161 怪物の姉も叔父も
息が白く煌き、肌を冷気が撫でる。
「姫様こちらを」
そう言ってマリアはフィリアの肩に外套をかけた。
「ありがとう」
フィリアは微笑んでマリアに感謝を述べると再び視線を戻した。
演説などで使われる正面テラス。
そこからは、街だけではなく、城の入口である大きな噴水と広場が一望できる。
だが、今そこで目を引くのは五階建ての建物よりも大きく聳える氷柱。
結晶石のように幾重にも枝分かれしてはいるが、その枝一つ一つが大樹のようで、氷柱というよりも氷樹というような大きさ。
それが噴水広場から、街との境目までを広く占領している。
白銀の世界。氷の世界。
そう表現すれば美しく幻想的に聞こえるが、その実、そこは冷酷無慈悲な世界。
生き物の声もなく、色さえもない。
酷く冷淡な世界。
「流石は『氷華』」
急激な温度変化に立ち込める霧。
それとはまた違う、蒸気のような靄を纏って少女は立っていた。
「助かりました。妾ってすーぐ熱くなっちゃうから。程よく頭を冷やしてくれて、ありがとう」
「・・表情を見るに、それは煽っているわけではなく本心なのでしょうね」
無邪気な笑みを浮かべる少女と対面するように立つリーシャ。
その言葉は事実で、目の前の少女からは、何の含みも感じない。
しかし、普段から見慣れた、純粋培養の無邪気な笑みを見慣れているリーシャにとって、その笑みは、含みこそ感じなくとも、不快感を抱くには十分な気に食わなさがあった。
白く塗りつぶされた世界。
建物も形そのままに色を失い、水路は時を止めたかのように揺れる水面そのまま動きを止めていた。
生命の息吹すら感じ――――
「ちょっとリーシャ様!!」
「まだ今年の冬支度終わってないんすよ!?」
「あんた!今ある分だけでいいから薪運んどいて!!」
「おいっ!水道管破裂してんぞ!?」
・・訂正。
街は時を止めようとも、そこに住まう者たちは実に逞しく、活気に満ちていた。
「・・相変わらず、この街の人間は頭がおかしいです」
「・・逞しいと言ってくださらない?・・まぁ、わからないでもないけど」
緊張した場面のはずなのに、何処か緊張感に欠けるのは最早レオンハートと言うより、この土地の民性なのではなかろうか。
リーシャは深く溜息を吐いた。
その息は息吹となって広がる。
すると、リーシャを中心として白銀の世界が元の色を取り戻していく。
それは一瞬のことで靄を生みながら白い世界を吹き飛ばすように街を元の姿に戻し、水路もまた、何事もなかったかのように動きだす。
そして、見上げるほどに大きな氷樹も、まるで幻のように煙となって消えた。
「皆様、ごめんなさいね。補修などは後で私もお手伝いいたしますから、今は少し離れていてくださいますか?」
周囲を見渡すように宣言するリーシャの声は、よく通り、住民たちの言葉を遮り、リーシャの言葉を聞いたと共に住民たちは統率されたように動き出した。
「『魔王の癇癪』だ!急げ!」
「厳戒態勢を取れ!」
「リーシャ様はまだ加減を知らないぞ!できる限りの術式を組め!」
一層の騒がしさが生まれたが、住民たちには焦りも混乱もない。
あらかじめマニュアルが決められているかのように、迷いなく動き出す。
良くも悪くも、レオンハートに慣れた街。
「凍らせるだけじゃないとは、流石『ウル』」
「そんな特別なことじゃないわ。原理は同じだもの」
「魔術ならそうかもだけど、魔力だけでそれを出来てしまうのがすごいです」
「そりゃそうよ。・・魔術は魔法の模倣で、さらにその魔法の起こりは、私のような魔力の干渉から起きる現象。魔術ほど正確でも、魔法ほど自由でもないけれど、だからと言って同じことが出来ない道理はないわ」
