176 星と天使の羽
フィリアの歌声とローグのヴァイオリン、そしてセイレーンの花が唄うコーラスが響き渡る街に明かりが灯る。
だが、その明かりは生活の明かりなどではなく、淡く灯篭のように、導くような灯火。
それが街中に、少しずつ波及するように灯っていく。
「リュース。最高の仕事だな」
「当然だろ。任せとけよ。・・ここ数日、我が家は皆、寝不足だがな」
「だから、他の庭師の手も借りろと言ったのに」
「・・こればかりはトリー家の意地だからな」
天上の歌声に聞き入ったまま、ゼウスとリュースは軽口を叩き合う。
そこに、先程までの緊張感は完全になく、和やかな気安さだけがあった。
「「キュオォォーーーーーーン」」
先程まで狂気に染まり、争いあっていた一対の大蛇も、その狂気を霧散させ、共に唄うように声を揃えている。
最早、その場には争いの張り詰めた空気は完全になく。
只々夜空に響く、幻想的な雰囲気に満たされていた。
だが、ユミルたちが声を高らかに響かせたのはそれだけが理由ではなかった。
「来たか」
小さく呟き、ゼウスたちは無言で杖を取り出し、掲げた。
『星屑』
そして創り出される、それぞれの形をしたひと振りの剣。
その剣は、フィリアの生み出した物ほどではないが、淡い光を纏うように放ち、頭上に浮かび上がる。
宵闇にロウソクを灯すかのように、暖かくも僅かな光。
照らすというよりも誘い導くような、弱くも強い光。
フィリアの生み出した、極彩色豊かな眩い光ではなく、どこか厳かな光。
それが一つ、また一つと杖を掲げた順に、創り出され浮かぶ。
だが、フィリアの生み出した武具の群れに飲み込まれる事も、かき消される事もなく。
全く別の雰囲気と存在感を持って、また違う彩りを与えていた。
街の中心から徐々に広がる、灯火。
それは水路をゆっくりと進むゴンドラの影に、誰からともなく灯したもの。
皆、示し合わせたように『星屑』の魔術を唱え、それに淡い光を纏わせる。
魔力操作の難しい魔術ではあるが、それはあくまで複数の顕現と操作の話。
ひと振りだけであれば、この街の住人で出来ないものはいない。
その術を多用した魔導王。
何時からか、彼の代名詞ともなった『星屑』。
静かに進むゴンドラ。
そこに乗る、一つの柩。
溢れるほどの献花は、時偶水面に花を浮かべ、人々の情緒を掻き立てる。
人々はそのゴンドラに向け頭を垂れる。
中には、膝まで折って深く頭を下げる。
そして、そのゴンドラを、最も相応しい『魔術』で見送る。
それが、『魔術師』への最上の弔い。
柩を乗せたゴンドラを追走するもう一つのゴンドラの上では、ルリアたちが周囲の様子に驚き見渡しているが、そのすぐ傍のハイロンドとエラルドは嬉しそうに笑みを浮かべながらも、少し瞳を潤ませていた。
魔術師に代名詞と言える魔術がある事自体は珍しくない。
だが、数多ある魔術の中で、皆が全く同じ術を選ぶ事はそうそうない。
フィリアの先導が無意識に働きかけたとしても、ここまで揃うことはないだろう。
それは、代名詞を超え、『これは貴方の魔術』だと称された証。
魔術師にとって、これ以上の誉れはない。
水路の終わりが近づき、ゼウスたちの姿が見え。
ゼウスたちからもゴンドラが影ではなく、しっかりと視認できた頃。
フィリアの歌は佳境を向かえ、一層の盛り上がりを見せた。
フィリアの歌と、フィリアの身振り。
そして、指揮棒のように振る黒杖に、色取り取りの極彩色に光る武具たちが一つのうねりとなって動き出し天に昇り始める。
だが、そのうねりから一つ、また一つと武具が離脱し各々の方向へ切っ先を向け飛び始める。
直線的な動きと、軌跡さえ生む程の速度。
時折直角に曲がり起動を修正しているが、その速度が緩まることはない。
雨・・それも光の。
夜空を煌いて、駆け、軌跡を残す。
まるで、流星雨。
