雷神村長と、甘もどかしい日常。この不器用で優しい居場所を、私たちは一生守り抜きます
雷神村長と、甘もどかしい日常。この不器用で優しい居場所を、私たちは一生守り抜きます
レオンハート獣人王国の近衛騎士団による襲撃事件から、数日が経過した。
ポポロ村の中央広場には、今日も活気に満ちた声が響き渡っている。
「おっしゃぁぁぁっ! 獣人王国の王室から、賠償金の『金貨十万枚』、キッチリ満額振り込まれたでぇぇぇっ!!」
ゴルド商会の出張所に設営された巨大な金庫の前で、ニャングルが歓喜の雄叫びを上げていた。
彼の情報網と経済封鎖(兵糧攻め)に完全に白旗を上げた獣人王国は、国庫を削ってでも即座に賠償金を支払い、ポポロ村との取引再開を懇願してきたのだ。
「これでポポロ村のインフラ整備も防衛網も、さらに完璧なものにできる! ワイの算盤に狂いはなかったわ!」
ニャングルが愛用の魔導黒檀算盤に頬ずりをしていると、そこに一人の少女が軽快な足取りでやってきた。
「ニャングルさん、お疲れ様! 賠償金の使い道だけど、まずは村の診療所の拡大と、孤児院の修繕に回したいんだ。書類の決裁、お願いできる?」
ラフなパーカーにショートパンツ、そして足元には特注の安全靴。
頭の上の大きなウサギ耳をピンと立てた、ポポロ村の新たな村長――キャルル・ムーンハートである。
「おう、村長! もちろんや。お前の『心音探知機』のおかげで、村に入り込もうとする悪徳商人も完全にゼロになったしな。お前、ほんまにええ村長になったで」
「えへへ……。みんなが私を『道具』じゃなくて、『キャルル』として頼ってくれるからね。私、今が一番幸せだよ」
キャルルは、太陽のように眩しい笑顔を浮かべた。
祖国では、常に自分の治癒能力を戦争に利用しようとする大人たちの、どす黒い心音ばかりを聞かされてきた。
しかし今のポポロ村で彼女の耳に届くのは、村人たちの穏やかな感謝の鼓動と、少し騒がしいけれど温かい仲間たちの心音だけだ。
彼女はもう、過去の因縁に怯える籠の中の鳥ではない。自らの意志でこの居場所を守る、『雷神の村長』なのだ。
「さてと! お仕事も一段落したし、セリアさんのところに行ってこよーっと!」
キャルルはウサギ耳を揺らしながら、スキップ交じりで『セリア薬局』へと向かった。
◇◇◇
カランコロン!
「セリアさーん! お仕事終わったよー!」
薬局の扉を開けてキャルルが飛び込むと、カウンターの奥で薬草の調合をしていたセリアが、パァッと顔を輝かせた。
「キャルルさん、お疲れ様です! 今日も村長のお仕事、頑張りましたね。はい、ご褒美の『特製・人参とハチミツのマフィン』ですよ!」
「わぁぁっ! セリアさん大好きぃぃっ!」
キャルルはマフィンを受け取るなり、そのままの勢いでセリアの腰にガバッと抱きつき、スリスリと頬を擦り寄せた。
「んふふ〜、セリアさんから甘くていい匂いがする……。私、一生セリアさんに養ってもらおうかなぁ」
「もう、キャルルさんったら大げさなんだから。でも、いつでも遊びに来てくださいね」
二人の少女が、まるで本当の姉妹のように(キャルル側はヤンデレ気味の激重親愛だが)イチャイチャと戯れている。
「……コホン」
その平和で尊い空間を切り裂くように、わざとらしい咳払いが響いた。
テーブル席で分厚いバインダーを開いていたクロードが、ペンを置いてジト目でこちらを睨んでいる。
「セリア嬢。帝国労働基準法第41条に基づき、勤務時間中の過度な私語およびスキンシップは、業務効率の低下を招きます。……それに、村長。あなたも村のトップであるならば、あまり一人の市民にべったりと依存するのはいかがなものかと」
クロードが、眉間にシワを寄せながら理屈っぽい小言を並べ立てる。
しかし、そんな彼の『心音』を、キャルルのウサギ耳は正確に捉えていた。
(トクン、トクン……『いいな、私もセリア嬢に甘やかされたい……いや違う、私はただ法務省として……だがマフィン美味しそう……』)
「ぶっ、あははははっ!」
キャルルはこらえきれずに吹き出した。
「監査官さん、口では難しいこと言ってるけど、心臓の音はすっごく素直だよ? 『俺もセリア嬢に優しくされたい!』って、ドックンドックン言ってる!」
「なっ……!? ば、馬鹿なことを言うな! 私がそんな非合理的な感情を抱くはずが……っ!」
