137 聖痕の変態
城内の訓練場。
そこで、白い花と若葉が激しく舞っていた。
「はぁ、はぁ・・っ」
「ティーファさん。ちょっとですから。少し目を閉じていれば、あっという間に終わりますから」
「イヤですっ!!」
・・いや。舞っているというよりも、激しい攻防という名の逃亡。
顔面蒼白で怯えきった様子で一心不乱に逃げ惑うティーファと、それを恍惚の表情と艶やかな声で追うルリア。
完全な変質者と、被害者。
ティーファは自身の貞操を守るため必死であるようにしか見えない。
唯一救いなのは、その二人が幼女であること。
だいぶグレーではあるが、犯罪臭は薄い。
だが、幼女といえど二人の攻防は他人が立ち入れるほど生易しいものではなかった。
身体強化は基本として、魔術の打ち合いこそないが、喧嘩の域など遠に超えた格闘術の応酬。
その激しさは、空を斬り、地面を呻かせる。とても幼女の立ち回りとは思えないもの。
立ち入れない、と言えばそうなのだが、ここは訓練場。
訓練に勤しむ騎士も多くいるこの場で、誰一人そこに寄る者はいない。
あまつさえ、乾いた笑みではあるが、微笑んで見守る者の多さ。
それは、あくまで二人が名目上、手合わせ中という表向きだから。
だが、やはりそれは、攻防や戦闘と言うより、襲いかかるルリアへの、ティーファの必死な抵抗にしか見えない。
それも、暴力や立場に怯えるのではなく、ルリア個人の変質的な欲望に。
「ひゅー・・ひゅー・・・」
その光景を、遠く、感情なく見守っていたマリアとミミの元にか細い呼吸音が近づいてきた。
そちらを見れば傍でオロオロと支えようか、手を出すべきではないか、空中で手を彷徨わせ付き従うアンネ。
そして、そのアンネのすぐ傍を、フラフラと今にも倒れそうに揺れながら歩・・・駆ける小さなお姫様。フィリア。
流石の遺伝子効果だろうか、今にも吐きそうな女性として見せてはいけない表情さえ、美しく艶やか。
滝のような汗も、その汗に張り付く髪も、何もかもが、何故か色香に染まる、二歳児。
怪しい足取りは、僅かな小石にさえ足を取られそうなほどに拙い。ほぼ、すり足状態で、一歩進むごとにズリズリと足音が鳴り続ける。
その足が、何もない所でバランスを崩した。
しかし、フィリアはその急な出来事に踏ん張れるだけの余裕がなかった。
ぽふっ
だが、フィリアはやりきった。
躓き転んだ先・・いや転ぶ前に、柔らかく、慣れた香りに包まれた。
「姫さま!新記録ですね!」
直ぐ傍からミミの弾むような声が響く。
重い頭を持ち上げ、見上げれば、満面の笑みを覗かせるミミと、フィリアを抱きとめた柔らかな温もりの主、マリアの微笑みと目が合った。
それに安堵が溢れ、身体の力が抜けていく。
マリアはそれに慣れた様子で、フィリアを抱き抱え、立ち上がった。
「姫様お疲れ様です。ついに一周走りきりましたね」
マリアの褒め言葉に、フィリアは息が上がったままで返答できなかったが、にへらと微笑んで見せた。それにマリアも満面の笑みを返した。
広い城内の敷地内にあるとは言え、それほど大きくない訓練場。
それでも、二歳児の身体にとっては十分に広い。
大人であれば、全力疾走で走破できるような距離しかないだろうが、フィリにとってこの快挙は大きかった。
ようやく成し遂げた達成感は一塩で、体中の気だるさもありながら、それでも心地いい。
しかし、そんな気持ちも目の前の光景を見れば霧散してしまう。
風を纏うようなルリアの掌打を躱し、ハイキックのような回し蹴りを繰り出せば、そのティーファの慣性を利用して、軽く手を触れたルリアはいなし、ティーファは投げ出される。
受身からの立ち上がりも早く、隙もないティーファの動きだが、その僅かな間さえ許さず、ルリアの追撃が容赦なく襲う。
防戦一方。と言うか、隙あらば距離を取り、逃げ出したいティーファ。
それと、決して逃さず、常に密着しようと距離を詰めるルリア。
控え目に言って、化物。
これで、子供どころか幼児と呼ばれる程に幼い二人。
つい最近まで、ティーファなどフィリアと引き分ける程度の実力だったのに、今や、フィリアは勝つどころか、触れることすら出来そうにない。
フィリアとて、決して弱いわけではなかろう。寧ろ、前世の感覚から言えば十分な戦闘能力を有している。
しかし、目の前の二人。
魔術や魔法ありであれば、話は違ってくるだろうが、純粋な肉弾戦において、同世代の幼女たちはフィリアの遥か高みにいた。
況してや、ティーファはアンネを師と仰ぎ、普段から鍛錬に勤しんでいるし、共に訓練することもあるから、まだわかるが、ルリアは間違いなくフィリアと同い年。
それも、普段の行いに反して虚弱なフィリアよりも、深窓の令嬢という容姿の幼女。
更に、感覚が優れているとは言え、瞼を閉じ、視覚を縛った状態。
もはや、フィリアの規格外すら霞むような目の前の光景。
流石はレオンハートと肩を並べる五大公。
フィリアと同じ規格外の住人。
フィリアの場合、転生という超常がある分、案外、常識の範囲内なのかも・・。
いや、それはないな。
「・・そろそろ、お止めになりませんか?」
皆一様に呆れ混じりで眺めていたが、マリアから皆の声を代弁したような呟きがフィリアにかけられた。
フィリアは腕の中、短い嘆息をこぼし、片手を掲げた。
ガキンッ
「っ!?」
