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178 吐息ではなく微風



 城の大聖堂から続くテラスに集まり、響くフィリアの歌声に耳を傾けていた面々は、フィリアの歌が終わると共に黙祷を捧げ、幻想的な湖の姿を望んでいた。


 そして、空の天蓋が雲を散らすように消え、陽光が城にも降り注ぐと、それぞれの傍に鎮座し光を纏っていた剣も吹き消えるように陽光に溶けて消えた。


 リチャードはアンリを支えるように傍に侍り、ナンシーはアンリの手をとって共に支えあっていた。


 彼女たちは終始フィリアの歌声に感涙を溢し、今もまだ、無言の中に感情を隠さず滲ませていた。


 そこに侍女が数人やってきて、お茶の支度を始めると、リチャードが手を引くように先導し、テラスにあるテーブルに着いた。


 そして、誰とういう事もなく、懐かしむように昔の話を始める。

 それは一見、静かな会話だが、高揚するような盛り上がりがそこにはあった。



 「お父様は行かなくて良いのですか?」



 そんな彼女たちの様子を、少し離れ、大聖堂の中から眺めるリリアたち。

 リリアは彼女たちを見つめ、父、ジャニアに尋ねた。



 「・・いや。今は遠慮しよう。ジキルドを悼むのはもちろん・・今あの場は、ゼウロスを偲ぶ為のものでもある」



 何処か寂しげではあるが、それ以上に憧憬を滲ませてジャニアは微笑みを浮かべていた。



 「ゼウロスは、私たち世代にとっては憧れの人だったが・・当時、公爵家のたんなる三男坊でしかなかった私は、面識こそあれど、挨拶程度しか交わしたことがなかったからな。・・語れるほどの思い出も、私にはないのだよ」


