六章・暴かれるもの(4)
数日後、私達の姿は船上にありました。乗員は私、モモハル、アイビー社長、ナスベリさん、ロウバイ先生の五人だけ。ナデシコさんは大勢での来訪を喜ばないとのことなので最小限の人数に絞りました。
クチナシさんとスイレンさんは大聖堂の警備。おそらくもうハナズ王やハナビシさんが狙われる心配はありません。とはいえ二人の警護を解くわけにもいかない。なにせ相手はあの“災呈の魔女”ですから。そのため大聖堂周辺は今も聖騎士団と各国の優秀な魔道士達によって厳戒態勢が敷かれています。
誰も彼女の手にかからないといいのですが……。
船尾に立って中央大陸の方を見つめていると、アイビー社長がやって来て私に声をかけました。
「クルクマのことが気になる?」
『ええ』
社長相手に誤魔化してもしょうがないので正直に答えます。この数日ずっとそのことで頭がいっぱいですわ。
「向こうは大丈夫よ。クチナシとスイレンがいる。聖騎士団と魔道士達、さらにミツマタまで残ってるからゲッケイでさえ手こずるわ」
『ミツマタさんはそんなに?』
あの後、約束通り手合わせをしてみましたが、そこまで凄い人だとは思いませんでした。多少の魔力を持ち合わせていて、身体能力を強化したり小さな魔力障壁を展開することができるようですが、クチナシさんやスイレンさんに比べるとまだまだ普通の人間。障壁を斬れるというあの刀も、私には通じませんでしたし。
けれど、アイビー社長は苦笑して頭を振ります。
「あれの怖いところはね、常識的な人間が無理だと悟って諦めてしまうことに平然と挑みかかることよ。出来るか出来ないかで考えないの。面白いかつまらないかで判断して前者なら何が何でもやってのける。それを当たり前のことだと確信している。
……“崩壊の呪い”との戦いでは、ある意味、ロウバイやナスベリより頼りになるかもしれないわ」
『どういうことです……?』
「向こうに着いたら教えてあげる。それと、どういうことはこちらの台詞。もう顔を隠す必要は無いのに、なんでまたその格好なのよ?」
懐かしのクマの着ぐるみ姿の私を見上げ、小首を傾げるアイビー社長。
『どうしてって、暖かいからですよ』
「ああ、そういえばそれ、ナスベリが無駄にこだわって冷暖房完備だったわね」
『はい、おかげで夏でも冬でもこれさえ着てれば快適です』
えっへんと胸を張る私。造ったのは私でなくナスベリさんですけどね。
しかし、そんな私に向かってアイビー社長は両腕を突き出しました。
「馬鹿言ってないでさっさと脱ぎなさい」
『え? うわっ、蔓が!? なんで甲板に色んな植物が飾られているのかと思ったら!!』
「千年近くも待った救世主が着ぐるみ姿で現れたら、ナデシコがいったいどう思うか考えなさい! 貴女の分もちゃんとした防寒着を用意してあるのよ!」
「さ、さむっ!! 寒いです社長!! わかりました、着替えます! 着替えますからせめて船室に戻るまで脱がさないでくださいっ」
「ウィンゲイトの神子がこの程度の寒さで音を上げないの。まあ、たしかに風邪を引いて鼻水でも垂らされたら、それはそれで台無しだわ。ほら被りなさい」
蔓を使って脱がせたクマヘッドを返却する社長。まったく、口で言ってくれれば済む話なのに乱暴ですわね。
思い返せば、社長はたまにこういう顔を見せます。千年近く生きているのに、見かけの通り子供っぽくなるのです。
『ううっ、すっかり冷えてしまいました』
