七章・魔王ナデシコ(1)
巨大な氷壁を見据え、アイビー社長が再び指示を出します。
「船はここで止めなさい。あまり近付くと風と波であれに叩き付けられるわよ」
「わかりました」
魔力糸で錨を下ろす先生。念の為、呪物を配置して衝突防止の結界を展開し、船全体を保護しておきます。それから私がモモハルを、社長がナスベリさんとロウバイ先生を魔力障壁で包み、壁の上まで運びました。そのまましばらく飛び続けて社長がため息をついたタイミングで着陸します。
「少し疲れたわ、歩くわよ」
「はい」
アイビー社長といえど、魔法使いの森から遠く離れたこの場所ではさほど長時間飛べるわけではないみたいです。社長は森の木々が蓄えた魔素を魔力に変換し、それを吸収して利用できるのだとか。いわばあの森は社長専用の巨大な魔素吸収変換装置。
壁の上は、どこまでも続くなだらかな雪原。
「広い……」
こんな巨大なものをたった四人の魔法使いが作ったなんて信じられません。太古の魔法使い達の実力の高さが窺えます。
「目的地はもう見えている。あれよ」
社長は遥か彼方を指差しました。見れば、その方向に一点だけオレンジの光が見えます。現在のナデシコさんが暮らしている場所でしょう。
「こんな寒い場所でどうやって……」
耐寒仕様の戦闘服の上から、さらにもう一枚防寒着を重ね着したナスベリさん。長い髪を全部収めた帽子を手で押さえつつ呟きました。たしかに想像以上の寒さ。あの着ぐるみの暖房機能もここでは働かなかったかもしれません。
モモハルが黄色い物で地面を叩きます。
「スズ! バナナが凍った!」
「貴方、なんでそんなもの持って来てるの?」
「さっきしゃちょーがおやつにくれたから、あとで食べようと思って……」
「そのまま持ってなさい。ナデシコのところなら暖かいから、すぐに解けるわ」
優しく微笑みかける社長。私とナスベリさんはホッと一安心。良かった、目的地は寒くないんですね。
「じゃあ行くわよ。こんな見晴らしの良い場所じゃはぐれようが無いだろうけど、子供もいるし一応手を繋いでおきなさい」
「ではモモハルさん、私と」
「うん」
ちょっと残念そうに、私を見ながらロウバイ先生の差し出した手を握るモモハル。貴方それは先生に失礼ですわよ。だいいち子供同士で手を繋いだら意味がありません。
「じゃあスズちゃんは私と」
「ですね」
「しゃちょーは手をつながないの?」
「子供じゃないもの」
肩をすくめて両手を上げるアイビー社長。年寄り扱いすると怒るし、子供扱いだと否定するし、めんどくさい人です。
まあ、怒鳴り返したりしない分、普段より機嫌が良いのは明らかですが。
「よっぽど嬉しいんだろうね、ナデシコさんに会えるの」
「そうですね……出来れば、社長の願いを叶えてあげたいです」
ナデシコさんの体内の“竜の心臓”を消し去ること。それが社長の悲願。
でも……いまだ迷い続ける私に、ナスベリさんは言いました。
「自由にやりなよ」
「……」
「スズちゃんが言ったんだよ、自分で決めた方が楽しいって。だから社長がどう言ったかなんて気にしなくていい。スズちゃんは、スズちゃんが正しいと思ったことをやって」
「それで、いいんでしょうか?」
聖域でユニ・オーリやオクノキリスのことを知って以来、私は自分自身に不信を抱いています。かつてヒメツルとして傍若無人な振る舞いをしていた頃の自分と彼等とが重なるのです。
そして先日クルクマの正体も知って、ますます、何が正しいのかわからなくなりました。今まではずっと自分で決めたことを貫き通すのが最も正しい道だと、誰にも選ばせず自分の意志で決めることが大切なのだと思っていましたが、本当にそうなのでしょうか?
(思い返せばヒントはたくさん転がっていた気がする……私がもっと賢い人間だったなら、人の言うことをよく聞いて動いていたのなら、彼女を早い段階で止められていたかもしれない……)
それこそ、ヒメツルだった頃に。
「いいんだよ」
ナスベリさんは繋いだ手をギュッと強く握ります。手袋越しでも伝わってくる、かつて“氷兇の魔女”と呼ばれた人の熱い温もり。
「私にだって何が正しいかなんてわからないけどさ、それはきっと、皆そうなんだ。社長だってロウバイさんだって本当に正しいことなんてわかっていない。だから素直に自分の心に従うべきだって思う。スズちゃんとカタバミが教えてくれたんだよ、自分を偽っても幸せにはなれないって。
実際に正しいかどうかなんて考えず、やりたいと思うことをやればいい。カズラとカタバミに似て優しいスズちゃんなら、きっと他人も自分も幸せにできる」
「その選択で、確実に誰かが不幸になるとしても……ですか?」
「誰もが幸せになれる結末なんて無いさ」
自嘲気味に笑うナスベリさん。その脳裏をよぎっているのは、きっと彼女を苛み続けた悲しい記憶。
でも、以前は記憶を凍らせることでしか対処できなかったそれを、今では笑い飛ばせるようになったんですね、貴女は。
そういえば今まで言ったことが無かったなと気付いて、私もまたぎこちない笑みを返しました。
「私、大人になったらナスベリさんみたいになりたいです」
「えっ? カタバミじゃなくて?」
「もちろんお母さんのようにもなりたいです。けれど、理想の女性像はナスベリさんなんです。かっこよくて強くて優しくて、お仕事もできる。みんなから愛されていて、他人の抱えた悲しみに気付いてあげられる。そんな人になりたいです」
