163 愚者の魔法使い
洗濯物や鉢、木片に小さな瓦礫、様々な物を手当たり次第巻き上げ、吹き荒ぶ嵐。
踏ん張らなければ身体さえも飛ばされてしまいそうな程の暴風には雹さえ交じり、冷たく壁や窓のみならず肌をも叩く。
しかし、その場の者たちは、そんな嵐よりも、眼前の光景を見上げ、只々唖然としていた。
ルーティア湖にそびえ立ち、街を今にも飲み込んでしまいそうな程の圧倒的な迫力と恐怖。
全体を視界に収める事も出来ないほどに、巨大な風の塊。灰色の激流の中、紫電が走り、それが鼓動のように響く。それは強大な一つの生き物――――竜巻く怪物。
「・・・・・天候、操作・・・」
「・・・戦術級・・超級・・・・いえ、それらさえ、遥かに超える・・神級・・」
「大魔導術じゃないですか・・・」
フィリアと並び、テラスからその終末のような光景を見つめる者たちは、驚愕を隠すこともできず、言葉を零した。
そして、恐る恐ると言った様子で、視線をゆっくりと、隣に並ぶ小さな幼女に向ける。
「姫様・・あれは、発火の魔法じゃなかったのですか・・・」
畏れを孕んだマリアの言葉は全員の代弁。
フィリアはマリアに振り返り、同時に自身に集まる怯えた視線に気づいた。
しかし、フィリアはその視線の意味を理解できないのか、首を傾げ、キョトンとしてみせた。
「え?ちがうよ?・・わかりづらかったかな・・・では、ほんけをおみせいたしましょうか?」
「「「「「結構です!!!」」」」」
綺麗に揃った叫び。
フィリアの発言から、この光景を作り出したのはメアリィであろう。
だが、メアリィは『キルケーの蕾』であっても、『魔女』ではない。
つまりは、魔法ではなく魔術。
基本的には、魔術より魔法の方が、効果も威力も上なのが通説。
消費魔力も多いが、その分、比べようがないほどの事象を生む。
・・・目の前に現れた全てを飲み込むような、巨大な竜巻。その更に、上など、考えたくもない。
「・・・マリア、フィーの『てるてる坊主』は回収したのよね?」
「はい。それは確かに。それと独断で『禁呪』として、新たに作成する事も禁じました」
「鼻歌交じりで作ってましたからねぇ・・」
「ふひゅ〜、ふひゅ〜」
吹き荒ぶ嵐に遠い目を向け問うマーリンにマリアは疲れを滲ませて答えた。
手慰み程度の感覚で量産したフィリアの工作は、全て回収され、更にはマリアよりキツく禁じられていた。
そんな物を、鼻歌交じりに作る姿は、微笑ましく穏やかな光景・・だが、それが齎す結果を思えば、正直、その光景は悪い魔女が大釜を掻き混ぜる以上の悪辣な情景。
そして、フィリア。目を逸らすのはあからさますぎるし、何より口笛など鳴っていない。
「・・で、でも、『てるてるぼうず』さんは、そもそも、『はれ』のまほうです!」
全員から白い目を向けられ、焦りに冷や汗を流すフィリアは、そう、何故か胸を張って告げた。
「知っているんだからね。あの呪具を逆さにすれば雨が呼べること」
「ふぇ!?」
遂には『呪具』扱い・・。
「・・姫さまが呟いていましたからねぇ。きちんと報告はさせていただきました」
「ミ、ミミぃ・・・。で、でも、あれは・・あれよ・・ふくさんぶつ!おまけ!そんなだいそれたものじゃないです!!」
最初『てるてる坊主』を作ったのは言ってしまえば実験だった。
魔法は、『願い』や『まじない』だと教えられ、それならば・・という試作品。
だからこそ、その効果は想像よりも遥かに大きく、フィリア自身も驚いたのだ。
・・・とは言え、製作途中。
――――そういえば、てるてる坊主って逆さしたら逆の効果があるんだっけ・・
などと、頭を掠めたのもまた事実。
そこに生まれた効果は、間違いなくフィリア自身の責任。
偶々だとしても、『知らなかった』は通じない。
「ちなみに、先日、少し離れた場所で検証実験を行なってもらいましたが・・・滝のような豪雨に、川が氾濫したそうです」
「・・・・・・ふひゅ〜、ふひゅ〜」
だから、鳴ってないって。
リーシャの前に現れたメアリィはふらついていた。
別の場所で魔術を酷使してきた後だという可能性が無いわけではない。
・・・無いわけではない、が・・その可能性は低いような気がした。
しかし、一つ確かなことは、『キルケーの蕾』でもあるメアリィの、その膨大であろう魔力が枯渇寸前のギリギリまで減っているということ。
