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106 翡翠姫 Ⅷ



 『優しいティアラに、特別な術を教えようか』


 『え!どんな術ですか!?』


 『ティアラであれば、きっと月下に舞う月の精のように美しく可憐で、神秘的な光景になるだろうな』


 『翡翠姫!!わたしが一番すきな、おはなしです!!』


 『そうか、では教えようか。ルーティアの愛する満天の夜空を――――』











 『天蓋』



 ティアラを中心に影が広がる。

 曇天とは言え明るかった空が、帳を下ろし、夜を招く。


 雲も溶けるように消え、見上げれば、極彩色の光が宵闇を彩る。

 光の雲と、数多の星星。


 陽の光はないのに、眩い程に明るい中。

 それでも一際、存在感と明るさを孕むのは、翡翠の満月。



 その満月を背負い、淡く光を纏うは月の精――――ティアラ。



 その光景はあまりに神秘的で思わず息を呑んでしまう。



 「・・ルーティア・・・、そう、そういう事・・。翡翠姫とは・・・」



 ミルさえもその光景に息を呑み、ティアラの姿に見蕩れた。

 だが、同時に、得心したように呟き、そして不快そうに眉を寄せた。



 「・・・『妖精女王(ティターニア)』になれず、妖精にとって『高貴』の意を持つ『月』を冠し。レオンハートであれば『ティア』の称名を与えられたでしょう程の魔力、しかしレオンハートではない故にそれにあやかった名付け。・・どこまでも貴女は『紛い物』なのですわね」



 ティアラの杖は光の軌跡を描き振るわれ。

 文字を書き連ねる。



 『雷鎚(エルトール)



 眩い光の柱がミルに降り注ぐ。

 鼓膜が破裂しそうな程の轟音と閃光。


 先ほどの、終末の火の程ではないが、それでも、全てを灼くような光は、十分な破壊力を以てミルを包み込む。



 「・・確かに『紛い物』なのかもしれません。・・・でも、だからこそ、私は『人』だと胸を張るのです。弱く、儚い、故に足掻く・・いかにも人間らしいじゃないですか」



 甲高く、悲鳴のような引き裂く音。

 それと同時に、光の柱が切り裂かれ、細かい粒子となって霧散した。


 その中から現れたミルの手には王笏のような宝石が普段にあしらわれた豪奢な笏が握られていた。



 「『妖精』であることすら否定するのですわね」


 「いえ・・それも踏まえて私です。『妖精であり人である』のであって『人でも妖精でもない』ということではないのです」


 「・・・『紛い物』ですわね」


 「はい。だから言ったではありませんか。『なりそこない』とは褒め言葉だと。・・それは『何か』ではあるという承認なのですから」



 ミルは地面に宝笏を突いた。

 宝笏の先から波紋のように静けさが広がる。



 「っが!!」



 ミルを中心に地面が軋み、抉れたようにクレーターを作る。

 当然、ミル自身には何の影響もない。しかし、ティアラは押しつぶされる様に地面に伏した。


 羽虫の如く地面に叩きつけれたティアラ。だが、ミルはおろか、誰も彼女には触れていない。

 それなのにティアラが感じるのは自身の上に幾人もの人間が伸し掛るような感覚。


 地面とともに沈む身体。

 指先ひとつとして動かない程の空気の重みに、ティアラの口端から血が滲む。



 最初から勝算などありはしなかった。

 少しでも時間が稼げればそれで十分だった。


 その目的は十分に果たされた。

 感じる『女王の臥房(ペタルベール)』の気配はもうすでに要塞の上にはなく、真っ直ぐティアラから離れている。

 諜報員として優秀な兄を信じて良かったと、思うだけで、幼い頃の情景が頭の中に駆け巡る。


 思った以上の爆発に、一瞬だけ期待はしたが、やはり足りなかった。

 それでも、あんな化物にみたいな魔力を有するミルに、手傷を負わせられたのだ。十分すぎる成果だった。



 「さぁ、このまま押しつぶされればどうなるのかしら。妖精ならばあるいは奇跡的に助かるかもしれないけれど・・『紛い物』の、貴女は、どうなるのかしらね」



 もう一度、宝笏が地面を突く。

 すると、身体にかかる重さが一層に増し、地面も更に深く沈む。


 ティアラはもはや息をするのも困難で、瞼さえ鉛のように重く感じる。



 だが――――



 「月は、満ちた、と、言った、筈です」



 ティアラは微笑んだ。



 そして、囁くほどに小さく、唇だけを動かしたかのように、呟く。




 『謳う英雄(セーマ)




