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私と彼の新しい生活  作者: 竹野きひめ
第二十八話 佐久間の大事な三日間
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28-68 涼が呼び寄せた『もの』の正体

数十分前まで聞こえていた笑い声や話し声が消えた。

気にならないと言ったら嘘になる。が、私はただの執事でそれ以上でもそれ以下でもない。出しゃばることなど許されない。

立ちっ放しだと疲れるわよ、と、長く仕事を共にした女中長が置いていってくれた椅子に座ったまま何をする事なく、ただ、前を向いていれば、階段をゆっくりと上がって来る人影に気づき、そっと音を立てずに立ち上がる。


今頃、何方だろうか、と思いながら首を少し傾ければ、見えてきたのは玲子様で、ほっと胸をなでおろしそうになったその瞬間、玲子様の背後に立つ人影に眉を寄せてしまう。


「……お、まえ、は……」


佐久間の名前を以前つけていた方の前だというのに敬語ではなく言葉が乱雑になったのに気づかないほどに動揺し、心臓が早鐘を打つ。

彼女は、奥様が……奥様が。

知らずの内に握りしめた拳が手袋ごしにぎりりと音を立てている気がする。額には青筋が浮かんでいるかもしれない。


「ま、待って、木村さん。……涼さん、なの」


玲子様はいまにも飛びかからんばかりの私に近づくと、握りしめていた拳を両手で覆いながら泣きそうな顔をされてそう仰る。それにごくりと喉を鳴らし、困惑と怒りが行き場を失って脳内に広がる。


「……い、今、何と……?」


辛うじてそれだけ絞り出せば玲子様は首を小さく振りながら、私の手を包む手に力を籠める。まるで縋るように。


「分からないわ。……でも、涼さんに頼まれたの。私も知らなかったの。ごめんなさい。ただ涼さんに歯向かえないわ、私……」


それは、と言いかけて止めるしかない。昨日の御正室様の人柄を見ていれば、分かる。その前日の御正室様の勇気も見ていれば、分かる。

それに、私はぼっちゃま寄りになってしまっているのだから。


だから、玲子様と同じで何も……出来ない。


「そう、でしたか。それは失礼を致しました。……相川様、ご無沙汰しております。先ほどは当家の次期当主佐久間礼の婚約者様であらせられる笹川涼様の御客様と存じず、失礼いたしました」


頭をそう言いながら深く下げれば、玲子様の背後に居る相川里宇は居心地が悪いと言わんばかりに目を伏せ、頭を少し下げた。








「それで……どうされますか?」


礼から視線を外し亘さんを見れば、礼も同じように亘さんへと視線を頭ごと動かす。私には礼の頭しか見えないが、その頭が上下に少し動くのだけははっきり見えた。それを亘さんがどう受け取るかは、亘さん次第だ。ただ私は礼の顔が穏やかで笑ってくれていればいいのに、と勝手に願ってしまう。


責任は全部俺が取る。

礼はさっきそうはっきり言った。

つまり、続けて良いという事だろう。

礼は頭が良い方だから本当は分かって居る。

例え、ここで礼が真実を明らかにする事を拒否したとしても、私が礼を選ぶ事くらいは。


つまり私の意図は礼には伝わっているんだ。


私と礼に見つめられた亘さんはその間にいる奥様にもう一度視線を動かし、ただじっと見つめた。ほんの数秒の時間だけれど、私にも礼にもきっとこの場にいる全員にとってとても長く感じただろう。

奥様は青ざめたまま俯き、動きもしなかった。


諦めて降参したのか、それとも『証拠』が無いからやり過ごせると思って居るのか。

どちらにしても、もう、奥様の勝ち目は無い。

例え証拠が無くても亘さんからの信頼はどこまでも落ちてしまうのだから。


次第に見つめる目に悲哀の色を帯びさせながら亘さんはため息交じりに上目遣いで、私を見て、小さく頷いた。礼と同じ様な仕草に思わず笑みを零しながら、頷き返す。


信じるか信じないかは別にして、答えを欲しがっているのなら、お話しましょう。


でも、もうひとつ、言っておかないといけない事がある。







礼様はこんな方を選んだのか、と、下座に座ったまま妻の手を握っている。最悪私たちは『娘』を理由に言い逃れが出来るけれど、罪は同じだ。だからもし亘様に追及されたら、ただ謝るしかない。


すなわち娘の雛子を言い訳になど、しないという事だけは決まっている。


じっと他の親戚と同じ様に様子を窺っていれば、御正室様はすこし背伸びをするように小さな体を目いっぱい伸ばし、私たちを見回した。


「……あの、失礼ですが、雛子さんの御両親はいらっしゃいますか?」


しばらくそうした後に突然そう呼びかけられ、返事をするよりも先に他の佐久間が私たちへと顔を向ける。もう逃げも隠れも出来ない状況で、妻の手を離し、せめてふらつかないようにと足に力を籠めて立ち上がれば、御正室様は優雅に立ち上がり、頭を深く下げた。

そこに確かにこの屋敷の女中の大宮に託した、雛子の簪がささっている。


「御挨拶が遅れまして、本当に申し訳ありません。お嬢様の雛子さんには大変お世話になりました。今こうして居られるのも雛子さんのおかげです。ですが……結果的に佐久間本家の嫡子を奪うような形になり、申し訳ありませんでした」


今、それは必要なのか、と答えられずに居れば、御正室様は頭を上げ亘様に向き直る。座って頂いて構いませんという小さな声と共に。


「亘さん、これから私は真実をお話します。ですが雛子さんの御両親と使用人の皆さんには罪を追わないでください。理由はこれから分かるはずです。……お約束して頂けますね?」


亘様はそれに少し困惑されながら頷かれ、私は座り込みながらそのまま崩れそうになった。


親馬鹿かも知れないが、雛子は頭も良い方だった。それに帝王学や経営学も叩き込んだ。

けれど、あの小さな御正室様の足元にも及ばない。



だから、私の娘はすべてを曝け出し、逃げたのだと、ようやく理解した。

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