177 愛の光景
「所でジョディ様、前にお使いになられていた杖はどうなさったのですか?」
前回ジョディが使っていた、羽根付きの華やか・・派手な杖。
だが、それは今なく、魔術によって顕現したふた振りの杖がジョディの手に握られている。
「あんな派手派手しい杖なんて持ってこれる訳ないじゃない」
お、おう・・そういう感覚はちゃんとあるんだ・・。
堂々とそう言い放つジョディに、ルリアは引きつったように愛想笑いを見せた。
「そもそも、魔術師はその場に応じて魔術媒体を変えるものよぉ・・ほら」
ジョディが促すその先にはルリアたちが乗るゴンドラを先導する、もう一つのゴンドラ。
柩を乗せ、住人たちが傅くゴンドラ。
その船頭にローブをたなびかせるアーク。
たなびくのはローブだけではなく、その手に握られた身の丈もある大旗。
「魔術は術式や詠唱が必要だけど、咄嗟の時に使う術とか、多用する術とかは、媒体に刻んでおくものなの。だから、用途とかに合わせて、その時々で媒体を使い分けるのよぉ」
アークの持つ大旗には、カトレアと獅子、レオンハートの家紋が大きく描かれている。
だが、それ以上に目を惹くのは、陽光の煌く無数の刺繍。
意象も何もないように見える刺繍だが、幾何学模様に広がるようなその刺繍は煌く度に美しい模様を浮かびかがらせる。
「今から、すごいものが見えるわよぉ。・・魔術師の王。私たちが傅く、頂点、その美しさを篤とご覧なさいな」
フィリアの歌声に更なる力が入り、フィナーレに向かう、その時。
アークはゴンドラの船頭に立ち、大きく両手を広げる。
それと共に、大旗も翼を広げるように、大きくたなびく。
アークはその大旗をゆっくりと・・力強く、振るう。
振るわられた大旗は、その軌跡に幾数もの術式を描く。
その術式たちは一瞬だけ現れ、光を纏うが、発動はせずに霧散し、光の残滓だけを残り香のように残す。
それはアークのひと振りごとに、生み出され、周囲を光の粒子が舞い漂う。
アークの旗振りは勢いを増し、動きも大きくなっていく。
すると、今度は発動した術式から、風や水、炎などが形を得て飛び出す。
様々な花弁となって、周囲の光の粒子を吹き飛ばし、時に纏い、アークの周りを舞い降って華やかに彩った。
人々は息を呑むように目を奪われたり、一層の畏怖を抱きより深く頭を下げたりと、そこに生まれた光景に圧倒された。
「・・すごい――――綺麗・・」
ルリアもその光景に思わず目を見開いた。
ジョディはそんなルリアの様子に、微笑みを浮かべた。
そこには、何処か、自分のことのように自慢気な感情が滲んでいた。
「ジョディ。そろそろ始めるぞ」
「えぇ。始めましょう」
そこにハイロンドの声がかかった。
ジョディはそれに頷きを返し、ハイロンドと並んで船頭に立った。
『摩天の楼より招かれたる此の者』
『僅かなる郷愁を漣に灯し送る』
二人の詞が厳かに空気を震わす。
舞い降る花弁と共に一陣の風が二人の傍を過ぎ去った。
ハイロンドはジョディよりも一歩前に出て、一本の剣を立てるように掲げた。
その剣は、普段ハイロンドの愛用する、大柄なハイロンドの体躯ほどあるいつもの大剣とは違う。
ハイロンドの大剣ほどではないが、十分大剣と言える大きさのバスターソード。
使い込まれたように古びた剣だが、装飾された実用的ではない儀礼剣。
しかし、その剣から漂う年季は、他の剣よりも百戦錬磨の風格を持っている。
『ヴァルハラの騎士が摩天へ共に付き従い逝かん』
その詞と共に、ハイロンドの掲げた剣が、切っ先から砂となって消えていく。
砂状となった剣は、紡がれた糸を解くかのように筋となり、前を行くゴンドラに向かう。
『水面に謡いし我が回廊が同朋を摩天に導こう』