 翡翠の月が溶けるように、多量の魔力を溢れ出した。

 それに呼応するかのように天上の星星が一層光を増す。



 「な!?どうして、貴女がそれを!?」



 初めて、取り乱すミルを見れた。

 それだけでティアラの胸がすく想いだった。


 ミルは反射的に笏を構え、ティアラに向けた。



 「・・まだ、ダンス、は、終わって、ません、よ?」



 ミルは、横から殴られるような衝撃を感じた。

 ニコライやアンネの斬撃に比べれば児戯のような威力だが、意識を割くには十分な衝撃。


 それが、一つ二つではなく幾数もミルに襲いかかれば、より一層鬱陶しいことだろう。



 「っ!!」



 振り払うミルの手は、大きな衝撃派を生み、薙ぎ払うように吹き飛ばす。


 吹き飛ばされる無数の光。

 光の羽を生やした、光のオーブ。


 それは吹き飛ばされた先から、シャボン玉のように弾け、また生まれては舞い踊るようにミルを取り囲む。



 「いい加減にっ――――」


 ――――カシャン・・



 その時、ガラスが割れるような音が響いた。



 「・・は?」


 「・・・届いた」



 時が止まったかのように錯覚するほどの一瞬の沈黙。


 振り払う、ミルの手の甲に僅かにできた赤くなった程度の擦り傷。

 先ほどの爆発によって負った火傷に比べれば、傷ともいえないような、僅かな赤み。


 だが、それは、ティアラの魔力が初めて触れた証だった。



 刹那。

 そこから、翡翠の結晶が鋒起するように吹き出す。



 「あ、グッ」



 ミルの手の甲に咲く大輪の宝花。


 それは、少しずつ花の数を増やすようにミルを侵食しだす。



 「くっ」



 更に、その追い打ちを掛けるかのように、変わらず舞い襲う光のオーブ。

 自身の魔力を吸い上げる宝花。光のオーブもまた同質の類だった。


 魔障壁は悪手。気づけば、アンネが振るった翡翠の剣もまた、ミルの魔障壁をいとも容易く切り裂いた。その前に、普通の剣で無理やり割られた為、そこまで思い至っていなかった。


 異常な爆撃によって魔障壁が全て持って行かれたとは言え、即席程度ではなく、きちんと練った障壁を施行しておくべきだった。

 今再び施行しようにも、魔力を練った先から、吸い上げられ霧散させられてしまう。


 その上、そこに動く魔力が大きければ大きほど、宝花が増え。

 綿密であればあるほど、乱れる魔力のせいで、片手間での展開が難しい。


 かと言って、集中する間を与えてなどもらえない。



 苦痛の声を上げるミルがふと視線を上げて、それに気づく。



 天上の光が、十分な養分を得たかのように、眩く、飽和した魔力を孕んでいた。

 その中心にあるのは翡翠の月。宵闇に撹拌させるように自身の魔力を溢れさせ、その魔力は確かに満天の星空に行き渡っている。


 そこでようやく、地面に伏すティアラの小さな呟きに気づいた。



 『――――輝きを紅く染めこの地に降り駆け給え』



 ミルは目を剥き、笏をティアラに向けた。


 だが、そこに光のオーブがぶつかり弾けた。

 再び障壁はガラスのように割れ、ミルの腕に更なる宝花を咲かせた。


 その衝撃と苦痛にミルの動きが阻害された。


 だがその一瞬が全てを決める。



 『隠匿の雌馬(ヒペルス)




 ――――――このお話が、おじさんの一番好きな物語なんだよ




 眩い閃光と共に降る光の筋。

 青白く揺らめくような馬がそこを駆ける。

 その残像は翡翠の粒子で、月の神秘さも纏って駆ける。


 

