104 翡翠姫 Ⅵ
「二人っきりにッ!なりたかったのはッ!わかるけどッ!少しッ強引じゃッ!ないかいッ」
空中を飛び交いながら剣閃を捌く悪魔と、連撃を叩き込み続けるアンネ。
双鎚を大きく横薙ぎに振り、大きく間合いを広げた。
「積極的な子も嫌いじゃないけど、個人的には攻める方が好きなんだけどなぁ」
衝撃に逆らわず吹き飛ぶように放物線を描いたアンネは、身体を捻り体勢を整えると、直ぐに宙を蹴り、空を駆け、間合いを詰めた。
小さな魔法陣を足元に展開し、それを飛び石のように跳ね駆け、勢いを増す。
「全く、器用なことをッ!!」
再度、交わる剣撃。
要塞の戦場、その上空。
ティアラたちが居たのは要塞のほぼ最上階だったようで、そこから飛び出た悪魔とアンネの高度もそこまで変わっていない。
黒のベールが長く二股に分かれ翼の様にはためかせる悪魔と、魔法陣を足場に空を翔るアンネ。
眼下の地上。その戦場からも仔細はわからぬ程の高さ。
言うまでもなく、落ちてしまえばそこまで。悪魔はともかくアンネは無事ではないだろう。
しかし、そんな心配は不要とでも言うように、空を自在に飛べる悪魔よりも、アンネの方がそれ以上の機動力で圧倒している。
悪魔はほとんど防戦一方で、反撃も少ない。
多方面。三百六十度。あらゆる方向からの鋭い斬撃。
空中戦とはいうものの、その軍配は、飛べないアンネの方に傾いている。
思わず苦悶の声と表情が漏れる。
況してやその相手が、まだ幼い少女であるという現実が、言葉の軽さとは裏腹に、苛立ちを高めている。
それともう一つ。
「あぁぁーーー!!!てかなんでッ!!君は調子を崩さないのさッ!?」
遂に耐え切れずに叫んだ。
叫びと共に振るった双鎚は、目の前までに迫ったアンネの剣を弾き飛ばした。
まだ幼い少女。幾度もぶつかり合う剣撃に、その小さな手の方が耐え切れず握力を失っていた。
そこでこれ以上ないほどに歪んだ笑みを浮かべた悪魔。
ようやく。ようやくだ。と愉みを抑えきれぬような喜びが溢れる。
しかし、アンネに焦りは微塵もない。
寧ろ淡々としたように、身体を捻りながら腰に手を伸ばし、そのまま抜刀するかのように振り切った。
再び歪む悪魔の表情。
しかしそれは、愉しむ歪さではない。
「――――ッく」
なんとか寸前で首を逸らしたが、頬に走るピリッとした痛み。
その頬を掠めた刃は、冷たい飛沫を残し、通り過ぎていった。
「『命運之輝石』――――」
怨嗟の滲むような悪魔の声。それは真っ直ぐとアンネの手元に向けられていた。
アンネが腰から抜き放ったのは一本の杖。いや、杖と言うよりも宝石の枝。
まるで素材そのまま、珊瑚礁を一本手折ったような、無骨で加工さえされていない群青の杖。
『命運之輝石』。それは精霊にさえも致命傷を与えられる稀少鉱石等の総称。
最も有名なもので言えば『日緋色金』なんかもその一つだが、あれはあまり同一には出来ない特殊なもの。
他の『命運之輝石』も希少であることは同じだが、その硬度に問題がある。
『日緋色金』のような硬度の『命運之輝石』の方が珍しく、ほとんどがガラスのように脆く、加工も難しいどころか、採掘の段階で砕けてしまう事なんかもよくあるような鉱石。
希少な上に扱いづらい鉱石。
事実。アンネが振るった杖は、振るった瞬間に亀裂が入った。
「――――ッ」
あまりに脆く、使い捨てのような杖。
しかし、そんな頼りない杖にこそ恐れを抱く。
悪魔の頬は、傷跡に沿って少しずつ結晶化し。
そこから、光の粒子が溢れ漏れるように、流れ出て霧散する。
それは実体を持たぬはずの精霊の傷ついた姿。
本来精霊を滅するのであれば、多くの手順が必要となる。
