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63 妖精の恋人 Ⅲ



 「ナンシー・・。無理はしなくていい。俺は君さえいればそれで十分幸せなんだ」



 そう嘆くように呟いたゼウロスに、優しく微笑んがアンヌだったが、その額には汗が滲み、顔色も悪い。



 「私が欲しいのよ。・・ゼウスとの証が」



 質素なベットの上で微笑むアンヌは慈愛に満ちていた。

 弱って震える指先をゼウロスの頬に添えると、ゼウロスはその手を優しく包むようにとった。



 「ナンシー・・」


 「私は大丈夫だから・・そんな顔しないで」



 光が溢れた。


 アンヌの『転生術』だ。


 自身の分体を作る秘術。

 当然そんな簡単な術ではない。

 死の間際に、自身の残りすべてを注ぐような術。


 いくら健全な状態で行ったとしても無事である事などありえない。


 それでもアンヌは躊躇わない。


 

 この術は、媒介も必要だ。

 本来なら自身よりも格が劣る媒介を使うのが当然なのだが、アンヌにその必要はなかった。

 寧ろそれでは意味がない。



 「ぐっ」


 「ナンシー!!」


 「・・大丈夫よ。でも、もう少し魔力を抑えてもらっていい?」


 「わ、わかった!」



 明らかに格が上のゼウロスを媒介とする。

 それは、本来ならアンヌ自身の存在すら消滅するような行為。

 だが、ゼウロス自身の協力がるのならばなんとかなる。


 とは言え、それでもゼウロスはレオンハート。

 その魔力は膨大で、アンヌの負担は大きい。


 その上、生み出されるのは分体とは言え、全くの別個体となってしまう。


 転生術の意図とは全くそぐわない。


 だが、それこそが寧ろ、アンヌの望みだった。



 欲しいのはもうひとりの自分ではない。

 愛する人との愛しい結晶。


 『我が子』だ。




 魔力が編み込まれるように収束していき、形を成していく。

 無機質な魔力は次第に肌となり、髪となる。


 ゼウロスの髪を持ち、アンヌの肌を持つ、少女。



 「ナンシー!?」



 アンヌは力が抜け態勢を崩した。

 直ぐにゼウロスが抱き止めたが、その身体にはまるで力を感じない。



 「ありがとう。大丈夫よ」



 弱々しいアンヌの姿にゼウロスは苦しげに眉を諌めた。



 「ねぇ・・見て?・・可愛い娘だわ」



 アンヌが見つめる先。自身の膝の上で小さく丸まる少女。


 その顔立ちはアンヌによく似ていたが、どことなくゼウロスの面影も感じる。

 黄昏色の髪はゼウロス譲り、絹のように白い肌はアンヌ譲り。


 少女でありながらその容姿は、多くを魅了する美しさだ。



 「・・なぁ、ナンシー」


 「ん?」


 「服を持ってこようと思うんだが」


 「そうね。裸のままじゃ寒いでしょうし」


 「ローブは何処にしまったかな?」


 「・・は?」


 「いや、ラッカーは温暖で奥にしまいこんでしまっていたからな。何処にしまったか忘れてしまった」


 「・・・えーと。どういうことかしら?」


 「どうもこうも!こんな珠のような肌、他の奴らに見せられるか!その上、君に似て美人だ!変な男共の視線に触れさせられん!!あー・・下心抱くような奴等は畑の肥料にしてやる」