何処かで魔力を消費して来たのならまだしも、もし、たった一つの魔術だけにその魔力が使われていたとしたら・・・。
フィリアからメアリィへ・・・規格外どころか、天災さえも感染されつつある。
リーシャは、メアリィの様子を見て、その最悪な想像をして、声を張り上げた。
そのおかげで、リーシャだけではなく、近衛の騎士たちも魔術障壁の展開が間に合い、備えることが出来た。
突如として襲いかかる雨と雹。
それに混じり、あらゆる物が強風と共に叩きつけられるが、展開した障壁に弾かれ、被害はない。
その点、相対していた少女は、リーシャの声に反応しきれず、障壁の展開にも遅れていた。
好機。
相手は悪魔。この僅かな隙は見逃せぬ好機だった。
しかし、リーシャは動くことを忘れ、唖然と見上げていた。
「なっ・・・」
それはリーシャだけではない。
少女も同様。
轟轟と唸る巨大な暴風の怪物を振り返るように見上げ、言葉を失っていた。
しかし、全員ではない。
「はぁっ!!」
二つの剣撃が少女の頭上に振り下ろされた。
「っ!!」
しかし、その剣閃は少女に届く前に甲高い金属音だけを響かせた。
思わず舌打ちでもするような騎士たちの顰めた表情。
その騎士が睨むのは顔さえ見えぬ修道服の存在。
二つの剣撃をそれぞれ、その身で受け止め、剣を振り下ろす、それぞれの騎士と相対した。
少女を左右から襲撃した二人の騎士以外の騎士は素早くリーシャの傍に侍り、守りを固める。
このあたりは、流石は騎士。
リーシャとは違い予期せぬ自体にも迷いなく動いていた。
リーシャもその動きに、ようやく意識を戻した。
その時、背後からドサッという音がして振り向くと、そこには先程まで黒杖を構えていたメアリィが力なく地面に臥せっていた。
「メアリィ!!」
リーシャは急いで駆け寄り、その体を抱き抱えた。
メアリィは体に力は入らないようだが、意識はまだあり、にへらぁとリーシャに笑みを見せ、唇を震わせた。
「・・まだまだ、術式の組み方が甘かったみたいで・・・魔力が全部、持ってかれちゃいました」
メアリィは少し舌っ足らずになりながらも、そう告げるが、リーシャはそんなメアリィに表情を強ばらせた。
「なんだ!?」
騎士の戸惑うような声にリーシャは視線を向けた。
すると、騎士の剣を受け止めていた修道服の二人が、見えない何かに引っ張られるようにその身体が浮かび上がらせ、手足をバタつかせている。
見る見る、その身体は高度を上げ、離れていく。
・・・その向かう先は、あの、巨大な竜巻。
本人たちの意思とは関係なく、錐揉むように巻き上げられていく。
しかも、見上げれば、その二人だけでなく、いくつもの影が街中から吸い上げられるように竜巻へと向かっていく。
「これは――――っが!?」
その時、修道服の二人と相対していた二人の騎士が爆炎と共に、両側の建物へ吹き飛ばされた。
その中心、少女は両腕を広げ、手のひらだけをその方向へ向けている
言葉もなく、余計な動きもない・・・感情さえも見えない少女。
しかし、そっと顔を上げた少女にリーシャは息を飲んだ。
「なにこれ?」
淡々とした声と燃え盛るような瞳。
それを向けたのはリーシャにではなく、その、リーシャの腕の中。
それは、リーシャにさえ向かなかった視線。
脅威と敵愾心。
それをメアリィに真っ直ぐと向けていた。
肌が沸き立つような感覚と、汗が滲むのに極寒の中にいるような凍え。
どれほど敵意を向け、攻撃をしても、飄々として決して向けられなかったものを、メアリィに向けている。
少女が一歩進み、騎士たちが即座にリーシャを守るように身構える。
濡れた地面が少女の足元から沸騰して蒸気を上げる。
「・・貴方たちがご執心のフィーの魔法よ」
「魔法?」
魔術と魔法は違う。
魔術師はもちろん、精霊でもある悪魔がそれを見紛う事などありえない。
「・・魔法・・・魔法・・・・」
少女が一歩進むたびに蒸気が吹き上がる。
少女はゆっくり歩を進めながら、咀嚼するように呟き――――ガリっと奥歯を噛んだ。
その瞬間少女を中心に地面だけではなく、地面に到達する前の雨や空気さえも蒸発させ、燃え盛る瞳をより一層滾らせてメアリィを睨んだ。
「・・お前、あの男と同じかっ!!『愚者』!!!」