ジョディが一対の杖を振るうのに合わせ、水面が揺れる。
ゴンドラが進む路を誘うように水路の水が打ち上がり、水の回廊を作り出す。
アークの旗振りに舞う花弁が回廊に触れ、それぞれの花弁の色を波紋のように広げ、水面に色鮮やかに溶けていく。
ゴンドラには、ステンドグラスを通したかのような光が、水底に降り注ぐように揺れて届き、柩から溢れる花々を、更なる鮮やかさで彩る。
感情を最高潮のまま響く声に乗せ、息の続く限り振り絞り叫ぶようにして歌いきったフィリア。
肩を上下させ、バケツをかぶったような汗を流すフィリアだが、その表情は疲労感よりも、晴れ晴れとしたものが色濃く。興奮もあろうが、その紅潮した顔には生気が満ち満ちていた。
やりきったような爽快感に身を委ね、視線を上げ、瞼を閉ざすフィリアは汗と共に涙を一筋流し、柔らかく微笑みを蓄えた。
「姫様!!」
ヴァイオリンも最後の一音を奏で終え、その残響に空気が緩んだ瞬間、フィリアの身体が支えを失ったように傾いた。
だが、間髪入れずに飛び出したミリスが高く飛び上がり、フィリアを受け止める。
『風陣羽織』
そしてフィリアを抱き抱えたまま、その身に風の衣を纏った。
フィリアは思いの外、高い位置まで浮かび上がっていた、
勢いで飛び出したが、生身で降りるには高すぎる。その為、風を纏ったミリスだったが、その心配は杞憂だった。
水が意思を持ったように触手を伸ばし、二人を足元から支え、包み込んで守った。
不思議と二人を濡らすこともない水は、柔らかく包み込んでゆっくりと地面に下ろしていく。
ミリスがその水の先を振り返ると、その水はゴンドラを包む、水の回廊から伸びていて、ミリスはそこで、舞い踊るように旗を振るうアークと目があった。
ミリスは表情の強張りを解くとアークと頷きを返し合い、腕の中の身動ぎに視線を戻した。
「姫様」
「うぅ・・またムリをしちゃいました」
「・・本当ですよ」
力の入らない様子でフィリアは微笑みを見せた。
だが、力なく微笑むフィリアの笑みは、何処か満足気で、ミリスは呆れを滲ませた苦笑を零した。
ドサッ
フィリアが視線を落とした先では、ローグが息を切らせて地面に座り込んだ。
キースはそんなローグを支えるが、キース自身も息を乱していた。
只でさえ魔力を込めた演奏は、負担が増す。
その上、ローグは更に、『降霊術』という自分以外の感覚を憑依させていたのだ。
鍛え抜かれた近衛騎士のローグとはいえ、その負担は大きいものだろう。
そして、それを術者として支えたキースもまた、その疲労は大きい。
だが、フィリアたちと共に生んだ調は、その苦労に十分、報いるものだった。
歌が終わり、セイレーンの花のコーラスも静まった今でも、人々の耳には残響のように奏で続け、その心に何かしらの感情を湧かせている。
「キュオォォーーーーーン」
そこに響くユミルの声は、何処か縋るような弱々しいもの。
狂気は最早そこになく、二体のユミルは揃って、首を擡げながら水路を進むゴンドラに顔を近づけて行く。
アークは旗を振るうのは辞めず、器用に旗を操りながら、片手で顔を寄せたユミル、それぞれの鼻先を優しく撫でた。
ユミルたちもそれを受け入れ、軽く瞼を一瞬だけ閉じた。
そして、そのままアークの横を通り、アークの後ろ。花の溢れた柩にゆっくりと顔を近づけた。
小さく、語りかけるような鳴き声を漏らすも、そこに返ってくる筈の声はない。
只々、ユミルたちの目に懐かしき情景が過ぎるだけ。
『・・・来ましたね。アーク』
「お久しぶりです。ルーティア様」
いつの間にか、街を抜け、水路を抜け・・ゼウスたちの横をも通り過ぎ、湖に出たゴンドラ。