何てことないように言うリーシャだが、それはそう簡単なことではない。
妖精術や精霊術の原点ともされるそれは『失われた魔導原理』と呼ばれる、魔術師にとって一つの真理であり、永遠の研究テーマ。
魔導に関する全てのものは、突き詰めればそこに帰結するとされ、魔術師であれば知っていて当然の理。そして、同時に未だ解明できない謎。
それ故に、『ティア』と並んで、『ウル』は、魔術師にとって特別な存在なのだ。
かつて、『ウル』の称号を持ち、その力を自在に扱った者がいた。
その者は、魔女ではなく、魔法など使えなかったが、魔法と見紛う程の超常を操ったと云われている。
だが、それは伝承や逸話。・・つまり、誇張やファンタジーだと思われているという事。
感情に呼応して、変化を生むなんて事はよくある話。
『ウル』などではなくとも、強い魔力を持つ者には珍しくもない。
しかしそれは、周囲の魔力や魔素に僅かな影響を与える程度のもの。
温度を下げたり上げたり、他者を威圧したりその程度。
『ウル』であれば、その影響が大きくはなるのだが、それでもたかがしれている。
魔法や魔術と比べるべくもない。――――本来ならば。
リーシャは少女に向けて息を吹く。
少女に向かう息吹は、煌き、雪の結晶を孕んで突風となって襲う。
「そんなもの――――」
少女がつまらなさそうに微笑んだ瞬間、弾けたように溢れる靄と熱波が少女を吹き飛ばした。
「あなたも精霊なら、もう少し賢くあってはどう?」
リーシャした事は、単純なこと。・・冷気を温めただけ。
爆発させるわけでも、何か特別な事象を生んだわけでもない。
単に冷やされた空気が温められ膨張しただけ。
少し特別なのは、それを一瞬で行った事と、生み出した温度差がほぼ真逆にあった事。
「リーシャちゃんは高度な事をしているけど、あれ自体は難しいものじゃないのよ」
フィリアと並んでテラスに立ちリーシャの活躍を眺めるマーリンはいつもの教師口調でフィリアに語りかけた。
「要は、単なる魔力の発露だもの」
そう言って軽く触れた手摺は、逆再生でもしてるかのように、触れた場所を中心に氷結する。
「魔力の強いものならば誰でも出来ることよ」
マーリンが手を離すと同時に氷は弾けるように霧散し、何事もなかったかのように元の状態に戻る。
「ただ、リーシャちゃんは魔力の密度も濃度も別格の『ウル』だから、よりそれが顕著に出やすいだけ。制御も何も知らない赤ん坊の頃なんか大変だったのよ?」
「おねえさまにおそわるまで、おねえさまもわたくしとおなじ『まじょ』なんだとおもっていました」
「そうね。単純な現象なら起こせちゃうし、詠唱も術式もなければ、そう思うわよね」
さらに言えば、リーシャはその『単純な現象』を幾重に重ね、物理法則によって魔術や魔法の再現を行っている化物。
レオンハートだからと思考を放棄しているが、それは常軌を逸した所業。それも、そんな事を成人前の少女が行使するのだから、最早恐怖さえ覚える。
普段、フィリアの特異性や異常性が表立っているが、その姉も十分に人の域を逸脱した怪物だ。
「『ウル』であることもそうだが、リーシャ自身が元から『妖精術』を学びたがっていたからな。それも相まって、あれだけの事が出来るようになったんだろうな」
「おじさま!」
後ろからの声に振り返るとゼウスがテラスにやってきたところだった。
「魔力を感じたけどあっちはいいの?」
「リーシャの魔力を感じてな、あっちはアークたちに任せてきた」
フィリアたちは目の前で見ていたため落ち着いているが、何も知らず強大な魔力の膨れ上がりだけを感じたゼウスたちからしてみれば、何があったか心配になって当然だったろう。