 「なんっでっ、貴女が、レオンハートのっ――――」



 速度を増す神秘の馬は、姿を揺らがせ、巨大な隕石となって空気を切り裂き、遂には分散して、されど真っ直ぐとミルに向け降り注いだ。


 重い慟哭と、灼熱の衝撃。


 全てを飲み込む土煙に視界は遮られたものの、直撃した。

 その証拠に、ティアラの身体に伸し掛る重さは消え、身軽くなった。



 だがティアラは、ゆっくりと立ち上がり、油断なく杖を構えた。


 そこで気づいた、杖に亀裂が入り、ささくれるように杖の限界が来ていた。


 この杖はアンネの杖。自身の杖とは違うため、ティアラの魔力に耐え切れなかった。

 それでも、この杖の親木はティアラの杖から出来たものだった為に、ここまでなんとか持ちこたえてくれた。


 術にもよるが、もってあとひと振りかふた振り。

 大きな術は使えないだろう。


 それでもティアラは改めて杖を握り直し、構える。



 粉塵が収まり始め、視界が広くなり始める。



 ティアラにかかっていた重さは消えたものの、その術の解け方は、術者が居なくなったそれとは違った。

 制御を失ったというよりも、制御を手放したかのような、術者の意思が感じられるものだった。


 そして魔導師たるティアラの感覚に間違いはない。



 粉塵の中、擦り切れたドレスが揺れる。

 空気が動くに連れてその姿を少しずつ見せる。


 擦り切れ薄汚れたドレス。焼け焦げたような箇所もあり、優雅な貴婦人の姿はもうない。


 傷は一層増え、血も流しているがそれ以上に、身体のあちこちに咲く翡翠の宝花が肌を覆い、遂には頬にまで小花を咲かせていた。


 笏だけは変わらず豪奢で華美なまま、輝きを失っていないが、当の本人はそれを振り上げる事もできず、縋るように身体を預け支えていた。



 そんな満身創痍にさえ見えるその姿。

 だが、真っ直ぐとティアラを見据える瞳だけは、滾るほどの力を持っていた。


 ティアラも、その姿にではなく、その瞳にこそ、脅威を抱いた。


 心を蝕むような恐れが再燃し、震えそうな身体に無理にでも力を込める。

 ティアラだって、立っているのもやっとで、ただでさえ力が抜けそうだった。しかしそれでも歯を食いしばり、鞭を打って対峙する。


 確かにティアラを見据えた殺意。・・そして怒り。

 逃げ出したいどころか、錯乱しそうな程の圧。

 いっそのこと首を差し出したほうが楽になれるのではないかと、思ってしまうほどの絶対的な格の違い。


 明らかに弱った姿であろうと、その眼に射抜かれた瞬間。

 抱く感情は蹂躙されるような、無力感。



 「・・ダンスは楽しんでいただけましたか?」



 それでも、気丈に微笑む。

 震えを内側に押し込め、暗い感情から目をそらす。



 「えぇ。実に驚かせていただきましたわ」



 だが、遂には焦点さえ定まらなくなってきた。

 震えは抑えても、身体が揺れる。




 『雷鎚(エルトール)




 その時、天蓋を穿く光の柱が落ちてきた。


 灼かれた空気は悲鳴を上げ、青白い光は眩くも無駄に光を放たない。

 僅かに溢れた雷電は空気を伝い、ティアラの肌をピリピリと刺激させた。



 ティアラは急な目の前の光景に、驚き、目を見開き、力が抜けた。

 腰を抜かしたようにドサりと腰から地面に落ちたティアラはその光を見上げ、視線を上げた。


 そこには光に手を掲げる見慣れた背中。


 風にたなびく、二股に割れた常闇の布地に金糸の刺繍。その合間に見える赤い裏地。


 レオンハートの色を持つ、ルネージュ将官のローブ。

 現在それを纏う資格があるものはたった一人。


 軍人らしからぬ長い髪。

 全身に煌く数多のアクセサリー。


 そして何より――――



 「ティアラ。よく頑張ったね」



 鋭い目を優しく細め、静かで穏やかな声。



 「・・・ゼウス様」



 首だけで振り返ったゼウスは、その声だけで優しく微笑みを見せた。




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