190 少女騎士な母
ルーティアの街から程近い森・・いや、森だったであろう場所。
そこは宵闇の中、煌々と非情な火が這うように地面を焼き照らしている。
焼け焦げ、燻る様な匂いと煙ばかりのその場所は、青々とした森とはかけ離れた、荒野と称するのも生易しいような焦土。
「っ・・ぐっ・・・」
そんな焦土の中、荒れた息と震える四肢。どうにか這いつくばる寸前で堪えてはいるようだが、いつ膝をついてもおかしくない程に満身創痍の、赤髪の男。
赤髪の男はそんな状態でも必死に身体を引き摺り、その場から逃れようと奥歯を噛む。
脂汗は滲む程度ではなく滝のように溢れ、地面にも染みを作るが、それも一瞬で蒸発するような焦土。
「・・また、ダメにしちゃったか」
嘆息と共に漏れた呟きは赤髪の男のものではなく、幼い少年のもの。
そこにいたのは、騎士鎧ではなく、軽鎧を身につけたアラン。
ローブのせいか、普段は着ない丈の長い正装のせいか、その姿は魔術師という印象の方が強い、アランにしては珍しい装い。
しかしその手には相変わらず杖ではなく剣だったものが握られていた。
ありきたりな兵士用の量産剣。
いつもアランが持っているものとは比べようがないほどに鈍らなもの。
とは言え・・アランの手の中にある剣はそれを差し置いても異様。
「トール」
鉄の剣・・・それがまるで木や紙のように、脆い灰となって、その手から崩れ落ち、焦土に紛れ、そして掻き消えた。
アランの呼びかけにゆっくりと近づく蹄の音。アランの従魔である麒麟、トール。
トールはアランに近づくと鼻を寄せ、アランもそれに応えて頭を撫でた。
そしてトールの背へと手を伸ばした。
トールは背に荷袋を背負い、そこには幾つもの武器が纏められていて、その中の一つ。これまた凡庸な騎士剣をアランは取り、構えるように軽く振った。
そんなアランを咎めるような、呆れた目を向け、人間のように深い溜息をアランに向け吐いた。
「・・そんな目で見るなよ」
悠々とした態度のアラン。
だが、アランにしては珍しく無傷ではなかった。
満身創痍、とまでは言わないものの、軽くはない傷をおおい、服や鎧も無事ではない。
それも含めてのトールの態度だ。
「トールはアランの未熟さと無謀さを詰っているのでしょう?ならば、甘んじて受けなさい。そして、少しは反省しなさい」
そこに更なる声が加わった。
幼く聞こえる声・・だが、その端々に感じるのは聞き馴染みのあるもの。
ガシャ
金属が擦れて鳴る甲冑。
その姿は物語に出てくるような女騎士・・・のコスプレをした少女。
「魔力操作自体は問題ないけれど魔力循環が拙すぎるのよ、貴方。だから、必要以上の魔力を込めてしまって直ぐに武器の方が駄目になってしまうのよ」
「・・・はい、母様」
その仮装感溢れる少女の正体はリリア。
リーシャが悔しさを込めた胡乱な目で見るような見慣れた大人の姿ではなく、見るからに子供の姿。
だが、その口調も纏う雰囲気も普段と変わりないリリアのもの。
少女故に仮装感しかないが、装備した鎧も堂に入ったもの。
ただ、手に握る愛剣は、本来ならばロングソード程度のものなのだが、今のリリアでは、それよりも遥かに長い長剣か大剣のようにさえ感じる。
「騎士にとって武器や装備は命。自分の愛用はもちろん、間に合せの汎用品だとしても、大事に出来ないようでは、騎士はおろか見習いにだって相応しいものではないわよ」
「はい・・」
リリアの言は正しく、アランは唇を尖らしながらも頷いた。
幼いリリアの見た目が理由ではなく、それを素直に受け入れいれられないのはアランの未熟さ故だが、それはまだ幼いアランでは当然でもある。
