160 死に様は、生き様
湖上都市ルーティア。その象徴の一つでもある『蒼の城』とも呼ばれるレオンハート大公家の居城。
現在。その城の門は解放され、大きな噴水広場には多くの民衆が列を成すように集まっていた。
この街は湖の上にあり、街中にも水路や運河が道となっている。
その為、人々の足は、馬車などよりも船の方が一般的で、レオンハートも例外ではない。
城門の先にある城の玄関口。そこに広がる大きな噴水広場は、そんなレオンハートの船着場であり、普段であれば入れない場所。
だが、現在そこには、貴賎問わず、多くの人々が集まっていた。
そこから先に進むものはほとんどいない。
たまに、身なりの良い者や、徽章を誇らしげに身につけた魔術師なんかは、そのまま城内へ進んでいくが、大半の人々はその噴水広場で膝を着き、黙祷と共に一輪、花を水面に、そっと浮かべていく。
そんな人々を迎え、レオンハートの代表としてリーシャがその場に立っていた。
リーシャは高い位置からではあるが、わざわざ足を運んでくれた人々に、身分関係なく謝辞を述べ、そこにある絆や義心に微笑んでいた。
そして、これもこの土地ならではのものだろうが。
浮かべた花に、静かに息を吹きかける。
その息は口から離れた瞬間に微かな光を纏い、花を煌めかせる。
一般人でさえ、他の土地に行けば魔術師、と言われるこの土地ならではの弔い。
リーシャも時折、自身も魔力を添えて、幼子や魔術の拙い者たちの想いも水面に浮かべ、その弔いを助けていた。
気づけば、その噴水広場の水面には色取り取りの花が浮かび、広い水面を埋め尽くしている。
その大半はカレンデュラやカトレアだが、それらと並ぶほどに多いのは、ジキルドの花紋でもある、クレマチス。
この日、人々は偉大な大公の死を悼む。ジキルドの葬儀の日だった。
清涼な雰囲気に満ちた大聖堂。
降り注ぐ寒色の光は、埃すら煌めかせ。
静々とせせらぐ水路は、聖堂の天助にある壁画に水面の揺らめきを写す。
その大聖堂の中心。
ベットのような柩に眠り、生花の布団に包まれ、微笑むような寝顔を見せているのがジキルド。
眠りについてから二ヶ月も経っているとは思えないどころか、今にも何事もなかったかのように変わらぬ姿。
寧ろ、寝たっきりになってからの姿よりも、穏やかな表情にも見える。
しかし、ジキルドが目覚める事はもうない。
レオンハート独特のその体に纏う、濃密な魔力の気配はもうなく、聖堂に満ちる清涼な空気に溶けるよう。
これが、ジキルドとの最後。
それ故に、ジキルドとの最後の別れをしようと多くの人々が訪れていた。
聖堂にまで入る事が許されるのは噴水広場を抜けてきた、地位や名のある者たちばかりだが、それでも永遠とその数が途切れることはなかった。
聖堂の入口近くは、ジキルドの眠る聖堂の中心より低く。
腰の高さ程ある高低差に、水路の水が壁を這うようにして、小さな滝となっている。
その滝壺に慰問者たちは花を捧げ、噴水広場に集まる民衆たちと同様、煌く魔力を纏わせる。
事務的に淡々とそれをする者も確かにいる。地位あるものとしては寧ろその方が正しいのかもしれない。
だが、そういう者は驚く程に少なく、咽び泣いたり、堪えきれずに崩れ落ちたり。中には、王族にするような最上位の礼を行う者などもいた。
それがジキルドの人徳なのか、レオンハートに対する敬意なのか、分からずとも、疑う事は無粋だった。
脇に控えるレオンハートの面々も、もう涙こそないが、そこに満ちる想いに誇りと感傷抱き、慰問者たちを見つめていた。
「・・フリード。お前もいずれ大公となる。同じようになる必要はない・・だが、この光景を忘れないようにしなさい」
「はい」
視線は動かさず言い含めるアークの言葉を、フリードは胸に刻むように頷いた。
さらにそれは、フリードに伝えるものであると同時に、自身にも言い含めるものだった。
そこにあるのは何も嘆きや悲しみだけではない。