 「・・私も一度、お会いしてみたかったですわ」


 「ちなみに、カーナの『はしか』はゼウロスだぞ」


 「まぁ、そうなのですね。年代的にお母様のお相手はお義父様なのだと思っておりました」



 その時に、リリアの傍に控えていた家宰のロバートが懐中時計を確認するのが視界の端に掠めた。



 「お父様。私はそろそろ戻りますね。・・お客様を、お義姉様にお任せしたままですので」


 「そうだな。・・私も馬鹿孫(スウェン)の様子を見に行こうか。もうそろそろ拘束を解いてやらねば」



 ジャニアの少し疲れたような諦観と共に、リリアは小さくロバートと頷きを交わし、無言で言葉を交わしあった。


 そこに、少し慌ただしく一人の家人が聖堂に入ってきた。

 彼は、迷いなくリリアたちの元に焦りを汗に滲ませてやってきたが、リリアとジャニアの前ではそれを表に出さぬよう堪えているのが明白だった。



 「・・ロバート様」



 無礼を詫びるように、しかし礼節を尽くして頭を下げた彼は、そっとロバートの耳元に口を寄せるように耳打つ。



 「スチュアート様より急ぎの電報が届きました」



 ロバートは彼の手から小さな紙片を受け取ると、ジャニアに向け一言詫びて紙片に目を落とした。


 一瞬、驚くように目を見開いたかと思えば、すぐさま苦い表情となり、頭を抱えるように軽く額を押さえた。

 そして、丁寧ではあるが、何処か投げやりに、リリアにその紙片を差し出し、それを受け取ったリリアもまたロバートと同じ反応を見せた。



 「スチュアートからと言うことは王都からか?何か問題でもあったのか?」



 退いたとはいえ、元国王。

 不穏なものを感じたかのように表情を翳らせ、厳しい空気を纏ったジャニア。


 そんなジャニアにリリアはロバートと同じように無言で紙片を差し出した。



 【ガダン シュト ダンゼツ】

 【ホウコク モトム】



 「・・ガダンの首都が断絶?」



 ジャニアは首を傾げて見せてはいるが、その実、察するまでもなく、その答えに確信を持っている。











 『軍国』ガダン。

 その首都バアルにある軍総司令の幕府。


 そこはガダンにおいて、どんな政治施設よりも政治に直結する場であり、この国の中枢。



 そんな施設内にある、軍会議室。

 華美で下品なモノはない、質実剛健を謳う一室。

 だが、そこにある調度品は一目で一級品だと分かる程に洗練されたものばかり。


 絨毯一つにしても只の赤い絨毯なのに、靴越しにさえその一級品さが伝わる。


 そして、当然、そこに集まる面々も、只者などでは決してない。


 政治家も権力者も当然いる。

 だが、実質、彼ら以上の発言力を持ち、この国を支配するのはこの部屋に集まる軍人たち。


 とはいえ、悪政を敷いているわけではない。

 確かに、軍事主体の政治であり、強いられる事柄も少なくはない。


 だが、国庫はともかく、国民の多くは周辺国に比べ裕福だった。

 その分、この国の貧富の差は大きく隔絶したものだが、大多数の都合を前にその声が届くことはない。



 と、まぁ。この国の事情はともかく。


 そんな、ガダン最高権力者たちが集まる、この軍幕府の会議室。

 そこに、魔力と共に空気が歪み、光の霧が突如として現れた。


 霧は、周囲に散らばるわけでも、広がるわけでもなく。

 その場に留まるように、大きな会議室のテーブルの上に集まったまま煌き揺れている。


 その場にいた軍人たちは、飛び退くように立ち上がり臨戦態勢となり、警戒を顕にした。


 だが、その中、唯一人。

 場違いなドレスを纏った貴婦人、『ミル』だけは、そんな焦りとはまた違う、表情の強張りを見せていた。


 光は次第に輪郭をはっきりとさせ、その中から鎧に覆われた人影が現れる。


 それと同時に軍人は銃を構え、反射的にその引き金に指をかける。



 「強襲か!?舐めおって!!」




 「黙りなさい」



 その場の軍人。その誰一人として、その引き金を引けずに、床に膝を着いた。


 響いた貴婦人の声は、威厳に満ち、心にまで響く届くようなもので、確かに無視できない圧力のあるものだった。


 だが、それだけ。


 魔力も何も込められておらず、そこに言葉以上の力はない。



 「あたくし()の前で、その『汚物』を取り出さないで下さいます?」



 蔑むような、穢らわしいものを見るような目を向け、口元を扇子で覆う、この場に似つかわしくない貴婦人――――ミル。


 軍人たちは、その身に石を背負ったかのように、強制的に床に膝を折った。


 それは、傍目から見ればまるで傅くようで、その中一人、椅子に腰掛けるミルが女王のようにさえ見える光景だった。



 「ぐ・・がっ・・・・」



 彼らの身に伸し掛る重さは、生半可なものではなく。

 何とか膝を折るだけで今は耐えているが、少しでも気を抜けば床に圧し潰されてしまう程のもので、今は声を上げる事はおろか、その姿勢を維持するのでも精一杯だった。


 フィリアと同じ『重力』の魔法。



 「・・馬鹿者が」



 ミルの心痛が滲んだような罵倒は、光の霧の中から現れた派手な鎧を纏った存在に向けられたもの。

 だが、そこに、否定するような感情はなく、まるで我が子の失敗を咎めるような、怒りと慈愛が混在する苦いものだった。



 「挨拶程度で済ませるように、言いましたでしょうに」


 「ごめんなさい・・」



 その鎧の体躯に似つかわぬ幼い声。


 ミルはその鎧が抱える存在に目をやり、痛ましげに眉を寄せた。



 「ギィ・・」



 ミルの声と共に意識を失っているギィの身体は鎧の腕から浮かび上がり、そっとテーブルの上に優しく置かれた。


 すると今度は、光の霧が空気に溶け、消えると共に、鎧も弾けるように光の粒となり、その中から小さな姿が現れた。


 白磁の肌とは似ても似つかない、灼け爛れた肌。

 それが四肢のみならず、顔全体も覆う、小さな体躯。


 一糸まとわず、晒すその姿はあまりに凄惨で、性別さえ判別することは難しい程。


 軍人という特殊な立場故、免疫のある者たちでさえ、思わず眉を顰める程の姿だが、一人、ミルだけはその姿に何も感情を見せず、寧ろギィの姿に表情を強ばらせていた。



 「ごめんなさい・・湖に入ってしまいました」


 「ルーティアの領域・・ですわね」



 悪魔――――精霊であるギィをこんなにもボロボロに出来る存在は限られる。

 レオンハートは規格外の権化で、その括りに入らないが、基本、人に成せる事ではない。

 況してや、そこには悪魔がもう一柱いたのだ、レオンハートでさえ簡単ではないはずだ。