あの兄弟の中にありながらもアランだけは、年相応に子供らしい面をよく見せる。
能力的な事を言えば、年相応とは到底思えないが、それ以外は年相応。たまに大人のような態度や仕草も見せるが、それはよくある子供が大人の模倣をする程度のものでしかない。
「正しく魔力を使える事は騎士としても大事なことよ。・・レオンハートならば余計に、ね?」
リリアが掲げる様に上げた剣が淡く光を纏った。
だが、それは気を付けて見なければわからない程度のもの。
お手本を示すかのように、それを見やすく掲げたリリアの剣をアランも真剣に見つめた。
そして、リリアは歩みを進める。
優雅に、警戒心などないように、淡々と赤髪の男へと近づく。
「最低限。でも、乱れなく。そうすれば、鉄の剣でさえ岩を紙のように切り裂くわ」
赤髪の男の目の前に立ったリリアは、構えることもなく、無為に、流れるように剣を振った。
「っ――――」
「母様!?」
触れたことにさえ気づかぬ程に抵抗のない剣閃。
空でも切ったかのようなその軽やかさの後に、赤髪の頭が宙を舞った。
「こんな風にね」
淡々と教え説くようなリリアの声とは裏腹に、アランの驚きと、宙を舞う頭から漏れた短な驚嘆が響く。
――――キーン・・
瞬間、世界が凍ったような感覚と耳鳴りがする。
しかし、それは一瞬にも満たない程の事。
アランはすぐさま身構え、戦闘態勢をとった。
それと同時に大きく翻るように距離を取り、土埃を上げて着地した赤髪の男。
「っ――――っは・・はぁ、はぁ・・・」
男の頭はきちんと首から下まで一つのまま、荒い息に肩を動かしている。
その上、歩くことすらままならなかった筈が、今は身構えるようにしっかりと地面を踏みしめていた。
「・・貴方は、もう行きなさい」
「・・・どういうつもりだ・・・・」
剣呑な目を向ける男に対し、リリアは静かに告げた。
だが、リリアの目にも声にも冷たさはない。
寧ろ、哀れみや同情・・そして、僅かな悔恨が滲んでいた。
「大丈夫ですよ。奴らは貴方を見捨てたわけではなく、最初から何とも思っていないだけ。戻ったところで、立場が悪くなる事も咎められる事もない筈。・・何も変わらないでしょう」
リリアの目に、赤髪の男は僅かな、ほんの一瞬の戸惑いを浮かべた。
そして、同時に何かを縋るような歯噛みを殺した。
「・・・見逃す、と・・言うのか?」
「フリードの事はもちろん許せませんし、許しません。・・ですが、だからと言って、貴方を簡単に打ち捨てられる程、非情にもなれません」
赤髪の男は睨むのを忘れ、逡巡する素振りを見せたが、それも一瞬のこと、すぐさま剣呑な雰囲気を思い出し、リリアへと鋭い視線を再び向けた。
だが、それは男だけではない。リリアの後ろに構えるアランもまた、男に向ける敵意が解けることはない。
「・・母様。俺・・私はフリード兄様から、この男の処理を頼まれました」
「えぇ知っているわ。私だって、アークに我が儘を言って任せてもらったのだもの。最初はアークが来るつもりだったのよ?穏やかじゃないでしょう?」
喉を鳴らして柔く笑ったリリアだが、その我が儘を通すための交渉の方が、よっぽど穏やかでなかった筈だと、アランは心の中で父アークへの憐憫に合掌した。
「そもそも、フリードが貴方にこの男の討伐お願いしたの?本当に?」
「そりゃぁ、もちろ――――」
そこでアランは記憶を遡り、口を止めた。
『アラン。お使いを頼めるかな?』
『もちろん。兄様の頼みとあらば』
『・・今回、襲撃してきた魔女たちの一人に赤髪の男がいる。怪我も魔力も直ぐに回復出来ない程度には消耗させた。そんな彼は魔女たちに置き去りにされて、まだ近くに居るはずだ。だから彼を――――』
