159 無意識に抱えていた物
対面するようにソファーに腰掛けるミゲルとマリア。
マリアは少し俯いて、両手で包み込むように持ったカップに視線を落としていた。
「ジキルド様が亡くなった際も、姫様は悲しみに涙を流されてはいました。・・ですが、あの涙は、泣き喚くようなものではなく、どちらかというと感情を制御するような涙です。・・そんな大人がするような悲しみへの対処など・・・姫様は、まだ二歳です。その小さな身体で抱えるには大きすぎる悲しみと、上手く付き合う必要などないのです」
落とすように呟かれたマリアの嘆きは、涙以上にミゲルの表情を翳らせた。
「姫様はまだ・・本当の意味で涙を流した事はないのです」
「・・姫様は、時折・・その幼さに似つかわしくない、憂いを纏いますからね・・・」
ミゲルにもその心当たりはあった。
思わずフィリアの雰囲気に飲まれる事も少なくはない。
だからこそ、マリアの気持ちがわからないわけではない。
だが、それでも、あのマリアがここまで追い詰められているのは意外で、それ故、一層彼女の悲痛が切実なものとなってミゲルの胸に突き刺さった。
マリアは、レオンハートの者たちからも、使用人たちからも信頼され、その信頼に応え続けてきた、侍女のお手本のような女傑だ。
この家で働く女性たちの中で、彼女に憧憬を抱かないものなどいないし、他所よりはマシだといっても男尊女卑のある中、男性たちからも尊敬を集めている。
正直、弱味や隙はおろか、完璧すぎる彼女は、リリアのお付で外様であったのにも関わらず、今では家宰のロバートでさえ、頼ってしまうほど。
だからこそ、忘れがちだった。
どんなに優れていても、マリアもまた若い女性。
ミゲルからすれば、若輩者もいいところ。
さらに言えば、ミゲルはマリアが侍女はおろか、メイドになる前から知っている。
マリアの嘆きは同時に、ミゲルにとってはマリアの事でもあった。
変に、人よりも優秀であるが故に、フィリアもマリアも忘れられがちなだけで、彼女たちは自身のキャパオーバーに気づけず、周りもそんなあたりまえのことに、気づけていない。
本当に似たもの主従・・だと、ミゲルは心の中で嘆息を零し、それに気づけなかった自身に憤ると共に恥じ入った。
「・・それで、天体観測を、ということですか」
「はい・・。姫様は本当に星が好きなのです。・・何度、ベットから抜け出しているのを諌めたか」
思い出して、マリアが浮かべた笑みは一瞬で、またすぐに影を落とした。
「・・・ですが、ここ最近は、空を見上げる事もありません。・・本すら開かず、読むのは魔道書や魔術に関する論文ばかり。・・何処か、避けているようにも思います」
ミゲルは何も言わずマリアの言葉を聞き、物思いにふけるかのように数秒、瞼を閉じた。
マリアは、何となくだろうが、ミゲルには確信を持ってフィリアの気持ちがわかった。
何故なら、自分も・・・そして、ジキルドも同じだったから。
「・・ジキルドが教えたのでしょうね・・・」
小さな呟きはマリアに向けたものではなく、単なる独り言。
人は死んだら何処へ行く――――そんな哲学のような問いに、レオンハートは一つの答え・・と言うか信仰を持っている。
それはロマンチックな答えではあるのかもしれない。
だが、ミゲルにとってもそうであったように、フィリアにとっても、美しいだけの答えではなかったのだろう。
「ミゲル様にお願いしておきながら何ですが、それが本当に姫様の為になるかはわかりません。・・寧ろ、ご迷惑である可能性の方が高いと思います。・・それでも、あとはこれぐらいしか思いつかないのです。・・姫様の傍にありながら本当に不甲斐ない!」
マリアは自分自身に向けた憤りに震えていた。
そんなマリアの気を逸らそうとミゲルはポットを手に取り、マリアに掲げてみせた。
息をするのを思い出したようにハッとするマリアは、強く握り締めていたカップに気づき、そっとソーサーにカップを戻した。
ミゲルは温厚な微笑みを浮かべて、そのポットを傾け、カップに継ぎ足す。
「・・実はですね。六花祭の最終日の夜に、姫様から『星を見る会』の依頼があったのですよ」
「え・・初耳です・・」
マリアはキョトンとしたようにミゲルの温厚な表情を見つめた。
すると、ミゲルはマリアへ含みがあるように、口端を上げた。
「でしょうな。如何せん、マリアさんの説得は、姫様直々に私が一任されておりましたから」
「・・何か隠していると思っていたら」
説得というあたり、フィリアの悪巧みをミゲルは隠すつもりがないようだった。
だが、そこにあるフィリアの影に、マリアは呆れた言葉と声を呟きながらも、表情を和らげていた。