「それ全部カタバミの方が当て嵌まると思うけど」
ナスベリさんは苦笑して、でも、ありがとうと呟きます。
「スズちゃんにそう言われたことは、きっと一生の自慢になるよ」
「ええ、ウィンゲイトの神子の憧れの女性として歴史に名を残してください」
そんな会話から、さらにしばらく後のこと。
私達は、ようやくそこへ辿り着きました。
「わあ……」
目を疑うような光景が北の大陸の中心に広がっています。
「あんなところに泉が……どうして凍ってないんだろ」
「島もありますよ。木々が茂ってる。こんな寒い場所なのに」
近付くとその理由はすぐにわかりました。魔力障壁で保護されているのです。その障壁は私達を弾くことなく、あっさり中へ受け入れました。
「もう防寒着は脱いでいいわよ」
「たしかに暑いですね」
障壁の内部はむしろ高温多湿。単に障壁で冷気を遮断しているだけではないようですね。
泉の水や土に触れてみると温かいことが確認できました。どうも地熱で結界内を暖めているようです。
(いや、地熱でもありませんわね)
ここは巨大な氷塊の上。それに足下から強い魔力を感じます。地下になんらかの熱源が埋まっているのでしょう。
「ここには日が差さないからですね」
「なるほど」
先生の言葉に改めて見上げてみれば、空も完全に霧の障壁で覆われていました。ただでさえこの辺りは太陽の光が届きにくい場所なのに、あんなもので光が遮られていては別の手段で温めるしかありません。
照明代わりにあちこちに浮かんでいるオレンジ色の光球も同様の理由でしょう。上陸後に見えていた光の正体はそれでした。
「この島も木々も、彼女の能力で生み出した物よ」
「島や植物を……って、そんなものまで作れるんですか?」
「別に生物じゃなくても必要な量の有機物さえあればいいの。彼女を封じる時、魔物達の遺骸も一緒にとリクエストされてね、使い道を聞いた時には驚いたわ。実際、次に来たらもう島が出来上がってた。その後も私やアカンサスが持ち込んだ材料を使って箱庭作りに励んでるわよ」
「凄いですね……」
初期の頃は結構なサバイバルだったでしょうに、話を聞いていると、むしろこの厳しい環境を楽しんでいるように思えてきます。ナデシコさんは想像以上に逞しい女性なのかもしれません。
さらに奥へ進むと木々の間に可愛らしい木組みの家屋が建っていました。魔王の居城というにはあまりに小さい建物。うちの店の倉庫くらいしかありません。
その前で昼寝をしていた二頭の白い狼が、こちらの気配で目を覚まし足早に駆け寄って来ます。
「ッ!」
「大丈夫よナスベリ」
咄嗟に腰の小型砲に手を伸ばしたナスベリさんを、右手を上げて制す社長。彼女の数倍大きい狼達は嬉しそうに顔を寄せ、鼻先を擦り付けました。社長も優しい手つきで二頭の美しい毛並みを撫でてあげます。
「久しぶりねペルシア、ウェル。最近忙しくて来られなくて悪かったわ」
「おとなしいんですね」
「ここへ来るのは基本的に私と私が認めた者だけだからね。それにこの子達はナデシコが孤独を紛らわすために作った家族。長生きしてるし見た目以上に賢いの」
直後、私とモモハルの姿に気付いた二頭は急に社長から離れ、私達の前で姿勢を低くしました。
「あの、これは?」
「乗れと言っているのよ。大方ナデシコの仕込みでしょ」
「い、いいんでしょうか?」
こんな大きな狼を見るのは初めてです。私がおそるおそる真っ白い毛並みに向かって手を伸ばしていると、隣からは歓声が上がりました。
「スズ! この犬、すっごいフワフワだよ!」
「もう乗ってる!?」
モモハルは早くも背中に乗ってうつ伏せで感触を楽しんでいました。うっ、ああやって楽しそうにしているのを見ると、私も恐さより好奇心が勝ってしまいますわ。
(しかたありませんね。彼にだけやらせるわけにもいきません)
自分に言い訳した後、思い切って飛び込んでみることに。ていっ。
ボフッという感触。背中はガッシリしていますが、彼の言う通り体毛はフワフワと綿のように柔らかく、そして予想外にひんやりしています。
「貴方、随分と体温が低いですね」
見た目は狼なのに、まるで爬虫類のような冷たさ。どういう仕組みなんですか? でも、この高温多湿の環境下でくっつかれるなら、たしかにこっちの方がいいです。
「さあ、行きましょう」
率先して小屋に近付いて行くアイビー社長。私達を乗せたまま歩き出す二頭。続くナスベリさんとロウバイ先生。
「いいな~……」
「子供の特権ですね……」
「大人なら黙って見ていてあげなさい」
直後、社長が入口の簡素なドアの前に立つと同時、ノックするまでもなくそれは中から開けられました。
「遠路はるばる、よく来てくれた」
姿を現した女性を見て、私達は一様に見惚れてしまいます。
“美しいから”
ユニ・オーリとオクノキリスは、それだけの理由で彼女を魔王に選んだという話でした。最初に聞いた時には、なんて下らないことでと思ったものです。
けれどこの瞬間、失礼かもしれませんが、私は少しだけ納得してしまいました。それは彼女があまりにも美しすぎるから。
絹のように滑らかな桜色の長い髪。同色の優し気な瞳。やはり同じ色の薄絹らしき生地で仕立てられたシンプルなドレス。顔立ちも体型も、そして声の響きも一分の狂いも無く計算され尽くした美の極致。
優しく微笑みながら、彼女は私達に向かって名乗ります。
「私がナデシコだ。かつては魔王などと呼ばれていた。ようこそ、新たな友人達よ」




