136 公子と公女の初恋
「フィー!大変だ!!」
「どうなさいました?」
早朝。庵で朝のお茶をしているとアランが慌てた様子で飛び込んできた。
軽装で、汗が滲む様子から、日課のランニングでもしてきたのだろう。
「最近ニーナをつけ回している者がいるらしい」
「え?にぃにぃじゃなくて?」
「あぁ俺以外にだ」
「・・それはしんぱいですね」
深刻な表情で見つめ合う二人だが、内容がおかしくないか?
「・・・ちょっと待とうか二人共。何?その不穏な会話。最愛の弟が犯罪者に聞こえたんだけど」
フリード。その通り。
今日は、昨日の結婚式に集まった客人をもてなす事となっているフリード。
まだ子供とは言え、レオンハートの次期大公としての執務を兼ねた大事な役割。
だが、その役目も、客人の多さもあって多忙となるのは必至だった。
その為、フィリアと顔を合わせられるのが朝しかないと思い、フィリアと朝の時間を共有していたのだ。
穏やかでゆっくりな、安らぎの一時。
しかし、そこに、飛び込んできた最愛の弟。
いつもならば、公子でありながら街に降りて走ってきた事も咎めたいところだが、それ以上に気になる不穏な会話内容を聞いて、思わず頬を引き攣らせた。
「兄様。何を言ってるんですか。俺じゃなく、他に危ない奴がいるという話ですよ」
「ニリアーナ・ラットン。6歳。愛称はニーナ。第二河区、ベリン商店街のパン屋『ミモザの小麦』の四人兄弟、その三番目で長女。普段から店の手伝いをよくしていて、看板娘としても顔が売れています。趣味は表向き料理とおませな事を言っていますが、本当はミーティア湖に沈む虹石の貝殻集めが好きです。最近では、朱色に近い虹石の貝殻を見つけ気に入っていましたが、その端で指を僅かに切ってしまい少し涙目になってしまったそうです」
「・・・マリア?」
お前が何を言っているのだと言いかけて、情報の多い補足がされた。
その補足をしたマリアを振り向けば、無表情でアランのお茶を、まるで最初から準備していたかのようにアランに差し出した。
「アラン様が語られておりました情報です」
「まりあ。しゅじんのはなしを、ぬすみきくのは、はしたないですよ」
唖然とマリアの顔を見つるフリードだが、フィリアの苦言に、マリアらしくなく怒気の孕んだ光が一瞬煌めいたように見えた。
「フィー・・。そうではなくないかい?」
睨んだわけでもなく、何か不満を口にしたわけではない。
それでも、フィリアの発言は随分と的外れで、マリアの心痛を察するに余りあった。
「マリア。確かに貝殻の方がニーナは好きだが、それは皆には隠しているんだ。口にしてはいけないぞ」
そして、アランよ。君も何を言っているんだ。
この兄妹のハズレ具合がもはや怖い。
「・・アラン。出頭しようか」
この二人の兄だけが救いだ。
カラン――――
その時、甲高い音が鳴った。
その場の全員がその音に振り向くと、そこには湯気立つルリアが立ち尽くしていた。
石畳に転がるは、フィリア特製、木桶の洗面器と、これまたフィリア印の入浴セット。
「ルリア嬢?」
立ち尽くすルリアは目を見開いて固まっていた。
「っう・・」
そして、みるみる内に表情は歪み、紅い瞳に涙が溢れる。
「るりぃ!」
ルリアの気持ちを知るフィリアは、駆け出しルリアを抱き留めた。
・・初恋とは苦いものだ。
とは言え、初恋相手がストーカーとは、何だか違う同情心が湧く。
「・・アラン様・・尊い・・・」
「・・・・・」
小さな呟きはフィリアの耳に確かに届いた。
アランの恋愛事情は聞かれていなかったようだ。
だが、それに安堵するよりも、アランの姿を見ただけで涙を流す、新たな友人の情緒に、何とも言えない思いが強く沸いた。
「ルリア様。いらっしゃっているとは知らずご挨拶が遅れまして、申し訳ありません」
「い、いえ。こちらこそ失礼いたしました」
席を立ったフリードの礼に、ルリアは慌てて目元を拭い礼を返した。
「フィー私たちはここらへんで失礼するよ」
「え。俺・・私は今来たばかりなのですが・・汗を流そうと・・・」
そして、空気の読める男、フリード。
「ふりーどにいさま。がんばってください」
「ありがとう。行ってくるね。・・ルリア様。本来なら私がもてなす所なのでしょうが、その役目はフィーに任せますので、どうぞごゆるりとお過ごし下さい」
「お心使い感謝致します」