 だが、それが、精霊・・それも遥か格上の大精霊が相手。それも相手の領域内でだとすれば、上位精霊でもある悪魔とはいえ、為すすべもなかった事だろう。


 そんな、推測を持ってミルはギィを見て悔しげに見つめた。


 だが、その想像は、違う。



 「ルーティア様とはまた別に――――――――っ!!」



 ミルの想像を否定しようと・・更なる驚異を報告しようと口を開いた。


 その時――――視界の端を朱色の羽撃きが掠めた。



 「・・・・何故、ここに・・」



 その姿は先程、見たばかりのもの。


 咄嗟に反応し、視線を向ければ、そこには確かに『緋炎の蝶』が羽ばたいていた。


 火の粉を散らすような鱗粉を煌めかせ、マグマのような不気味な色合いを見せる羽根を動かす。


 その蝶は誰の注意も集めず、進み、誘われたように窓に向かう。



 ミルもその異変に視線を追い、蝶に視線を向ける。

 だが、蝶は何かする間もなく、まるで実体がないかのように窓をすり抜けて部屋を後にする。



 「・・今のは」


 「アレは――――」




 ゴッ



 「っ!?」



 説明を求めるミルの望みが叶う前に、大気が、地面が、大きく揺れた。

 衝撃のような揺れと鼓膜が破裂しそうなほどの空気。


 一瞬で全ての窓は砕け、窓からは暴風が入り込み荒らす。


 建物は衝撃と共に揺れ続け、まるで地震のような揺れを常に足に伝えてくる。


 もはや、ミルの魔法などなくとも立っていられないほどの揺れと強風が暴れ狂い、何人かが割れた破片や入り込んだ石礫に血を流した。



 突然の災害はほんの一瞬の事。

 五分も経たずに、まるで何もなかったかのように静まり、凪が生まれる。


 あまりに一瞬の事に、気のせいか何かと思いそうなほどだが、目の前にある荒れた光景はそれが現実だと再認させる。



 「な、なんなのだ・・」


 「・・・・・」



 怯えた声を上げたのは大きな身体を机の下に隠し、丸まるように震える軍人の男。

 だが、そんな様子は彼だけでなく、周囲にも阿鼻叫喚が漣のように広がり、会議室の外からもくぐもりながらも確かに聞こえる。


 しかし、そんな中、相も変わらずミルだけは取り乱す事もなく、達観したかのように蝶が過ぎ去った、今は砕けた窓を無言で見つめていた。


 そして、美しい所作のまま、ミルは窓辺に近づき、視線を外へと投げた。



 「・・・化物が」



 静かに怒りを滲ませたミルの呟きは、とても小さいものだったが、その場を支配するには十分な圧力があり、水を打ったかのように一瞬で静けさを生んだ。



 「なっ・・これは、何が・・」



 外を見つめたまま魔力を溢れさせるミルの背に恐怖を覚えながらも、窓の外に何があるのか、気に掛かり一人が窓に近づいた。


 そして、そこにあった光景に言葉を失った。


 そんな様子に、また一人、また一人と、後に続き窓辺に集まる。

 だが、そこに起きる反応は皆、真似たように同じで、言葉を失い、その光景を見つめていた。




 『軍国』ガダン。

 軍政を掲げる、この国の首都バアルは、国の特性を色濃く反映させた都市。


 他国における首都と比べれば圧倒的に小さな街だが、その分、都市一つを城壁が取り囲み、更にその外も大河と崖が走る天然の防壁さえも持つ、世界最大の要塞だ。


 最後の砦という意味ではこれ以上のものはなく、それでなくとも強襲や奇襲さえも弾き返せる程の強固な都市。




 それが、今、完全に断絶されていた。


 街を取り囲む風の壁。

 風の向こう側を見通す事もできなほどの暴風は、触れれば、人はおろか、石や鉄でさえも破砕するだろう勢いを持っている。


 見上げれば雲一つない晴天は、晴れやかというよりも、街を灼くように澄み渡り、先程吹いた凶暴な風が最後と言わんばかりに、空気の流れすら感じることはない。



 台風の目・・いや、この場合、竜巻の目と言った方がいいだろうか。


 一つの都市を飲み込むほどに大きな竜巻がそこに生まれ、動かなかった。











 「誰だと思う」


 「そうですね・・私としては、一応、大公という立場がある以上、夫ではないと信じたくはあります」



 電報を何処か死んだ目で見つめながら、不毛な推測を交わすジャニアとリリアの親子。


 だが、その気持ちはわからないでもない。


 他国の首都を離れていながら完全に制圧するなど、外交云々以前の問題だ。

 しかも、誰も、それが、関係のない第三者がやったと思わないあたり、不名誉な信頼がそこにはある。



 「・・ですが、直系のレオンハートの方々は皆様、現在、()()()()()()おります」


 「そうなのよねぇ・・・」



 リリアは諦観を滲ませた虚ろな瞳でテラスを無意識に見た。



 「・・・ナンシーが可愛くて仕方ないわ」



 レオンハートの一人でありながら、他のレオンハートなどとは比べ物にならない程に常識的なナンシー。


 リリアは自然と熱くなる目頭に気づかないふりをしてそっと呟いた。



 「それで、誰だと思う」


 「フィーかしらね」

 「フィリア様かと」

 「姫様ですかね」

 「姫様でしょうね」

 「姫様だと思います」



 満場一致。


 何なら、使用人や侍女、ロバートも電報を持ってきた彼も。

 ジャニアとリリアの傍にいる者たち皆からの態々の投票。


 先王と大公妃の会話に割り込む無礼を知り、普段ならばそんな礼を失することなどないはずが、堪えきれず口を揃えた。






 「私もフィーに一票かなぁ」



 その声に皆一斉に振り向き、顔を強ばらせた。



 「フリード・・・」



 フリードは貴公子然とした爽やかな微笑みを蓄えてはいるが、背筋に走るのは決して爽やかでない涼しさ。



 「私もレオンハートの直系・・それも長男なのですが」


 「フリード・・おじいちゃんと一緒にスウェンにお灸を据えに行こうか、な!」


 「あぁ。それなら、先程十分に添えさせていただきました」


 「え・・」



 ジャニアの顔に滝のような汗が流れる。



 「フリード・・ダメよ」


 「ん?お母様、何がですか?」


 「何がって・・」


 「私はただ、私もレオンハートの直系として、威を示した方がいいかと思っただけですよ」


 「絶ッ対ダメーーーッ!!!」



 次期大公として大人しく控えていただけで、忘れられる程に濃いレオンハート全体の奇行。


 忘れられていたことに拗ねるフリードは、実に子供らしい反応だが。

 そこに付随する被害は決して可愛らしいものではない。



 


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