183 フィリアに赤紙
老人たちが思い出に花を咲かせ、問題児がわがままを言ってベットを抜け出していた頃、城内の謁見の間には厳かな空気が満ちていた。
その日、ずっと延期になっていた六花祭の褒賞式がようやく行われた。
城内の謁見の間に集ったのは、領内の貴族を中心とした多くの立場ある者たち。
その上、領内の、ということは当然、そこに居ること許された、レオンハートに認められた者たち――――すなわちファミリアが誇る、魔術師、または魔導師。
立場が生む威厳や圧。それに加えて、この地の魔術師が集まっているのだ。
空気が歪むほどの魔力が溢れ、異様な圧を生んでいる。
本人たちは何食わぬ・・と言うより、普段通りの様子だが、この地で生まれた訳ではない者たちのほとんどは顔を青褪めさせている。
当然それは緊張などではなく純粋に濃い魔力にあてられたせいだろう。
「続いて、水上競馬の褒賞を与える」
厳かに告げる声に数人が進み出て、膝を着く。
立場としては家宰、もっと言えばアーク付きとはいえ執事でしかないロバート。
そんな者が、立場ある者たちが集うこの場で仕切るのを誰もが口を挟まない。
その理由はわかりやすく、この場に集まった面々の中でもロバートを勝る、もしくは匹敵するだけの魔力が数える程しかない故だろう。
立場以上に、魔術師としての功績が重んじられるこの土地ならではのもの。
「チック・ポート」
ロバートが読み上げる名の中には、知った名前もあった。
フィリアが前に路地裏の水路で出会った少年。
彼は呼ばれた中で最も若いが、大人たちの中にあっても恥じない戦績を得て、この場にいた。
紹介と共に膝を着き、深く頭を垂れる面々を前に、数段高い上座に鎮座するアークは満面の笑みを見せ、並んだ一人に声をかけた。
「グラン。今年もお前の一人勝ちじゃないか」
「当然でございます。毎年、アークリフト様の立派なお姿を拝見するのが私の楽し・・使命でございます」
「言い直した所で酷さは変わってないからな。寧ろ、不穏さがより明瞭になっただけだからな」
「仕方ないではありませんか。普段、市井に降りられるアークリフト様は、あまりにポンコツなのですから」
「おい」
「近所の皆が心配しているんですよ?しっかり威厳を保てているのかって」
慣れたような軽い口調だが、貴族たちであれば決してそのような口調は決して許されない。
初めてではなく、毎年の恒例であり、庶民と言うことである程度の無礼を許されているから何も言われないだけで、本来なら許されない掛け合い。
「・・全く。年々お前は気安くなるな」
溜息を零すアークだが、そこに不快な感情はない。
それどころか、溜息を吐きながらも、何処か嬉しそうな心情が溢れ漏れている。
「それで、グラン」
「はっ!!」
だが、そのまま語り合うにはこの場は相応しくない。
アークは再度、威厳を放つように背筋を伸ばし、厳かな声を上げるアークに膝を着いたグランという男も崩れていない姿勢を正し、気の張った返答を返した。
「そなたの功績に報いたい。褒賞に何か望むものはあるか」
アークは問うが、これは形式的なもの。
望みを聞き、それを遠慮する。そうして、何か見返りを求めたものではなく忠誠故の働きだったのだと示す。
あくまで建前だが、それが様式。
しかしだからといって本当に何も与えないわけではない。
褒賞自体は事前に決められているし、その内容も不満のないよう吟味されたもの。
名誉はもちろんだが、それだけでなく、金品等の現物での褒賞も用意してある。
それ故、台本通りに事を進めることでどちらにも不満のない着地をする――――筈、だった。
「ございます」
「そうか・・・・・今なんて?」
「「「「「なっ!?」」」」」
グレンが悪い笑みを浮かべ告げた言葉に、アークはもちろん。
その場に集まった者たちが揃って驚きざわめいた。
唯一驚きを見せないのはグレンを始めとした、水上競馬の褒賞者たちだけ。
