145 薄明かりの白昼
傾き始めたが、未だ高い太陽の光が降り注ぐ湖畔。
煌く水面と、静かなさざめき。
遮るものない湖に吹く風は、少し強いが、この日差しの中では、調度いい心地よさに感じる。
湖の中にある湖上都市。その更に中にある青い城の敷地内にある湖。
レオンハート家の者たちが、プライベートで使うようなゴンドラが桟橋には並ぶが、そんな娯楽的な場所というだけでなく、レオンハートと騎士団が所有する多くのケルピーの牧場としての役割も担っている。
「父上」
「ん・・どうした?」
その湖畔に並んで風を感じる親子。
瞼を閉じ、滲む汗を風で冷まし、微睡むような心地よさを満喫していた。
「私たちは・・王族ですよね」
「・・・あまり、深く考えるな・・虚しくなるぞ」
並んで湖を望む親子。
この国の王、ローレンと、王子、スウェン。
「・・私に至っては・・将来の家族なのに」
「・・・スウェン、そのせいだぞ」
この国で最も権力を持つ王家の二人は、今。
仲良く、二人並んで、湖畔に埋められていた。
湖畔の水際に並ぶ様子は、まるで生首。
・・そして、気のせいでなければ、埋められた時より水際が近くなっている気がする。
そこに足音が近づいてきた。
駆けるような慌ただしさはないにしても、急くような足音は、静かにさざめく湖畔には少々騒がしさを生んでいた。
「陛下」
二人の傍まで来るなり、歩みを止めた足音。
埋められて自由のない二人には振り返りその姿を確かめる事は出来ないが、その声は聞き馴染んだ王宮近衛騎士団長のものだった。
「ヴォイドか・・どうした」
聴き慣れた声だからこそ、何処か違う事に気づく。
ローレンの言葉と共に、鎧の傅く音がした。
だが、その音には何処か戸惑いが混じっている。
それを感じ取ってローレンは、自らの状態を思い出した。
「あぁ・・よかったら掘り起こしてくれるか?」
地面に埋められた主君の姿。
傅こうとも、見下ろす事になる。
そもそもそれ以前の滑稽さがあるのだが、真面目な騎士は、素直に戸惑っていた。
「・・アークフリート閣下は、簡単に出られると」
「魔術でだろう?・・あんな化物連中と同じにするな。こちとら立場は『王』でも、能力的には一般人だぞ。人の域は逸脱してない」
「あ・・確かに」
嫌な納得だが、それはそう。
感覚が麻痺しがちだが、レオンハートたちの行いは大抵、非常識。
彼らにとっては些事でも、本来なら大概なことなど、間々ある。
「それで?何かあったのか」
納得と共に、どうしようか手を拱くヴォイドに、取り敢えず脱出は置いといて、先に要件を聞いた。
その瞬間、ピタリと動きを止めたヴォイドは、呼吸を整えるように生唾を飲み込み、上擦りそうな声を抑えながら、ゆっくりとローレンたちに向き合った。
「・・・ジキルド様のお部屋に、ご家族が呼ばれました」
「え・・・」
「・・・そうか」
身体が動かないのも忘れて、首を捻ったスウェンと。
遠くに視線を投げ、静かに受け止めたローレン。
スウェンの方がわかりやすい反応を見せたが、ローレンの方が何処か重さを持っていた。
ヴォイドの絞り出すような声で伝えられた報告。
その意味が解らない訳がなかった。
「リーシャっ!ぐっ!」
反射的に、慌てる様に身体を動かすスウェンだが、丁寧に埋められた身体は微動だにしない。
「スウェン。落ち着きなさい」
「ですがっ!リーシャたちが家族を失うのは初めての経験です!!」
瞼を閉じ、静かに告げるローレンに、勢いよく意見するスウェン。
だが、ローレンはそんな息子の必死さにも、静かに首を振るだけで制した。
只でさえ短命のレオンハート。
その中、ジキルドはとても長く生きた。
それ故、リーシャはこの歳まで、家族を失う経験をしていない。
ティアラの死も、物心がつく前。
記憶さえもない。あるのは人づてに知った話だけ。
自ら言葉を交わし、親しんだ者を、失ったことなどない。
況してや、目の前で、何も出来ず・・只々、その時を待つしかできないなど。
そして、それは当然リーシャだけではない。
フリード、アラン・・そして、フィリアも、今世。『レオンハート』として初めての別れ。