少女が咆哮した瞬間、その眼前に衝撃と共に粉塵が舞った。
「呼んだか?」
粉塵の中から、誂うような声が少女に向けられた。
「ぎふ、てっど?」
その初めて耳にする言葉にフィリアは、マーリンに向け首を傾げた。
「・・・『愚者』。おにぃ、ゼウス叔父さんの最初の二つ名よ。・・『知らぬ者からは道化。知る者からは王冠。更によく知るものからは、放浪者』。・・『非凡なる凡人』とか『無才の天才』などとも呼ばれるあの人の、そもそもの元となった二つ名。・・そして『雲』の名を持つ理由」
「ねぺれ・・」
「姫様の『ティア』と同じです」
ゼウス・ネぺレ・レオンハート。いや、今は『エンペラー』か。
自由気ままで、何者にも縛られない彼に、『雲』の名は確かに相応しい。
「『魔術とは魔法の模倣』・・そうは言われているけれど、実際は魔法を魔術で再現するっていうのは、簡単じゃないの。寧ろ事象や現象を研究、解析して、術式を組む方が簡単なくらいよ。何せ魔法って結構理不尽だったり法則を無視してたりするもの」
確かに・・。
この世界の魔術は十分に理屈のわからないものだとは思うが、フィリアの魔法はその比じゃない。
理不尽の塊であり、前世でも謎の多い『重力』などという法則も何もわからないものを、息をするように使っている。
「けれどね。極希にいるのよ。事象や現象ではなく、魔法そのものを再現できる人が。私たちはそう言う人の事を『魔法使い』と呼ぶんだけど、ゼウス叔父さんもその一人なの。・・だけど、そんな『魔法使い』と称される人たちでも、生涯、再現できる魔法は一つか二つ。それだって十分凄いことなのよ。一つでも再現できれば魔導爵は確実なほどだもの」
「そのいいかただと・・おじさまは」
「えぇ・・。私の把握してるだけでも二十以上あるわ」
「にじゅっ!?」
フィリアはそれがどれだけ凄い事か、言葉以上の実感は湧かないが、周囲の目を開いた驚きの表情を見れば、それがあまりに規格外な事なのだと察せられた。
「・・あくまで、把握してるものだけよ。おにぃの組む術式って複雑な上に独特だから、私が目を通す事になっているのだけど、あの人、面倒くさがりな上に、そういうの後回しにするから、まだ他にもあるんじゃないかしら」
マーリンは『誰に使えてこその魔術』をモットーにしている。
その点、ゼウスの創り出した魔術は、限られた者にしか使えないほどに複雑な術式。
だが、それでも魔法を魔術で再現するということ自体が、誰にでもできることではない。
それ故、そういった事の苦手なゼウスに変わり、マーリンがその術式に汎用性を持たせていた。
「・・・稀少な才である『魔法使い』。その中でも、更に規格外である、あの人を称したのが、『愚者』」
その説明に聞き入るフィリアの後ろで、マリアは顔を顰めていた。
「・・本当に、メアリィも」
「メアリィは確か四歳よね。おにぃが初めて魔法を再現したのも四歳になる少し前。・・正直、こんな偉業を、同じ歳で成したとなれば、同等の才があると思って当然でしょう?」
「そんな・・。親馬鹿ながらも、出来た娘であるとは思っております。・・ですが、稀代の才を持つゼウス様と並べられるなど、恐れ多い事です」
それは、謙遜にも見えるが、それ以上に何処かマリアの中に恐れが感じられた。
フィリアとて何となくゼウスが凄い人なんだろうな、くらいは感じてはいる。
だが、おそらく、あの叔父はフィリアの想像以上に何か、特別なのだろう。
「あの歳で、既に三つも魔法の再現をしているのに、何を言っているのよ」
「え?ちょっとお待ちください。三つですか?二つまでしか知りませんが」
マーリンの言葉にマリアは表情を変えた。
マーリンは一瞬、口が滑ったとういう表情を見せ、更には、目敏くマリアはフィリアの方が跳ねたのにも気づいた。
「・・・あの娘はフィー特化型の『魔法使い』ね」
「まさか・・もう一つも・・・」
マリアはそっと、見下ろすように小さな身体へ視線を向けるが、決して目は合わない。
「ティーファにメアリィ、その上・・・」
そう言って、マーリンはフィリアの側近たちを見渡した。
「・・・フィーの周りも、いよいよ、おかしな事になって来たわね」
「「「「「私は違いますよ!?」」」」」
おかしくなってきた、という言葉は否定しない。
しかし、自分は違うと、声高々に訴えた。