「・・やはり『弐ノ葉』か」
「ごぞんじなのですか?」
「何度かな。一時期、あいつの『人形』を壊して回っていた事もある」
フィリアに向け、にこやかに答えるゼウスだが、それはさぞ恨みを買っていることだろう。
「それじゃぁ、私も行ってこようか」
傍観するフィリアたちを余所に、はしゃぐように意気揚々と弾む声を上げたゼウスは、手すりに足を掛け、身を投げた。
そこは構造上、二階のテラスではあるが、実質五階以上の高さがある。
そこから迷いもなく、柵を飛び越えるように軽々と目の前を過ぎたゼウス。
だが、それに驚く事も、息を飲む事もない。
ゼウスは飛び出すと同時に身につけていたアクセサリーを一つ弾いた。
すると、そのアクセサリーは魔力を放ち、本来の姿を現す。
その姿は、見慣れたもの――――本当に、見慣れたもの。
寧ろ、そのような演出で取り出すのが過剰。
なにせ、そこにあったのは・・・『箒』。
何の変哲もない『箒』。
心ばかりかの装飾こそされているが、それが余計に、取ってつけたよう。
そしてその箒の意味は考えるまでもない。
ゼウスは、その箒の柄に跨って、浮かぶ。
「・・ちょっとそれ」
「大丈夫だ!前回の物から改良してある!」
「いや私それ、確認してないんだけど」
「大丈夫だ!多分!!」
唖然とするマーリンに、見当違いの返答をハキハキと返すゼウス。
マーリンのこめかみに血管が浮かんだ。
「おじさま!かんせいしたんですね!!」
「あぁ!完璧さ!」
「何が完璧よ!?私が動作確認も何もしてないのに、完成なわけ無いでしょう!?」
普段、声を荒げることなど滅多にない貴婦人のお手本が、実兄に対しては取り繕う事さえできない。
何しろ、この兄。発想は天才的で技量もなまじあるだけに、大抵のものが形に出来てしまうのだが、発想が発想なだけに、出来上がりが突飛もない。
それを調整するのがマーリンの役目・・と言うか、マーリンという検問がなければ命に関わる。
「じゃぁ行ってくる」
「ちょっと!?聞きなさいよ!」
マーリンの言葉は届かず、ゼウスは一瞬で目の前から消える。
これは決して比喩でも何でもなくゼウスが居なくなった。
加速も助走もなく、いきなりのトップスピードで飛び去り、後に残ったのは、破裂したような爆風だけ。
「って、何処行くのよ!?」
それも方向は完全明後日。
遠くからでも、操舵に苦心しているのがわかる軌道。
全然完璧などではない、完全なる暴走箒。
気のせいか、ゼウスのか細い悲鳴が聞こえるが、完全なる自業自得だ。
少し、頭を冷やしてもらおう。
――――・・・・・。
何処か遠い目で見送るテラスの面々。
空を見上げるその視界の端に赤い煌きが映る。
フィリアはそれに気づくと同時に、霧立ち込める眼下に視線を移した。
リーシャはおろか、リーシャが相対する者の姿も霧の中で視認する事はできない。
それでも、そこに居ると確信するかのようにフィリアは一点を見つめてた。
「これって」
「姫様の」
フィリアの周りも赤い煌きに気づきそれを視線で追うと、少し驚きを見せた。
赤い煌き・・それの正体は、赤いガラス細工で出来たような蝶。
その場の人間でそれを知らないものはいない。フィリアの魔法の一つ。
しかし、フィリアを見れば、フィリアが魔法を使っている様子などない。
只々、霧の中を見つめ続けているだけ。
何処か、優しい表情で。
「本当、あの娘は天才ね。・・まさか、本当に再現するなんて」
マーリンもフィリアの視線を追い、そして、呆れたように溜息を零した。
「――――メアリィ」
慈しみ、大事に呟くような、フィリアの声だった。




