143 筋肉艷嬢
神々しい程の、絶世の美女。
若くとも明らかに大人の女性。
また何かやらかした・・。
フィリアの規格外に慣れつつある面々と、その展開に慣れていないルリアたちの違いが顕著。
しかし、今回の事は、リーシャの言葉さえ失わせた。
リーシャ自身にも、リリアにも似ているが、何処かまた違った美人。
女らしくないと言ったら語弊があるが、普通、女性なら当たり前に纏うような『女』の雰囲気がない。
それが前世に起因したせいなのか、それとも本来の歳からなのかは分からない。
だがそれが、女神と見紛う程の神秘的な空気を生んでいた。
「フィー・・・」
あまりに唐突な光景にリーシャはふらふらとフィリアに歩み寄った。
その姿は少々不気味でもあったが、それ以上に不憫さが滲んでいた。
「おねえさま?」
姿は大人であっても、相変わらず舌っ足らずなフィリアは、少し不穏なリーシャを心配そうに見つめた。
そのリーシャはフィリアに近づくと手を伸ばした。
ムニュ――――ギリッ
「いたっ、いたいいたい!!」
迷いなくリーシャの手はフィリアの胸に伸び、もぎ取らんばかりに握った。
「おねえさまっ、ちぎれるちぎれるっ!!」
「・・私の可愛いフィーにこんな駄肉が・・不浄なる害悪が・・・」
大人になったフィリアの身体には、豊満に実っていた。
リーシャにとって、まるで怨敵のような双丘。
虚ろで呪詛を吐くようなリーシャの表情は、只々怖い。
その瞬間、フィリアの身体が弾けるように光が散った。
すると、美女の姿は消え、見慣れた幼いフィリアの姿に戻った。
「はっ!フィー!フィーだわ!私の愛しいフィー!!」
それと共に虚ろだったリーシャの瞳に光が戻り、満面の笑みを見せた。
・・フィリアの未発達な胸部を愛おしげに撫でながら。
狂気すら感じるリーシャの情緒と言うか執着・・。
「姫様ぁー。ジョディちゃんが来ましたよぉー。あら、リーシャ様もいらしてましたのね。相変わらずお二人共お可愛いっ、食べちゃいたいですわぁ」
肩を大胆に出して、はち切れんばかり胸が半分以上見え、深いスリットから太腿が覗く、露出の多いドレス。
所作もしなやかで美しく、化粧もしっかり完璧で隙のない彼。
背丈は高く筋肉隆々の・・厳つい大男。
魔導師団総長。ジョディ・アート。
魔術師というより拳闘士と言った方が似つかわしい体躯。
「・・その姿でそんな事言っていたら投獄されますよ」
「あらぁ、マリアちゃんは相変わらず辛辣ねぇ。・・そして不憫だわぁ。この美しさを理解できないなんて」
そう言ってポージングを決めると共に、己が筋肉に惚けるジョディにマリアは白けた視線を向けた。
そしてそれはマリアだけでなく、レオンハート側の人間は揃って感情の消えた表情でジョディを見つめていた。
だが、それに慣れていないルリアたち、バレーヌフェザー側の者たちはジョディのインパクトのある姿を見て圧倒されるように唖然としていた。
「・・・彼女が、かの有名な大魔導師・・『夢幻創造』」
「レオンハートの方々と肩を並べる事が出来る、数少ない魔導師あり、数多の術式を生み出された博士。・・世界屈指、最上の魔術師がお一人」
その正体は、自身の肉体を誰よりも愛し、独特の美的感覚を持った、筋肉ナルシスト。
数多の功績や英雄譚も事実ではあるが、それが全てではなく。
世の中、往々にして、語られぬ真実があるものだ・・この場合、理由は察してあまりあるが。
「それで。アタシはなんで呼ばれたのかしらぁ?」
そう尋ねるジョディの視線はそのままマリアに向いた。
名目上はフィリアに呼ばれたが、誰が呼んだのかはもうこの城に住む者なら誰でも察せる。
「・・姫様がまたやらかしまして」
「まりあ!またってなに!?」
「あら、また?」
「じょでぃも!?」
何を思って反論の余地があると思っているのだろう、この幼女は・・。
「でも、姫様の魔法や魔術は全てゼウス様が管理する事になっているのよぉ?」
「ゼウス様はただいま、春の閨に入っておられますので」
マリアの説明にジョディは納得したように頷いたが、フィリアを抱きとめているリーシャは歯をギリッと鳴らし、その腕の中のフィリアは絞め殺されそうな呻きを上げた。
「マーリン様は・・今はお忙しいわねぇ」
「・・はい。もちろん閣下たちにも報告は上げましたが、今回はジョディ様が一番の適任だと思いましたので」
「アタシが?・・姫様は何をなさったのかしらぁ?」
フィリアに向けられたジョディの表情は笑顔だが、その目は明らかに咎める眼差し。
この城に馴染んだものほど、度々このような視線を自然と主人一族に向ける。それは本来、不敬以外の何ものでもないのだろうが、殊、レオンハートに対しては正当性がどちらにあるかなど愚問だ。
「姿を変えられたのです」
