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私と彼の新しい生活  作者: 竹野きひめ
第六話 彼と私と変化
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6-9 私と彼の独白

私の言葉を聞いて動かなくなった彼の手をぐいっと引っ張る。

水面が揺れてさざめく。

彼がそれにはっとして私を見つめた。

いつになく不安げでそれでいて何かを訴えかけるような視線。


「礼が話したくなるまで待つから、話して。ちゃんと理由を教えて」


私の手の中で彼の手が丸く握られる。

それを開いたり閉じたりして視線が彷徨う。

私を見てまた外して上を見てまた下りてきて。


これから私は目の前にいる佐久間礼を丸裸にするんだ。

彼が私に話してくれると信じてその時を待つ。


お湯を沸かしたりするパネルの時計はもうあれから30分以上経った事を示している。

じっと彼の手を握ったまま私はほとんど動かなかった。

動けなかったのかもしれない。

口を開けてまた閉じたり視線が相変わらず彷徨ったりしていて心配だった。

自分の予想が外れている可能性だってあるんだ。

んっと息を飲む音が聞こえて瞬きをしてから彼を見た。

泣きそうな苦しそうな顔をしている。


「涼」


彼が私を呼んでそれにいつものように、はい、と答える。

大丈夫、受け止める覚悟は出来ている。

あとはそれを理解するだけだ。

彼の立場に立って彼の身になって考えるだけ。


「何から話したら良いか、分からない」


呟く声は元気が無く穏やかでもない。

不安にまみれて消え入りそうに小さい。

手を握ったままそれを支えにしてそっと近寄る。

抱きしめられないなら、自分からその懐に行けば良い。

近寄ってきた私に彼が少し後ずさる。

でもここは狭い風呂場の中だ。

逃げられる場所なんてどこにもない。

彼の足の間を割ってその隙間に入る。

手を離しそっと背中に手を回す。

一番彼が落ち着く姿勢を私は知っている。

彼の顎を自分の後頭部を潜らせて乗せてやる。


「……あの、ね」

「はい」

「俺はね、モテないって言ったけど、あれは間違っている。けれど涼が俺を好きになってくれたようには好きになって貰ってないんだ」


顎から顔をどけて見上げる。

思い出すのも嫌だと言う風に歪めている。

首元にすこし腰を浮かせて顔を埋めてその耳元に唇を寄せた。


「大丈夫、ちゃんと終わるまでここに居るから」


呟きそっと顔を離すと彼が頷いてその先を話してくれる。


「佐久間の名と財力を目当てに大勢の女が近寄ってきたんだよ。年上だったり同級生だったり様々だったけれど、みんな」


言葉が途切れて彼の手が私の背に回った。

控え目にそれでいてしっかりと抱きしめてくる。


「みんな、もう俺とは一緒に居られないって言うんだ」


その言葉に目を開いてしまう。

その顔を見たくないとするように彼が目を閉じて息を吐く。

長い長いその息が吐き終わればまた短く息を吸った。


「向こうから告白しても好きになるんだ、ちゃんと。それで俺は俺なりに時間を作って相手に尽くしてるつもりなんだ。けれど、彼女達はみんな離れていくんだ」


手を彼の背から片方だけ引き抜いてそっとその細い端整な顎から耳に掛けて手を当てる。

それを彼が首を傾けて自分の肩との間に挟む。


「どんなに好きになっても尽くしても、時間が足りないんだよ。それに俺がお金を出すのが当たり前だと思ってるんだ。分かる?飯を御馳走して何も反応が帰ってこないのがどれだけ切ないか」


そう言って目を閉じた。

その問いかけに頷く事すら許されない。


「次第に彼女達は俺じゃなくて俺の背負ってる物を見てるんだって思った。それに気付いた夜は虚しくて寂しくて眠れなかった。それでも好きだと言ってくれる子には期待するんだよ。もしかしたらこの子なら違うのでは無いかと」


心が痛い。

すごく痛い。

そんなの信じられない。

そんな体験してきたならもっと荒んでいいはずなのに微塵も見せなかった。

彼の私を抱く手に力がもっと入る。

背中を弓のように曲げてしまう。

胸と胸がくっついて鼓動すら聞こえてしまいそうだ。

顎に当てていた手を離してまたその背に戻した。


「でも、また離れてくんだ。もう一緒に居られないって言うんだ。怖いんだよ、そういう風に言われるのも、嫌われてしまったと諦めるのも、全部怖いんだ」


私の肩にその顔が乗る。

剃って居ない髭がちくちくと肌に当たる。


「もう必要ないって言われたくないんだ、お前なんて要らないって言われたくない。だから涼が俺を好きになってくれて一緒に居ようって、俺が佐久間の名を捨てても一緒に居るって言ってくれた時に心がね軽くなったんだ。すごく嬉しくて、それで……佐久間の宴会をすっぽかした」


へっ?とそれにはさすがに声が出てしまった。

強く抱きしめ過ぎたと彼が私を離した。

顔が肩から離れて頬に当たる。

頬と頬を合わせたままごくりと彼が喉を動かした。


「それでね、言われたんだ母親に、努力が足りないからまだそんなに会社が小さいんだと。七年間の俺への評価はそれだけの言葉で片付けられた。……捨てられるのは嫌なんだ。でも、母親は俺を道具としてしか見て無いからきっと要らないってその内言うんだよ」


そんな事は無いですとは言えない。

私は現に子供を置いて逃げた人をよく知っている。

彼の言葉は終わった。

でもそれだけだろうかとくっついた頬のまま考える。


「……一番最初に、もう、をつけたのは誰ですか」


それはふとした疑問だった。

確かに彼が言われてきた言葉の数々は言われたくない言葉ではあるし、傷つくのも分かる。

それでも何か決定打が欠けている。

もっと彼の価値観がひっくり返るような蓄積された物ではない何かがあったのではないだろうかと思う。

それに一番最初に彼を傷つけた人間を許せない。

私の問いかけに彼が少し震える。

暖かいお湯に浸かっているはずなのに寒さを感じているように。

頬の先の口が静かに動き始めるのがその合わさった所からの動きで分かった。

ぼそりと呟くように言った言葉に目が大きく見開く。


「……母さん」


目の前に居たならば殺してやりたいと思った。

ナイフで突き立てて心臓を抉ってしまいたい。

彼の背に知らずの内に爪を立ててしまう。

だってそうしないと彼が消えてしまいそうな気がした。


「母さんが、言ったんだ。お前は本当に可愛くないわ、もう嫌になったわ、お前を産まなければよかったってね、言ったんだよ」


それはいつ何ですかと聞けなかった。

そっと私の胸の下にまだ震えている手を当てて体を離してから彼は笑った。

穏やかないつも通りの笑顔で。

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