162 スーパーセル
派手に吹き飛んだはずの少女は、そんな事などまるでなかったかのように立っていた。
辛うじて残る痕跡も、軽く埃でも払う程度に少女が服を叩くだけ。
吹き飛んだ怪我も、急に襲われた熱による火傷もない。
あまりに当然のようにしていて、その異様さを忘れそうになるが、それは決して普通の事じゃない。
況してや、その対象が、少女の外見。
フィリアやルリアのような幼子はいるが、彼女たちは例外中の例外だ。
例え悪魔とは言っても、その見た目からくる違和感は拭えない。
「魔術も使わないで・・・本当、レオンハートって理不尽です」
「今のを真正面から受けて、全くの無傷の人に言われたくないわね」
文句を言う姿も、頬を膨らませ口を尖らせたもので、何処かふざけているようにしか見えない。
それはつまり、余裕のある証拠。
レオンハートと揶揄しながらも、リーシャに何の危機感も抱いていない。
「まぁ・・それも当然ね。レオンハートとは言えこんな小娘じゃ驚異にもならないでしょう」
リーシャの小さな呟きは淡々としたものだったが、内心は悔しさに奥歯を鳴らしている。
そして、リーシャが呟くと共にその姿が揺れてブレた。
ガキンッ
その瞬間、甲高い音と共に少女とリーシャは衝突した。
目を離した訳でもないのに、まるで瞬間移動でもしたかのように目の前に現れたリーシャ。
少女はそれに即座に反応したが、決して余裕のある反応ではなかった。
「ですが、私も魔導王の娘。せめて魔術を見てから判断して欲しいわね」
「だったら、そもそも魔術師が接近戦はおかしくない?」
「あら、考えが古くってよ」
嘲るようなリーシャの言葉。見た目は少女でも、悪魔。
要は暗に、年寄りだと鹹かったのだ。
少女の眉がわずかに寄った。
その時、再び、リーシャの姿が揺れて、ブレる。
「っ!?」
鍔迫り合い、ほぼ密着するように睨み合っていた筈のリーシャが、次の瞬間にはまた同じように、別の場所にいた。
ギリギリ視界に入ってはいたが、屈むよりも低い態勢。
更にはそこからリーシャは回し蹴りを放ち、不意を突かれた少女はそれを無防備に腹にくらい、くの字となって蹴り飛ばされる。
同じぐらいの年の頃にも見えるリーシャと少女で、吹き飛ぶ小さな身体はそれなりに衝撃的な絵面だ・・・などと思ったが、空中で翻り受身を取る少女が地面に着地した瞬間、二本の細い足は石畳を砕き、勢いを殺し切るまで地面を抉った。
しかし、それでも少女には擦り傷はおろか、汚れ一つ付かない。
軽く埃を払うだけで、元の白磁器のような肌に戻る。
「・・『妖精の幻燈』・・・それって魔術じゃないと思う」
「『妖精術』も広義では魔術よ」
「屁理屈・・・。まぁでも、精霊を一瞬でも惑わす幻術なんて、すごい事です」
「可愛い妹の為の意趣返しよ」
「そういう事は、アンヌ本人に直接向けて欲しいですけど・・・」
相変わらず殺伐とした空気はない。
張り詰めるほどの敵愾心を向けているのはリーシャだけ、少女の態度は全く変わらない。
少し癇に障る言葉はあっても、それだけで。態々その事に固執するほどではないと、侮っているのが明らか。
その証拠にリーシャを褒める少女の言葉は、素直な賞賛であるはずなのに何処か違う。
嘲りも何もない。だが、それは、幼子が初めて二本足で立ったり、話したりした時の賞賛に近いもの。
本人にそのつもりがなくとも、リーシャにしてみれば嘲り以上の不快さがあるもの。
多少薄くはなったといえ、未だ視界の悪い霧の中。
少女は自身についた埃を払うと、視線を巡らせた。
