191 道のはじまり
「ルリィ・・・」
城の正面玄関に多くの人が集まる中、声を震わせ手を握り合うフィリアとルリア。
そんな二人の後ろでは馬車いっぱいに荷物を詰め込む使用人たちが忙しなく動き回っていた。
馬車も一台ではなく、数台の馬車が並び、それぞれに次々、荷物を詰め込んでいる。
「フィルっ」
二人は寂しさを隠せず抱き合い、互いの体温を感じ、そして互いに刻みあった。
たかだか数ヶ月。出会って間もない二人だが、別れを惜しむには十分すぎるだけの友誼が育まれていた。
それは両家の意図したものであり、望んだもの。
だが、二人はそんな大人の事情などとは関係なく、確かな友情を結んでいた。
「・・・お二人共、何か今生の別れのようなご様子ですが、冬になれば、またすぐにお会いできますからね?」
「ふぇ?」
「そうですね・・お姫様方の雰囲気に水を差すようで差し控えておりましたが・・フィリア様はリーシャ様が『魔塔』に赴かれるのにご一緒なさるとか。であれば、海路よりも空路の方が早く安全ですし、飛空艇でのご移動でしょう」
半分呆れたように二人に声をかけたミミの言葉に首を傾げると、ルリアの侍女であるサマンサが補足した。
確かに今冬、リーシャについて『魔塔』に行く事は決まっていた。
だが、その詳細も、況してや交通手段など知るわけもない。
「飛空艇、という事は我が家に?」
「はい。今度はお姫様が饗さねばなりませんね」
「ええ!」
喜びを隠せず笑みを見せるルリアは、珍しく年相応の子供らしい無邪気な表情。
そして、その笑みの中には紅玉の瞳が煌めいていた。
ここに来るまで・・いや、このルーティアに来ても、閉ざされていた事の方が多かった瞼が、今日は朝から開かれていた。
一々何気ない景色に、美しい、美しいと感動をみせるルリアに周囲は、そんなルリアにこそ見惚れる程の美しさを見ていたが、それをあえて口にしたのはフィリアだけ。
ルリアは顔を真っ赤に染めてアワアワとしてしまい、他の者は口を噤んだ。
「ひくうていにのれるの!?」
そしてもう一人。嬉々とした姿を見せるフィリア。
ただ、フィリアの場合、今さっきまでの情感など忘れた、単なる好奇心からの笑み。
ミミの前で飛び跳ねるようにして回るフィリア。
・・・だが、何となく、それだけで息が上がり始めてるフィリア・・・体力なさすぎじゃないか。
「姫さまは飛空艇が楽しみなのですね」
「うんっ・・だって、そらとべるんでしょっ」
「え・・・・・えぇ、そうですね。楽しみですね」
いつも飛んでんじゃん・・とは言えず言葉を濁したミミだが、その目は口ほどに物を言っている。
しかしそんなミミの目にも気づかす、嬉しそうにはしゃぐフィリアだが、急にピタリと動きを止め、小首を傾げると共にルリアを見た。
「でもなんでそれがルリィとかんけいあるの?」
「バレーヌフェザー大公家が住む、エルオールの街は世界中の飛空挺が集まる空港都市ですから」
「なにそれ!?ファンタジー!!」
フィリアの目が一層輝き、興奮に頬が赤らむ。
酩酊したような夢見心地に想いを馳せる姿は、ミミのみならずフィリアの周囲にとって嫌な不安を掻き立てて仕方ない。
「このあたり・・ルーティアはもちろん、ファミリア領内は航行禁止区域で飛空艇は基本、航行はもちろん離発着も許されておりません。一応、領内に発着場は幾つかありますが、あくまでそれは非常時の為のもので、例えレオンハート家の方々とは言え都合よく使えはしません。今回は事情もあって、特別にバレーヌフェザーの飛空艇が停泊しておりますが、それもバレーヌフェザーだから下りた特例の許可です」
「何せエルオールの方々は『風見仔』と呼ばれるほどですからねぇ。バレーヌフェザーの方々でなければそんな許可おりませんね」
荷物の詰め込みはまだ終わりそうになく、二人はそれぞれの侍女に案内され、馬車を見守れる場所に設けられた日除けのテーブルに座り、それと同時にミミがお茶を出した。
「その為、魔塔に赴く際は列車でエルオールまで向かい、そこから空の旅となります。その時にはバレーヌフェザーの方々にもご挨拶に伺いますので、そこでルリア様ともまたお会いできますよ」