ジキルドの生涯が反映された最期の時は、やはり穏やかで優しいもので、訪れた人々も涙を流しても最後には微笑むような柔らかな表情で眠るジキルドを見つめていた。
レオンハートに生まれた以上、平々凡々な一生などありえない。
しかし、その中でもジキルドは激動の中を歩んできた。
変革の時代に生きながら、これまでのレオンハートに無いほど人のいいジキルドは、割を食うことも多く、苦労人でありながら自分一人で色々と背負ってしまう、時代に合わぬ人柄だった。
レオンハートらしい破天荒さもあったが、人格者とまでは言わないものの、他者に多く尽くしてきた希なレオンハート。
その為、ジキルドは人に慕われている。
ジキルド本人は、失うものが多い人生だったと語るだろうが、それ以上に多くの得難いものを得た、人徳の人生だった。
ジキルドもレオンハートであるが為に、大体の事は自分ひとりでどうにかなってきた。
それ故、そんな機会はとんとなかったが、ジキルドが助けを求めれば、その手を掴もうとする者は、本人の想像を遥かに超える多さだろう。
ジキルド・ディーニ・レオンハート。
彼の人生はまさしく、『愛』の名に相応しいものだった。
その時、聖堂に一人の男が足を踏み入れた。
礼装用の軍服に、煌びやかな徽章。
見るからにそれなりの身分をした装い。
「っ!?」
聖堂に入った瞬間。
周囲の人間たちが、一斉に男の首元へ突きつけるように杖を向けた。
「来たか」
アークたちは驚くこともなく、それを見ていたが、放つ雰囲気に圧が生まれた。
「な、なんだ!?無礼だぞ!?私を誰だと思っている!!」
喚く男。
だが、突きつけられた杖に大きく動くことはできない。
「お前こそ何のつもりだ」
アークは前に進み出て、慰問者たちより高い段差の上から、冷たい視線で男を見下ろした。
「ここは魔術師たちの聖地だぞ。火薬なぞ持ち込んで、気づかれないとでも思ったのか?」
「私はガダンのジャリック侯爵だぞ!!」
「だから?私はレオンハートだ」
ジャリックと名乗り、喚く男から漂う火薬の匂い。
匂いと言っても、人の嗅覚で嗅ぎ取れる程のものではない。
しかし、魔術師にとっては、紛う事なき異臭。
だが、それは魔術師が嫌悪している訳ではない。
それに、ルーティアにだって火薬はある。微量ながら人の生活に根付いてさえいる。
しかしそれは、あくまで『精霊』の許容範囲である前提。
魔術と精霊は深く関係する。
それ故、優れた魔術師ほど、精霊の感覚に近づく。
その為、火薬の匂いに敏感になる。
火薬は精霊が好まない代表的なものの一つ。
火の精霊たちでさえ、好まない。
それどころか、同じ系統を持つ精霊であればあるほど、嫌う傾向にある。
そして、この場は立場ある者たちだけが立ち入る事を許された場所。
当然、外からの慰問者も多く来ているが、それ以上に、この地。
ルーティアのみならずファミリア全土から訪れた者たち・・つまりは、魔術師。それも、魔導王に認められるほどに優れた者たち。
そんな彼らが、気づけぬわけがない。
「が、外交問題ですぞっ!!」
「それが?」
杖を向けていたうちの一人が、手首だけで軽く杖を振るう。
すると男の胸元から、黒光りする拳銃が滑り出して、宙を舞った。
「なっ!?」
一層焦りを見せた男。
それも当然。
戦場であれば、魔力を持たない銃など、魔術師にとって何ら脅威になりえないが、警戒心のない日常では、魔導銃などよりよほど効果的な殺傷力を持つ。
それを、何の申請もなく。携帯し、あまつさえ、レオンハートの前にまで忍ばせてきたのだ。
例えうっかりだとしても、暗殺の疑いから極刑は免れない。
況してや、魔術師のみならず、魔導師さえ多く集まるこの場になど。
何一つ弁解の余地も、この場から逃げ出す事も許されることはない。
「わざわざ自分で『軍国』から来たなどと言うなんて、馬鹿なのか?」
呆れを含ませて、溜息を吐いたアーク。
――――瞬間、背後に気配を感じ、勢いよく振り返った。
