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111 渦の愛



 「リチャード」


 「こちらに」



 振り向くジキルドに答えるリチャード。

 その腕には重厚な木箱があり、ジキルドに献上するかのように両腕で差し出していた。



 「・・お前が『肆ノ葉』か」



 背に問う声は淡々としたもので、そこに答えを求めてはいなかった。


 重く軋むような木箱の蓋を開け、その中身を手に取ったジキルドは振り返り、迷いなく蹲る影に歩み寄った。

そしてすぐ目の前にまで迫り、目線を合わせるように膝を折った。



 『・・な、にを――――』


 「ずっと会いたかったよ」


 『――――ッ、あがッ』



 何の前触れもなく、静かに、ジキルドは目の前の影を正面から抱き寄せた。


 ゆっくりと、深く交わるように。


 いきなりではあったが、傍から見れば穏やかな抱擁のそれ。

だが、抱き寄せられた当人には、そんなものとは真逆の、酷い熱と痛みが穿いた。



 『お、まえ・・デ、ディーニ・・・』


 「気安く呼ばないでくれるかい?」



 黒衣の背中にも無数の傷と宝花が刻まれ咲き誇っていた。


 だが、それとは関係のない、新たな結晶がその背中から突き出していた。



 深い藍色で、宝石のような色と質感の、珊瑚。

 一本だけ手折ったような、青い珊瑚の枝。



 それが他の結晶以上の存在感を示し、悪魔の背中を食い破り、穿いていた。



 「それを許したのは数少ない者だけだ。・・そして、お前だけには決して呼ばれたくなどない」



 耳元で囁かれるような声は、ゆっくりと離れ、立ち上がるジキルドと共に遠ざかった。


 そして、ジキルドが離れるのを見計らったように、青い珊瑚はガラスのように砕け、砕けたそばから破片も残さず細かく、風に紛れて消えていく。



 『あ、あ、ぁあ、あぁぁぁぁぁあああぁぁ』



 溢れ漏れる呻き。それと共に胸に空いた穴から煙のように魔力が溢れ霧散していく。


 すると、宝花が咲く時間すら待てないと言うように、指先から結晶化しだし、あっという間に手首までを侵食した。

 更には、完全に結晶化した手首から先が何の感慨もなく、ゴトリ、と地面に砕け落ちた。



 「ゼウスが、旅先で幾度も対峙したと聞いて、私も各地を旅したのだが会えなくてな・・・ようやく会えて嬉しいよ」


 「悪魔は人が集まる賑やかな所を好むとお聞きしていましたからね。余生の旅行がてら、世界各国の観光地を回られていたのですよ。・・奥様と共に良き思い出は多く作られましたが、一番の目的であった貴方に会えずじまいだったので、本日は本当、主人に代わり感謝致します」



 自分自身の体を抱く様にして呻く目の前の悪魔にその声は届いていない。

 只々、震えるように身を抱き、苦しみを耐え逃れようとしているが、そんな想いは叶わず、その身体は徐々に結晶化しては、非情で無情なように、憮然と砕け落ちる。



 「その『命運之輝石(ビジュウェルド)』も貴方の為、常日頃から用意してあったものです。わざわざマーリン様から特別仕様のケースまで作っていただいて。ようやく役目を果たせました。」