「それはたのしみがふえますね」
更なるウキウキを隠さぬフィリアの態度にルリアも嬉しそうに微笑んだ。
そんな二人の前にミミはお茶菓子にと、タルトを出した。
この家に来てすっかり甘い物好きになったルリアはそれに目を輝かせた。
「美味しそう・・」
「ミミ」
「はい、姫さま」
ルリアの恍惚にも似た表情にフィリアは笑みを深め、ミミに声をかけた。
ミミもそんな主の意図を正しく汲み、心得たように一度下がると、手に籠を携え戻り、その籠をルリアの侍女、サマンサに手渡した。
それを眺めたルリアは疑問を浮かべた視線をフィリアに向けるが、フィリアが返すのは楽しげな微笑み。
「フィル?・・これは?」
「やくそくしたでしょう?」
「約束?」
フィリアはルリアの疑問に答えるように視線をテーブルの上に落とした。
視線を追うとそこにあるのは、瑞々しく飴色に輝く林檎のタルト。
「タルトタタンっていうの」
「もしかして・・フィルが作ったのですか?」
「うん!」
その約束はルリアからすれば一時の興奮からの少しはしたなく恥ずかしいものだったが、忘れてなどいなかった。
だからこそ、忘れていて欲しいと願いながらも、フィリアが忘れていなかった事に嬉しさが沸いた。
頬を染め、フィリアの満面の笑みを眩く、その紅玉の瞳が離せず見つめた。
「一応、籠の中には保冷の術がかかってはありますが、念の為、早めにお召し上がりください」
「これも・・フィリア様の」
「はい。姫さま、手づから作られた物です。・・職人の作った物ではありませんが、中々のものですよ・・・悲しい事に」
ミミが見せた困ったような溜息と苦笑。
それだけで、日頃の苦労が見て分かる。
本来、立場的に料理という趣味はあまり褒められたものではない。
況してや、嗜む程度のものでないのは目の前のタルトを見てもよくわかる。
それ故に周りの気苦労も多かろうと察せられた。
だが、その呆れの中に垣間見える愛しい感情もまた、サマンサにとってよくわかるものだった。
「・・互いに苦労しますね」
「花の姫が主ですからね」
互いに分かり合うその姿に、ルリアとフィリアは何だか癪に障ったように頬を膨らませた。
「ぷっ」
「ふふ」
だが互いのそんな幼い一面に、笑みが溢れた。
二人共、特にルリアの初めての姿。
子供の無邪気な笑顔。
口を開け、声を上げて笑い合う。
普段なら咎められるだろうが、今、この時だけは、子供らしいその姿を素直に見せていた。
そして、そんなルリアの姿にバレーヌフェザーからの者たちはフィリアへ感謝を抱いていた。
自慢の姫であるとは言え、年相応でない普段のルリアに何も思わない訳ではなかった。
ルリアの淑女教育を預かるバレーヌフェザー大公妃が怖いのも確かにある。だが、それ以上に、大公家の姫としてのルリアを思えば、口を挟むことなど出来はしなかった。
確かに厳しく過剰な部分はあるが、無体なことは決してないし、何よりルリア本人が積極的に学んでいるのだ。仕える身としては出来ることもそう多くはなかった。
だからこそ、こんなにも自然で、子供らしい姿は目溢しするに十分な輝きを持っていた。
「そのタルトタタンって、しっぱいからうまれたんだよ」
「失敗?・・ですか?」
「うん。ほんとうはタルトきじをしたにしいてやくんだけど・・って、そんなりっぱなはなしをするつもりはないよ」
目の前のタルトの由来を語り始めたフィリアに、何処か講義でも受けるかのように真剣に耳を傾けたルリア。
だが、フィリアはそんな立派な話をするつもりはなく苦笑を零した。
「ただね。このタルトって、いまじゃ、そこのでんとうりょうりになってるの」
普通ならば、『失敗から生まれるものもある』的な事をそこから言うのだろうが、フィリアがルリアに送りたいメッセージはそんな立派な高説ではない。
「しっぱいからはじまったでんとうなんだよ」
とある姉妹の失敗から生まれたタルトタタン。
だが、そこから学ぶ『失敗』の意味が伝えたいことではない。