フィリアの元から溢れ出したように宵闇を走る光の筋は、落ちるのではなく空に向け更に高く走っていく。
そして、甲高い、ガラスが割れるような音が一つしたと思うと、続けて無数の甲高い音が響く。
すると天上・・正確にはフィリア自身が創り出した『天蓋』に亀裂が走る。
その亀裂には本来の光。陽の光が滲み、夜空に光の筋が広がっていく。
亀裂が増え、広がる度に光の侵食も増し、所々で剥がれ落ちた夜空から薄明光線が降り注ぐ。
それは街を、人々を照らし。
水路を進むゴンドラも神秘的に照らす。
「すげぇな・・」
「えぇ・・綺麗」
ゼウスとマーリンでさえ思わず零した感想。
だが、これはフィリアの演出。
珠の汗を浮かべ必死に声を上げるフィリア。
だが、その口端には満足気な笑みが滲んでいる。
『天蓋』も『星屑』もフィリアの魔術。
フィリアが創り出したもの。
こんな派手で効率の悪い事をせずとも、指先一つで消すことも出来る。
それを敢えて、一つの演出として行った。
ライブにかける無駄なこだわりに頭が痛くもあるが・・フィリアにとってはそれだけではなかった。
・・約束した流星群・・。人工的なものだが、それでもフィリアが届けたかったもの。
そして、送り出すのに相応しいだけの派手な演出。
歌うフィリアの表情は跳ねるような楽しさに満ちている。
だが、その目の端には涙の粒が飾られていた。
ジョディが飛び乗り、ガタリとルリアたちの乗ったゴンドラが揺れた。
「バレーヌフェザー大公閣下、ルリア嬢。遅れての参上、失礼いたします」
深々と美しい所作と作法で礼をするジョディに、ルリアは居住まいを正し、エラルドは不遜に頷き、ジョディの挨拶を受け入れた。
そのやり取りを見守り終えるとハイロンドはジョディに眉根を寄せて近づいた。
「・・ジョディ、魔力が大分減っているようだが?」
「・・・少し、我らがお姫様たちの規格外が想像以上だっただけよぉ。問題ないわぁ」
それは大丈夫の内に入るのだろうか。
しかし、ハイロンドもジョディのその言葉に「なるほど・・」とそれ以上言及せず、納得して引き下がった。
「では・・支度を始めましょぉ」
そう言ってジョディが手を広げると赤い魔法陣が宙に浮かび、ジョディの手を飲み込むように魔法陣がゆっくりと金の光を伸ばす。
すると、ジョディの両手にそれぞれ、光が編まれ、その手に一対の杖が現れる。
魔法陣はそれでも動きを止めず、徐々にジョディの胸の前まできて重なり合い消える。
その後には細い鎖が、両手それぞれの杖を繋ぐように渡され金の鱗粉を落としている。
「ジョディ様」
「ん?・・あら、ルリア様。もうっ!ジョディちゃんって呼んでって言ったでしょ!」
「え?あぁ・・はい」
何やら役目がある様子の、ジョディに声をかけていいものか迷ったのだろう。
ルリアは、少し余所余所しく、申し訳なさげに声をかけた。
だが、返って来たジョディの言葉にそんな気遣いなど不要だったと嘆息を零した。
そもそも、呼び方の件などルリアには初耳だ。
「それで?何かしらぁ?」
「・・・フィルの事なんですが」
そう言って視線を上げたルリアの視線を追いジョディも視線を上げた。
そこには、汗を滲ませ、美しい歌声を奏でるフィリアの姿があった。
空を舞い、降り注ぐ光に純白のドレスと金糸の髪を煌めかせ――――白い翼をはためかせる。
――――天使。
「あの背中の羽って」
「・・・・・」
わかりやすく無言となったジョディ。
視線はおろか、雰囲気にも何処か剣呑なものが立ち込め、ルリアはそれ以上の言葉を飲み込んだ。
「・・・えぇ、そうよぉ。流石はルリア様ねぇ。もう見抜けるなんて、とてもとても優秀だわぁ」
「ありゃぁ・・・魔力義肢か」
「えぇ・・それも媒体素材のない魔力純正」
「なんと!?あれほど精巧な完全魔力体の義肢か!そいつは・・すごいな」
ジョディの温度のない声とは裏腹に、エラルドは感心した声で驚きを見せた。