 「・・脆くてなぁ。マーリンから錬金術でも使うような専門の道具をもらったが・・・何本だった?」


 「四本です」


 「・・・はぁ。その度にゼウスに頼んでなぁ・・・・・てか、なんであいつはこんな貴重な素材を、いつもポンと出せるんだ・・」


 「ちなみにゼウス様は市場で、『歩く宝箱(ミミック)』と呼ばれ恐れられております」


 「・・絶対に市場、荒らしてんな・・」


 「先日は、屋台の串を買う際に持ち合わせが無かったとかで、『虹真珠』で支払ったそうです」


 「・・・60年は食べ放題だな。・・わかった。一言、言っておく」


 「お願いいたします」



 更に言えば、そんなのは可愛い方で、気まぐれで国宝級の素材が市場に流れることもままある。


 一番の理由は、ゼウスが銀行に赴くのが面倒だからと言う、しょうもない理由。


 確かに、ATMなど当然ない中、窓口にゼウスが赴けば、過剰な程の接客を受けてしまうのは間違いない。

 そしてそれは立場的にも仕方ない事ではあるのだが、それを億劫に思ったゼウスは代金より価値の高い素材で代換えをしているのである。


 ちなみに、最近。

 子供たちも真似をしだして。市場は更なる混乱に見舞われている。


 その中でも特にアランは、日常的に『稽古』と銘打って魔獣狩りをしているため、その頻度が高く、先日、領の経済大臣とアークとで三者面談があったほど。


 実に、教育に悪い。



 「・・・『命運之輝石(ビジュウェルド)』」



 目を見開き警戒するように身構えるナンシーが小さく呟いた。

 『精霊殺し』の宝花は、知らなかったが、この『精霊殺し』くらいは知っていた。


 稀少性や、扱いづらさはあれど、妖精であるナンシーにとっては確かな凶器。


 その上、目の前の悲惨な程の光景。


 身体中の傷は、肉体のないはずの精霊でも消える事も癒える事もなく生々しく残り。

 身体を苗床に咲き乱れる宝結晶は、目に分かるほど、確かに、侵食していく。

 そして、穿かれた胸から溢れる魔力は視認できる程に濃いもので、そのせいで宝花の侵食は勢いを増し、更にはそれを待てず、身体が結晶となっては砕け散る。


 妖精よりも圧倒的なほどに格上の大精霊。

 その大精霊の、惨たらしく、見窄らしい姿で、なす術もなく朽ちていく。


 格は違えど、近しい存在であるナンシーにとって、その光景は恐れを抱くのに十分すぎる。


 ナンシーは己の身を抱く様にして、腕を摩った。



 「ナンシーは近づくなよ。大丈夫だとは思うが、一応な。『命運之輝石(ビジュウェルド)』だけでなく、宝花も妖精には毒性が強いからな」



 恐れに引き攣るナンシーの様子に、察したジキルドは安心させようと軽い声をかけ、微笑みを向けた。


 その時、呻く悪魔を包むように光が集まり、突如霧が生まれた。



 パンッ!