今の今まで気づけなかったが、そうやって改めて注視すれば、霧の中、薄い光が揺らめいている。
その光は、同様に薄い影を霧のスクリーンに投写し、幻想的な影は、まるで何かが舞い踊るかのように姿や形を変えていた。
――――妖精の幻燈。
幻惑と催眠の妖精術。所謂、精神干渉系の術。
周囲の霧も元はリーシャの魔力によって生まれた物のため、そこに薄く広がる魔力には気づけなかった。
フィリア・・正確には、その侍女であるミミに対する所業への意趣返し。
「お兄ちゃんなんだから、弟の不始末の責任ぐらい取りなさいよ」
「・・うわぁ、世のお兄ちゃんが、怒りそうな発言」
「そう?私なら、喜ぶけど」
「レオンハートだもんねぇ・・・」
リーシャのそれは、何の含みもないもので、嫌味でも何でもない。
寧ろ、何処までも純粋な本心。
流石に少女も言葉に困り、苦笑を零した。
「それと・・知っていたです?妾の事」
「ゼウス叔父様から少しだけね。・・今、この街と城を覆う結界、それを掻い潜ってくるとすれば『弐ノ葉』、貴方だけだろうって」
「本当あの男、嫌い。・・でも、確かに、妾だけかな。皆は、こじ開けるとかぶっ壊すとかだろうし。・・・そもそも、葬儀なのに、精霊の入れない結界を展開するなんて意味わからないです」
「微精霊にとっては何ら関係ないわ。上位の精霊についてはそもそもお祖父様に近づけられないし、ルーティア様にお願いしているもの。弊害はほとんどないわよ」
冠婚葬祭に精霊の祝福は必須なもの。
況してや、精霊への信仰が深い魔術師ならば余計。
しかし、同時に精霊はレオンハートにとって、強い魔力や魔素が大きな影響を及ぼす。
それ故、良い影響も少なくない婚儀はまだいいとしても、葬儀に格のある精霊を招くことはない。
只でさえ、その身に宿る魔力を完全に浄化させなければならないほどレオンハートの遺体は、魔力の親和性が高く、魔素や魔力の影響がどうあるかわからない。
だからこそ、そこに、力ある精霊を近づけるのは、あまりに危険だ。
その為、そういった精霊の対応はレオンハートの守護精霊でもあるルーティアが担ってくれていたりもする。
弊害はない。確かにそうだが、だとしても、異例のこと。
更には、それを行ったのが魔術師の規範であるはずのレオンハート。
それ程までに、ここ最近のミルと悪魔の動きが活発だった。
ちょっかいも多いが、それ自体はこれまでも大なり小なりあった。
しかし、ミルやその眷属である『禍ノ芽』が表立って出て来ることなど、これまで、数十年の頻度でのことだった。
そう思えば、ここ最近の頻繁なエンカウントは異常。
「リーシャ様!!」
霧の中から数人の足音とそれに連動する鎧の音が近づいてくる。
聞こえた声に目を向ければ、霧に浮かぶ影が徐々に人の形を成すと共に濃くなっていく。
「リックス」
「また一人で飛び出して・・、タヌスたちが目を吊り上げていましたよ」
霧の中から姿を見せたのはリーシャの近衛たち。
フィリアの近衛ほど個性の生きたものではないが、リーシャの近衛であると一目でわかる制服。
彼らは駆けつけ、少女への警戒を見せると同時に、リーシャへと呆れた視線を向けた。
「事前に打ち合わせていたじゃない」
「・・事前に決められていたのは、あくまで前線指揮という話だったでしょう。前線どころか、単騎で先陣を切るなんて聞いていませんよ」
「うん。誤差ね」
「何処がですか・・・」
疲れたように息を吐くリーシャの専属近衛隊隊長リックス。
彼もまた、レオンハート伝統の気苦労を日々噛み締める者。
