152 向日葵の感情
吹き抜けの渡り廊下の真ん中に立ち止まり、洗濯物の山を腕に抱え、合間から覗くように、別棟の窓を少女は見つめていた。
真剣な表情に滲む焦燥と憂いは、そこにいるであろう『主人』であり『親友』の気配と感情を正確に感じ取ったものだった
「貴女がメアリィさんですか?」
そんな少女の背後に聞こえた小さな足音は、迷いなく少女の傍まで寄ると声をかけた。
振り返れば、そこには、従者を連れた幼い淑女が立っていた。
白――と言う表現がぴったりの容姿をした幼女。
瞼を閉ざしているのに、まっすぐと視線を向けられているとわかる、不思議な幼女。
「大公女様っ!?」
そんな彼女のことを知らぬ使用人はいない。
幼くとも、使用人服に身を包んだ少女もまた同じ。
慌てて畏まるように頭を下げた。
その弾みに、山なりの洗濯物が崩れて地面に落ちたが、それを構う余裕などない。
せめてもの救いは、洗濯前のものだった事くらいだろう。
「頭を上げてください。・・それとルリアで結構ですよ」
「は、はい・・」
そうは言われても、直ぐに顔を上げるのを戸惑い、一拍おいてから、恐る恐る、伺うように顔を上げた。
白という表現がよく似合う瞼を閉ざした幼女・・ルリアは、微笑みを蓄えたまま、それを待ってくれていた。
「・・・それで・・私が、メアリィですが・・何か、ございましたでしょうか・・?」
流石というべきか・・。
態度や口調は怯えたようにおどおどとして矯正が必要だが、所作は全てが美しく洗練され、使用人のレベルはおろか侍女にだって、ここまで完璧に出来るものはいない。
少女という見た目以上に出来すぎた所作を目の当たりにして、ルリアに付いてきた従者たちの方が舌を巻いた。
対して、ルリアはその所作よりも、彼女の腰に装備されたホルスター。
そこから除く、黒い杖に視線をやり、続いて白い手袋をはめた手を見つめた。
「・・貴女にも聖痕があると聞いたのですけれど・・・」
「っ!?」
瞬間、メアリィは自身を抱きしめるようにしてルリアから身体を背けた。
その反射的行動は、恐らくティーファへのセクハラを聞いていたのだろう、間違いなく。
そんなメアリィの反応に、不本意だと眉を寄せたのはルリアだけ。
後ろに付き従うルリアの従者たちでさえ、当然だ、とでも言いたげに主人であるルリアに呆れた目を向けた。
「・・まぁ、取り敢えずそれは、後日でもいいです」
ルリアの中でセクハラは決定事項らしい・・。
メアリィの自身を抱く力は増し、従者たちからの視線も一層冷めたものになった。
「今日は、貴女の人差し指にある・・『一輪の花』。その花紋を見せて頂こうと思いまして」
身を抱いていたメアリィは、腕の力を抜いた。
そして、自身の手。人差し指に咲いている向日葵を手袋の上から見つめた。
「私は聖痕が好きで、それに関する伝承や研究を集めています。その為、魔証などの花紋に関しても少しは詳しいのですが、そもそも『一輪の花』に関する情報は少なく、それでも、もし何か分かることがあれば教えて欲しいと、レオンハート大公閣下からもお願いされまして、よければ、メアリィさんの花紋を見せて欲しいのです」
そもそも『一輪の花』など、私刑に用いられる程に、成功率の低い・・というより無い様な、契約術。
故に、その契約を結べた事例など、噂話にも聞かない程に珍しい。
「・・私でよろしければ」
そう言って、メアリィは手袋を外し、手を差し出した。
メアリィが迷いなく了承したのは、愛する主人の為。
メアリィにとっては、フィリアとの大切な絆の証であり、誇らしい物だが、それが謎の多い術である事も重々分かっていた。
自身はともかく、フィリアにそんな不確定な術の繋がりがある。それが原因で何かあっては最悪だ。
メアリィが手を差し出すと同時に、ルリアの後ろに控えていた者たちが動いた。
「失礼いたします」
彼女たちはメアリィに寄り、手を取ると、人差し指にある向日葵の花紋へ刷毛で薄く薬液を塗った。
そして、小さな紙片を押し当てると、ジュゥというような紙を焦がすような音がして、紙片に向日葵の花紋が浮かび上がった。
あまりの手際の良さに、メアリィはなすがまま、見やる事しかできなかった。
「・・これは?」
「魚拓のようなものです。花紋の魔素に反応する薬液を塗って、特殊な紙に焼き付けます。一応、害のないものではありますが、何か違和感はございますか?」
「い、いえ」
「何か異変がございましたら直ぐにお知らせください。体質的に合わない方もいらっしゃいますので、その時は、責任もって、お姫様に対処させますので」
花紋を写した紙片をルリアに手渡すと、メアリィの指に残った薬液を優しく拭い取ってくれる従者が身も蓋もない例えと共に説明した。
最後の方など、ルリアに対する不穏な感情が滲んでいたような気がしたが、敢えてメアリィは何も言わず感謝だけをのべた。
「・・本当に、お綺麗な向日葵ですね」
「はい・・・」