 しかし、その霧は完全に悪魔を覆い隠す前に霧散した。

 引き剥がされ、吹き消すように。



 「逃げられるわけないでしょう」



 そう、穏やかに呟いたのはミゲル。

 大げさな身振りもなく、只々一度手を叩いただけ。


 それだけで、悪魔の退路を絶った。



 「・・・『妖精回廊』を・・こんな、あっさり・・・・」


 「ナンシー様。例え、目に見えなくともそこには『道』があるのですよ。で、あれば『干渉』も容易いものです」


 「・・え・・あ、はい・・・」


 「・・・ナンシー、言っておくがこんな事が出来るのは、私の知る限りこの人だけだ。決して『容易い』事ではないからな」


 「・・だよね・・・・」



 元がつくが魔導王たるジキルド。魔導の頂きたる存在が出来ないと断ずる程の規格外。

 既視感がすごい。・・というか確信を持って言える。


 絶対、ミゲルはレオンハートに縁あるものだ。



 ゴト――



 悪魔の腕も結晶となって崩れ落ちた。


 それは先程、手首から先を失った方とは逆の腕。

 更に、今度は手首のみならず、肩からまるごと腕が落ち、砕け散った。



 『天蓋』



 だが、大事なのは腕が落ちたことではない。



 刹那、一斉に身構え動いた。


 ジキルドはナンシーを抱き寄せ、同時に宵空の結界を展開させた。

 それと連携を合わせるように二人を庇い、ミゲルとリチャードが前に出る。



 瞬間、悪魔から爆発するかのように黒煙が吹き出した。

 それは一瞬で周囲を飲み込む勢いで溢れ出し、意志をもって四人に向かい魔手を伸ばす。



 『『兆の暁(アウロラ)』』



 ミゲルとリチャードが構えた杖から溢れた光は重なり、その場に光のカーテンを作り出す。

 更にそのカーテンは重なり交わり、揺らめくことない、強固な光の障壁となり、全てを断絶させた。


 洪水のように溢れる黒煙はその光にぶち当たり、飛散するように広がるが、その勢いは弱まらない。

 それでも、光の障壁の方があまりに強固で、僅かな綻びさえ生れず、黒煙を拒絶し続けた。



 急な目の前の光景に目を見開き、圧倒されているナンシーは、何一つ思考が着いて来ず、ジキルドの腕の中で身動きひとつできなかった。



 「・・これは、何が・・・」


 「・・結晶化で腕が崩れ落ちた時に、『拘束具』も外れたんだろう」


 「私のミスです」



 苦い表情のミゲル。

 だが、ジキルドもリチャードもそこまで予想は出来なかった。


 宝花と言う稀有な術に経験値が浅かったのもあるだろうが、それ以上に悪魔の魔力が想像以上だった。

 あれ程までに満身創痍で、これほどの魔力を生み出せるとは誰も考えていなかった。


 責めるのであれば、慢心していた自分たちもだと、ミゲルの言葉を否定するが、ミゲルの被害表情は柔がなかった。

 只々睨むようにミゲルは、その視線で悪魔を捉え続けていた。



 「っ――」



 その時、ミゲルが急に光の障壁の向こう――――黒煙の中に飛び込んだ。


 ナンシーは息を呑み、小さく悲鳴を漏らしたが、そんなナンシーに反してジキルドもリチャードも平静なまま。

 寧ろ冷静に、ミゲルが飛び込むと同時に、その穴を埋めるようにジキルドは魔力を込めた。


 すると光の障壁は砂状に崩れ、光の砂は崩れ落ちる勢いそのままに黒煙を押し流し、飲み込み、相殺させた。


 その光は飲み込むたびに広がり、全ての黒煙を洗い流し、浄化した。


 視界を埋め尽くしていた黒煙は綺麗に消え去り、光の砂だけが名残を残していた。

 そんな砂も溶けるように風に流され消えていく。



 黒煙が消え去り、広がった視界。だが、そこには先程までの美しい景色は無かった。


 咲き誇っていた満開の花畑はなく、全てが不自然に枯れ萎れていた。

 虫や小動物も息絶え、遺骸となっている。


 しかも、それらは世界から切り取られたように、色を失い。

 煤灰となって吹き消えていく。


 あまりに慈悲のない惨状。



 だが、そこに飛び込んだ筈のミゲルは、何も変わらずそこに立っていた。


 鋭く視線を巡らせるミゲルが不意に、腕を振るった。


 すると空を切った瞬間、何もない空間から悪魔が弾かれるように飛び出し、地面に叩きつけられた。

 呻きもなく、引きずり出された悪魔から、宝結晶が砕け散る。



 悪魔は、黒煙に紛れ『妖精回廊』で逃げようと考えたようだ。

 しかし、ミゲルの規格外の原理もわからない中、それは無駄でしかなかった。



 しかし、阻止したミゲルの表情は苦々しいままだった。



 「・・逃がしましたか」



 そう呟いたミゲルの視線の先。

 叩きつけられた悪魔の身体は、瞬く間に結晶となって宝花が咲き乱れ、砕け散った。



 「・・分体か。・・あの状態でここまで出来るとは、見誤っていたな」


 「悪魔は逃げ足が速いと、ゼウス様がおっしゃっていらっしゃった通りでしたね」



 ゆっくりと歩み寄ってきたジキルドたち。


 苦々しく呟く老紳士の中、ナンシーだけは目の前で起きた怒涛の展開についていけていない。

 ジキルドに支えられ、なんとか歩みは進めていたが、思考は伴っていない。



 「!?」


 

 それでも、自分を支えるジキルドの力が抜けるのにだけは素早く反応できた。



 「ディーニ!?」



 悲鳴にも似た声に、ジキルドは短く嘆息を零し、フッと笑った。



 「・・情けない。・・・すまないな。少々疲れたようだ。」



 心配をさせぬように微笑むその表情もまた、痛々しく。ナンシーの眉根が寄る。

 リチャードもミゲルも慌ててジキルドに駆け寄った。



 「・・この『花畑』は長居するに向きませんから、そろそろ戻りましょう」


 「あぁ・・そうしよう」






 四人を見送り、その背を見つめ、花畑は再び絢爛に咲き乱れた。


 中心にはカレンデュラとクレマチスが絡み合うように咲き、その隣には本来なら咲かない筈の『カトレア』が色鮮やかに咲いていた。




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