ゴンドラは真っ直ぐ水面に落ちた花弁を辿るように進み、湖に立つ精霊、ルーティアの前でその進みを緩やかに止めた。
アークも、ゴンドラが止まると共に、旗を振るのを辞め、そして、ルーティアに向かい膝を付いて礼を見せた。
『とても、華やかな『送り火』でしたよ。魔術師としては、これ以上の『見送り』はないでしょうね』
「・・・父の・・『魔導王』の、旅立ちですから」
『歴々の『魔導王』にも自慢できるものでしたよ』
ルーティアの微笑みに素直な賛辞を受け取り、アークは微笑みと共に僅かばかりの憂いを見せた。
『・・やはり、特には・・あの子、ですね』
その視線は、やはりというか、フィリアに向けられていた。
「いずれ、ご紹介致します時を、楽しみにお待ちください」
『えぇ。洗礼式の時を楽しみに待ちましょう』
「それと、これを」
アークはふわりとゴンドラから水面に降りると、再び膝を付いて、献上するように小さな缶を差し出した。
ルーティアはそれを手に取り、何かと確認し、顔を近づけ香りを嗅ぐと表情を和らげた。
『・・森の香り』
「父が約束した、茶葉です」
『・・・いい香り・・ねぇ、ジキルド』
ルーティアはゴンドラに語りかけるように微笑みを向けた。
声は返ってこずとも、同意を得たような頷きを感じた。
『これも、あの子がね・・益々、会える日が楽しみです』
そう言って、再びルーティアはフィリアを見やると、アークへ視線を戻した。
『それでは、ジキルドを霊廟へ連れて行きますね』
「はい。・・父を、お願いいたします」
アークは立ち上がり、大きく旗を横薙ぎに振るった。
すると、水の回廊が弾けるようにその形を崩し、周囲に雫がゆっくりと舞う。
更には、ゴンドラの上の柩に、火が灯る。
その火は瞬く間に大きく広がり、柩を包み、共にあった花の花弁を舞い散らす。
「魔導の王、ジキルド・ディーニ・レオンハート。真理への道を探求せし同士。その勇名を此の魔導王の名の許に尊敬を持って、送ろう」
煌々と燃え盛る柩。
ルーティアは、その柩を乗せたゴンドラに近づき手を触れた。
触れた先に雫を落としたかのような音と波紋が生まれ、ゴンドラ全体に広がる。
すると、ゴンドラは静かに、ゆっくりと、湖の中に沈んでいく。
燃え盛る炎に焼かれ沈没するのではない。
寧ろ、その火を乗せ、運ぶように、その身を静かに沈めていく。
ルーティアは更に、そのゴンドラに寄り添う一対の大蛇を見つめた。
『貴方たちも一緒に行きますか?』
ユミルたちは返事を返すようにゴンドラに鼻先を近づけた。
『・・ではウロボロス。その役目をしっかりと果たし、ジキルドを送り届けなさい』
ルーティアのその言葉とともにユミルたちは湖に潜り、その姿を消した。
そのあとを追うかのように、ゴンドラも水面に消え、水の底を漕いで行く。
不思議と、その柩の炎は消えることなく、湖の中にあっても煌々と燃え盛っていた。
そして、ゴンドラもユミルたちも消えたルーティアの視界には、その軌跡が目に入った。
人々は、そのゴンドラを見送るように、水路に並び、光り輝く剣を浮かべている。
その剣は、灯篭のように導く道を作り、水面に映る。
水面には、ゴンドラが通ったあとにわかりやすく、花弁が浮かび、その光を更に哀愁あるものとしている。
そして、何より、そんな全てを幻想的に見せるのは、薄い霧と薄明光線の演出だろう。
ジキルドの旅立ちに用意されたこの光景は、絵画にも描けぬような神秘的な光景。
魔術師にとって、魔術や魔力で最期を彩るのは、最上の誉れ。
なればこそ、ジキルドは世界一幸せな魔術師だと誰もが称するだろう。
渦という不幸を自らに課したジキルドの最後。
それは――――多くの愛に満ちたものだった。