「情けない。ほら、懐炉を一つあげるから使いなさい」
『ありがとうございます。いつも複数使ってるんですか?』
「ああ、昔からの癖でね。いつ何が必要になるかわからないから、ついついあれこれ常備しちゃうのよ」
『なるほど、長い人生経験の賜物というわけですか』
「年寄り扱いはやめなさい。次に似たようなことを言ったら海に蹴落とすわよ」
『肝に銘じます……』
怖いですわこの人。
しばらくして、船室で防寒着に着替えた私は再び甲板へ戻って来ました。
「モコモコして動きにくいですね……」
何枚も重ね着したので、たしかに暖かいですけれど、動きはかなり制限されてしまっています。このフワフワでポンポンのついた帽子は気に入りましたが。
「そのくらいの装備じゃないとあの場所では駄目なのよ。まあ魔力障壁を展開しておけば冷気は遮断できるけれど」
「ならそうした方が……」
「そんな余裕が保てるとは限らないわ」
「まさか、クルクマがこちらへ来ると思っているんですか?」
「ええ」
その返答に驚く私。社長が何かを警戒してることには気付いていましたが、まさか彼女のことだったなんて。
「霧の障壁がある以上、私達以外入れないはずでは?」
「普通ならね。でも私達が通った直後なら……」
「尾けられている……と?」
「そう思って出発してからずっと周囲の気配を探っているんだけど、今のところ影も形も無いわ。まあ、やっぱり杞憂かもしれない。彼女の術は北の大陸では使いにくいものだろうし」
「虫の操作ですか」
たしかに昆虫達は極寒の北の大陸ではその動きを大幅に鈍らせてしまうはず。長く生きられるとも思えません。
「小動物もよ。それに数さえ絞れば大型の獣も操れるはず」
「対象の知性によって必要な魔力の量が変化する……」
昔、クルクマに教えてもらった動物にかける暗示の魔法のことを思い出します。彼女が使っているのは、おそらくあれをさらに高度に発展させたものだと、アイビー社長は推測していました。
「あの貧弱な魔力で膨大な数の生物を同時に、しかも自分の手足のように操れるのは正に驚異よ。一種の天才なのは間違いないけれど、才能だけで成し遂げられることだとも思えない。相当な研究と修練を重ねたはず。病的な執念が無ければ不可能だわ」
「ええ……」
考えても考えてもわかりません。いったい、どんなカラクリを思いつけばあんなことが可能になるのか。既存の魔法の常識からは逸脱しています。だからこそ彼女が災呈の魔女だということに今まで誰も気が付けなかったのでしょうが。
「ひょっとすると、彼女は“異能”持ちなのかもしれない」
「異能?」
「ナデシコが魔王として暴れていた時代に生み落としてしまったものよ」
社長の説明によると、ナデシコさんの持つ“生物の在り方を歪める力”を受けた動物や人間が、かつての戦争で“魔物”と呼ばれた者達の正体なのだそうです。
「戦争でその大半は倒された。けれど生き残ったごく一部の個体はオクノキリスが死んだことで自我を取り戻し、狩られる前に姿を消した。中には人間や元となった生物との間に子を生した者達もいる。そして彼等の子孫は今でも突発的に異常な能力に目覚めることがある。もしくは極端に大型化したりね」
「大型化……」
私の脳裏に蘇ったのは、ココノ村で“川の主”と呼ばれている巨大ガニの姿。滝の裏の洞窟で見つけ、狩って美味しくいただいたことがあります。もしかしてあれも魔物の子孫なのでは?
