105 翡翠姫 Ⅶ
蝋燭の火を吹き消すかのように、消えた枝の繭。
ティアラたちに送られたグレースの守り。
だが、それが吹き消えると同時に、刺繍のような、繊細で可憐な模様の球体がティアラたちを内包するように現れ、球体を更に包むように白銀の花弁が咲いた。
「・・『女王の臥房』とは・・。なりそこないのくせに、妖精女王の術まで使えますのね」
ティアラは深く息を吸い、術の展開を確認すると、ニコライと向きあった。
「よくこの場所が分かりましたね」
「あ、あぁ。・・これのおかげさ」
壁さえ吹き飛ばし突撃してきたニコライ。事前に中の人物の確認もなしに、確信した行動だった。
その理由は、懐から取り出した、小瓶に入った砂金。
その砂金は魔力を帯びて、瓶の中でジリジリとティアラに向かって蠢いていた。
「・・・マーリン様ですね」
「あぁ。皆、姫様だけではなく、お前の事も心配していたぞ。・・俺なんかよりな」
「ふふ。お兄様は立場を弁えていらっしゃったのでしょうね。でも、あの方々はそんな建前などないでしょうから・・・でも、嬉しいです。あっ、もちろんお兄様のお気持ちもわかっているつもりですよ」
「お前なぁ・・・。こんな状況でまで兄をからかうなよ・・」
微笑み合う兄妹。だが、その穏やかさはかりそめのもの。
ティアラは白銀の花の中、腕の中の小さなお姫様を優しく見つめ、微笑んだ。
『妖精の揺り篭』の効果で、ティアラさえその柔肌に触れることは出来ないが、それでも、その上から優しくなぞる仕草には、愛しさが溢れていた。
「・・お兄様。姫様をお願いします」
ティアラは慈愛に満ちた表情をリーシャに向けたまま、ニコライの腕にリーシャを渡した。
ニコライは慌てて、ぎこちない所作でリーシャを受け取ると、戸惑いに顔を顰めた。
「ティアラ・・」
「・・彼女。・・ミルとは私が対峙しなければならない。そう、でしょう?」
ニコライは唇を引き結んだ。
それは心情的な言葉かもしれない。だが同時に実力的なものでもある。
「・・知っていたのか?」
「いえ・・。でも、さっきの話から察せない程、鈍くはありませんから・・。それに、彼女を相手取るのに、お兄様では役不足です」
あえて厳しい言葉をティアラは告げた。
それは、先の一瞬の一合いでわかってしまう事実。
完全なる意表を突いたニコライ。だが与えた傷は手のひらの僅かな火傷のみ。
ニコライが所属するのは諜報部。つまりは間諜。正面からの戦闘が苦手な訳ではないが、完全なる奇襲という自身にとって最高のアドバンテージをもってしてもその程度。
はっきり言って、相手にすらなりえない。
そして、その事はニコライ自身が一番わかっている。
「だが、お前の魔力は――――」
「ファミリアの、レオンハートの認めた『魔導師』。その、称号を・・甘くみないでください」
ティアラの向けた笑顔には嘘も誤魔化しない。
そしてその中に見えた、覚悟のようなものも。
ティアラの真剣な眼差しに、ニコライは何も言えず、それでも言葉を探した。
だが、ティアラはそんな兄の言葉を待つこともなく、背を向けた。
ゆっくり。静静と進める足。
だが、そこに響く靴音は、強く威厳のあるものだった。
まるで、そこには何もないかのように、『女王の臥房』をすり抜け。
それごと庇うように背に背負うティアラは真っ直ぐとミルを見据え、杖を凛と向けた。
「レオンハート大公家、息女、リーシャ・ウル・レオンハートが乳母。専属筆頭侍女及びファミリアの魔導師、『月の妖精』」
そこで一度言葉を止め、今一度覚悟を改めるように、呼吸を整えた。
そして、杖を振り下ろす。
周囲に翡翠の塵が舞い、赤い月も浄化される。
残った下弦の月を背に、魔力を満たすティアラ。