『わかりました!!まかせて下さい!!』
『アランっ!?ちょっと待ちなさい!!』
『行ってまいります!!』
そう言って飛び出すアランに向け手を伸ばすフリードだが、怪我のせいでベットから動けぬフリードはその勢いをただ見送ることしかできなかった。
そして、気づく。
――――言ってないわ。
「アラン・・。貴方また、話を最後まで聞かずに飛び出したのでしょ」
「・・・・・」
レオンハートの子ら共通で疚しいことがあると視線を逸らす。
実にわかりやすく、母としては助かる反面、貴人としては心配になる素直さ。
リリアは呆れた溜息を溢し、赤髪の男に向き合う。
「・・本当ならば『饗宴』などとは縁の切りなさいと説くべきなのでしょうが・・・私たちにそれを言う資格はありません。貴方が『饗宴』にいる事情もわかっていますし、何より・・私たちにとってもその方が都合がいいですから」
「はっ」
リリアの複雑な想いを滲ませた瞳に、赤髪の男は嘲るように一笑して、一層闇を孕んだ睨みをリリアに向けた。
赤髪の男は、身体から力を抜き、戦闘態勢のような構えも解いたが、放つ殺気と憎悪を込めた敵意は先程よりも強くリリアに注がれた。
だが、リリアはそこに絶望にも似た悲しみを垣間見て、悔恨や懺悔の感情に表情を歪めた。
「憶えておくがいいっ!!いづれ来る会合の時。・・この手で、お前たちレオンハートを終わらせてやる」
獰猛に憎しみの業火に燃やされた目を見開き叫ぶ赤髪の男は、狂気に滲んだ叫びにも似た笑い声を上げて背を向け二人の前から去っていく。
アランはフリードからのお使いの真実を思い出し、飛び出すことを戸惑い、それでも只々見送るだけなのを堪えきれず、リリアの様子を伺った。
もしかしたら、リリアの如何では再びやつを追い詰められるかと思ったのだが、リリアはそんなアランの期待とは裏腹に、寂しげに男の背を見送っていた。
「身体に気を付けて」
赤髪の男の足がピタリと止まった。
男の背に届いた呟くようなリリアの声。
それは旅立つ子を見送るような暖かな声だった。
「・・・アンタの子になりたかったよ」
再び歩き出した男は一切振り返りはしなかったが、僅かにその背が震えたように見えた。
リリアはその背中を見えなくなるまで見送った。
焦土を越え、森に入っても、その影が宵闇の中に消えるまでずっと・・。
「せっかく今日はフィーが初めて企画した催しだったのに・・」
「早とちりしたのは貴方の方でしょう。だからいつも話は最後まで聞きなさいと言っているでしょうに・・・。それと、今回の催しはルリア嬢とのお別れ会なのだから邪魔してはダメよ」
「え・・ですが、リーシャ姉様は参加する気満々でしたよ?」
リリアは頭を抱えた。
いくら家族とは言え、招待状ももらっていないのに出向くなど、無粋もいいところだ。
それも、企画はフィリアだが、持て成すべき主人公はルリアなのだから、余計に無礼でしかない。
深い溜息を零したリリア。
実に問題のある我が子たち・・だが、今この時ばかりは、そんな普段通りの無茶苦茶さが癒しになる。
広く暗い頭上の宵空の中を縦横無尽に駆ける流星の下。
リリアは赤髪の揺れる背中を思い出した。
「・・次はせめて素顔だけでも見せてくれないかしらね・・・」
その呟きはアランにすら届かぬ程に小さく自身の中で呟かれたもの。
だが、その呟きを聞いたかのように一際眩い光の軌跡が空を駆けた。
応えられたかのようなその軌跡に。リリアは小さな望みが叶うような気がして、しばしの時間、夜空を見上げた。




