115 妖精の母
頬を染めて、天使のような幼女と微笑み合う、褐色の幼女。
今にも泣き出しそうで、虚ろな表情のタヌスは、その光景を眺めるように見つめていた。
透けるような白い肌と碧いジュエリーのような瞳。
レオンハート家にも負けぬような、美しい金糸の髪。
見つめる少女と、全く異なる容姿の女性を、重ね合わせ、視界が滲む。
後悔。――――そして、もう・・母は戻らぬのだという答え。
だが、不思議と悲しさや虚しさよりも、心が軽くなったような、予想外の感覚をタヌスは感じていた。
「タヌス」
タヌスの視線は大きな影に遮られた。
膝を着く彼女は仰ぐように顔をあげた。そこにはゼウスが表情なくタヌスを見下ろしていた。
「正式にはアークとの協議を終えてからだが、リーシャとフィーの希望に極力沿った結果となるよう努めよう。・・だが、お前たちを無罪放免とすることはない。寧ろ、二人の願いを叶えるため、それに見合った贖罪が必要だろう」
どんなに温情をかけようと、ケジメは必要だ。
この家の姫を害そうとしたことに、どんな理由や事情も関係ない。
「・・ティアラの名誉の為、今回のことは内密に済ませる。そう決めた以上、表立った罰は与えられない。・・とりあえず、下女に落としてそれから、と言いたいところだが、一度専属から離れた侍女が、もう一度専属に戻ることはまず無理だ。それはリーシャの願いに反する。・・しかし、そうなると、罰を分散して与えるのも難しくなる」
本来なら極刑以外有り得ない。だが、表立たず処理する事に決まった。
正直フィリアに対する危険だ。思う所など多分にある。レオンハートならば余計に。
それでも、フィリアの誰にも害せないような、規格外の強さ。
何よりも・・ティアラの献身と功績。それは、時を経ても、色褪せず、無碍になど決して出来ないものだった。
だからこそ、タヌスに与える罰は小分けもする事になろうが、専属侍女の立場を残したままでは、表立たず与える罰というものが、なかなかに難しい。
「だから、私が持つ権限で・・。タヌス。今日からお前は、『ペッパー』を名乗る事を命ずる」
「・・え」
それはアンネが監督責任を負うということ。要は保護者だ。
アンネも承ったと言うように深く頭を下げた。
だが、タヌスはその言葉の意味を理解するのに遅れた。
「今後二度と『フェアリー』の名を名乗る事は許さない」
「そ、そん、な・・・」
同じ一代だけの爵位といえ、『ティアラ』の爵位を持つ主人はもういない。その名は残っていても爵位は返上されている。
タヌスが名乗る以上、同じ平民としての意味しか持たないが、未だ爵位を持つ『ペッパー』の名前の方が重い。
そうなれば、『フェアリー』の名は語れない。
・・さらに、ゼウスが自ら命じたことによって、タヌスが『フェアリー』を名乗ることは生涯許されない。――――たとえ、アンネが死んだとしても。
「それを持って、アークにリーシャの望みを叶えてもらえるよう、私から奏上しよう」
家名を奪われる、それはかなり重い罪。
貴族ならば、死罪にすら等しく。庶民のとっても決して軽いものではない。
タヌスはアンネの姉妹だし、アンネの名を名乗ったところで不思議もない。
寧ろ、一代爵位とは言え、爵位がある家名の方が、婚姻にも優位である為、よくある話。
表立たず、重罰となるだろう。
それに、何よりもその罰は、タヌス本人に、深く突き刺さるだろう。
レオンハートを敵に回しても、その愛を貫こうとした、最愛の母の名。
その母が残した、自身との、親子の絆。
それを、無くすというのは、何よりも重い罰となるだろう。
「・・・ところで、てぃあらさんとは、だれなのです?」
フィリアのその言葉に、アンネは視線を合わせ、微笑んだ。
だが、その微笑みは、切なさを滲ませた、何処か寂しげなものだった。
「・・ティアラ様は、サーシス様の妹で、・・私とタヌス・・・そして、リーシャ様の、母です」
「はは?・・おねえさまと、あんねの?」
「母といっても、リーシャ様にとっては乳母。私たちにとっては養母、ですけれど」
フィリアはマリアに振り向き、マリアはフィリアに静かに頷いた。
フィリアにとってのマリアやミミ。
侍女としてという意味ではなく・・・自分にとっての、もう一人の母。
どれだけ特別な存在か、よくわかった。
そしてフィリアは、リーシャのチェンジリング事件を軽くではあったが聞いていた。
――――お姉様を、命を賭して守った『妖精』の乳母・・・それが、ティアラさん、か・・・
ちらりとティーファを見るが首を傾げる。
ティーファが本当にその『生まれ変わり』かどうかはわからない。
記憶も無いようだし。共通点が多くとも、確証もない。
だが、これ程までにも皆から愛され、慕われるティアラ。
ティーファをよく知るフィリアはなんだか他人には思えなかった。
「私は親不孝な娘でした・・。戦災孤児だった私は、戦場でゼウス様に拾われ、弟子となりました。ですが、身元が不確かな私はゼウス様の傍に居ることを許されません。・・そこをティアラ様が受け入れ、私を養子に迎えてくれたのです。・・ですが私は、ゼウス様に付き従い、世界中を転々と飛び回り、・・親孝行はおろか、家族らしい事も、何も、出来ませんでした。・・・只々、ティアラ様の後見を利用しただけの、恩知らずです。・・・それでも、たまに、帰ると、本当の娘のように歓迎され、甘やかしてくれるんです。・・私は与えられるばかりで、何も返せず・・・遂には、私のせいで・・・」