子供とは思えない二人の挨拶。特に幼いルリアのそれは余計に際立つ。
なにせ、同い年のフィリアが、あれだから・・・。
フリードは渋るアランを促し、その場を後にしようとする。
アランの表情には不満が現れていたが、それでもフリードに反抗することはない。
アランもまた席を辞する挨拶をするため、フィリアとルリアの目の前に来て視線を合わせるように少し身を屈めた。
「フィー。また後で」
「はい。にぃにぃも、おにいさまの、ごえいがんばってください」
「任せとけ!・・ルリア嬢もゆっくりとしていってください。妹を頼みます」
「は、はい!」
柔らかく微笑むアランの表情は、他の貴人とは違い何の裏もない。
家族であるフィリア以外にも一様に。マーリンからすれば頭が痛いかもしれないが、これはアランの美徳で、魅力だ。
事実、その笑みを正面から受けたルリアは顔を真っ赤に染めて、仮面を落としてしまったように、年相応の仕草を見せている。
そんなルリアを見つめるようにアランは少し沈黙し、改めて無邪気な笑みを浮かべた。
「やはり・・。昨日は言いそびれてしまいましたが、ルビーの瞳。すごく綺麗ですよ」
「っ!?」
そして唐突な、口説き文句。
ルリアは一瞬で沸騰したように、赤い顔を一層真っ赤に染め、心臓の飛び上がりと共に言葉を失った。
パクパクと口を動かしながらも声の出ないルリアを横目に、フィリアはアランを見やり、自身の兄の罪深さに嘆息を零した。
フリードとアランが庭園を後にする背を見送りながら、フィリアは硬直するルリアを庵の日陰へと誘導した。
それと共にミミが緑茶を手渡してくれた。
ルリアはその緑茶を、呷るように一気に流し込んだ。
濃いめに淹れられ、よく冷やされた緑茶。
その喉越しが心地いいのは、何も湯上りだけが理由ではない事は明白。
飲み下すと共に、水から上がったように、大きく息をするルリアから茶器を預かり、ミミに手渡すフィリアは、自身の緑茶もルリアに手渡した。
「にぃに・・あらんにいさまとは、いつから?」
ルリアは驚愕の表情でフィリアに振り返ったが、何をそんなに驚いているのか。
そんなわかりやすい反応で・・何故、自分がアランの事を考えているとわかった、と言いたげ。
だがそこは、さすがである。
どこぞの、鈍い幼女と違い、すぐさまその場の空気と、自身の反応を振り返り、察して苦笑を零した。
そして、頬を舞い散る桜同様の色に染めて俯き、手元を遊ばせながら零すようにつぶやき始めた。
「三月ほど前、春の訪れた頃です。・・アラン様は騎士たちの合同演習に参加されて、我が家へと訪れておりまして・・その時に・・」
三ヶ月前と言うと、ルリアはまだ視界を覆っていたはずだ。
つまり、レオンハートが持つ、絶世の容姿に惹かれたわけではなかったという事。
フィリアはそれに嬉しく思うと同時に、アランに見た目以外に惚れられる要素があっただろうかと、失礼な疑問を抱いていた。
家族から見れば、十分に魅力に溢れているとは思うが、異性として何か、セールスポイントはあっただろうか・・。
「最初挨拶をした時、何と心地のいい魔力だろうと思いました。・・フィルと会ってそれはレオンハートとの相性故なのだと理解しましたし、フィルの方が居心地はいいのですが、第一印象はそれも相まって好印象でした」
フィリアは同い年で同性。それ故に親和性が高いのだろう。
とは言え、バレーヌフェザーとレオンハートの相性は元からいい。
アランだって当然、ルリアにとって負担の少ないレオンハートの一人。
「合同演習、最終日の宴席。そこで改めて顔を合わせた時です・・」
そう言ってルリアの顔は一層赤みを増し、言いよどむように言葉がつっかえ、おぞおぞと髪飾りに触れた。
「そ、その時・・少しリボンが、解けていた、ようで・・・アラン様は、微笑んで・・直してくれたのです」
それは、フィリアという妹がいた故の、咄嗟の反射だったであろう。
アランの妹は、虚弱な体質の割に、行動的で、活発。髪が乱れることも、そこに飾る髪飾りがずれる事もよくある。
寧ろ、土を顔につけたり、服を汚していたり、快活な男子にも引けを取らないやんちゃな妹。
とは言え、いきなり他所の女の子の頭に触れるなど、マーリンが知れば雷が落ちるような無作法。
アランの人の間に壁がない性格は、人としては美徳かもしれないが・・。レオンハート大公家の人間としては、褒められたものじゃない。
・・・・・。
・・ん?