 「・・・」



 感情の消えたジト目でゼウロスを見やるアンヌは言葉を失っていたが、即見切りを付けてシーツで少女を包みこんだ。


 その間もゼウロスは少女の未来を過剰に案じ、未遂でさえない街の男達に呪詛を送っていた。



 「貴女のパパはあんなんだけど、素敵なパパよ」



 そう言ってアンヌは少女の頬に唇を落とした。


 すると少女はうっすらと瞼を開けた。


 そこには青空のように綺麗に澄み切った蒼色の瞳があった。











 深い森の中、あまり舗装されていない道を三人並んで歩いていた。



 「ふん、ふん♪ふーん♪」


 「我が家のお姫様は随分とご機嫌だな」


 「うん!」



 小さな少女を間に挟み並ぶ三人。少女の手は片方ずつアンヌとゼウロスに繋がれ、少女はその手を上機嫌に振りながら鼻歌を鳴らしていた。

 いつもは身体が弱く、ベットから動けない母も一緒では気分も上がる。



 「ふう・・」



 しかし、アンヌは息を漏らした。



 「ナンシー大丈夫か?」


 「ママ、大丈夫?」


 「・・えぇ。大丈夫よ。ありがとう」



 優しく微笑むアンヌだが、その額には汗がにじみ、顔色も悪い。



 「馬車と船を長く乗り継いだんだ。疲れても仕方ないさ。少し休もう」


 「ありがとう。・・でもあと少しだもの、大丈夫よ」



 眉を潜めて、アンヌを心配そうな表情で見つめる夫と娘はよく似ていて、アンヌは笑みを零した。

 身体の弱い自身の事を心から案じてくれる二人に深い慈しみを抱いた。



 「私が我儘を言って貴方についてきたのだから、そんな顔をしないで」


 「ナンシー・・・」


 「さっ。花畑まであと少しよ」


 「ママ・・。パパ・・」



 娘の手に力が込められ、不安が滲んでいた。

 それをかき消すように、アンヌもゼウロスも娘の手を強く握り返し、歩き出した。


 木漏れ日の中を三人手を繋ぎ歩く姿は、誰が見ても幸せな家族そのものだった。







 

 



 ルーティアの運河に掛かる桟橋。

 そこには目深くフードをかぶった、ローブ姿のゼウロスが居た。


 この街は魔術師の街。別段怪しくも、珍しくもない格好。

 おかげで、身元を隠しやすくてゼウロスは助かった。



 「ゼウス」



 そこに聴き慣れた声がした。

 しばらく聞いていなくても聞き間違うことはない。



 「久々だな。ジキルド」



 最早「兄」とは呼ばれない事に、寂しさを感じながらも、久々に会えた喜びの方が勝る。


 そこにいたのはゼウロス同様、目深にローブを羽織った、弟ジキルドだった。



 「・・本当に来たのですね」


 「手紙をくれたのはお前じゃないか」



 呆れながらも、その口元が俄かに上がっているジキルドに、ゼウロスは改めて安堵した。

 ここで命を狙われる覚悟もしていただけに、疑ってしまっていた申し訳なさも沸く。


 ジキルドから届いた手紙。

 つまりは、住所はすでに割れているという事。

 それでも追っ手が無かったという事は、先立ってジキルドが動いてくれたのだろう。



 「手紙にも書きましたが、フォーンにはすでに手が回っています」


 「・・妖精愛護を謳う国が、その妖精を売るとは嘆かわしいな」



 一国の掲げた政策でさえ無視できない。寧ろ従ってしまうほどにレオンハートの名は重い。

 改めて自身が敵に回した『家族』がどれほど強大か再認した。



 「・・彼女は元気ですか?」


 「あぁ。だが最近は身体が弱ってしまってな・・。放って置けないんだよ」


 「身体が?妖精である彼女がですか?」


 「実はな・・」



 そこでゼウロスは言葉を切った。だが、喜びを隠しきれずにやけてしまっている。

 真っ直ぐ目のあったジキルドは、ゼウロスの様子に首を傾げた。



 「会っていくか?」


 「はい?・・え・・・会うって・・・。連れてきたんですか!?」


 「うん」



 なんて事ないように頷くゼウロスに、ジキルドは頭を抱えた。



 「ここはルーティアですよ!?謂わば敵陣のド真ん中!一人でも危ないのに、彼女まで連れて・・。しかもその彼女は本調子ではないんだろ!?・・あんたは一体何を考えてんだ!!」



 ジキルドの叱りは間違いなかった。故にゼウロスも苦笑しか返せなかった。

 

 元々はゼウロスも単身で来るつもりだった。

 だが、そんな事をアンヌが飲み込むはずもなかった。


 結果、ゼウロスの身を心から案じるアンヌを説得しきれなかった。

 その上、娘まで着いてくることになってしまったのだから、ジキルドの叱りに反論の余地もない。



 「そういうことなら尚更、ラッカーに戻ってください。ラッカーなら土地も広いし、ほぼ手つかずの未開拓地ばかりです。今の家は手放す事にはなりますが、時間は稼げるはずです。・・来年には私が大公を継げます。それまでどうにか身を隠していてください」


 「なんだ。会っていかないのか」


 「話、聞いてましたか?」


 「じゃぁ。またいつかだな」


 「一体何の話を」



 上手く成り立たない会話にジキルドは苛立ちを強めたが、ゼウロスの目を見て息を飲んだ。

 