その瞬間、ルリアの掌打がティーファの前で見えない壁に弾かれた。
二人の間に生まれた、フィリアのバリア。魔法での魔障壁。
フィリア曰く、核にさえ耐えるという、頭のおかしなスペックを持った、フィリアの絶対防御。
・・・それにしても、フィリアの魔障壁もおかしくはあるが、それよりも、かち合った素手での掌打が剣戟のような甲高い音を鳴らすとは、どういうことだろう。
「そこまでです」
「ヒメーーーっ」
フィリアの声にティーファは飛び出すように、その場から駆け出した。
そのティーファの表情と言ったら、今にも泣き出しそうな・・いや、安堵に泣き出してフィリアに飛び込んできた。
「るりぃ・・やりすぎです」
「単なる組手ですよ」
しれっとそう言い放つルリアだが、フィリアの訝しむ視線を受け、そっと視線を逸らした。
「また、てぃーをぬがそうとしていたのでしょう」
「・・・」
「ここには、だんせいのめもあるのですからね」
「・・・・・」
「るりぃ」
「・・はーい」
フィリアより大人びて見えたルリアの姿はもうそこにはない。
寧ろ、この時ばかりはフィリアの方がしっかりして見える。
それに、その返事も、何処か上辺だけで全く心がこもっていない。
「お姫様。あまり目に余るようですとエラルド様へ報告させていただきますよ」
「むぅ・・」
「むくれてもダメなものはダメです」
前に出てフィリアの横に並ぶ侍女。
灰色の修道女のような使用人服を身に纏った、眼力の強い彼女。
ルリアの筆頭侍女である、サマンサ。
彼女はお目付け役も兼ねているようで、完璧令嬢に思えたルリアへ度々苦言を呈していた。
それを見て、フィリアは、レオンハート以外も、五大公の人間には必ずマリアのような側近がいるのだと思った。
況してや、このサマンサ。所作や仕草も洗練されていて、ルリアだけではなく自分自身にも厳しいのだと感じた。
更には、マリアと話が合う様子を目撃した際は、なんとなく全てを察した。
「それとも、『聖痕』関連の蔵書、全て禁書にいたしましょうか」
「っ!?それはやめて!!それだけはっ!!」
うーーん。何だか既視感。
マリアはそのやり取りを見て、フィリアを盗み見るが、フィリア本人は何食わぬ顔で全く思い至ってなどいない。
寧ろそのフィリアは、自身に向かって来たはいいものの、抱き上げられているフィリアには届かず、代わりにフィリアを抱き上げるマリアのスカートに、ひしりと抱きつき、ルリアから隠れるティーファを見つめて、「可愛いな・・」などと微笑みを浮かべている。
「で、あれば、少し自重ください。お姫様が聖痕狂いなのは分かっておりますが、ティーファ様には関係ないことですよ」
「・・ごめんなさい」
「私ではなく、ティーファ様にお謝りください」
「ティーファさん。申し訳ありません」
「い、いえ・・・」
とりあえずは、謝罪を受け入れたティーファではあるが、マリアの影から出ることはなく、少しだけ顔だけを覗かせても、ルリアと視線が合った瞬間再び身を隠した。
明らかに苦手意識、と言うよりも完全なる恐怖対象となっている。
フィリアにとっての『星』。それがルリアにとっての『聖痕』。
前日の温泉で、どうにもソワソワしていたルリアを不審に思いはしたが、体験する様式の温泉故だろうと楽観に捉えていた。
しかし、ティーファが服を脱いだ瞬間、ご令嬢として見習うべき仮面が剥がれ、欲望のままにルリアはティーファに襲いかかった。
あまりに唐突な出来事にフィリアは思わず重力魔法で押し潰してしまった程。
その時もサマンサが直ぐにフォローに入り、オロオロするフィリアに向け気にしないよう告げるだけではなく、感謝までされてしまった。
「で、でも、ティーファさんの聖痕は特別美しいのですよ!まるで刺繍のように細やかで、褐色の肌のおかげで新雪のような白さ――――」
聖痕。分類上は『花紋』の一つだが、世間一般で『花紋』と言えば、魔力が身体に浮かび上がった『魔証』等を指す。
魔力の痕跡が刻まれた『魔証』と異なり、聖気という魔力とはまた違う力を刻む『聖痕』。
当然、人の目には、その違いなど白いか、そうでないかしかわからない。
だが、バレーヌフェザーが持つ特殊な眼には、本来視えない、明らかな違いが見える。
それこそ、他の花紋が石であれば、聖痕はダイヤモンドの煌きを放っているような・・。
少なくともルリアの眼には、それに近い輝きが見えていた。
「――――許されるのなら、切り取って持ち帰りたいくらいです!!」
「っ!?」
・・・だからと言って、どんなに心奪われようと許されない事はある。
「・・でも、それは流石に許されない事でしょう?・・ならば、せめて・・頬擦りとか、味見とか・・そのくらいは・・・」
「ひっ!?」
「ぐっ」
ゆっくりとティーファに向けられたのは、薄目ではあっても獰猛で艶かしい紅玉の瞳。
ティーファはそこに込められた、背筋を這いずるような不埒な感情に悲鳴を零した。
そして、その悲鳴と同時にルリアは地面にめり込むようにして沈み、フィリアとサマンサは無言で深いお辞儀を返し合った。
・・・この短期間で、ルリアへの印象が、変わりすぎているのだが・・。・・下落が止まらん・・・。
そして、同時にフィリアのおかげで、耐性ができているのか。あまり衝撃がない。
五大公・・。
この国は本当に大丈夫なのだろうか。