「姿を?」
「はい。年の頃は、大体十五、六歳・・成人したてくらいでしょうか。・・リリア様とリーシャ様によく似た容姿で、間違いなく姫様の将来のお姿かと」
美しく成長した姿・・と、素直に賞賛できないのが残念でならない。
「・・なるほどぉ、それでアタシね」
「はい。もし幻術系統ではなく、身体変化であれば、身体への負担も大きいですから。・・只でさえお身体の弱い姫様です。その影響は少なくないでしょう」
「そうねぇ・・」
ジョディは静かに頷くと背筋を伸ばし、瞼を閉じた。
それと共に、ジョディの周りに視認できるほどの魔力の残滓が舞い始めた。
そして、腰のホルスターから大きな尾羽が揺れる杖を抜くと、その先端を自身のこめかみに当て、軽く手首で杖を振った。
その瞬間、ジョディの全身がまるで一枚の布のように、杖に引っ張られ引き剥がされた。
「え・・」
思わず漏れたルリアの声も当然だろう。
引き剥がされた布は杖の中に吸い込まれ、残されたのは先程とは真逆の人物。
紫色で艶やかな髪を上げ、色香溢れるうなじ。
濃い目の化粧も、ケバいのではなく、扇情的。
大きく開かれた胸元にあった、はち切れんばかりの胸筋は、溢れんばかりの双丘となり。
逞しい、腕や脚は、肉欲的な柔らかさに変わった。
見た目だけで情欲を満たしてしまいそうなほどの色香は、花町でも敵う者はいないだろう。
種族として特出している筈のナンシーでさえ、及ばない色気。
男は元より、女でさえ情欲を抱く容姿。
「これが、じょでぃの、ほんとうのすがたらしいですよ」
驚くルリアたちに、親切に説明するフィリアだが、ルリアたちの混乱は深まるばかり。
それもそうだろう。
誰もがそう思う。
その姿の方が美しいじゃん!!
「姫さま。それも本当か分かりませんよぉ。私が小さい頃から変わっていませんし、マリアよりも大分年上らしいですからね」
こそこそと話すミミだが、それはマリアにも喧嘩売っていないだろうか。
事実、マリアの鋭い視線がミミの後頭部に突き刺さっている。
「はぁ・・すっぴんって気分下がるのよねぇ・・・、このプニプニ・・いやだわぁ・・」
いや、大多数の人間は今の姿の方が高評価だと思うが・・。
と言うか、すっぴんどうの次元を遥かに超えていると思うのだが。
「だけど、姫様の魔力を診断するのなら、繊細な魔力操作が必要ですもの。余計な魔力に意識を割かれては、こちらが姫様の魔力に当てられてしまうし」
そう言ってジョディは目に魔力を集め、フィリアを凝視した。
頭の天辺から足の先まで、少し引いてフィリアの周り。
キョロキョロと瞳だけを動かし、フィリアを観察していく。
その様子に習い、ルリアも、瞼を閉じたままフィリアに視線を向けた。
「・・私には、何も変わった所がないように見えますが・・」
「『診眼』かしらぁ?・・確かに姫様のお身体に、異常はないと思うから、マリアちゃんは安心していいわよぉ」
微笑んだジョディに少しマリアは肩をなで下ろした。
次いでジョディはルリアをちらりと見ると楽しげに微笑んだ。
「貴女はバレーヌフェザーのお姫様かしら?」
「はい」
「そう。なら少し教えてあげましょうかしらぁ。姫様のお身体に異常がないというのは間違いないと思うわ。その診断に関しては、たぶんアタシよりも貴方の方が優れているはずよぉ。何せ、幼いとは言え『バレーヌフェザー』の診断。そこらの医者よりもよっぽど信頼のある診断だと思うわ」
優しく微笑むジョディの声は責めるものではなく、寧ろルリア褒めるような声だった。
その声に、嬉しくなる反面、ルリアは未熟さを察していた。
「だけど、それはあくまで『医師』としての診断。そして、アタシは『魔術師』。診るのは『身体』ではなく『魔力』。・・さて、それを踏まえて姫様に変化はないかしら?」
ルリアは再度フィリアを凝視した。
身体を流れる魔力。見慣れたその様子におかしなところは何もない。
身体の隅々まで見ても、それは同じ。
だが、少し俯瞰するように見てみると違和感があった。
「・・・あ、魔力が・・少ない?」
「あら優秀!そう、レオンハートの方々は魔力量がおかしい上に器もないから分かりにくいのよね。それも、姫様ならなおさら」
特殊な体質であるレオンハート。その違和感に気づけるだけでも医師として十分に優秀。
だが、魔術師であれば、おそらくまず始めに気づく事。
しかし、それは只々ルリアが未熟だという話ではない。
『医師』と『魔術師』。視点が違って当然。
未熟というならば、それは経験と視点が足りていないというだけ。
おそらく、普通に魔力が欠乏していたならばルリアも気づけただろう。
だが、レオンハート、それもフィリアが相手だ。
「ちなみに、姫様はどれくらい自分の魔力が減ったかわかるかしらぁ?」