 相変わらずの飄々とした態度のゼウロスだが、その瞳は余りにも冷静で澄んでいた。

 まるで、何かを悟ってるようなその目は、畏れさえ抱かせる。



 「・・とにかく、急ぎラッカーに帰り身を隠してください。今ならまだすれ違いで追ってからも逃れられます」


 「ジキルド。それは無理だな」


 「無理って、意地を張っている場合ではないでしょう」


 「そういうことじゃなく・・。恐らく俺らはこの国を立つことさえできないだろうさ」



 不穏なゼウロスの言葉にジキルドは目を見開いた。そして瞬時に周りを見渡した。



 「父上を侮りすぎだぞ、ジキルド」



 周りを見渡しても不審な者は一人もいない。

 だが、明らかに視線を感じる。その視線は明確な意思を持ってこちらに向いている。



 「俺が入国した瞬間には、その情報は伝わっていただろうな。・・ジキルド。あの人は現レオンハート大公だ。お前が出し抜くのは、まだ、難しいだろうな」


 「・・・申し訳ありません・・」


 「ジキルドが謝ることじゃないさ。本来なら俺が継ぐはずっだった大公位だ。寧ろ、いきなり押し付けられたのに、出来過ぎなぐらいさ。・・それに、父上もレオンハートだからな、この密会も知っていように、見逃してくれている・・猶予をくれるなんて、相変わらず家族に甘いな・・」



 しかし、どんなに家族に甘いレオンハートであっても、このまま出国はさせないだろう。

 おそらく、この時はゼウロスに与えられた、せめてもの慈悲なのだろう。


 そして、だからこそ、ゼウロスは今、ジキルドに会いに来た。



 「明日、俺はもう一度、あの花畑に行く」



 さっきまで家族で過ごした、花畑。

 アンヌが生まれ育ち、ゼウロスと出会ったあの花畑。

 

 ゼウロスはそこへ一人で行くと告げた。

 その意味を、汲み取れないほどジキルドは鈍感ではない。

 故に、ジキルドは奥歯を痛いほどに噛み締めた。



 「だからさ・・。後の事は、頼んでもいいか?」



 当然、それは愛すべき二人。妻と娘のことだった。

 娘の存在を知らないジキルドも、アンヌのことだと正確に察したが、強張る表情は、ゼウロスの願いを聞けないと語っていた。


 それも当然のことだろう。

 本来の討伐対象は、アンヌの方であり、ゼウロスが本命ではない。

 

 ジキルドの表情からゼウロスもその葛藤を正確に読み取った。そして、納得した。

 元々ダメ元の頼みであった。

 


 「無理を言ったな。・・すまない」


 「私がっ・・・」



 絞り出すようなジキルドの悲鳴にも似た声。



 「ゼウス!!お前を殺す」



 それはせめてもの救いだった。

 ジキルドに出来る唯一の報いだった。



 「・・・ありがとな、最愛の弟よ」



 強張り、顰められたジキルドの表情は、悲痛に歪んで、涙も溢れていた。

 そんな、ジキルドの頭にゼウロスは、慣れたように優しく手を置いた。


 ジキルドの涙は勢いを増し、声も抑えられず溢れた。











 その晩。宿の一室で、ゼウロスはグラス片手に夜空を眺めていた。



 「やっぱりルーティアの夜空が世界一だな・・」



 世界有数の天文地でもある、ルーティアの夜空は美しい。目を惹かれ、思わず息を漏らすほどの迫力がある。



 「でも、なんでだろうな・・ラッカーの空の方が、恋しく想えるな」



 まだ、移り住んで数ヶ月だが、それでもその心にはしっかり刻まれた郷愁。

 そこで過ごした、幸せな日々があまりに濃く、満たされていた。


 正直苦労の方が多かった。元々何不自由なく育ったゼウロスと、花畑に百年以上引きこもっていたアンヌだ。

 二人共、類稀なる力を持ってはいても、その活用用途は、手探りから始まった。

 他の移住者達からも手を借り、知恵を借り、ようやく成してきた事ばかりだった。



 もう一度・・。そんな風に心残りがあっても仕方ない。


 ゼウロスが視線を動かせば、更にその想いは強くなる。


 ベットの上で妻と娘が寄り添い眠る姿。

 


 彼女たちは何にも変えられない、ゼウロスの全てだった。



 本来、ゼウロスが身を引けばアンヌも命を狙われることはなかった。

 今頃。いや、これからも、あの花畑で、美しく咲いていたはずだ。


 その事を悔み嘆いたこともあったが、それはアンヌに一括された。



 『私が選んだの。悠久の時を無為に過ごすのではなく、短い時を貴方にすべて捧ぎたいって』



 それで後悔が消えたわけではない。

 だが、覚悟に似たものが確かに胸に刻まれた。


 それに。


 寝息を立てる少女は、丸くなりながらも決して母を離さない態勢。

 その姿は、心から両親の愛を注がれていることがわかる。


 もし、アンヌを諦めてしまっていたら、この愛らしい娘とは出会えなかった。

 そう思うと、ゼウロスは、後悔さえ出来なかった。



 

