151 王の柩
最後、ジキルドが目を閉じる寸前。
ゼウスと視線が合い、その視線にゼウスが静かに頷きを返すと、ジキルドは瞼を閉ざした。
「・・・エラルド大公」
ジキルドが静かに眠ると同時に、アークは平静を装いきれていない、弱々しい声を出した。
その声に、ずっと気配を消し控えていたエラルドがベットに寄り、ジキルドに触れた。
いくつかの触診をすると、眼を煌めかせるように光を纏わせ、ジキルドの全身をゆっくりと見つめた。
そして、そっと離れると、ゆっくりと飲み込むように瞬きをし、アークに向き直り姿勢を正すと、深く頭を下げた。
「・・精霊の導きに還られました」
その言葉に、その場の者たちの堪えていたものが溢れた。
「・・父様。お疲れ様です」
アークはそう言って、ジキルドを労うようにそっと、ジキルドの頬に手を沿え、不格好な微笑みを向けた。
そして、数秒の間、焼き付けるように見つめた後、アンリの肩を抱き、そっと一歩下がった。
それを見てフリードとリーシャもベットから離れるよう起き上がった。
その時、フィリアも抱き上げたが、その抵抗はか弱く、強くジキルドの服を握っていた手さえスルリと解けた。その代わり、抱き上げたリーシャの首元に顔を埋めるように強く抱きついてきた。
「・・ナンシー嬢」
ジキルドに縋るナンシーの肩にエラルドの手が置かれ、ナンシーもゆっくりと名残惜しむように離れ立ち上がり、一歩後ろへと下がった。
その場の者たち皆が心得ていたように、動いた。
フィリアもまた・・マーリンから習っていた。
・・・レオンハートの死について。
皆が離れると同時にエラルドと、ゼウスが一歩進み出るようにベットの傍に立った。
そして、ゼウスが腕を突き出すと、人差し指の指輪が魔力を揺らめかせ、妖しく光った。
『謂れなき神杖』
指輪を起点とした魔力は空中に魔法陣を描き、何もない空間から、ゆっくりと大きな杖が這い出るように姿を表した。
その杖はフィリアはもちろん、その場の全員がよく知るもの。
ジキルドが手品のようにステッキから姿を変えてみせた、あの豪奢な魔杖。
この世に『杖』は無数にある。
だが、『魔法の杖』と呼ばれ称されるのは唯一、この魔杖だけ。
魔術師の頂と尊敬され。魔導の王と虞れを抱かれる。
レオンハート。
そんな魔術に関して絶対的な家の家宝。
そして・・・その『魔杖』は代々の大公たちが死によって受け継いできたものだった。
「アーク」
「・・はい。よろしくお願いします」
現れた杖を手に、普段は見せない真剣な表情と硬い声をしたゼウスに、アークは深い頷きを返した。
「・・エド爺・・頼む」
「あぁ・・」
硬い表情のまま、エラルドはゼウスの声に頷き、瞼を閉じると、仰々しい身振りをして、胸の前に手を合わせた。
その瞬間、まるで、神にでも祈りを捧げるように手を組んだエラルドの身体が、淡く、光を纏う。
白い霞のようなその光は眩さこそないものの、神気というものを纏い、体現したような強い気配を放っていた。
《永久之王》
魔術の詠唱にも似ているが、全くの別物。
それは魔術でいう詠唱破棄のような形ではあったが、紛う事なき、聖句。
神への、神からの、御言葉。
その聖句が唱えられると共に、眠るジキルドの身体が淡く発光しだした。
光は、エラルドの纏うものと同じ、霞のような光。
「ゼウス」
エラルドは僅かに薄目を開き、ゼウスの名を呼んだ。
その呼びかけに、ゼウスは杖を正面に立てるように構え、魔力を沸らした。
『王珠柩』
詠唱と共に、杖からは溢れるように金の粒子がジキルドに向かい流れていく。
注がれるように流れる金の粒子は、糸のように細く伸び、ジキルドの元で糸を絡める。
そして、編むように紡がれ、ジキルドの全身を包み覆っていく。
足の先から始まった金糸の紡ぎは、ゆっくり時間をかけ、丁寧に編れ、頭の先まで紡ぎ終えると、一瞬、淡い光を強め、何事もなかったかのように治まる。
エラルドが施した、全身の淡い光も消え、只々そこには、ジキルドが安らかに眠るだけ。
ゼウスは構えを解くと共に杖を下ろした。
エラルドも同時に元の姿勢に戻り、一瞬の儀式を終えた。
だが、三角帽を脱ぐゼウスの表情にある硬さは無くならない。
少しだけ強張りがなくなったようにも見えたが、その代わりに寂しさがその隙を埋めてしまっていた。
「・・おにぃ・・ありがとう」
「・・・気にするな。これは私の役割だ。・・最後くらい、大公らしい姿を見せなきゃいけないしな」
「そうね・・。ゼウスが大公らしいことをしたことなど、短い在任期間でもなかったですしね。・・最後くらい・・ぞんな姿を見せられれば、きっとお父様も安心するでしょう」
いつものように冗談めかした表情を見せるも、それがあまりにもいつも通りで、余計に違和感を抱かせる。
アンリの声も含みのある悪戯な声だったが、ジキルドを見つめる憂いのある瞳には、誂われたゼウスも返す言葉を彷徨わせただけで口には出来なかった。
