8-5 私とみんな
コートを取り内線を繋ぐ。
相手はもちろん祐樹だ。
三コールほど鳴りそのたった短い時間ですら舌打ちをすると間の抜けた声が響く。
『おう、どうした?』
普段なら何も気にとめないそれが苛立ってしょうがない。
奥場を噛みしめ鼻で息を吐く。
その音が聞こえたのか声音が変わる。
一気に真剣味を帯びてより一層低い声が低くなった。
『どうした?』
がたりと立ち上がる音。
紙が落ちながら擦れる音が耳に五月蠅い。
「早退する」
口を開き呟いた声は自分でも恐ろしい程に敵意を向けていた。
祐樹が椅子を蹴る音がする。
黒井さん?!と驚いた女子社員の声が小さく聞こえる。
来るな、こっちに来るなと残り少なくなった理性が叫ぶ。
『何があったんだよ。お前、大丈夫か』
「悪い、でも、行かないといけないんだ」
理性が敵意をかろうじて抑え込みそう告げれば彼は今からこっちへ来ると告げた。
「来るな。来ないでくれ。今止められたらお前の事多分殴る」
『お前何言ってんだ?……今から何処かへ行くんだな?無事にお前は戻って来れるのか?』
その問いにはすぐに答えられなかった。
体は無事に戻ってこれるだろう。
でも心はそうとは言えない。
「多分」
『多分っておい、お前何しに何処へ行くんだよ』
焦った声が耳元で怒鳴る。
五月蠅い。
「涼を取り戻しに行く」
何処へかは分からない。
けれど何処だった行ってやる。
『ん?笹川ちゃんがどうかしたのか?おい、本当に大丈夫か?』
「時間が無いんだ。早退するだけ伝えたかったんだ」
そう言い受話器を置こうとして祐樹が俺を何度も呼んだ。
漏れてくるそれに咄嗟にはっとして耳に戻してしまう。
『いいか、よく聞けよ?お前に何かあったら俺が笹川を殺しに行くからな。あの子を見捨ててでもお前は無事に帰ってこいよ?いいか?それが条件だぞ?』
分かったとだけ答えて今度こそ受話器を置いた。
大丈夫、腑抜けになっても俺はここに戻ってくる。
涼を殺させるなんてそんな真似させやしない。
携帯を取り涼のそれへと掛けると沙織が出た。
抜けだせる事を伝えれば少し離れた街のファミレスを指定され電話が切れた。
鞄を置いてオフィスを出てエレベーターに乗る。
酒井に電話をするのももどかしくロビーを出て早足で歩く。
それは段々と加速し最終的には全力疾走をして駅に向かっていた。
電話を切りそれを握り締めたまま戻れば涼は顔を覆っているし彩音は不貞腐れたようにあんみつを食べている。
ただ一人だけ涼の肩を抱きその頭を撫でていた有希だけが私の方を向いた。
「どうだった?」
そう言う彼女の向かいに座りながら携帯を涼の前へと置く。
その音に彼女が顔を上げてそれを必死に取り上げる。
画面を見ながら震える手でボタンを押した。
「二回も、二回も掛けてる」
小さく呟きながらまた涙がボロボロ溢れた。
笹川涼という小さな体の子は泣き虫だ。
すぐ泣く。
けれどそれは最初からじゃない。
意見を言わないのだって同じだ。
彼女は途中からそうやって自分を隠し、限界まで来ると泣くという卑怯な手段を持って現実から逃げるようになった。
「そうよ、悪い?彼が時間を作ってくれるって。私は会いに行くわよ。彩音と有希は好きにして。何なら涼を匿ってくれてもいいわ。涼を守るためなら何だってするわよ、私は。貴方が貴方の両親にまで話せない事実を私達に話して巻き込んだのは涼でしょ」
吐き捨てるように言えば彼女がその言葉ひとつひとつに体を震わせた。
それから首を必死に横に振る。
どうせまだ何も伝えてないのだろう、佐久間礼という男に。
そう考えるだけで腸が煮えくりかえる。
「巻き込んでなんか居ないわっ」
小さくそう呟くと彼女が顔を上げて私を睨む。
今までの彼女が少し昔のそれに戻ったような気がした。
「じゃあ何だって言うの。どうして私達に話して、頼ったのよ」
そう告げて立ち上がる。
クリームあんみつはもう興味が無かったし、どうせなら来るのを待ち構えたい。
鞄を持ち伝票を取りそのまま歩き出せば彩音と有希が追ってきた。
涼の両脇を抱えるように持っている。
お金をカードで払いそのまま歩く。
エレベーターを呼び一階まで行くその間中、涼はずっと泣いていた。
引きずるように席から出されて彩音と有希が私を連れ出した。
嫌だ嫌だと抵抗をしてもその手はしっかりと私の腕を掴んでいて離れない。
お会計をカードで済ました沙織の後を引きずられる歩かされたまま着いていく。
嫌だ。
礼には何も知られたくない。
過去なんて振り返りたくない。
自分は彼の過去を話させたのにそれを私は出来なかった。
怖いのだ。
知られて彼が私を見る目が変わってそれで……。
百貨店を出た所で皆の足が止まる。
沙織のブーツのつま先が私に向けられた。
頭上から降りかかる冷たい声。
「どうしても嫌なら好きにしなさい」
顔を上げれば目を細め腕組みした彼女が見下している。
浮かぶのは怒りだけだ。
「その代わりここで逃げるならもう二度と涼を助けたりしない。二度と誕生日も何も祝わない。……二人はどうか知らないけれど私はもう二度と涼に会わないわ」
もう、は冷たい言葉だ。
どんなに言葉を変えて希望を持たせるそれにしたって、結局、冷たい言葉がよく似合う。
両脇から手が離れて二人が同意するように沙織の両隣に立った。
「涼ちゃんごめんね。私も沙織ちゃんと同意見だわ」
その言葉にもう崩れて行く。
違う。
我儘なのは自分の方だ。
ずっとみんなに迷惑を掛けてきた。
ずっとみんなに心配を掛けてきた。
腕に掛かったままのバッグが地面に叩きつけられて中身が飛び散る。
彩音がそれをしゃがんで拾いながら小さく呟いた。
「私も、涼が幸せになれないなら、もう見ているの辛いからその選択を取る」
唇を噛みしめて顔を覆った。
そんな事言わないで欲しい。
みんなが居なくなったら、彼が居なくなったら、親が死んだら。
誰も居なくなってしまうのに。
一人は嫌だ。
「……行く。行くから、お願い、見捨てないで」
嗚咽混じりにそう言えば三人はふっと笑いかけるように私の体を引っ張った。
一人は嫌だ。
一人は怖い。
一人は辛い。
見捨てられるのはもっと嫌だ。