「レオンハートが末姫、フィリア・ティア・レオンハート様に『奉納騎水』の演舞を願い奉ります」
「おまっ!?何をっ!?」
グレンの意地の悪い笑みに対して、アークは挙動不審な焦りに憤りを滲ませ立ち上がった。
若干・・というか、かなりの魔力が溢れ威圧感を放っているが、グレンとそこに並んで膝を折るものたちもたじろぐ様子さえない。普段のアークならばまだしも、こんな定まらない魔力など、正直、アークの心の乱れだけが露わになるだけで、この土地で育った者たちには、何の圧もない。
更にはアークのみならず、周囲のざわめきも大きくなる。
だが、先程までの無礼に眉を諌めるような声ではなく、もっと純粋な興味に満ちたもので、野次馬度合いが増している。
「お前っそれがどういう意味かわかって言ってんのか!?」
「もちろん。理解しております」
最早威厳も何もなく取り乱すアークにロバートは溜息と共に頭を抱えた。
しかし、グレンはそんなアークを誂うような笑みを浮かべただけで、淡々とアークの問いに答えた。
「・・だ・・・・ぃやだ・・・いやだいやだいやだいやだいやだっ!!うちのフィーにはまだ早いっ!!」
そして、遂には駄々をこねるように騒ぎ出すアーク。
威厳どころか、大公としての尊厳もかなぐり捨てている。
「わかった。謹んでお受けいたそう」
「ちょっ、ロバート!?」
そんなアークに代わり、ロバートが固く頷いてそれを受けた。
アークはその瞬間、信じられないものでも見るように絶望の表情をロバートに向けた。
「仕方ないでしょう。断れませんよ。というか今の貴方の態度の方が問題です。『喜んで』と二つ返事で返すべきところですよ」
「やだっ!!」
「・・・子供ですか」
ロバートの淡々とした言葉にも、駄々をこね、子供のようにそっぽを向くアーク。
そこのどこに天下の大公の姿があるのか。
再び頭を抱えるロバートの後ろからアークの傍に控えていたリリアが進み出た。
「ですけれど、なんで急に?フィーはまだ二歳ですよ?」
ロバートの返答に異を唱えるつもりはない、だがリリアの視線はロバートの言葉を尊重した上でグレンに向いた。
そして、リリアの言葉を受けグレンは横目で、自身と並び膝をつく面々へと視線を向けると、すぐにリリアへ視線を戻し、深く頭を下げた。
「・・こちらの、チックから伺いました。・・姫様はかなり優れたトゥール乗りだと」
「は?」
その言葉に反応したのはアーク。
アークは間の抜けた声と共に視線を一点に向けた。
高座のレオンハート大公家の面々が並ぶその傍に控える執事。
絶対安静を受けたフィリアの目と耳代わりにこの場に参加していたセバス。
だが、今その視線は明らかな不自然さで明後日の方を向き、泳ぐように空を漂っていた。
「おい、セバス」
「・・・・ご報告いたしました通りです」
「確かに報告は聞いた。だが、報告では、普段フィーが飛び回るのと大差ないような所感だったが?」
「そもそも、その普段が異常だと思うのですが・・」
「あ・・・確かに」
セバスを援護するわけではなかったが、ロバートの思わず溢れた呟きが最も正しかった。
間違ってはいけない。全ての諸悪の根源はフィリアであるという事を。
「なるほど・・『レオンハートの常識は、世間の非常識』ということね。フィーがまたやらかしただけ・・その時一緒にいたティーファは良くも悪くも我が家・・引いてはフィーに慣れているし、セバスに至ってはこの地に来たばかりでトゥールに詳しくない、それでも普段のフィーは見ているものね。仕方ない、とは言わないけれど・・・・うん、フィーが悪いわね」
悲しいかな。フィリアには喜ばしくない信頼と実績がある。
まだ完全にではないが、徐々に『フィリアだから』という慣用句で全てが説明される・・そんな気配がすぐそこまで来ていた。
「それで。グレン。・・それは、貴方たち『水冠の馬騎り』全員の総意かしら?」