ある精霊は三日三晩、呪を込めた霊峰の湧水とそれに浸したナイフが必要となり。
ある精霊は九十九の精霊の祈りが込められた、ナナカマドの若木の新芽の枝で突き刺さなければならない。
精霊一柱、それぞれに違う手順があり、そのどれもが手のかかるもの。
一朝一夕などでどうにかなるものではないし、況してや、事前準備もなく正体もわからない存在に臨機応変に対応など出来ようもない。
だが、『命運之輝石』はそういった事を全て無視して精霊の喉元に刃を突きつける。
『『命運之輝石』を探すくらいなら、砂漠で一欠片のダイヤモンドを見つける方が現実的だ』
と、言われる程に希少なものであり、現実的では決してないが、その効果は確か。
そして、それは精霊ならば当然知っている事。
悪魔の一瞬の怯み。
それは、僅かな隙を生み、アンネに攻撃の間を与えた。
アンネは魔法陣を蹴り、後ろに飛びながら再び珊瑚の杖を振るった。
その瞬間、水飛沫が生まれ、流星のように悪魔の身体を貫く。
「ぐッ・・・」
呻きを漏らす悪魔。
だが、同時に、笑みも溢れた。
貫かれはしたが、致命傷ではない。
さらに、その瞬間視界に入ってきたのは、杖を振るったアンネ。
そして、そのアンネが握る珊瑚の杖が弾けるように砕ける様。
苦痛を殺し、悪魔は力を込める。
双鎚を構え、アンネに向け振――――
「ハハハッ砕けちゃっ――――――――え」
悪魔の高笑いは途中で止まった。
双鎚を振るう最中、眉間に突きつけられたのは『珊瑚の杖』。
あとは反射だった。
無理に身体を捻った。もう軌道を描いていた双鎚は止まらず、その反射を阻害した。
その為、避けきれず、悪魔は肩を深く抉られ、腕と共に双鎚を吹き飛ばされた。
柱のような水の砲撃。
それは悪魔の腕を吹き飛ばし、消えていった。
「・・うん。やっぱり剣は苦手です。魔術が一番、です」
そう、愚痴るような再認識をするアンネ。
その手に握られた珊瑚の杖は役目を終えたかのように砕けて崩壊すると、細かい塵となって掻き消えた。
「・・・ッ、砕けた、筈、じゃ・・」
肩を抑え、苦痛に歪む悪魔の呻くような声。
それに、答えるかのように、アンネは腰に手をやり三本目の『珊瑚の杖』を取り出した。
「なッ・・」
『命運之輝石』。それは希少な鉱石。
手に入れるのはおろか、一生のうちでお目にかかることすら出来ない者も多く。
脆さから保管が難しい為、国宝には出来ないが、価値としてはそれに勝る程。
個人が複数所持するなど有り得ない。
例え、魔導王と言われ、魔導の関する事において絶対的なレオンハート大公家といえど・・。
・・いや、一人だけレオンハートの中にいた。
自称『お土産』の収集をライフワークとし、最上級素材をまるで日用品のように持ち歩き使う、自重の欠落した男が。
そして、そこに居るのは、そんな男の弟子。
その時風に靡く髪の隙間に悪魔は更に目を見開いた。
白く透き通るような首筋。そのうなじ近くに刻まれた『鈴蘭』の花紋。
魔力に満たされ妖しく光る鈴蘭は、浮き出ているように咲いていた。
――シャラン
そして、耳をすませば鈴の音が耳を掠めた。
「・・ク・・ククク・・・アハ、アハハハハハハハッ!いいよ!アンネ!君、素敵だよ」
狂気に染まった楽しげな笑い声を上げた悪魔は、心底楽しそうにアンネを見つめた。
そこに、執着にも似た熱が篭めて。
「・・はは・・・アンネ、僕の事、アンヌって呼んでよ。・・・なんだったら互いにアンとでも呼び合おうか。・・・僕はアンネが大好きになっちゃったよ」
「え?嫌です」
グレースによく似た、にべもない断り。
「『鈴蘭』の、それも『顕華』なんて、最高だよアンネ」