だが、ジョディとフィリアの会話を目の前で聞いていたルリアからしてみればそんなエラルドの素直な賞賛に背筋が冷ややかものを通る。
「フィルはなんで」
「恐らく、アレの為ねぇ」
そう言って指差すのはフィリアの周囲を飛び交う球体。
「・・『月盃』」
「あら、正解」
「『月盃』だと!?」
「そう・・私でも使えないような秘術。私だって姉弟子しか知らなかったほどだったもの。・・まぁ、最近じゃ姫様の周りで使えるものも増えてるらしいけどねぇ・・やってられないわぁ」
エラルドの驚きこそが正しい。
本来使えるものが希少、どころかいないのが普通で、使えるというだけで魔導爵ものだ。
「『月盃』っていうのは言ってしまえば、もう一人の自分。肉体も自我もないけれど、自身と同等同質の魔力をもう一つ持っているようなものよぉ。作り出すだけでも難しく、それを維持運用するのは、言うまでもなく最高の難易度。・・だけど、扱えれば、単純に使える魔力量が倍以上になる、魔術師にとって垂涎ものの力。・・・でもねぇ。『月盃』は魔力のみの、あくまで予備というのが常識なのよぉ?それを、姫様は文字通りもう一人の自分として扱ってるの」
本来『月盃』は外部バッテリーのようなもの。
だが、フィリアは、それを、予備ではなく、言うなれば拡張バッテリーとして、同時に行使していた。
それも、増幅器の機能を持った球体と共に。
言ってしまえば、姿は球体で、フィリアとは似ても似つかない別物だが、そこにはもう一人・・というか複数のフィリアが魔術師にとしているようなものだった。
「でも、当然、『月盃』自体には自律思考の機能はないわ。・・姫様が一人で操作しているのよぉ」
それは、右手と左手で別の作業をする・・なんてレベルではない。
複数の身体を同時に、それも全く違う、各々の動き。
マルチタスク云々の域を超えた情報量。
「あの羽は、それを補助する為のものなのでしょうねぇ」
小さな翼、それがなくとも操作ぐらいフィリアには造作無いだろう。
だが、そこに複雑な動作。具体的には魔術の行使を行うとすれば簡単ではない。
況してや、フィリアは一つ二つじゃなく、複数浮かべている。
正直、脳が焼ききれないのが不思議でならない。
それを、小さな翼が、間に立ち、フィリアの補助をする、謂わば仲介をしている。
フィリアのその発想は天才的だが、そもそも、それを必要とするような事をしなければいいのに、とは皆が思う。
「・・そもそも、なんであんな完璧な出来なのか・・・。前回の時はあまり上手くいかなかったじゃない・・まぁ、だからこそ禁止したんだけど」
「・・聞いた話ですが、フィルは『星屑』を初見で使えたと聞きました」
「えぇ、そうよぉ・・・ってそういうことねぇ。レオンハートに慣れすぎてて忘れててたわぁ。『レオンハートの常識は、非常識』。確かに姫様の魔術習得はレオンハートの中でも早いとは思っていたけれど、それが既に異常だったわけねぇ」
「たぶん・・」
「・・姫様の前であまり簡単に魔術を使わないよう周知しなきゃ」
「・・もう、遅いかと」
フィリアがその魔術を模倣したきっかけはギィ。
だが、ギィのそれは、悪魔の・・精霊の術。
実際に模倣したのは、その後。・・ジョディの魔術。
それを見て、フィリアはあの小さな翼を完成させた。
つまり――――フィリアは、一度見ただけでその魔術を使えてしまう。
「でも、私の魔術は前にも見たことがあるはずなのに、なんであの時だったのかしらぁ?」
「・・・・・」
ちなみにジョディの魔術自体は、その前にも見たことがある。
だが、興味が・・と言うより、記憶の奥底に追いやっていた。
ルリアも何となくその理由がわかって、そっと視線を逸らした。
閉じた瞼でも分かるあからさまな様子。
そりゃ当然だ。
妖艶な美女が、筋肉隆々の大男へ姿を変える。
フィリアも衝撃とともに、そっと目を逸らしたに違いない。