後ろめたさからか、マリアというラスボスの対処にミゲルを使う、情けないお転婆姫。
それは、紛う事なき――――いつものフィリアの姿。
「丁度その頃に、流星群が降る予定でしたので、バレーヌフェザーのご令嬢にそれを見せるのだとおっしゃっておられました」
それは、桜を見て涙を流したルリアを見て、フィリアが思いついた事だった。
この世界には美しい物が沢山あるのだと、フィリアはそれを教えようと、その日のうちにミゲルの元にやってきた。
「・・それと、約束していたそうです。・・ジキルド様と、一緒に見ようと」
三人。小さな二人の姫と、翁。
・・いや、『星を見る会』と銘打つ程だ。
他にも、フィリアの家族。更に、ルリアの為ならばエラルドも。
マリアを説得してほしいと頼んだという事は、側近たちも一緒に。
皆、並んでか、夜空を仰ぎ、数多の光が夜空を駆けるのを見る。
思わず声が漏れたり、身を寄せ合ったり。
ルリアであれば、涙も、流したかもしれない。
フィリアが描いた光景は、優しく、穏やかで、幸福に満ちたものだったに違いない。
「ジキルド・・逝くのが早すぎですよ」
ミゲルはまた、マリアに聞こえぬ程、小さく呟いた。
だが、普通のボリュームで話しても、マリアの耳には届かなかったかもしれない。
青ざめたように、マリアは固まってしまっていた。
「私は、余計なことを・・・」
マリアはミゲルに頼んだ内容を悔いていた。
星を見れば元気になるなど安直で、マリア自身、大きな効果を期待はしていなかった。
とは言え打つ手なしの中、藁にもすがるようにミゲルの元を訪ねたのは事実。
多くのことを望んでなどいない。
ただ・・一つのきっかけになってくれれば、と。
しかし、その考えは、フィリアの為になるどころか、寧ろ、その逆だった。
マリアは、その事に思い至ると同時に、呼吸が浅くなった。
いつもは冷静なマリアの貴重な姿。
だが、それを貴重だと喜ぶことはできない。
ミゲルもそんなマリアの姿に、余計なことを言ったかと、悔やみ、顔を顰めた。
そして、テーブルを回り込むようにマリアの後ろへと周り、一言断ってマリアの背を摩った。
「マリア」
そこに居ないはずの幼い声。
浅い呼吸が楽になった訳ではなく、呼吸自体を忘れたマリアの耳に、その聴き慣れた声がゆっくりと届いた。
振り向いた先。
扉の近くにその姿はあった。
最後に入ったのだろうローグが扉を閉じる姿に、今、来たところなのだとわかるが、そもそも、この場所に来る予定はなかった筈だ。
今朝、部屋で見送った、フィリア。
だが、この短い時間で目を見開くほどに変わり果てた姿に、マリアは驚愕した。
「姫様・・・そのお顔は、どうなさったのですか」
悠然と歩いてくるフィリアは、いつの間にか立ち上がり唖然としていたマリアの腰に抱きつき、顔を腹部に押し付けた。
「・・マリアにはいわれたくないです」
見送った時には完璧にフィリアを整えたのはマリアだった。
しかし、そこに現れたフィリアは、服や髪こそ見送った時のままだが、顔は悲惨だった。
目元だけではなく、頬まで赤く皸て、腫れぼったくなり。
腫れた目は、いつもより一回り小さく、ちゃんと開けていない。
それは、明らかに泣いた痕。
更には、声も枯れたように少し掠れている。
そして、それはフィリアほど酷いものではないが、マリアも同様。
目元を赤くして、涙の跡もまだ消えていない。
「どっちもどっちですよぉ」
そんな二人にそっと近づいたミミは冷えたタオルをマリアに差し出した。
マリアがそれを感謝と共に受け取ると、ミミは腰を落とし、マリアに手渡したのと同じ、冷えたタオルをマリアに抱きついたままのフィリアの顔に、そっと押し当てた。
「そう言うミミだって、どうしたのですか。そんな不細工になって」
「酷いっ!!そこは思っても口にしないのが優しさではないのですか!!」
そんないつもの誂うような会話に、マリアは気持ちも表情も和らげた。
そして、目に当てたタオルの隙間からよく見れば、目元を腫らしているのはミミだけではない。
側近のローグ、キース、ロクサーヌもそうだし、更にはルリアを始め、バレーヌフェザーからの面々も同様に泣いた痕が残っていた。
「ルリア様。このような情けない姿を晒しまして申し訳ありません」
「いえ。私も似たようなものです。気になさらないでください」
洗練された所作と、花が咲くような笑顔。
相変わらずの大人な対応で、フィリアと同い年とは思えない態度だが、最近ではそこに少し年相応の姿が滲んできた。それは、ルリアが少しでも気を許してくれている証だろう。
