65 恵まれた部屋
「起きましたか?」
微睡みから薄目を開くと、長く連れ添った妻アンリが傍に寄ってきてくれた。
ジキルドはそれに反応しようと動くが、上手く動けなかった。
その原因は僅かに身体にかかる重み。
小さな天使が丸まって眠っていた。
「ごめんなさい。フィリアちゃんがどうしても貴方の傍から離れないって言って、眠ってしまって。身体の弱い子ですから隣に寝かせました」
寝相が悪いわけではないだろうが、フィリアはジキルドの体温を求めるようにピタリとくっついている。
その寝顔は無垢で愛らしいものだが、ジキルドが指でなぞる目元は、朱く色付いていた。
普段、傍若無人にさえ思えるフィリアだが、案外、泣き虫だ。
その事は皆の中での共通認識だが、フィリアに指摘する者はいない。
幼いはずなのにフィリアの涙はいつでも、人を想ったものばかりだ。たまに、自業自得に涙することはあるが、それとは全く別。
その為、家族も使用人も、フィリアの純粋さをあえて意識させずにいたかったため、誰も言わない。
「この子は、本当に優しい子だな」
「えぇ。・・でも、フィリアちゃんだけじゃないですよ」
「・・あぁ。私は幸せだよ」
視線を動かせば、そこには愛する孫たちが皆いた。
フリードは本を開いたまま窓辺の椅子で。
リーシャはソファーでアランに寄りかかって、アランはそんなリーシャの重みにうなされるように。
三人もまた、静かに眠っていた。
「今、リリアさんが薬湯の準備をしていますけど、補助は必要そうですか?」
「薬湯?」
「えぇ。フィリアちゃんの発案なのですけど。どうやら最近、リリアさんが嵌っているらしくて、マーリンと一緒に色々と研究しているみたいですよ」
リリアは温泉の魅力に最も魅了された一人。
暇さえあれば温泉に浸かるため、フィリアの部屋に赴いていたが、流石に頻繁すぎた。
そんな時フィリアから自室でも出来る入浴法を教えられた。
フィリアは、柑橘系の果物を湯に浮かべる事を例に、花や薬草でも様々な効能がある旨を話しただけだった。
だが、そこに同じように温泉に魅了されたマーリンが加わり、フィリアの想像を遥かに超絶する完成度の薬湯が出来始めた。
マーリンは錬金術の権威。それも専門は『薬学』。
もはや、趣味の域を一脱する本格仕様。
元々、薬湯自体はこの世界にもあるが、民間療法やまじないにも近い立ち位置でしかなかったのに、この二人が組んでは、歴史を一足飛びで進めた気がする。
おかげで二人の肌は、瑞々しくきめ細やかになり、身体の調子もすこぶるいい。
美人に更に磨きがかかってきている。
「それと、マーリンはバレーヌフェザーの所に向かいましたよ」
「・・迷惑をかけてしまったな」
「迷惑など・・。アークも今、バレーヌフェザーにマーリンの事も含めて連絡してくれてます。ゼウスもマーリンが戻り次第直ぐに作業に入れるようできる限りの素材を集めに向かってくれました」
「私は恵まれてるな・・。世の中にこれほど優しい子供達に恵まれた者が何人いるだろうな」
孫たちは心配して傍に寄り添い。我が子たちは、駆け回ってくれている。
ジキルドに微笑みを返すアンリの肯定は暖かく、ジキルドに深い充足感を感じさせた。
「あら、私はそこに含まれないのですか?」
誂うような声に、ジキルドは笑みを零した。
そして、先程から気になっていた方向に視線を向けた。
ジキルドのベットに、腕を枕に顔を伏せている蜂蜜色の髪。
見慣れたレオンハートの色合いによく似ているが、透けるような美しさは他の家族よりも神秘的で儚い。
「本当にゼウスに似ているな・・」
「お義兄様も、綺麗な髪でしたからね」
「・・目も良く似ているんだ。色だけでなく、雰囲気まで」