てか、ルリア。
それだけ?
「え・・それだけ?」
フィリアに、激しく同意。
ルリアは、そんなフィリアの思わず溢れた呟きなど聞こえていない様子で、頬に手を当て、恥じらいを前面に出し、揺れている。
・・・この幼女、ちょろいぞ。ちょろすぎるぞ。
いや、この幼さであれば、これほど純真無垢な方が普通なのか。
フィリア以上にしっかりとしていて、勘違いしそうだが、まだ二歳の幼子。
心が擦れたり穢れたりしていない証拠なのかもしれない。
「・・ルリア様も、ちょろいですね。姫さまといい勝負です」
おいコラ。駄メイド。
二人の傍で新しく淹れた緑茶をゆっくりと冷やしていたミミの小さな呟き。
でも、聞こえているから。その不敬な呟き、バッチリ主人に聞こえているからね。
ルリアの方は思い出のアランに悶えていて聞いていないが、フィリアは鋭い目でマリアとアイコンタクト交わし、頷き合っていた。
このあと、ミミは地面に伏せる事となるのだろう。
「ん?・・てぃー。どうしたの?そんなところで」
マリアと視線を交わしていると、その更に後方。控え立つミリスの影から顔だけを覗かせるように隠れたティーファを見つけた。
ティーファはフィリアの声に、怯えるように肩を跳ねさせミリスの影に姿を消した。
その反応を見て、フィリアは心当たりがあるようにルリアをジト目で見遣り、ミミに声をかけた。
「てぃーは、おふろに?」
「・・そのようです。ルリア様に引きずられて行くのを見ましたので」
「そう・・」
それで、全てを察したフィリア。
昨日、温泉に浸かった時のことを思い出した。
いつものようにフィリアはティーファを誘ったのだが、ルリアの手前、ティーファはそれを断った。それで、フィリアも考えが足りなかったと思ったのだが、その遠慮をルリアの方から気にしなくて良いと断られた。
最初は、懐の深いルリアに感謝をした。
だが、実際は、そんな慈愛や優しさなどではなく、思いっきり己が欲に満ちたものだった。
「・・てぃーにも、おまもりあげよう」
「であれば、ティーファに姫さまのケーキも与えてやってください」
「・・・そうですね。おわびに、つくろう」
「はい」
普段であれば、全力で阻止しようとするミミが、寧ろその提案をする。
ミミの顔には、これ以上ないほどの同情と憐憫が浮かんでいた。
『白い絹のような髪。白く透き通るような肌』
髪飾りを直したアランはそのまま頭を撫でてルリアに向け笑みを向けた。
視界を遮った状態でもわかる、無垢で輝くような笑顔がルリアの目の前にあった。
みるみる紅潮する顔は、本人にもわかるほど頬の熱が上がっていく。
『こんなにも美しい容姿に、まだどれだけの宝玉が隠されているのか・・。きっと目を惹くような美しさなのでしょうね』
『っ!?・・・』
視覚を閉ざしているとは言え、感知に敏感なルリアには、視覚に劣らない・・いや、それ以上に見通せている。
それは、目以外の感覚が鋭くなっている証拠。
だからこそ、その破壊力は絶大だった。
甘く、囁くような声。
声変わりの兆しすらない声なのに、やはり男の子だと思わせる響き。
例え、その言葉が、兄からの影響であり、理解も足りていないとしても、聞き手。つまりはルリア。精神はともかく、知識や所作は成熟したルリアにとって十分な甘さ。
『いつかその瞳に映りたいものです』
これはフリードが悪い。
確実に本の虫である、フリードの悪影響が、無垢なアランに及んでいる。
『・・ふぁい・・アランしゃま・・・』
下心のない言葉が故に、余計、質が悪い。
フリードが作り上げた罪深い少年は、一人の幼女を誑し込んだ。
それにしても、ルリアはちょろかった。