図星を突かれたクロードが、プラチナブロンドの前髪の下で、耳の先まで真っ赤にして狼狽える。
「キャルルさん、クロード様をあまりいじめないでくださいね」
セリアはクスクスと笑いながら、もう一つのお皿をクロードのテーブルにそっと置いた。
「はい、クロード様にもちゃんと焼いてありますよ。甘さ控えめの、胃に優しいハーブティーと一緒にどうぞ。いつも難しいお仕事、本当にお疲れ様です」
セリアが上目遣いで、とびきりの笑顔を向ける。
その瞬間、クロードの心臓がさらに大きく跳ねた音を、キャルルだけがこっそりと聞き取っていた。
「……あ、ありがとうございます。その……あなたの心遣いには、いつも感謝しています」
クロードは咳払いをして顔の赤みを誤魔化しながら、マフィンを一口かじった。
その表情が、ふっと柔らかく解ける。彼がセリアの手料理を前にした時にだけ見せる、無防備で優しい顔だ。
(クロード様……美味しいって思ってくれてる。ふふっ、嬉しいな)
セリアは、嬉しそうにクロードの横顔を見つめた。
理不尽な暴力には絶対零度の怒りで立ち向かう、最強の氷魔法剣士。でも、日常では不器用で、すぐに胃を痛めて、セリアの甘やかしに照れてしまう。
そんな彼のすべてが、セリアにとっては愛おしくてたまらない。
「あーあ、二人だけの世界に入っちゃった。これだから両片思いは見ててむず痒いんだよねぇ」
キャルルがニヤニヤと笑いながら、わざとらしく伸びをした。
「ま、私はニャングルさんのところに行って、村の防衛予算の計算でも手伝ってくるよ! お二人さん、あんまりイチャイチャして労働基準法違反にならないようにねー!」
キャルルはウインクを残し、嵐のように薬局から去っていった。
◇◇◇
夕暮れ時。
オレンジ色の西日が、薬局の店内を温かく照らし出している。
客足も途絶え、静かになった店内で、セリアはクロードの向かいの席に座り、二人きりでお茶を飲んでいた。
「……キャルルさん、本当に元気になって良かったです」
セリアが窓の外を見つめながら呟く。
「最初は、自分が血を吐いてでも他人を助けようとする危なっかしい子だったのに。今は自分の足でしっかりと立って、この村を心から楽しんでくれています」
「ええ。彼女は『理不尽な檻』から抜け出し、本当の自分を取り戻した。……あなたのおかげですよ、セリア嬢」
クロードがティーカップを置き、真っ直ぐにセリアを見つめた。
「彼女のあの危うい『自己犠牲』を、損得勘定抜きで本気で怒り、涙を流して止めてくれた。……あなたのその打算なき優しさが、彼女の心を救ったんです」
「そんな……私なんて、ただお説教しただけで……。実際に騎士団からキャルルさんや村を守ってくれたのは、クロード様じゃないですか」
セリアが照れて俯くと、クロードは静かに首を横に振った。
「私は、暴力が嫌いです。ですが……」
クロードの青い瞳に、真剣な熱が宿る。
「あなたのその『優しさ』が理不尽に踏みにじられるのを見過ごすくらいなら、私は喜んでこの剣を抜きます。……この不器用で騒がしい、けれど温かい日常を、私は法務監察官として、生涯をかけて守り抜く覚悟です」
それは、第一章の終わりにも彼が口にした、彼なりの最大の決意表明だった。
「愛している」という甘い言葉こそない。けれど、彼の不器用な生き方と、理不尽を許さない気高い信念が、その言葉以上にセリアの心を強く打ち抜いていた。
「……はいっ。私も、クロード様とキャルルさんと、このポポロ村のみんなが大好きです!」
セリアは両手で頬を押さえ、心からの笑顔を咲かせた。
「だから……これからもずっと、クロード様の胃袋の健康管理は、私に任せてくださいね!」
「……ええ。あなたの薬がなければ、私は明日にも胃に穴が開いて倒れてしまいますから。よろしくお願いします」
クロードが少しだけ口角を上げ、照れくさそうに微笑み返す。
相変わらず、互いに「健康管理」や「法務の義務」といった建前を盾にしている。
けれど、二人の間に流れる空気は、確かな信頼と、甘くもどかしい『恋心』で満たされていた。
窓の外からは、キャルルの元気な声と、ニャングルの算盤の音が聞こえてくる。
三か国の緩衝地帯にある不可侵の【超経済特区】、ポポロ村。
最強の氷魔法剣士と、雷神の月兎、そして心優しいチート薬師が織りなす辺境スローライフは、これからも騒がしく、そして最高に幸せな軌跡を描いていく。