そう言って伸ばされた手は、優しくナンシーの頭に触れた。
かつて自身がされたように。
そしてそれはナンシーも同じだったのだろう。
夢の中で「パパ」と呟き、涙がこぼれた。
うつ伏せで眠るナンシーの表情にはジキルドも気づかない。
「その子も、貴方の傍を離れないと固辞してたのですよ」
「・・親の仇だろうに」
「憎しみだけではなく。きっと父の面影を貴方にみたのでしょうね」
アンリもジキルドも愛おしい眼差しをナンシーに向けた。
先日までの遺恨など最早二人にはない。
それこそマーリンたちがリーシャたちに向ける愛情と同じだろう。
そこにノック音がなった。
「・・父様。目が覚めましたか」
明らかな安堵の息を漏らすアークが、部屋に入ってきた。
普段ならフィリアに向けるような表情を向けられると少々複雑ではあるが、嬉しさの方が勝り、頬が緩んだ。
アークは胸をなで下ろして、自身の子らを見た。部屋を出る前と変わらぬ子供たちの様子に微笑み、今度はジキルドの手の先を見た。
ナンシーを撫でるジキルドの姿に、アークも優しく微笑んだ。
やはりレオンハート。
例え、先の遺恨があったとしても、そこに愛情をもってしまう。
「父様すいません。流石に寝室まで騎士を入れることは出来なかったので」
愛情があってもこれは別。
無罪とされたとは言え、ナンシーが要警戒対象なのは変わらない。
しかし、今この部屋に騎士はいない。
それも、フィリアに次いでナンシーが最も、無防備なジキルドの傍にいる。
アークが渋らなかった訳ではないが、そこはアンリの保証が勝った。
そして、ジキルドもまたアンリと同じだ。
「何を言っているんだ?騎士達には申し訳ないが、この部屋の戦力以上に安心な場所などないだろう」
「・・母様も同じようにおっしゃられました」
見渡せば、『氷姫』リーシャ、『次期大公』フリード、『騎士団長級』アラン、そして『規格外児』フィリア。
更に、そこにアンリさえ含まれる。
正直、国家戦力クラスの一室である。
それも家族の贔屓目なしに。
アークも当然、遇の値も出ない程に認める事実。
ジキルドとアンリでさえも至極当然のように語る常識。
「・・ん」
寝言が漏れたような吐息。
身じろぐようにな動きをジキルドは手に感じた。
ナンシーはまだ微睡む思考の中、身を起こした。
瞼は重く薄く開いては、直ぐに閉じられ、焦点も合わない。
しかし、次第に意識が返ってきたナンシーが見たのは、優しい笑み。
「・・パパ・・?」
一層微笑みが増したその表情に、ナンシーは意識が一気に覚醒した。
「っ!!ディ、ディーニ!!」
「おはよう。よく眠っていたな」
顔を真っ赤にして言葉を呑むナンシーは、羞恥心に押し殺されそうだ。
だが、直ぐに思い出したようにナンシーはジキルドに顔を近づけた。
「大丈夫なの!?何処か調子がおかしいとかはない!?」
「・・あぁ。ありがとう。もう何ともないよ」
皺だらけの優しい微笑み。
それは、似ていないはずなのにナンシーには、ゼウロスが重なって見えた。
その瞬間、安堵と共に涙が頬を伝った。
「・・死んじゃったかと思ったのよ・・。急に目の前で意識がなくなって・・」
「心配してくれたのか?」
「・・そんなんじゃない。貴方は、私からパパとママを奪った敵・・。でも、でも・・怖かったの」
ナンシーの涙は堰を切ったように勢いを増した。最早、嗚咽も隠せず溢れた。
そんなナンシーをジキルドは暖かく包むように、引き寄せ抱きとめた。
抵抗もない。寧ろジキルドの胸に縋るように顔を押し当てて、ジキルドのシャツに皺を作り、涙で濡らした。
その時、あやす様に撫でられた頭の感触はひどく懐かしく、愛おしい程に懐かしいものだった。




