120 フィリア菌
「むーー」
「やぁーーー」
「むぐぐぐぐ」
「うぬぬぬぬ」
「・・お二人は、一体、何をなさっているのですか」
汗ばむ程に暑い日差しの中、二人の幼女は眉間に皺を寄せて、よくわからないポーズを取っていた。
フィリアは親指を立て、そこを睨むようにしながら唸り、ティーファはお尻を突き出して同様に唸っている。
ミリスは護衛の交代に空中庭園に入り、その光景を目にして思わす足を止めた。
そして、一番近くにいたマリアに問うたが、そこにあったのは、最早見慣れた、ガラス玉のような空虚で感情のない目。
「あっ、みりす!こうたいですか?」
「あ、はい・・。・・えーと、それで・・これは?」
マリアよりも先に主人であるフィリアの方が反応した。
相変わらずの可愛らしい笑顔は、先ほどの姿が気のせいだったように感じさせるが、その場の空気が、現実であった何よりの証拠。
そして、二人の幼子の前には自身の部下、アンネがいて、振り向きながらもミリスと目を合わせようとしない。
この部下は、あまりにマイペースではあるが、ミリスに対してはいつも律儀で殊勝な態度の筈だったのだが・・。それが、疚しい事があるかのように気配を消そうとしている。
「わたくし、まりょくかくせいのとき、まりょくいがいも、かくせいしてたじゃない?」
「あ、はい。天使になっておりましたね」
「・・・・それは、わすれて・・」
フィリアは怒ったような苦い顔を見せて、呟いた。
「え・・はい。・・では、『月盃』、・・いや『宝花結晶』、・・『真星』なんかもありましたか・・・・」
「・・・・・」
なんか色々やってた。
本人の思惑とは違い、気まずさが増すが、そこに射抜くように添えられたマリアの視線には気づいてすらいない。
「・・あとは・・・『顕華』――――」
「それですっ!!」
そしてそんな気まずさを吹き消すように、大きな声で、待っていましたと言わんばかりに反応し、ミリスにビシッと指を向けた。
ミリスは、目の前のフィリアと、その後ろのティーファを見て得心したように小さく頷く。
「・・なるほど、『顕華』の練習ですか」
「そうです。・・でも・・できなくって・・・。ぐれーすさまからは、いちどめの、かんかくをおもいだして・・、といわれましたが、それがむずかしくって・・」
こればかりは教える方法がない。『顕華』は個々に効果が違う。
その為、発現の条件もそれぞれ異なり、方法も全て違う。
その上、魔術でもない為、理屈や理論もない。
だからこそ、こうしたら・・という答えがなく、偶然発現した際の感覚を思い出し、手探りで手繰り寄せるしかない。
それ故、一生のうちで発現しない者も珍しくない。
そして、だからこそ、ミリスは首を捻った。
「姫様・・。ティーファは『顕華』した事があるのですか?」
「え?ないですよ?」
「はい?」
「できないから、れんしゅうするのです」
何を言っているんだ的な返しをされたが、・・寧ろお前が何を言っているんだ。
感覚頼りの『顕華』を、その感覚も知らずに練習とは、意味がわからない。
何故にそんな自信満々なのか・・。
「いっしょにできるようになったほうが、うれしいじゃない!」
「ヒメ。わたしがんばりますね!」
「うん!いっしょにがんばろ!」
ミリスの目も遠くなる気がした。
そこにアンネが目に入る。
・・おそらく、『顕華』の出来るアンネはその指導役なのだろう。
人それぞれ異なる感覚を教えるとは、苦労痛み入る・・。
だが、それなら何故視線を逸らしたのだろう。
確かにフィリアへ理屈が通じないのは思わず目を覆ってしまいたくはなる。
しかし、それは、アンネが気に病む事じゃないし、ミリスに対して申し訳なく思う必要はない。
ましてや『顕華』を教えることは何ら問題はない。
寧ろ、発現した感覚が鮮明であるうちに、その感覚を掴んだほうがいい。
異なるとは言え、『顕華』を使えるアンネの助言は参考になるだろう。
「・・姫様。アンネはその指導で?」
「っ!」
ミリスのその声に、明らかにアンネの肩が跳ねた。
そして一層、顔を背ける。
「はい。あんねは、じざいにつかえると、てぃーからきいたので」
「『まなぐれいる』のついでにおしえてもらいました」
「ティーファ!?」
「・・・『月盃』?・・・・」
焦って弟子の名を叫んだアンネだが、ミリスから漏れた低い声は、止められなかった。
そしてミリスは、そこでようやくマリアの目が空虚なものになっていた理由を察した。
「ミリス様っ!ち、違うのです!」
あ、この騎士・・。忘れていたけどゼウスの弟子だった。
血の繋がりは無くとも、確かなレオンハートの系譜。
自重を知らぬ、理不尽を継ぐ者。
ミリスの鋭い目がアンネに向かった。
「はい!」
だが、そんな無邪気な声にミリスは目を見開いて言葉を失った。
まるで、親に自分の成果を披露するかのように純粋なティーファ。
その背後に生まれたのは、下弦の月。
「え・・ま、『月盃』・・・」
それは、ミリスの知る限り、世界中でフィリアしか使えない技。
それも、偶発的に発現しただけの筈。
「っ!?」
更にミリスは、フィリアに視線をやって再度息を呑んだ。
「んーーやっぱり、まだ、いつつがげんかいですね・・」
フィリアの前に浮かぶ、掌に乗る程度の大きさをした魔力球。