「え・・はんぶんくらいです」
「え!?半分!?」
「ね?おかしいでしょう。半分で魔導師団の長であるアタシより魔力が多いのよぉ」
ルリアがどんなに視ても、魔力が足りていないようには見えない。
寧ろ、この場の誰よりも魔力に満ち満ちている。
魔力満タンのフィリアを知っているから、減ったことにも気づけたが、今初めて出会っていたとしたら何も思わなかった筈だ。
事実、それだけの魔力を半分無くしているというのに、減ったという事実を視認していても自身の眼を信じきれず懐疑的になってしまった。
「次に、姫様の周囲を見てみて」
「・・えと・・魔力残滓の、塊?」
「まぁ!本当に優秀!!そう!本来、粒子となって散る筈の残滓が塊となって少し残っているの」
フィリアの周囲に残骸のように残った魔力残滓。
気づいてみれば明らかに不自然なそれだげ、意識を向けるまで気にも止めていなかった。
「でも、それ以上は・・」
「十分よぉ。『診眼』だけでそこまで視れれば。いづれ『魔力視』が出来るようになれば、もっと幅が広がるとだけ覚えておいてね」
ジョディの助言は、本当に助言で、新たな視野を持たせただけの応援だった。
しかし、ルリアは、自身の未熟を恥じ入るように俯き、悔しげに眉を顰めた。
フィリア同等、神童と称される幼女。
だが、それでもまだ、幼いのだ。
至らなくて当然。
そして、そんな事実をその幼い心と体で真摯に受け止められるルリアは、間違いなく神童だろう。
ジョディはそんな事をルリアの雰囲気から感じ、改めて笑みが溢れる。
間違いなく次代の子供は優秀だと。
・・そして、その同じ世代。
自分たちの主たるもう一人の神童を見つめる。
「それで、姫様だけど・・・有罪ねぇ」
微笑んではいるものの、目は完全に主人に向けるべきではない侮蔑が在りありと浮かんでいた。
そして、そんなジョディの言葉に、同様の視線が一斉に集まった。
「身体変化では無いようだけど、単なる幻や錯覚でもないわぁ。・・言うなれば、もう一つ身体を造って、それを着ているような感じかしら」
フィリアは「なるほどぉ」と合点がいったように頷いた。フィリアが感じた感覚はまさにそれだった。
例えるなら着ぐるみ。
自分じゃない自分。
自分じゃないのに、意識も自分、動かすのも自分。
自分なのに自分じゃない。
本当に何か別の存在に成り代わったような不思議な感覚。
「衣服のようにそれを纏っているだけなら、何も問題はないわ。だけど、魔力の様子から姫様はおそらく感覚すら共有していたでしょう?・・それは身体変化ほどではないにしろ、負担は大きかった筈よぉ。事実、消費魔力が尋常じゃないもの」
確かに、恐ろしい程、違和感がなかった。
視点は高かったし、手足も長かった。だが、そこに不便も不快さもなかった。
窓から差し込む陽の光も暖かかったし、肌を撫でる風も心地よかった。
意識では違う姿だと認識していたが、実際それを一つの違和感として感じていたかと言うと自信がなかった。
「それに、大人の姿だったのもそれが理由よぉ、たぶん。姫様の感覚共有、おそらく完全共有、もしくは完全同調に近いものだったんじゃないかしら。そのせいで、大きく異なる存在の感覚が難しくて、感覚共有出来る最大値、自分自身の成長した姿を無意識に選んだんじゃないかしら」
「あぁ、それで・・」
思わず零れたフィリアの得心がいった声。
当然ながら鋭い視線が集まる。
「あら、やっぱり試したのねぇ」
「はい・・。でも、できませんでした」
最初フィリアは魔法を使う要領で想像力を大事にした。
だが、どれも不発。とういうか何一つ感覚として引っかかるものがなかった。
だから今度は、想像力よりも感覚を大事にして、魔法に導かれるように魔力を送った。
その結果が、成長した姿だった。
「個性という言葉があるように、どんなに似通っていても、人それぞれ感覚は異なるからねぇ。同性だろうと、同い年だろうと、血縁だろうともね」
感覚と言えば曖昧だが、要は別個体。
どんなに似通っていようと、親兄弟であろうとも、考え方も感性も全てが同じなどありえない。
そして感覚の齟齬とはどんなに些細であっても軽視できない。
度の違うメガネをかけ続ける、そんな僅かな違和感でも全感覚で感じるとなると、正気じゃいられない。
とはいえ、これもまた、技術や練度の問題だろう。
ジョディも似たような術を使っていたが、魔法と魔術の違いがあったとしても、明らかに消費魔力が違いすぎる。
フィリアじゃなかったら、一瞬で干からびている。
「でもよかったわぁ。違う感覚を完全共有なんてしていたら、一生意識不明で寝たきりだったかもしれないもの」
「・・ふぇ?」
あ、普通に禁忌級の危険度だった。
そして遂には、ルリアたちからも冷たい視線を貰うこととなった。




