない。
俺の物?
俺もそう言った?
蹴り殴られ長袖を着ていたということはそれは日常的に暴力が行われていた証だろう。
少し強く握っただけでもあんなに強く痕が残った白い肌を思い出す。
「地面にうつ伏せのまま体を縮めただその暴力に耐えていた彼女の口が小さく動いたんです。逃げてって。トイレなんてもうどうでもよくて怖くて私が三人を引っ張って逃げました。私もみんなも一度涼を見捨てています。連絡先も分からないままやきもきしたまま時間だけが過ぎて行きました。その内、きっと涼はあの男と別れてくれるだろうと信じて」
逃げたという彼女の言葉で涼を守らないといけないという言葉の意味がやっとわかった。
けれどそれだけではないだろう。
話はまだ終わる様子がない。
隣の沙織はうっすらと涙を浮かべている。
顔を赤くして何かに耐えるようにうつむいている。
彼女はまだ自分のことを許していないんだ。
「夏休みも終わり秋になり連休に三人で沙織の家に泊まりに行った日の話です。学校もなくけれどお金もない私たちは順番に休みになると泊まりにいってました。それぞれの恋人が居る時もあれば、友達を連れてくる時もあり、広かった沙織の家はよく使っていました。その日は誰も捕まらなくて久しぶりに三人だけだったんです。お菓子やら何やら買い込みテレビを見ながら雑談をしていました」
大学生特有のそれだろう。
家飲みと呼ばれる安価なそれでいて開放的なそれを俺もやった事がある。
祐樹と俺と何人かの友達でエロ本を見て喚いたり友達の彼女に点数をつけあったりした。
「三人とも涼の事は同じくらい気になっていたけれど、話はしないようにしていたんです。アパートも解約されていて無駄足だったと沙織が嘆いていましたから。サワーを飲み、焼酎を開け、つまみの袋をひとつまたひとつと開けて、深夜3時頃です。ついに割り物がなくなったので、じゃんけんで負けた人が買いに行くことになりました。近くのコンビニまでは徒歩五分の距離。ちょっとした罰ゲームです」
その頃の様子を思い浮かべるように目を閉じてひとつひとつ大事に話すそこに涼はいない。
佐藤と呼んでいる最低な男のところだったのだろう。