それは、ティーファの物とは見た目も大きさも違い、それぞれ配色も違うが、紛う事なき『月盃』。
しかも、五つも・・。
「ヒメは、やっぱりすごいです。・・わたしは、ひとつだけだし・・かけた、つきです」
「てぃー。わたくしは『ティア』だから、つくれるりょうが、おおいだけ・・・。それにあと、さいていでもみっつ・・いや、やっぱり、よっつはないと」
いやいや。そもそも、複数作れるなんて聞いたこともないのだが・・とミリスは頬を引きつらせた。
背後から小さく「ティアラも一つだけでした・・」というマリアの呟きが聞こえ、ミリスは自身の常識がずれていないのだと再認した。
その上フィリアの不穏な展望。
その理由はフィリアの前に浮かぶ『月盃』。
よく見れば見知ったデザイン。・・ただ、こ(・)の(・)世界の人間が知らないだけ。
わかりやすくは、その中の一つにに円環がある事。
それが、最低でも八つという事は、答えは一つ。
これ。
惑星です。
よく知る、太陽系です。
その上、よく見ればクオリティ高く。円環のみならず忠実にそれぞれに異なる衛星まで添えられている。
その中には当然、月もあるので一応は『月盃』の名を掠めてはいる。
更に、九つという事は、冥王星の有無を考える小賢しさ。
配慮が違う。その悩みはいらない。
「マリア・・。『月盃』は使い手のいない・・幻の技ではありませんでしたか?。姫様が使えただけでも、騒がれましたよね」
「・・はい。・・一応、本人の名誉の為、誤解の無いように言っておきますが、アンネは使えません。・・と言うか、口伝で教えただけです」
そのマリアのフォローにアンネもうんうんと幾度も首を振った。
「いや・・ですが・・そんな事で習得できるのならば、幻などと呼ばれないでしょう」
「え?でもロクサーヌもつかえましたよ?」
「は!?」
フィリアの無邪気な密告にミリスは勢いよく首をひねり、気配を消すロクサーヌを見た。
そういえば、今の護衛、アンネのバディはロクサーヌだったと思い出した。
だが、まるで隠れるようにその存在を限界まで消していた。
ロクサーヌはミリスが自分の方に顔を向けた瞬間に顔を背けた。
ミリスは、同志を失った気持ちだった。
主人の気苦労を共有できる唯一の同僚も、フィリアの毒牙にかかり、非常識に足を踏み入れてしまった。
・・もはや、手遅れだった。
幻とも呼ばれる技術の使い手が、僅かな間で量産されていた。
しかもその元凶に至っては、規格外の事までし始めている。
ミリスは視界が遠のくような感覚を覚えた。
「ミリス・・ごめんなさい。・・なんか、出来ちゃって・・・」
「姫様の規格外が、伝染してる・・・」
「・・・ちなみに、引き継ぎ事項として話そうと思っていたのだけど・・・・。ローグは本日、体調不良で休むそうよ・・」
「・・・あまり、聞きたくないけど・・理由は?」
ミリスは嫌な予感を抱いてロクサーヌに問う。
「・・・・魔力覚醒を起こしたらしいわ」
「・・・え・・彼、何歳でしたっけ」
着実にフィリアの規格外は伝染している。
その、第一感染者はティーファだったが、最近ではメアリィも怪しい。
そして、いよいよ、側近にまでその効果が現れ始めていた。
「・・おそらく、先日の姫様、魔力覚醒が原因でしょう」
振り向けば、マリアが遠い目をしたまま告げた。
いつの間にかミリスもマリアと同じ、目になっていた。
「姫様の魔力を最も、まともに受けたミミも精霊視を得ましたからね・・」
「・・マリア。貴女の娘が、先日、姫様の治癒魔法を模倣したと聞いたのですが・・」
「・・はい。・・どうやら、ティーファを経由して姫様の規格外が伝播したようです」
二人は深刻な口調で言葉を交わしあった。
「ねぇ。さっきから、なんかしつれいじゃない?」
「ですが、専門家に相談しても伝染病ではないと・・」
「え!どういうこと!?まりあ!?」
「これだけの感染力でもですか・・。マーリン様にも依頼しましょう」
「ねぇ!きいてる!?わたくしは、あるじですよ!?・・ねぇ、きいて?きいてください・・」
フィリアの規格外は伝染し、遂には新たな感染病の疑いがかけらているらしい。
・・・正直、正しいと思います。
いっそ、焼却して滅菌消毒でもしたほうが世のためではなかろうか・・。
「ところで、ミミの姿が見えませんが、彼女もお休みですか?」
「いえ。彼女は今、支度を整えております。このあと、姫様はリーシャ様と共に、リリア様の元を伺う予定ですので」
「ふたりとも、ほんかくてきに、むししてますね・・・」
むくれるフィリアだが、その資格が君にあるのだろうか。
「ヒメ!ヒメ!みてください!」
「ん?・・・・え・・」
突然はしゃぐティーファの声に視線が集まった。
ティーファが胸のあたりに器のように掲げる手の上に、フィリアが作ったサイズの月が浮かんでいた。
背に背負う本来の姿ではなく、フィリアの非常識な応用を再現した『月盃』。
救いは、複数ではなく単一だったことだが、もはやそんな事は些事でしかない。
「・・・」
「・・・」
「・・・」
「・・・」
「・・・」
フィリアはティーファの成長を、背中に感じる重い視線を感じながら、噛み締め。
同時に、皆の散々な扱いに、意見などする資格がないことをようやく悟った。