人差し指の薬液を拭き取り、そう呟く彼女に、メアリィは綻ぶように、嬉しそうな微笑みを見せた。
まるで、この花の先にいる、向日葵のような主人を褒められたような気がした。それは自身が褒められる何倍もメアリィの心を満たした。
「・・聖痕とも魔証とも違いますね・・・とはいえ、全く違うわけでもない・・・いや、確か古い花紋の中に似たような・・・」
「お姫様」
「あ、はい――――コホン。失礼いたしました」
紙片を見つめ、ブツブツと呟いていたルリアだが、従者の声に我に返り、軽く咳払いをして姿勢を正した。
「ご協力感謝致します。・・とはいえ、私が言えたことではないですが、安易にこれを人に教えない方がいいですよ」
「え・・あ、はい・・」
本当に、お前が言うな、だが、そんな茶化しも出来ないほど、ルリアは真剣な表情でメアリィに告げた。
「メアリィさんは、フィルの感情も感じ取れるのでしょう?」
「え、なんで・・」
「先程そのような表情をしておりました。フィルを按じるというより、そのフィルの感情を写しているような表情でした」
「・・・」
先程、胸に湧いたのは、制御出来ない感情。
マリアから施される侍女教育を、メアリィは驚く速さで習得し続けている。それは決して付け焼刃などではなく、確かなメアリィの力となっている。
そんなメアリィが感情を表にだし、あまつさえ、制御もできないなど本来ならあり得ない。
その理由は、単純。
湧き上がった感情が、メアリィ自身のものではないから。
メアリィ自身は、それに慣れているし、煩わしさもない。寧ろ、その感情を感じられる事に喜びすらある。
だが、制御できないことには変わりなく。
主人の感情を表に出すメアリィは未熟だとマリアから、フィリアの傍に侍る許しが出ない理由でもある。
「『一輪の花』は謎の多い契約術です。知られている事も決して多くありません。ですが一つだけ、誰もが知っている事があります。それは『主』が死ぬとき『臣下』もまた死ぬという事」
それは一種の呪いのような契約。
例えどんなに離れていようとも、若く健康であろうとも、『主』となった者が天に召される時、『臣下』もまた共に付き従い、旅立っていく。
更に言えば、メアリィの主は、レオンハートの姫。
短命である一族の一人。
その命は想像よりも早く散り、メアリィもそれに殉ずる事となる。
その覚悟を幼いメアリィが出来ているかはわからないが、マリアに何度も言い含められているため、知らないわけではない。・・そして当然、それを言い含めるマリアの辛い表情も、メアリィは目に焼き付いている。
だから覚悟云々はともかく、その事実だけは確かな形をもってメアリィの中に刻まれている。
「そしてそれは、つまり主従の間に命の繋がり・・道が、あるということです。・・・ともなれば、最悪、その逆さえありえるという事」
「っ!?」
親不孝な未来は想像していた。
しかし、まさか、愛しき姫にその刃が向かうとは思ったこともなかった。
況してや、主人を護る為の絆、誇りにさえ思っていた証が、最悪の危険を孕んでいるなど想像だにしたことがない。
メアリィは表情を一瞬で恐怖に染め、先程とはまるで違う恐れを抱いて震えるように身体を抱きしめた。
「あくまで仮定の話です。そんな方法があると聞いたこともありませんし・・・。ただ・・命の繋がりがある以上、有り得ない話ではないという事だけは覚えていてください。フィル本人を狙うよりも、貴女を利用する方が簡単だということは事実なのですから」
例え、それが杞憂であっても、メアリィを狙う事は確かに効果的だ。
フィリアにとってメアリィは確実に弱みになり得る。・・まぁ、その弱みが本当に只の弱みになるか、それとも、虎の、・・獅子の尾を踏むことになるのか。それは保証できかねるが・・。
「っぐ」
その時、蹲るようにメアリィは胸を押さえた。
突如訪れた、心臓を殴られたような、痛みと衝撃。
物理的なものではなく、心的な。濁流のように溢れ漏れた感情が、胸に叩きつけられたかのような、大きな衝撃。
「・・・旅立たれたようですね・・」
胸を押さえ過呼吸気味に蹲るメアリィの目には涙が溢れていた。
泣きじゃくるように溢れる涙は、決して呼吸のしづらい苦しさから出たものではなく、表情そのまま、悲しみが溢れたもの。
ただ、その感情はメアリィのものではない。
先程から、胸に溢れていた、悲しみの感情。だが、この瞬間に叩きつけられたのはそれとは比べ物にならぬほど乱れた感情。
そんなメアリィの様子を見て、ルリアはその感情の先、別棟の一点を見つめて小さく呟くと、祈るように、胸の前で手を組んだ。
ルリアに付き従う、レオンハートから付けられた者たち以外の従者たちも、ルリアと同じように手を組んで瞼を閉じ、そして、ルリアの後ろに並び、膝を着き、祈りを捧げた。
清らかな風が吹いた。
「姫様っ!?」
そして、大きな魔力の気配が突如として現れた。
ゼウスが贈る、父への最期の魔術。