『レオンハート』。
言わずと知れた、家族に対する愛情が深い一族。
家族の為ならば、世界さえ敵に回すのに躊躇いなどない者たち。
フィリアはその血を色濃く継いでいる。
たとえ、前世の記憶があろうと、フィリアは言葉も文化も何もわからない中で新たな生を持った。
海外への移住、留学。旅行でさえも価値観を変えるだけの影響がある。
それをフィリアは文字通り『生まれ変り』、一から受けている。
前世に比べれば僅かな時間。
だが、それでも赤子の身で受けた影響は決して少なくない。
フィリアもまた、レオンハート。
大魔導の血を引き、非常識で規格外。
・・・そして、代名詞となる程の家族愛。
「ヴォイド。直ぐに父上に連絡を取ってくれ」
「・・先王様にですか?・・ですが、先王様は現在、陛下に代わり政務を行っているのでは?」
「あぁ・・私は、明日の六花祭開幕の宣言を終えたらすぐに帰る」
花の国とも称されるこの国の祭事。六花祭。
建国の頃から続き、一度とて中止も延期もしたことがない。
たとえ、その時の王が崩御したとしても・・。
主催のレオンハートにとっては酷だろうが、今回も例に漏れることはない。
それに・・予想出来ていた事でもあった。
バレーヌフェザーの現大公が披露宴を終えても滞在しているのがその理由でもあるのだから。
「よろしいのですか?」
「ジキルドが支えたのは、先の時代。父上の時代だ。・・私よりも父上の方がいいだろう」
ローレンは何処か物憂げな瞳で湖のさらに先を見つめ、柔らかな表情を浮かべた。
「スウェン・・お前は、どうする」
「・・私は、リーシャたちの傍に居ります」
「わかった・・」
辛そうに歪めた表情で、迷いなくそう決めたスウェンに、ローレンは困った子を見るように苦笑を浮かべて了承した。
「・・最後に、六花祭を見ることも叶わなかったか・・・」
その小さな呟きこそが、先の英雄に願ったローレン唯一の心残りだった。
遮光のレースカーテンは、思った以上に光を遮り、昼間だというのに月明かり程度の薄暗さしかない部屋。
その中で、衣服を整え、出かける仕度をする背中に声がかかった。
「・・やっぱ、私も行くよ」
部屋の真ん中に置かれたベットの上。
肌を隠すように布団を握り締め、長い黒髪がベットから零れ落ちた。
「いや・・。いくらグースでも、まだ無理だ」
城敷地内にある湖。そこに浮かぶ小島に建つ館。
そこは、レオンハートが初夜からの蜜月を過ごす為の場所。
使用人も最低限で、その館はおろか小島自体に誰かが入ることもない。
だが、それは何も、淫靡な目的で作られた場所ではない。
レオンハート。言わずとも知れた魔導の最。
そう呼ばれる一番の要因は、生まれ持ったその異常な魔力。
『祝福と呪い』とも呼ばれる、特異な体質。
魔術師にとってはこれ以上ない程の恵まれた力だが、その代償は大きい。
短命。魔力の不安定さなど、多くのデメリットがある。
そのどれもが、身体を・・命を蝕むものばかり。
・・子を成しづらいのもまた、その中の一つ。
その為に、この館はあった。
「一週間・・最低でも五日。グースでもそれぐらいは必要だろ」
人の身には余る、過多な魔力。
それを常に身に纏うレオンハート。
そんな相手と子を成すのは、簡単なことではない。
だからこそ、それなりの準備も必要だった。
もちろん絶対ではない。
子は天からの授かりものと云われる通り、簡単でなくとも不可能ではない。
しかし、その可能性を少しでも高められるのならば、それに越したことはない。
それがこの館。
館は、現在一つの魔力が充満している。
その魔力はあまりに濃く、噎せ返りそうなほど。
その魔力は言うまでもなく――――
「ジウ・・」
――――ゼウスのもの。
本人はともかく、そんな魔力に浸され続ければ、魔力が飽和し、曖昧となる。
それはとても無防備で、危険な状態。
しかし、同時に、だからこそ、毒となる程のレオンハートの魔力にさえ、馴染む。
いや、この場合、『染められる』という表現の方が正しいだろうか。
如何せん、これは『春の閨』とも言われる、レオンハートにおける新婚夫婦の儀礼が一つ