静かに、眠っているだけかのように穏やかな顔をしたジキルド。
声をかければ、その重い瞼を開き、いつものように笑みを返してくれる・・そんな姿が簡単に目に浮かぶ程に、本当に穏やかな寝顔だった。
ゼウスたちの会話に儀式が終わった事を確認したフィリアたちは再び、ジキルドに飛びつくように寄り囲んだ。
それは、レオンハートのとって、これ以上ない最高のワンシーンだろう。
最上に、満ち満ちた最期の幕引きだった。
「まっかなトマト!ヒメもよろこんでくれるかなぁ・・またトマトソースでなにかつくれるかなぁ」
魔術の訓練がてら水撒きをしてきた畑の実りは豊かで、魔素を多分に含んだ実が大きく実っていた。
こぼれ落ちそうな程に大きく育った実の収穫はもうそろそろで、その一角を任されいたティーファは溢れんばかりの笑みで喜んでいた。
だが、その喜びに返ってくるはずの反応がなく、ティーファは隣を見上げた。
「・・おじいちゃん?」
立ち尽くすように、ティーファの傍に立つマルスは無言で遠く視線を投げていた。
逆光で表情を伺うことは出来ない。それでもそこから感情を感じない事は気のせいではない。
トリー家の人間は陽気で、食卓でも騒がしい家族。
その中でも取り分け、このマルスは明るい祖父だった。
だからこそティーファにとって、今のマルスは、見知った姿とあまりにも様子が違った。
「っ!?」
その時、大きな魔力を感じた。
急に現れたような魔力。それは、マルスが見つめる先に感じ、ティーファは飛び上がるようにしてその魔力に身構えた。
城内に感じた魔力。
ティーファたちのいる、空中庭園からは死角となっている場所からだが、明確に分かるほどに濃密で大きな魔力。
「おじっ――――ぁぷっ」
敵意こそ感じられないが、通常ではありえない魔力の出現にティーファは再びマルスに振り返った。
だが、ティーファが振り返るよりも早く、マルスの手がティーファの頭を被っていた麦わら帽子ごと押さえるように置かれ、その拍子にずれた帽子に視界も覆われた。
顔全体を覆ったわけでも、鼻や口が塞がれたわけでもなかったが、思わず息を詰めたティーファの声は途切れた。
そして、そっと伺うように帽子のつばを押し上げた。
塞がれた視界が少しずつ解放され、マルスの様子が目に入り、そこでようやく頭の上の手が強ばったように震えているのを感じた。
マルスは遠くに視線を投げたまま変わらず立ち尽くし、その表情も逆光で相変わらず見えなかったが、その肩が微妙に揺れていて、ティーファは言葉を何となく紡げなかった。
部屋の前、扉を守るように控える二人の騎士は、魔力を感じた瞬間、俯くと同時に肩を震わせた。
握る拳にも力がこもり、役目がなければその場に膝をついてしまいそうな程に感情が隠しきれず溢れていた。
だがそれに反して、騎士たちに挟まれ、扉前に控える老執事は、何も変わらず、微動だにもせずその場に控えていた。
表情も変えず、僅かな感情も見せない無表情のまま。
・・しかし、目敏い者ならば、そんな彼の顎に、僅かばかりの強張りを気づけたかもしれない。
とはいえ、彼と親しい者でも気づけるかわからない程に些細な変化。
当然、その場の騎士にそれを察することは出来ない。そもそも意識を向けられるほどの余裕も彼らにはなかっただろう。
『リチャード・・』
閉ざされた扉から、主の・・妻。アンリの声が聞こえた。
「はい・・」
いつもと変わらぬ声色で返したはずの声は、思ったより枯れたもので、僅かに上ずったように震えた。
普段通りであろうとしながら、その不甲斐ない自身を恥じる想いが沸くと同時に、自身の動揺を自覚し、それが何よりも現実をつきつけ、押し殺していた感情が再び熱をもってせり上がってくる。
それでも、意地と矜持でどうにか堪える彼は、流石は執事と言えるものだが、先程までほど表情を取り繕えていなかった。
扉に手をかけ、浅く深呼吸をして、心を鎮めたが、その扉の先にある、光景。主人の姿を目にした時、その執事の仮面はいとも容易く感情を零してしまうだろう。
ゼウスの術と共に膨れ上がったその大きな魔力は、知らせを告げる鐘のような役割を担い。
魔力を感じた者たちは一様に、一人の王の最期を察した。
城内の使用人たちも、手を止め、その場に縫い止められたように動きを止め、それぞれの反応を見せた。
更に、その魔力は城内だけに留まらず、ルーティアの街にも届いた。
魔力に敏い者ならば・・と言ってもこの街の住人ほとんどがその魔力を感じられるが、ゼウスの魔術の気配を敏感に感じ取り、そしてその魔術が何なのかも、同時に理解していた。
その為、誰から聞くまでもなく、その魔力の意味が街全体に広がっていった。
祭りの期間で外からの来訪者も多い中、この街の住人たちが揃って青い城を見上げるさまは異様で、不思議な光景だった。
汗が滲むような暑さの中、それでも、空気が止まったような異様な静けさは、心地よさとは全く異なる涼やかさを生んでいた。