アークの背後にあるのはジキルドの眠る柩。
そこには、一人の少女がジキルドの寝顔を見つめるようにして立っていた。
見窄らしいとまでは言わないが、質素なワンピースはそこを訪れる慰問者たちとあまりに違い、慰問者たちのうち、誰かの子供が迷い込んでここまで上がってきてしまったと、勘違いすることもない。
何より、アークでさえその存在に背後を許してしまい、僅かな魔力の違和感でしか感知できなかった。
そんなことなど、アークの我が子たちでも、容易にできることではない。
「久しいな。『弐ノ葉』」
それに即座に反応したのはゼウスだった。
気づけばゼウスは既に少女の眼前に迫り、腕を振り切っていた。
少女はゼウスに向け、無邪気な笑みを見せた。
そして、胴体がゆっくりと上下に別れると、揺らめき、陽炎のように掻き消えた。
ガシャン
それと共に、胴体から真っ二つになった陶器人形が床に落ち、無残に砕けた。
更には、杖を突きつけられていた男もその瞬間、糸が切れたかのように意識を失い、崩れ落ち、男の手に握られていた花もこぼれ落ちた。
「触るな」
男を囲んでいた一人が手を伸ばしかけたがアークの声にその手を止めた。
「その睡蓮は『顕華』だ」
アークの言葉に、その者だけではなく、皆が一斉に男から距離を置くように一歩後ずさった。
「おにぃ」
アークの声にゼウスは腰の小さなカバンから結晶を取り出し、それを男の元に投げた。
すると、男の体から蠢く魔力が吸い出され、結晶に流れ込み、床に落ちた睡蓮もその存在ごと吸い出されるかのように結晶に吸い込まれ、最後には透明なガラスの花となり、砂状に溶けた。
結晶はそれらを吸い込み切ると床に落ち、粉々に砕け散った。
「・・ミルだな」
「予想していたとは言え、こう短い間で何度も来るのは・・六十年ぶりですか」
「この前の、ギィと名乗った悪魔。俺らの曾祖父さんが討ち取った悪魔と同じ名だしな。その時と同じだとすれば、十年前とは規模も違う企みがあるのかもな」
結婚式に次いで、葬儀の時を狙ってきている。
魔導王と称される程の一族が住まう居城。
普段であれば、王宮顔負けの結界があるこの城が、希にその結界を緩めるその日を狙ってきている。
当然、警備は増している為、前回はあの程度でギィは逃げ帰るしかなかったし、今回だって目の前に訪れたのは、人形と、その配達に利用された愚かな男だけ。
レオンハートにとってピンポンダッシュ程度の嫌がらせでしかないが、それが故に鬱陶しさがある。
「とは言え・・、私たちだって予想していた事だ。それに、これだけしょっちゅう来られれば、それなりに対策ぐらいする」
ゼウスは割れた陶器の人形を掴み持ち上げた。
持ち上げる際に、手足が落ちて床に割れて砕ける。
「結界は鬱陶しいだろ?城には近づけないのに、離れていてはお人形遊びも出来ない。どんな気分だ?――――『弐ノ葉』」
『――――ムカツク』
罅だらけの人形がカタカタと口を動かし、不機嫌な声を発した。
「『肆ノ葉』は元気か?せっかくの父の葬儀なんだ。どうせなら『肆ノ葉』に来て欲しかったんだが」
『――――ダマレ』
「そうだ。それと、この間は『参ノ葉』とかいうのに聞きそびれたが、お前んとこの末っ子は元気か?どうせなら結婚式にはあいつが来て欲しかったな」
『――――――――ダマレェェェェェェェェェッ!?ナッ――――』
ゼウスの嘲るような声に叫んだ人形だが、急に言葉を切ったと思ったら、そのまま砂となってゼウスの指の間を落ちた。
その理由は明快。
先程までゼウスと人形に集まっていた視線が、今は、皆揃って振り向いた先に向かっている。
人形が崩れるその寸前、思わず悲鳴を上げてしまいそうなほどに、濃密で強大な魔力の気配を感じた。
そこに慌てた足音が近づいてきた。
「閣下!噴水広場が完全凍結しました!!」
「おにぃ・・・」
「あぁ・・、私が行こう・・・」
「・・リーシャ。やりすぎ」