「それで?タヌスたちは?」
「そちらは事前に決めていた通り、ナンシー様たちと城内に避難して頂きました。広場に待機していた騎士と兵士たちも予定通りに動いております」
「全て予定通りね!」
「・・・そう、ですね」
満足げに胸を張るリーシャに、若干目の死んだ騎士たち。
その横をすり抜けるように紅い蝶が通り過ぎた。
「騎士さんたちも大変です――――・・ね?」
抉れた地面から抜け出るようにゆっくり歩を進めた少女は、他に汚れはないかと身なりを気にしながらリーシャたちと向き合いながら、騎士たちの気苦労を察して同情の声をかけた。
その時、視界の端に紅い蝶がふわりとはためき、言葉を途切れさせた。
視線だけで蝶の姿を追うと、蝶はそのまま誘われるように少女のスカートの端にとまる。
ゴッ――――
次の瞬間、少女を飲み込みこんで火柱が立ち上った。
傍にいるだけで肌を灼くような業火。
対面しているリーシャたちも思わず身構えるほどに煌々と燃え盛り、昼間だというのに太陽にさえ勝る光量。
リーシャたちは、すぐさま目の前の業火の魔力を辿り、背後を振り返った。
未だ晴れぬ濃い霧の中、小さな影がゆっくりと近づいてくる。
だが、その影にリーシャたちが身構える事はない。
徐々に近づくにつれて、その姿がはっきりすると、そこには見知った幼女が、魔力を灯した黒杖を掲げて歩み寄ってくる。
「メアリィじゃない。今日はお仕事・・は・・・・・っ!?」
その正体は、メアリィ。
見慣れた侍女服を身に纏った、小さな使用人。
未だ顔を合わせることも叶わない、本来の主、フィリアと違って、何かにつけて顔を合わせるリーシャはメアリィを見て顔を綻ばせた。
しかし、それは、一瞬。
霧のカーテンを抜け、メアリィの姿が確かになると同時にリーシャは言葉を詰まらせ、息を飲んだ。
「すごい炎ですね」
燃え盛る火柱。
その中から聞こえる、弾むような嬉々とした声。
その瞬間、燃え盛る業火が、かき消されるように霧散した。
そこに居たのは、何一つ変わらぬ少女の姿。
先程のリーシャに吹き飛ばされた時もそうだが、傷は愚か、汚れ一つ無い。
何事もなかったかのような姿の少女が、腕を振り切った様子でその場に立っていた。
残った火も、軽く手で払う少女の姿は、あまりに何でもない事のように見え、今合った事が夢か気のせいか、疑ってしまう。
更には、火が消えると同時に、少女の背後に二つの影が降り立ち、控えるように侍った。
修道服のような装いで肌を隠し、顔さえも濃いベールで覆った不気味な従者。
悪魔である少女一人でも驚異なのに、そこに得体の知れない存在が現れ、リーシャたちの警戒も高まる――――筈、なのだが。
その注目は、少女ではなく、メアリィに集まっていた。
「備えて!!」
リーシャの焦りが滲んだ声に、近衛騎士たちは即座に反応した。
だが、少女と今現れたばかりの二人はその声にも反応が遅れた。
メアリィの魔力が高まると同時に掲げられた黒杖が振り下ろされる。
『愛しき姫様の吐息』――――
――――「『蝶の微風』です!!」
メアリィの声など聞こえるはずがない。
しかし、フィリアは反射的に、何かを感じ取り、そう叫ぶ。
それと同時に突風がテラスに吹き、そこにいた者たちは一瞬顔を背けた。
そして、再び視線を戻すと、稲光が視界を白く染めた。
小雨なのに痛いほどの勢いで横殴りに降る雫。
それと同時に街を襲う暴風と、轟く雷。
その元凶は、街を軽々飲み込めるほどに大きい竜巻。
ルーティア湖に聳えた、巨大な竜巻。