「ミゲル様も、急に押しかけてしまい、申し訳ありません」
「年寄りは暇ですから、このような場所でよろしければいつでもいらっしゃってください」
柔らかなミゲルの態度に、ルリアは感謝を述べるように再び洗練された所作をみせた。
「むぅ・・いちおう、このてんもんだいのしょゆうしゃはわたくしですよ。なのに、このようなところ、とはしつれいです」
「だからこそですよぉ。部屋に収まりきれない本などもミゲル様にお願いして置いてもらっていて、お世辞にも綺麗とは言えないではないですか」
ミミの呆れを含んだ声に、ルリアは部屋を見渡すと、書棚に収まりきれない本や資料が机にも乗り切らず、床にいくつも重ねられている。
正直言って、ご令嬢を招くような場所では決してない。
そして、フィリア本人は、ミミにタオルを押し付けられ首こそ動かせないながらも、視線だけは明らかに逃げるように逸らしている。
大いに自覚有りらしい。
「ところで、姫様は何かご要件があったのではないですか?」
「あ、そうです!」
フィリアに助け舟を出すようなミゲルの言葉にフィリアは顔を上げた。
そこにあるのは、張り詰めたようなここ最近のフィリアではなく。
よく知っている、無邪気で好奇心に満ちた、皆のよく知るフィリアの姿。
それ故、ミゲルはフィリアがやって来てから、何となく察していた為、そう言葉を投げかけたのだ。
「こんどこそ、『ほしをみるかい』をやりたいのです」
発言の内容もそうだが、フィリアの明るい雰囲気にも、周囲の視線が集まった。
決して、痛ましいものを見るようなものではなく、ようやく帰って来たといいたげな微笑みを蓄えるような視線。
「・・来週の流星群でしょうか」
「はい。ぜんかいのものとくらべれば、きぼはちいさいですが、くうきがすんでるぶん、こんかいのほうがきれいだとおもいます」
「ですな。前のものは、数年ごとの流星群で流れる星の数も多いですが、来週のは毎年のもので、日時も予測しやすいですし、長い時間降り続けますから、ルリア様にお見せするのであれば、そちらの方が楽しんでいただけるかもしれませんね」
フィリアの興奮を滲ませたその姿は、周囲の者たちにしてみれば恐怖の姿。
嫌な予感しかしないし、その予感が外れる方が珍しい。
しかし、今この時だけは、苦笑を零すだけで、フィリアを諌める事などしない。
ミゲルもまた、フィリアの言葉に頷きを頻りに返し、笑みを向ける。
それはフィリアを助長させているのだが、ミゲルの場合、他の者たちのような感傷があるわけではなく、それが通常運転のいつも通り。
フィリアを甘やかす事にかけては、レオンハートと並ぶ。
「私に・・ですか?」
「うん。・・ルリィさえよければ、らいしゅう、いっしょに、ほしをみたいの」
この二ヶ月、フィリアに蔑ろにされたわけではない。寧ろ、細やかな心配りに居心地がすぐに良くなった。
それは、フィリアの中にある『日本人』として当たり前の『おもてなしの心』で、意識せずとも発揮できてしまうパッシブスキルな為、フィリア自身の負担はもちろん、気遣いですらない。
とは言え、そこは流石は『日本人』。使用人たちすらも学ぶようにフィリアのもてなしに感心していた。
そういう訳で、ルリアにとっては何一つ不足のないもてなしを受けた。
フィリアも無理をしてはいたが、そのせいでルリアを蔑ろになどしたことなどない。
しかし、だからこそ、フィリアの姿が、ルリアには余計、心苦しくもあった。
親しくなれなかったとは思わない。
だが、何処か踏み込めない一線があったかのようにも感じていた。
「・・ダメ・・かな?」
「いいえ!!お祖父様にお話して、絶対に許してもらいます!!・・私も、フィルと一緒に星を見たいです!」
力強くルリアは宣言した。
エラルドもルリアも、浄化という、バレーヌフェザーの役割を終え、あとは葬儀だけ。
これ以上の滞在はしないだろう。
だが、エラルドも少しくらいの滞在延長は許してくれるだろう。
二ヶ月以上の滞在、一週間くらい大した違いはないだろう。
「・・おじいさまも、いっしょに」
「きっとジキルド様も喜ばれます」
独り言を呟いたつもりだったが、フィリアの声はミゲルに届いていた。
「何しろ、レオンハートの星ですからね」
「おじいさまも、いっしょにおちてくればいいのに」
「姫様・・・それは、ちょっと」
フッと笑うように呟いたフィリアの言葉に、流石のミゲルも苦笑を零した。
奇しくも前世と同じ季節に降る星星。
レオンハートと同じ、獅子の名を冠する星。
【獅子座流星群】
それは、新たな友への花束となり。
旅立つ家族への餞けとなる。