だからこそ処女性を重んずる時代。その中でもレオンハートは特にその色が濃いのだ。
その理由がこれ。他の魔力が極力混じらない者の方が一つの魔力に染まりやすいというもの。
その為、初夜から数日、または数週間。館に篭もり、たった一人の魔力に浸され続ける。
そして、身を捧げるようにその魔力に染められ、名実ともに相手のものとなる。
純粋な憧憬だけを抱かせるような、甘い情事ではないが、それでも十分に愛情に溢れたもので、意外と憧れるものも多い。
しかし、それでも子を成しづらいと言う事実は変わらない。
少しは可能性が上がるだろうが、劇的な変化や解決が見込めるものではない。
ただ、それでもこの慣例が大事なのは、単に母体となる身体を思ってのこと。
レオンハートの子もまた、レオンハート。
制御も加減もわからない、多大な魔力を持つ子。
そんな子を長らく、身籠るとなれば、その負担は決して楽観などできない。
魔力に呑まれ、我が子の魔力に喰い殺される事だってある。
だからこそ、耐性をつけるような意味合いで魔力に染まる。
何しろ、相手によく似た魔力を持つ子だ。
その耐性があるのとないのとでは、全く違う。
これは、主にレオンハートの妻になる女性にとってのものだが、レオンハートの女性陣にも有用だ。
当然、レオンハートの魔力を完全に染める事は不可能だろうが、僅かにでも魔力を馴染ませれば、それだけで母体への負担は減る。
只でさえ、身体に難のある一族だ。少しの負担がなくなるだけでも生存率が大きく変わる。
少ししか染められぬ、レオンハートの女性陣でさえそうなのだ。
レオンハート以外の女性であれば、その効果はより顕著だろう。
そして、だからこそ、グレースは悔しさを滲ませながらも、ゼウスの言葉に従い、動くことはできなかった。
今の自身の状態は魔力が飽和していて、非常に不安定。
自身が体調を崩すのはもちろん。只でさえ魔力に敏感なレオンハート。更には、フィリアやジキルドは現在、魔力の揺らぎに干渉されやすい。
グレースが動くことは誰にとっても得がなかった。
当然グレース自身もその事はわかっていた。
わかっていて、提案したのだ。
自分自身が行きたいからという身勝手な感情もある。
だが、それは抱くだけ。そんな我侭を言うつもりはない。
グレースが見つめる先。ゼウスはネクタイを結ぶのに手間取っていた。
「・・ジウ。・・来て」
ゼウスは姿勢を正すグレースの声に、従い、ベットに寄って腰掛けた。
そして無言のままネクタイを差し出し、グレースもそれを受け取り、何も言わずゼウスの首元に手を伸ばした。
互いに言葉を発さない薄明かりの中、ネクタイを巻く音だけがあった。
そんな中、グレースはゼウスに触れる度、その強張りを再認した。
そして、同時に、僅かに震えるゼウスの感情にも触れていた。
「・・大丈夫?」
「・・・」
その答えなどわかりきっていた。
しかし、だからといって、その言葉を噤むのは優しさではなかった。
複雑なネクタイの結びもあっという間に結ばれたが、そこからグレースの手は離れず、ゼウスも立ち上がろうとしない。
無言のまま、互いに視線を合わせるわけでもない。
だが、その沈黙は互いの心が行き違ったものではない。
寧ろ重なり合う様に、寄り添った静寂。
だからだろう。
誘われる様に、それが自然であるかのように。
ゼウスはグレースの肩口に頭を預けた。
「・・・」
互いに無言のまま。
何も言わずとも伝わるものだけを手繰っている。
グレースもゼウスの背に腕を回した。
それは優しく包み込み、護るような抱擁。
柔らかで暖かなものだが、子をあやす様なものとは違い、確かな情愛があった。
傍からではわからないほどの僅かな震えと、肩口に伝わる熱さを感じグレースは静かに瞼を閉じ、自身の頭をゼウスの頭に乗せるように寄せた。
互いに言葉はない。
それでも言葉以上に雄弁な感情を分かち合っていた。
「・・・大丈夫なんかじゃない・・」
そして掻き消えそうな声で僅かに呟かれたその言葉こそがゼウスの心情の全てだった。
だからこそグレースはその言葉に息を詰まらせ、思わず溢れそうな熱を噛み殺し、腕の力を強めた。




