112 家族第一の血
「・・姫様。やはり後日になされた方がよろしいのではないですか?」
「ダメです。きょうじゃないと」
寝台の上でマリアの支えとクッションに身を預けて、上半身を起こすフィリア。
それを気使いげに見守る側近たちだが、止めることは出来なかった。
普段とは違う、フィリアの真剣な我儘。
改めて彼女をレオンハートだと再認させられる迫力で言い切られた彼女の願い。
それをいつもと同じように一蹴など出来なかった。
だが、そうは言っても、フィリアの居る場所はベットの上。
自分で自分の身体を支える事も出来ないほどに弱り、マリアの支え無しには座ることもできない。
それでも、フィリアは無理を通し、ベットの上から目の前の二人を見下ろした。
フィリアの自室。それも寝室。
本来ならそんな姿のフィリア。そうでなくとも御令嬢の寝所など、他者が容易に入り込んでいい場所ではない。
だがそこには、側近だけではなく家族と――――枷を嵌めた二人の罪人、サーシスとタヌス。
はっきり言って普通なら決して招かれる事は許されない。
だが、そこはフィリアの普段の行い故に麻痺していることが大きかった。
普段はあれほどのお転婆であるフィリアだが、信じがたくも実際は生まれついての虚弱体質。
それ故にひと月の半分はベットに住まう、・・・か弱い・・深窓のご令嬢・・だ。
その為、フィリアの謁見はベットの上。ひいては寝室で行われることも少なくない。
最近では、謁見室や執務室にもベットの配置を真剣に検討されてたりもする。
だからという訳ではないが、苦い顔はされても、強く拒否はされない。
今回は、フィリアの身を危ぶめた罪人との謁見の為、反発は大きかったが、それでも結局は通してしまうほどに慣れが生まれてしまっている。
それは、決して良いこととは言えないが、それさえ可能となり得るだけの信頼と力がある証拠でもある。
「・・今度の事は、申し開きもなく・・・大変、申し訳ございませんでした。・・いかなる罰にも否は申しません。どうぞご随意に・・」
そして、今のこの状況は、皆、覚えがあった。
それは、セバスに起きた奇跡。
生まれたばかりのフィリアが起こした慈悲。
その身を脅かしながらも、許され。
あまつさえ、セバスは『一輪の花』を賜り、目に見える絶対な忠誠心を捧げた。
しかし、だからこそ、サーシスは先んじて、赦しを拒否した。
許されるわけにはいかない。フィリアの優しき慈悲に甘んじてはいけない。
それが、せめてもの贖罪であり、自身にとって唯一フィリアに報いれる事だと思って・・。
当然、フィリアの想い一つで処遇が決まる訳ではない。
大公であるアークが最終決定をもち、その他にも多くの役職が協議し合って決まるもの。
家族に甘いレオンハートであれば、多少の影響はあるかもしれないが、それだけ。
流石に、幼い子供の感情一つに、大きく左右されなどはしないだろう。
それでも、セバスのこともある。
絶対とはいえない。・・だからこそ、赦しを求めないサーシスは静かに告げた。
「・・恩赦を頂くわけには――――」
「ゆるしませんよ」
思わず視線を上げた。
明らかな憤りを感じさせる声色。
いつものような柔らかで、愛らしいものではない。
予想していたものとは異なる反応に、視線を向けたのはサーシスだけではなく、その場の皆が同様だった。
フィリアの側近たちでさえ、フィリアが慈悲を与えるのだと思っていた。
「・・ゆるせる、わけがない」
そして、こんなにも憤りを抱えたフィリアを見たことは無かった。
「・・・てぃーをきずつけ、みみをがいした、あなたがたを・・ゆるせるわけがない」
肩を震るわすフィリアの目には涙が溢れていた。
力強く、畏怖さえ抱かせるような眼差しのそこに、溢れた涙はアンバランスに。
だが、同時に、年相応の感情に素直な痛みを見せていた。
「ヒメ・・」
フィリアの涙。それに感化され、自身も泣き出しそうに、だが、必死に耐えるティーファ。
ゆっくり、引かれるようにフィリアの元に歩み、ベットにものそのそと上がると、ふわりとフィリアを抱きしめた。
フィリアもそれに抗うことはない。寧ろ、頼るように少し寄りかかってしまう。
そんなフィリアの手をティーファは優しく包みこむように握り、フィリアもまた無言でその手のぬくもりに答えるように握り返した。
「・・それでも・・・、・・わたくしは――――」
真っ直ぐと見据えるかのようにフィリアは、サーシスと視線を合わせた。
「――――レオンハート、だから」
ティーファが握ったのと逆の方の手で乱暴に涙を拭ったフィリアは、力強い瞳を向け、そう言い切って口元を引き結んだ。
「・・・りーしゃおねえさまを、かなしませることは・・できません・・・」
それこそが無理を押して、フィリアが謁見した理由だった。
「・・フィーは、タヌス。お前と、リーシャの為にこの場を設けたということだ」
「え・・・」
サーシスに託し、自身は断罪を待つ心づもりだったタヌスは、その言葉にようやく反応をを見せた。
「こう言ってはなんだが、ニコの処遇はもう決まっている。フィーの意見一つでどうこうなるものでもない。・・だが、タヌス。お前の処遇はまだだ。更に言えば、リーシャとフィーの意見を聞いてからだと決められていた」
サーシスは近衛の副団長。それ故、彼の行いはフィリアの温情でどうにかなるものではない。そこには、確かな規律があり、そこに意見するなど越権行為でしかない。