リリアの言葉にグレンはさらに深く頭を垂れ、それに続くように横に並んだ者たちも深く頭を下げた。
「そう・・・では、ロバート言う通り、断ることはできないわね。・・・ロクサーヌ、この場を辞することを許します。早く行きなさい・・そんな青褪めた顔で立たれていても不安になるだけだわ」
ミリスとロクサーヌはフィリアの近衛騎士だけではなく、近衛騎士の隊長、副隊長をも兼任している。その為どちらか一人は必ずその仕事につかなければならない。
だが、近衛騎士として扉前に立っていたロクサーヌは、先程からアーク以上に百面相をしていて、騎士としての仕事以前に守られる側が不安しか抱けない。
ロクサーヌはリリアの言葉を受けたと同時に、一礼をして直ぐに駆け出し、一瞬のうちにその姿を消した。
「それで?貴方は何をそんなに嘆いているのよ」
リリアは情けない姿を晒し続ける大公閣下を一瞥した。
「・・どうせ、『奉納騎水』の騎手は、必ず恋が実る、という伝承があるからでしょう?」
「フィ、フィーはまだ二歳なんだぞっ!?」
「そうよ。二歳よ。なのに、そんな相手がいるわけないでしょ」
「え・・あ・・そ、そうだ、な」
リリアの呆れた表情と、納得・・はしたのか首を傾げて頷くアーク。
フィリアの中身が成熟したもので初恋がナンシーだとは知らない。
「あれ・・でも、そういう場合アレか。将来はパパのお嫁さんになる的なアレか。リーシャの時はおにぃに奪われたからな・・遂にか、そういう事か・・ふふ・・ふふふ・・・」
そして都合のいい妄想に気持ち悪い笑みを浮かべたアーク。
だが、残念ながらその日は未来永劫来ることはないだろう。
「・・・・・。アレは置いといて、グレン。正直、普段が普段なだけに、フィーがトゥールを操った技量は見ずとも確信を持てるわ。貴方たちが揃って推挙するのも不本意ながら、納得するわ。・・だけど、『奉納騎水』となれば、扱うのはトゥールではなく水馬よ。・・何度も言うけれどあの子は二歳。鐙どころか背に跨る事さえ難しい年頃よ?・・それなのに何故、今、『奉納騎水』を選んだのかしら?・・まぁそれしかフィーが参加できる方法がないのは確かだけど・・それにしても、フィーのトゥールの技量が見たいからというだけでは、あまりに横暴だとは思わない?」
この中で言えばその技量を正確に見極められたのは幼いチックだけ。
そんなチックが興奮して話したとしても、不思議ではないと思えるだけの残念な信頼がフィリアにはある。
それはフィリアの近くにいる者だけではなく、この地に住まう者も同様。少なくともチックとと言うまだ少年の言葉を鵜呑みに出来るだけの残念な信頼は得ている。
しかし、それでもグレンたちの要請は突飛押しもないものだった。
「・・正直、姫様が方々から狙われ危険な立場なのは、我々、下々の者達も分かっております。・・・ですが、先日の姫様の大魔法をこの町の多くの人々が目にしました」
「・・・畏れを、抱いたと」
「い、いえ、その逆でございます。・・神々しいお姿、天上の歌声、そして、かの大魔法。我らはファミリアの子です。あれを見て気持ちを昂ぶらせない者などおりません」
「では、何故?」
「我々は憶えているのです・・・この身に流れる血が。『星涙の大魔導師』。初代レオンハート大公の数多の偉業を」
グレンは横に並ぶ面々へと視線を投げると、何かを確かめ合うように頷きを交わした。
「・・・ルーティア湖にて、月光を纏う白馬が目撃されました」
「「「「「っ!?」」」」」
「ロバートっ!!」
「直ぐに確認いたします!!」
グレンの言葉に喧騒が生まれた。
今の今まで情けない姿を晒し続けていたアークも、一瞬で威厳を取り戻しロバートに指示を飛ばした。
「・・フリードが目覚めたら確認しなければならないが・・・おそらく間違いあるまい」
「・・・『導きの魔女』」