髪は纏う光りに淡く煌き、肌さえも透き通るように光を淡く纏う。
侍女服は、『女王の臥房』と似通った刺繍が蔓のように走り、彩り。それだけでは足りないと溢れたように、レースのドレスを作ってティアラを飾る。
背には蝶のような光の羽が広がり、瞳は宝石のような幾何学の煌きを放つ。
その姿は、物語に見る『妖精』そのもの。
「ティアラ・《フェアリー》・サーシス。・・・さぁ、私と踊ってくださいませ」
吹き出しその場を、全て支配するかのように飲み込む魔力。
鱗粉のように周囲を舞い、息すらできないほどの濃い魔力の奔流。
ティアラ自身が、嫌い、滅多に口にしない名乗り。
それ故に、その重みは違う。
ファミリアの魔導師として。世界最高峰、魔導の威信を背に向かう。
ここから先、手加減など有り得ない。
天災にさえ例えられる、レオンハートに認められし魔術の頂。
その全てを、遺憾無く注がれる。
死のダンスパーティーへの招待状だ。
『妖精の戯曲』
ティアラの周囲を舞う魔力が嵐のように吹き荒れ、ティアラとミルの身体を浮かび上がらせる。
それと共に、壁や天井を吹き飛ばすように蹂躙する。
瞬く間に、外と内との境はなくなり、瓦礫も砂塵も直ぐに吹き消える。
無事なのは浮かび上がった二人と、白銀の花弁に守られたニコライとリーシャのみ。
ニコライと共にやってきたであろう味方の兵は、可哀想に、共に吹き飛ばされていった。
『奏鳴』
『輪舞』
翡翠の嵐の中、杖を指揮棒のように振るうティアラ。
その度に、風の指向は代わり、ミルの身体を縦横無尽に振り回す。
それと同時にティアラも踊るように羽を翻し、舞う。
そう言えばティアラの独壇場のようだが、嵐に躍らされるミルもまた、見事な体捌きでドレスを翻し、迷いのないステップで嵐に紛れる、瓦礫を足場として、そのダンスの精度を上げている。
『翡翠宮』
ティアラから鱗粉のように光が飛散した。
それと共に嵐に舞う翡翠の粒子は大きくなり、ガラスのように透き通って鋭利な物に変わり。
巻き上げられた瓦礫も翡翠の塊となって、風に乗る。
それでもその嵐を一身に受けるミルの肌はおろか、その膨れるスカートにすら傷さえつけることが出来ない。
洗練された優雅なダンス。その演出にしかなり得ていない。
『星屑』
嵐の中に生まれる無数の翡翠の武具。
その数はどんどん増して行き、嵐を乗っ取るほどにまで増えた。
「・・随分と仰々しいお誘いでしたので、少しお付き合い致しましたけど、この程度の演奏とリードでしたら、興醒めもいいとこですわよ?」
ミルが瞳を煌めかせた瞬間。
二人を取り巻く翡翠の嵐は瞬く間に侵食されるように黄金に塗りつぶされた。
すると勢いを失い、黄金の剣が群れを離れると同時に、力を失い全ての黄金が重力に従って、バラバラと落ちていく。
さっきと同じ状況。・・だが全てが同じなわけではなかった。
「その月。満ちるまで待ってあげたいのですけれど――――」
ティアラの背後で淡い光を纏う翡翠の月。
それだけは、今度こそ侵食されずに、魔力に満ちた妖しさを保っていた。
そして、未だ下弦の月ではあるが、半月に程近くなっていた。
「――――撤退する兵も残り少なくなってしまいましたし、わざわざ貴女の時間稼ぎに付き合う必要もありませんの」
そう言ってミルは、ダンスはここまでだと言うように、綺麗なカテーシーを見せた。
「出来ることなら二人共連れ帰りたかったのですけれど、レオンハートが思った以上に無茶をするものだから、時間もありませんし、『ウル』だけで我慢しますわ」
そう言って眼下の白銀の花に視線を投げた。
そして、ティアラを再び見つめる目には憐憫が滲んでいた。
「だから、貴女は死んでくださいまし。・・せっかくの良い素体ですし、運命的な縁もありましたが・・・残念ですわ。諦めますわ」