タヌスに関しても、過ぎたことかもしれない。
だが、サーシスと違うのは彼女がリーシャの侍女という事。
フィリアの意見を求められている以上、彼女の処遇はフィリアの言葉を待ってからだろう。フィリアが床に伏せっていれば、それを待って。
そして、その間。タヌスが何事もなかったかのようにリーシャの傍に侍る事など許されるわけがない。
恐らく、その身を拘束され、投獄されるだろう。
そうなれば、たとえ内密に処理されようとも、一度専属侍女を離れたタヌスがそのまま元に戻ることはできない。もし、それをした場合、勘繰られてしまう。
そもそも、この家に従事することさえもう許されないが、今回のことは表立たぬよう処理されると決まった。
フィリアは詳しい事情を聞かされなかったが、それがレオンハート家の義理なのだと、思う所もあろうが飲み込んでくれと言われた。
そして、そうならば、フィリアにとって一番の気がかりは、リーシャだった。
「・・たぬすは、おねえさまにとって。わたくしにとってのみみやまりあ、なのでしょう・・・。だとしたら、いま、おはなししなければ、いけません」
そして、リーシャはきっとフィリアの気持ちに沿うだろう。自身がどうだとしてもそれを押し殺して、リーシャ自身も罪を背負うような気持ちで。
だからこそ、フィリアには今しかなかった。
明日以降になれば、タヌスは専属を外され、二度とリーシャの傍に戻ることは叶わないだろう。
それは当然の事だし、寧ろそうしなければ警備面で不安が生まれる。
だが、フィリアは、マリアとミミの掛替えのなさを再確認したばかりだった。
それなのにリーシャの気持ちがわからずにはいられない。
家族愛のレオンハート、など建前でしかないのかもしれないが、フィリアにとってリーシャを悲しませるなんて無視できる事ではなかった。
「フィー・・・」
麗しの氷華。そう呼ばれる程に、感情を隠すことに長けたリーシャだが、今のその表情は酷く苦悶に歪んでいて、その場の誰でも彼女の気持ちをわかるほどだ。
「な、なりませんっ・・・私は、赦されない事をしたのです・・そのような温情をいただくわけにはなりませんっ」
「・・たぬす。わたくしは、あなたをゆるしません。・・かといって、しょくざいをもとめてもいません。・・・ですが、これは、おんじょうではありませんので、かんちがいしないでください。・・わたくしは、あなたのくるしみなどしりません。・・ただ、りーしゃおねえさまに、かなしんでほしくない。それだけです」
思わず顔を手で覆い嗚咽を漏らしたのはリーシャだった。
すぐ傍にいたナンシーがそんなリーシャの肩を抱き抱えるように支えた。
「正直、我々はお前をリーシャの傍に置くのに反対だ。・・だが、内密に事を治める事を決めたから、リーシャの気持ちに配慮する事もできる。・・それに、お前のリーシャに対する忠誠心だけは、信用しているからな」
「ゼウス様・・・」
「今回の事も、リーシャの為だったのだろう?・・・ティアラの為に、ティアラの功績を汚すわけがないだろうからな」
タヌスとサーシスはゼウスから気まずげに目を逸らした。
それが答えだと、ゼウスは確信を持った。
「どうせ、リーシャの立場や功績をフィーに奪われるなどと唆されたのだろう?・・・そんなわけなかろうが」
「・・・」
稀代の魔力をもち魔女。それだけでもレオンハートとして価値の大きなフィリア。
その上、才能に溢れた魔術師であり、商才も垣間見える麒麟児。
普通なら危機感を抱いても仕方ない。
だが、その姉、リーシャは決して普通じゃない。
前世と言うチートがあるフィリアと違い、純粋培養の才女。
妖精を中心に、他種族の社会的地位向上。
差別や格差の改革に奔走し、数多の革新を齎した、もうすぐ12歳の規格外令嬢。
成績は主席。幼くも魔導師と認められる程の魔術師。
社交界に出れば、男女問わず憧憬を抱く貴婦人の鏡。
はっきり言って見劣るどころか、フィリアの方が焦燥を抱くほどに出来すぎた姉。
「今度、建てられる孤児院だがな。妖精被害者やこの地で扱いの良くない他種族なんかも受け入れるそこの代表は、間違いなくリーシャの名だ。・・そしてその孤児院の名は、『翡翠姫』」
「「え」」
「・・お前たちは、一体誰が為に戦っていたんだろうな。杞憂どころか、見当違いも甚だしいじゃないか」
「「・・・」」
タヌスとサーシスは俯き、言葉もなく己の愚かさに恥じ入った。
「・・・さぁ。それでリーシャはどうするんだ。はっきり言って、私としては気が進まないが・・、フィーはそれでも、リーシャの本音を、本当の願いを叶える為に無理を押してくれたんだと思うぞ」
リーシャは、フィリアへの負い目を感じ、フィリアの気持ちを汲もうとしていた。
だが、フィリアはそんな最愛の姉の憂いを許さない。
フィリアだってレオンハートである。
なれば、何よりも求めるのは、家族の幸せ以外にない。
涙に塗れた顔を上げたリーシャに視線が集まっていた。
その中、リーシャが迷いなく視線を合わせたのは可愛い妹、フィリア。
皹た目元は優しく、そして困ったように微笑み。僅かに、だが確かに、頷いた。
リーシャの目からは更に涙が溢れ、霞むような声で「ありがとう」と何度も唱えた。
「・・私は・・タヌスに、傍に・・いてほしい・・・」
嗚咽に紛れたその言葉が全てだった。
呆れたような息もいくつか漏れたが、視線の先の愛妹は、複雑な心境だろうに、穏やかな笑みで深く頷きを返してくれた。