「アンネ・・、貴女のせいじゃ――――」
「そうだったな。いつもアンネが帰るたびに、テーブルいっぱいに料理が並んでいたな」
悲痛に歪むアンネに声を掛けようとしたリーシャの言葉は、懐かしむような声に遮られた。
「あれは中々に辛かった・・。多くの者に母と慕われていたティアラだったが・・料理の腕だけは・・残念だったなぁ」
「そもそもの話。貴方のせいで、アンネに母親らしいことを出来ない、ティアラちゃんの反動なんだから、貴方に何かを言う資格はないでしょ。・・たとえどんな料理でも笑顔で受け入れて当然」
ゼウスの思い出に浸るような表情に、呆れを零したグレース。
そんな二人のやりとりに、アンネも悲痛な表情を隠し、困ったように微笑んだ。
それを見やってマリアはフィリアに視線を合わせた。
「ティアラは妖精で子供が成せませんでしたが、彼女には、沢山の娘や息子がいたのです。それこそ『乳母役』を仰せつかるほど、名前だけではなく、ちゃんと育て上げた子供たちが」
「あんねや、たぬすみたいな?」
「はい。血のつながりはありませんが、彼女たちは、ティアラを未だに母と呼び、慕っているんですよ。・・・そして、ティアラの子たちは皆、チェンジリングなどにあった妖精被害者の子供たちです。世間で冷遇される子達をティアラは保護し、社会に送り出していました」
「りーしゃおねえさまと、おなじです」
軽くしか聞いたことはないが、リーシャの活動と似通っていた。
差別改善に奔走するリーシャの根幹。それがどこから来たのか、わかった。
「はい。そして、リーシャ様の乳母に抜擢されたのも、リーシャ様が『ウル』の名を持って生まれた為です」
「うる?」
「フィーの『ティア』と同じ、レオンハートが持つ、特別な名の一つだよ」
マリアの言葉をフリードが引き継いだ。
「『ウル』は、魔力量以上に、魔力密度が異様に高い者に与えられる名なんだ。本来、レオンハートは僅かな魔力の揺らぎで体調を崩してしまうが、『ウル』は密度が高すぎてそれがない。魔力器官の正常な者であれば普通のことだけど、私たちのように器官に異常があるものはできない。それを魔力器官の制御もなく成し得るほどに濃い密度の魔力は、魔力障害の大きい妖精にすら有効で、妖精の術はほとんど効果がない。というより、『ウル』の魔力密度は精霊や妖精のそれに近く、妖精を従える存在として記される。・・妖精を統べる『妖精女王』。その本来の姿とも言われるのが『ウル』だよ」
――――博識な兄様・・尊い・・・・
真面目な話の中、この幼女は通常営業。
つまりは、リーシャの特性を理解した上で、ティアラの抜擢だったのだろう。
妖精に精通し、自身も妖精。その上、そんな特異な子供たちを育て上げた履歴。
リーシャにとっては、これ以上にない人選だった。
「あ、じゃぁ。りーしゃおねえさまも、『魅了』つかえるんですか?」
なんだろう・・。
話は聞いていたようだが、ずれている。
「うん。使えるよ」
そして、未だ涙の名残を残したように震える声のリーシャは、黙っていてもらいたい。
フィリア。尊敬の眼差しを向けるな。
今回はそれがきっかけとはなったが、問題行動であったのは変わらないのだから、少し反省しなさい。
「・・ヒメ」
「ん?」
そんな残念フィリアの袖口を僅かに引くようにティーファが声をかけた。
ティーファはフィリアを目が合うと、その誘導するように視線を動かした。
そこには、俯き、力を失くしたタヌスとサーシス。
フィリアは再びティーファに視線を戻すと、ティーファもフィリアに視線を向けていた。
懇願するような、縋るような眼。
しばらく見つめ合い、ティーファの思いを察し、そして負けるようにして、フィリアは嘆息と共に小さく頷いた。
呆れを含んだその仕草にも、ティーファはパッと表情を輝かせ、「ありがとうございます」と弾かれるように、ベットから飛び退いた。
そして、小さな足で駆けた。
「――え」
「――――っ」
タヌスに柔らかい香りが飛び込むと同時に、サーシスの身体も引っ張られた。
「・・ヒメを、きずつけたことは、ゆるせないです」
鼻先を擽る、若葉のくせっ毛。
容易に傷つきそうな程に柔らかな、頬の感触。
二人の首は小さな褐色の腕に捉えられていた。
「でも・・さびしいのは、ダメだから」
飛び込むように引き寄せられ、抱きしめられた。
二人は、何が起きたのかは分かっても、思考が止まってしまった。
只々、幼くも穏やかな、優しい声だけが耳に届いていた。
「さびしいとき、いつも、ヒメはこうしてくれます」
「っ」
「ふぐっ」
人目も憚らず、声を出してタヌスとサーシスは涙を流した。
それと共に二人共、小さな身体を強く抱き寄せ、深く深く力を込めた。
「――っ」
「――――っ」
そこにアンネと、リーシャも飛び出すように混ざり。
泣き喚き、互いの熱を逃さぬように抱き合った。
「ふぇ!?」
ただひとり、その中心。
ティーファだけは、予想以上の出来事にキョロキョロと混乱していた。
「ニコ、お前は俺の元で扱いてやるから覚悟しとけよ。タヌス、お前は・・真綿で締め殺されるような苦しみに耐え、それでもリーシャの傍で、ティアラに報いろ」
声とも取れぬ、乱れた返答と共に、何度も頷く二人に、リーシャとアンヌの腕に力が増した。
断罪の場とは思えぬほど、日溜まりに似た優しさに満ちた光景。
それを見て、フィリアも無意識に優しく微笑んでいた。
そして、流石に限界を迎え。
穏やかな光景を見つめたまま意識を失った。