陶酔するような悪魔の様子にも、アンネは眉ひとつ動かさない。
そんなのこれまでもよく見てきた。
悪魔は、相手に驚異を抱くほどに好意を高める。
それは、特性を強める本能なのか、それとも単なる好奇心だけなのかはわからない。
だが、師に付き従い旅する中で多くの悪魔と対峙してきたアンネには見慣れた反応。
「私は『悪魔』の天敵なのですよね?これがその証拠だと先生が教えてくれました」
上位の悪魔であればあるほど、アンネの存在はより大きな脅威になる。
当然、『禍ノ芽』などと呼ばれる程の最高位悪魔にとってアンネの存在は天敵以上の存在。
更に言うのであれば、この『肆ノ葉』と呼ばれる悪魔は特にその悪魔としての特性が強い。
『鈴蘭』――――花言葉は『再びの幸せ』
どんな困難さえも乗り越え、その先の幸せを謳う福音。
悪魔の『不幸』を打ち消し飲み込む、花。
珊瑚の杖が空を切り、鈴の音が音を切り裂いた。
「――――」
悪魔の声は、音となる事はなかった。
弾け砕ける珊瑚の杖。
それと共に、悪魔の身体は肩から腰にかけて真っ直ぐ線を引いたようにずれて、分かれていく。
あまりに一瞬の事に反応すら出来ず、何の感情もない少女の目に、惚ける様に魅入られたまま悪魔の半身だけがずれ落ちると同時に無へと帰った。
上半身どころか、両腕も失い、胸から上しか残っていないような悪魔だが、頭は残っている。
まだ、存在が消えてはいない。
――――!!
その時、衝撃と暴風がアンネたちを巻き込んだ。
その方向に視線をやれば、砂埃を巻き上げ、先程までいたはずの要塞が完全に天井吹き飛ばし、吹きさらしになっていた。
「ティアラ様・・・」
「余所見は良くないなッ!!僕だけを見つめていてよッ!!」
歪な狂気。裂けるような笑みで、アンネに飛びかかる悪魔。
先程失った四肢は戻ってはいないが、その代わりとしてなのか、紫炎のような手足が、獣のような形を整形し、その禍々しい爪をアンネに伸ばしていた。
元々人ではないが、最早完全に見た目すら人を辞めたその姿。
だが、アンネの反応は変わらず、無感情なものだった。
アンネにその爪が触れる、その刹那に、アンネは静かに自身の小さな手に『指輪』をはめた。
それと同時に銀の指輪は煌き、アンネが手を振り下ろした瞬間。
幾数もの魔法陣がアンネを中心に展開され広がった。
「ッガ!?」
悪魔の爪は弾かれた。
それも、ただ弾かれたのではなく、紫炎ごとかき消された。
「・・『輪環』ッ」
「私の先生が誰だと思っているのですか?」
魔女に憧れ、魔法に憧れる、獅子の子。
杖さえ使わないその姿に憧れ、自身も杖を使わずに魔術を使おうと、アクセサリーを多く身につけた。
魔導効率の悪い、それを、使いこなす、最強の魔導師。
「剣は一番苦手です。だけど、杖もあまり好きじゃないんです」
杖を使わず、装飾品を使う魔術師たちを、『輪環の魔術師』と呼ぶ。
格好ばかりで、魔術のにわか術師と揶揄されるスタイル。
だが、そこに居るのは、決して格好だけの魔術師じゃない。
飽和し、それでも溢れた魔力が粒子となって舞う。
数十。数百。大小様々な魔法陣がアンネを中心として広がる。
そんなアンネ自信からは魔力が溢れ、光の鈴蘭が咲き乱れ揺らめく。
現レオンハート中、最強。
ルネージュ王国元帥。ゼウス。
その、唯一の弟子。
史上最年少のファミリアの魔術師。
アンネ・フェアリー。
「杖だけじゃ、死なないみたいなので、まずは魔術で弱ってもらいます、です」
無垢に微笑むまだ幼い少女。
「・・・聞いてた以上の化物じゃないか・・」
最近では『鉛雨の中を進む少女』などと呼ばれたりもしている。