伝えたいのは『伝統』や『歴史』というものにも、必ず『始まり』があるということ。
そして、そのきっかけは何気ない・・もっと言えば、立派なものである必要すらない・・『失敗』ですらそのきっかけになるということ。
「きっかけはなんでもいいんだとおもうの。でんとうにするのも、とくべつにするのも、ひとしだいだとおもうし」
毒見はもう済んでいるだろうが、菓子もお茶も客人に出す前にはホストが口を付ける。それは一つのマナー。況してや手作りの菓子であれば当然のこと。
とは言え、フィリアの大きすぎる一口と至福に満ち満ちた表情は、自身が作ったから心配など無いといっても毒見と称するにはあまりに逸脱したもの。
「・・・『夢』、の話ですか」
「うん」
少し顔に影を落としたルリアの問いに、ゴクリと口の中の物を飲み込んだフィリアは笑顔で答えた。
「ルリィもわたくしも、なかなかにむずかしいユメをもってるからね」
「・・お調べになったのですね」
「んー・・かるくだけだけどね」
ルリアが目指す『医師』という目標。それ自体は簡単ではないにしても、バレーヌフェザー、それもルリアであればきっと無理なことではない。
だが、問題はそこではない。
多くの医師の名前が連なる中にあった女性名・・その少なさ。
前世の記憶があるフィリアにはそれがどういう事か、書かれていなくとも察せられた。
前世に遠く及ばない文明レベル。それは同時に価値観もまた前世に比べて未熟である証。
そして、『聖女』と称される存在。
突貫で集めた資料だからというのもあるだろうが、多くの事は分からず。同じような内容ばかりだった。
だが、その中、必ず定義される条件の一つに『乙女』である事とあった。
聖女とは何も女性だけの称号などではないが、要は、他者と交わってない者を指すものだろう。
聖女の絶対条件は、所謂『無色の魔力』を持つこと。
生きていれば大なり小なり魔力は染まるものではある。
だが、それをより加速させるのは、他者との肉体的な交わりと、そして何より、その身に新たな命を宿す事。
もちろん絶対ではないし、それ以外にも要因はある。
しかし、それが大きな基準の一つになっていることは事実。
ルリアが願う夢は、簡単に調べた程度のフィリアにも難しい事なのだとすぐに察せられるぐらいには、わかりやすく閉ざされたものだった。
そう・・とても難しい事。
「・・無理だとは言わないのですね」
「むぅ。はなしきいてた?」
ルリア自身が誰よりもわかっている。
だが、それを否定するものはいなかった。それは立場的なものもあろうが、いくら大人びたルリアだとは言え、子供の夢を真っ向から否定するような人間などいない。
・・それでも、そんな大人たちの繕ったような笑みは正直で、言葉で否定されるよりも辛いものだった。
だからこそ、フィリアもまたそれと同じなのか、と乾いた感じの悪い笑みが漏れた。
しかし、それに対し、フィリアは実に正直に、頬を膨らませ、少しも繕う事などなく、不機嫌を示した。
「はぐっ!?」
そして、フィリアは大きめの飴色の林檎にフォークを突き刺すと、そのままルリアの口へと放り込んだ。
「ルリィからはじめればいいの」
口いっぱいに頬張るルリアの舌の上に広がる甘くほろ苦いカラメルの香ばしさ。
少し歯を動かすだけで解けるように林檎が崩れ、爽やかながら林檎自身の甘味が溢れる。
思わず頬が綻ぶような美味しさ。
だが、ルリアはその感動にさえ気が向かず、目の前の満面の笑みを見つめゴクリと喉を鳴らした。
その瞬間、喉から鼻に抜ける甘く華やかな香り。
花が咲いたような華やぐ幻想はそのまま、目の前のフィリアを幻想的に色付けた。
「おいしい?」
「・・うん」
ルリアの答えに一層の笑みを見せたフィリア。
フィリアの素直な笑顔に、ルリアは再び釣られるように笑顔を見せた。
何か明確な答えが見つかったわけではない。
言ってしまえば単なる精神論でしかない。
しかし――――『始まり』に立とうと夢見る友人がいる。
それが、何よりも嬉しい事実だった。




