女の戦い
運がいい。
だけの。
天花の中で何かが切れた。
それでも、ぶしつけに他人を触りにいくことはしない。
ただ体を起こして、ウエットティッシュを取り出すだけだ。
「なにそれ」
「消毒液染み染みのウエットティッシュです。こんなこともあろうかと、不浄を落とすものは持ち歩いています」
無視はしない。
頬を冷たさと、消毒液の感じが強く通り過ぎる。
今日のスキンケアはいつも以上に手抜きできないな、などと考えながら天花は触られた部分を消毒していく。感触のあったところは記憶済みだ。髪の毛1本分も違えず……というより、もう全体的に拭いたほうが早いかもしれない。
鼻をツンとした香りが駆け抜ける。
天花の態度に、またしても十把が声を荒げる。
「新手の感染者差別かい? それで特待生がつとまるとか、学園もお先真っ暗だね」
「地べたにへたり込んでいた人を触った手なんて、汚いにもほどがあるでしょう。せめて手を洗ってからにしてくださいよ」
だいたい、素手でさわられたくらいで感染しないことなんて実証済みだ。なにを今さら、十把の思っていそうな考えに到るというのか。
あと細かいことだが、にらみ合いに興味はない。裸というわけでもないのだし、見られたところで減るものでもないのだから。
背を向ければ、すぐに舌打ちが追いかけてくる。
「人と話す時は相手を見ましょうって、教わんなかった?」
「人……?」
「……………………よーく分かったよ。まずはその舐め腐った根性から」
十把の言葉は、けれど最後まで言い切られなかった。
「まぁまぁ、そこまでにしてくださいよ十把先輩」
「十把だ! ってか止めてくれんな、後輩の指導も先輩の務めなんだよ」
急にまっとうなことを言い出す十把に、けれど瀬戸はひるまない。
「でも、今はまだ試験時間ですよ? いいんすか、このまま時間切れでも」
「それは……」
正論だ。十把も、語尾が弱くなってきている。
我関せずだった露払先輩も、高みの見物をかましていそうな千篇先輩も、少しずつ真剣っぽくなってきているところだ。試験監督たる井上執闘医でさえ、食い入るように見ているのは気のせいではないだろう。
完全に、ここは瀬戸の独壇場になっていた。
「試験と、ついでに俺の顔に免じてここは収めてくれませんか。天さまにも言っておくので」
気のせいだろうか。
ものすごくぞんざいに扱われたような気がして、天花は瀬戸へと視線を送る。
あいかわらず、飄々とした風体だ。
十把を見つめる瞳の瞳孔は、今も細いままなのだろう。
ややあって、十把も根負けしたように息を吐いた。
「……………………分かったよ。そんなに言うなら仕方ない。けどね」
あのつり目が、またしても天花を睨みつけた。
「いったん口を閉ざすだけだよ。アタシはまだアンタを認めてないから」
「それはご丁寧に」
――――――そんなの関係あるものか。
十把が認めていようがいまいが、天花が特待生であることに変わりはない。
ひとつ実績を作ったことに変わりはない。
変わりあることと言えば、そう。
またひとつ、弱さを知ったことだろう。
己の弱さを知るほど、天花は強くなる。
今までも、ずっとそうやって生きるしかなかったのだ。今さら心など、砕けるはずもないのだ。
そう。
決して。