心底残念そうに吐く嘆息だが、迷いはなかった。
「では――――」
『万象ノ紡糸』
ミルの嘆きなど知ったことではないし、リーシャを狙うと言われて簡単に死ねるわけがない。
ティアラはミルが語っている最中、ようやく組みあがった術式を開放した。
『深緑ノ糸』
『紅蓮ノ糸』
『蒼碧ノ糸』
『黒陵ノ糸』
「っ、マーリン様っ、これ難しい、ですよっ!!」
ティアラのクレームは本人に届かない。それでも愚痴らずにはいられない程に頭の中を数多の術式が埋め尽くし、あまりの情報過多に目眩と頭痛が襲う。
ミルに向かい引かれた四本の線。
それらは紡ぎ合うようにミルの元で交差している。
『虚無ノ雫』
その時、四色の糸はティアラの手元から白く染められ、それと同時に酷く絡まった。
瞬間。
カッと光と共に熱が破裂した。
全ての音と視界を奪う閃光。
同時に肌のみならず空気さえも灼く程の熱。
――――――・・・
全てを薙ぎ払うような業火と、漆黒の硝煙。
それが、空を覆った。
雷轟く黒雲を生み、傘のような爆煙が天高く巻き上げられていた。
想定外の規模の威力に、巻き込まれ引き飛ばされたティアラは、地面に転がるようにして着地した。
爆発の瞬間、妬ける様な肌の感覚は感じたものの、実際は無傷。
今転がり付いた土埃さえも、ティアラの纏う魔力の衣に払われた。
受身を取り、直ぐに体勢を整えたティアラは、まず、さっきまで自信も居た要塞を見上げた。
もういつ崩れてもおかしくはない程に荒廃した要塞。
だが、そんな事よりも思った以上の威力により守るべきものの現状が気にかかった。
そこに自身が施した術の感覚を感じ、ほっと胸をなで下ろすと同時に憤りが込み上げる。
「確かに少しの魔力で発動しましたけど・・なんですかあれ。情報量は多いし、制御も計算も異常じゃないですか・・って、いやいや、そもそもあんな一滴程度の魔力でどんな威力ですか。危うく死にかけましたよ。姫様まで巻き込みましたよ。・・・と言うか、あれが失敗作って・・・マーリン様。貴女は、何をしようとしているのですか・・・・。やっぱ、レオンハートの方々の作った魔術は検証なしに使ってはダメですね・・・」
遠くを見つめるようなティアラの視線。
それは感情の死んだ表情。
レオンハートに関わる者が必ず浮かべる表情だった。
ドッ――――
重く鈍い音にティアラは振り向いた。
そこには硝煙を纏う一塊が地面に落ちてきていた。
落下の軌跡も硝煙が雲を引き、無慈悲な放物線を描いていた。
「・・ですよね。流石にあれなら、もしかして・・、とも思ったのですが、そう簡単ではないですよね」
再び杖を構えるティアラ。
その視線の向く先。
風に流れる黒煙。その切れ目から徐々に姿を表す凛とした立ち姿。
ミル。
あの爆炎の中心にあって生き残り、ティアラに対峙する――――まさに化物。
だが、それでもやはり、無傷、とまではいかなかったようだ。
煤汚れたドレスは所々が無残に焼け、美麗な装いなどもはやどこにもない。
ミル本人の手足や顔にも火傷と煤が残り、その全体は命からがら逃げ落ちた、貴婦人。
しかし、傷を負わせた感触よりもあれだけの威力でもこの程度にしか、傷を負わせられなかった事の方がティアラに恐怖を抱かせる。
「・・随分と派手な演出でしたわね・・・・でも、そろそろパーティーは、お開きですわね」
初めて明確に、ティアラのみに向けられた殺気。
それは、これまで感じた規格外のもの以上で、その殺気だけで心臓を握りつぶされたようにさえ錯覚してしまう。
だが、ティアラは不敵に笑む。
月は満ちた。
「そんなに焦らないでください・・・『夜会』は、これからなんですから」
ティアラが杖を掲げる。
『天蓋』
戦場に夜の帳が降りた。