 ゼウロスは再び空を見上げると、その先に杖を掲げた。



 『謳う英雄(セーマ)



 輝く満天の星空に想いを紡いだ。


 愛する二人の恋人への想いを―――。



 『隠匿の雌馬(ヒペルス)










 「フィー。大丈夫かい?」



 目を開けばそこにはジキルドがフィリアの顔を覗くように腰を折っていた。

 その後ろには杖からベールを生み出す二人。ゼウスとマーリン。



 「はい」



 ちなみに三人の首に繋がれた首輪のような拘束ぐに関しては触れない方向で良いのだろうか。・・・触れないでおこう。


 

 「りあは、だいじょうぶ?」



 少し重さの増したような肩に声をかけると、気だるい声が返って来た。

 どうやら今回もリアの負担は大きかったらしい。



 『君は?』



 リアはフィリアの目元をちろりと舐めとった。



 『泣いてるよ?』


 「ふぇ?・・ほんとうだ・・」



 無意識に流れていた涙。

 その理由は明確。『星を謳う(スターゲイザー)』の共感だろう。



 「でも、だいじょうぶだよ。かなしいとかじゃないから。・・・むしろ、なんか、あったかいかんじ・・」



 何かを噛み締めるように胸に手を当てるフィリア。

 その表情は、日溜まりのように暖かなもの。



 「それで、フィー・・。どうだ?」


 「たぶん、さいごまで『かんそく』できたとおもいます」


 「体調は?」


 「んー・・。わたくしはだいじょうぶですけど・・りあのようすから、もんだいなくはないとおもいます」



 あれから何度も挑戦していた。

 最初のうちは初めての時と同じように、『魔力暴走』を起こし、倒れることもあったが、最早そこまで体調を崩すことはない。

 もちろんリアの功績が大半ではあるが、確実に『記憶』が馴染んできたのもあった。


 何度も繰り返してようやくだった。

 事前に言われていたとは言え、ここまで苦戦した魔術は初めてだった。

 それもまだ『一つ目』。『星を謳う(スターゲイザー)』には数百の、『星』と呼ばれる魔術がある。そのうちの一つを得るだけでもこれだけの難航である。


 マーリンの講義では、始めはどうしても馴染みづらいが、徐々に慣れてくると言っていたが、それもまた、『星』によりけりで一概ではないらしい。

 

 その上、『妖精の恋人』はその中でも比較的、優しい難易度。

 

 なかなかに先は長い。



 「・・すべてを『観測』したか・・」



 そう言ったジキルドの目には不安が滲んでいた。

 だが、その憂いは杞憂でしかないと、フィリアは微笑みを返した。



 「まだ、かんじょうがかんぜんに、なじんだわけじゃないですけど、ぜうろすさまは、おじいさまを、あいしていましたよ。わたしと、おなじです」


 「そうか・・」



 ジキルドは優しく微笑んでみせ、フィリアに背を向けた。

 少し鼻を啜る音が漏れるが、悲しみに満ちたものではない。



 「それと、もうそろそろ、まじゅつが、はつげんするとおもいます」


 「そうだな。全てを『観測』出来たのであれば、もうそろそろだろう」



 二人で相談しあう中、怒号が響いた。



 「ねぇ!?もういいの!?」


 「フィーは!?大丈夫か!?」



 痺れを切らしたような怒号。

 ゼウスとマーリンは、ずっと『魔力暴走』に備えて、術式を行使し続けていた。



 「あ、忘れてた」


 「はい。わすれてました」



 祖父と孫は、見つめ合い、笑いあった。


 そしてジキルドは二人の元に悪ぶれることもなく、「すまん。すまん」と向かっていく。

 その背にフィリアは、意を決したように声をかけた。



 「おじいさま」


 「ん?」


 「なんしーにみせたいです!」


 「・・・『妖精の恋人』をか?」


 「はい。・・だめですか?」


 「いや・・。『記憶』の『観測』をしたフィーの『星』だ。・・あの子にこそ、見せるべきだろう」



 皺だらけで優しい微笑みのジキルド。

 その姿は『記憶』を見ていたせいか、一層老いて見えた。




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