「あっ、じゃあクチナシさんも!」
「いや、私も同じことを考えてナデシコに訊ねてみたけど、そんな“異能”に心当たりは無いそうよ」
「……つくづくわけのわからない人ですね」
「あれはもう、そういう生き物だと思った方がいいわ。十二歳の時に木の枝で滝を斬ったなんて信じられる? 理解しようとするだけ無駄」
世の中には、まだまだ不思議がいっぱいあるようです。
ハァとため息をついていると、船首の方からモモハルが走って来て、そして揺れに対応しきれず見事にすっ転びました。
「スずぶっ!?」
「ああもう、大丈夫?」
「いたた……うん、ありがとう」
駆け寄って助け起こした後、初級の治癒魔法をかけてあげると恥ずかしそうに頬を赤らめました。
「まったく、船の上で走るのは沈みそうな時だけにしなさい」
「縁起でもないこと言うんじゃないわ」
「でも、こういう時こそ巨大化したイカなんかに襲われるもんじゃありません?」
「サメクイオオイカは深海生物よ。海面近くにまで来たら水圧の差で瀕死の状態になってぐったりしてるわ。それよりどうしたのモモハル?」
「あ、そうだ! きりのしょーへきが見えたってナスベリさんが。アイビーしゃちょーをよんできてって」
「それを先に言いなさい!」
慌てて魔力障壁で飛んで行くアイビー社長。船の上で飛ぶのは……まあ、いっか。真似しようとしても普通はできませんし。
「それにしても、もうそんなところまで来てたのね」
操船はイマリの時と同じくロウバイ先生が担当なさっています。ですが、あの時と同じ船ではなく、今回はビーナスベリー工房が開発した帆を張らなくても進める画期的な構造の高速船。おかげでトキオ湾からここまで三日と少しの、普通の船旅から考えればあっという間の旅でした。
(まあ、ホウキで来られたら本当にあっという間だったんですけれど)
この寒さでは私達のホウキも長時間飛ぶことはできず、今回は船で行こうということになりました。私と社長が魔力障壁で全員を包んで飛ぶということも考えたんですが、もしなんらかのトラブルで障壁を解除しなければならなくなった場合、全員で極寒の海に落下することになります。それは流石に怖い。
(工房で施してもらった耐寒処置もまだ完璧じゃありませんのね。貸しホウキ屋も、もうしばらくは安泰かも)
ちなみにナスベリさんはメインマスト上から周囲を監視しています。あそこはここよりさらに寒そう。魔力障壁で冷気を遮断できますし、ナスベリさんは寒さに耐性があるので平気でしょうが、私は絶対やりたくありませんわ。
とりあえず私もモモハルと一緒に船首へ。一足先にそこに来ていた社長が呪文の詠唱を始めています。前方には濃くたちこめる白い霧。
「あれが……」
千年近い時間、北の大陸を封鎖し続けていた結界。ホウキでは近付けないのでここまで来たことはありませんでしたが、たしかに至近距離だと巨大な魔力と複雑な術式によって構築されていることがわかります。しかもその術式が刻一刻変化しているようです。風によって流れ、形を変えるこの霧そのもののように。
私だとこの術式を解析するだけで数百年かかりそうですね。ゲッケイでさえ正攻法では無理だと考えたのも納得。
やがて濃霧が左右に割れ、細い通り道ができました。社長はロウバイ先生に「このまま真っ直ぐ進みなさい」と指示を出します。
「はい」
波の動きに合わせて舵を切り、船首の向きを調整する先生。この人、船乗りになっても食べていけそうですわね。全部一人でこなせるから人件費もかからず大儲け。
「ナスベリ! 周囲に船影は?」
「ありません! 空中も同じです!」
「やっぱり杞憂だったか」
後方を見つめる社長の眼差しの先で一旦開いた霧の障壁が再び閉じて行きます。これで仮に視認されない程度の距離を保ってついて来ていたとしても、クルクマは絶対に入って来られません。
「安心して彼女に会えるわね」
「そうですね……」
私は、実はまだ迷っていました。ナデシコさんの体内の“竜の心臓”を消すべきか否か。
だって、それをしてしまったら──
「スズ、見て!!」
モモハルが前方を指差します。その声で視線を上げた私は目を見開きました。
巨大な氷壁。それが霧の壁の向こう側にそびえ立っていたのです。聖域の魔素が見せた記憶の映像と同じ。膨大な量の海水を凍らせて作り出した氷の大地。それが北の大陸。
ロウバイ先生は万感の思いで呟きました。
「ようやく辿り着きましたね」
「はい」
ついに、辿り着いてしまいました。