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103 翡翠姫 Ⅴ



 真っ赤な視界の中、穏やかに揺れる黄金の海。

 息を呑むほどに、美しく、この世のものとは思えない幻想的な光景。


 しかし、そんな中を藻掻く私は、苦しみに喘ぎ、喉が裂けそうな程に叫んでいた。


 私は何故ここにいるのだろう・・。

 ここは何処なのだろう・・。


 そんな思考さえ、塗り潰すような感情が自分の中を渦巻き暴れていた。


 嫉妬、憤怒、そんな憎悪を際限なく溢れさせる胸の内は、業火に燃えるような苦しみと痛みを惜しみなく与え、その苦痛に耐え、意識を保つことさえ難しい。


 自身の言葉も紡げず、爪を立てる以外出来ない。

 私の自我など、夢幻の中に溶けるような朧げなものしかない。



 足元に絡みつく、冥界の住人のような手は執拗に闇へ引きずり込もうとするが、それに抗い、暴れ、叫ぶのは、間違いなく私なのに、私じゃなかった。



 タンタ・・ごめんなさい。

 私が、子供を欲したばかりに・・。



 そんな何処か冷静な私とは違い、狂乱したような私は発狂を強め、叫び暴れ、両腕を激しく羽ばたかせた。


 身体は徐々に浮き上がるが、無理に引き剥がした無数の腕は私の足にいくつもの爪痕を付けた。

 痛みこそ感じはしなかったが、私の意識とは関係なしに甲高い悲鳴を上げた。



 子供がいなくとも幸せだった。

 毎朝、日の出よりも早く目覚め二人で店の仕込みを始める。

 開店当初など、美味しいだけのパンなど売れなくて、毎日が赤字だった。


 それでも、色々試行錯誤して、私が空から届けた事もあった。


 それが、最近では人気のパン屋さんなどと呼ばれるようにまでなった。

 その上『おしどり夫婦』などと揶揄われ、それが一つの売りにさえなって。・・恥ずかしくも、嬉しかった。


 だからそのままでも良かった。

 これ以上ないほどに幸せだったのだから・・。


 だけど、やっぱり・・・思ってしまう。


 愛する人との子が欲しいと。


 妖精と人とでは、本来子供など作れない。

 それでも、私の種族は特殊。昔から人を攫い子を孕んだと伝えられている。


 だから私は、タンタの心配を他所に、部族の長老を訪ねた。

 その方法はあまりにあっさりとしたもので、少し拍子抜けたが、これでタンタとの子供が出来ると、浮き足立ち、早くタンタの元に帰りたいと・・希望に満ちていた。



 子供は私に似るだろうか。


 それともタンタに似るだろうか。


 私に似たら一緒に空の散歩をしたいけど、タンタは高いところが苦手だから三人では難しいかもしれない。


 どっちに似ても歌は上手だろうから、皆一緒に歌ったり・・でも、ハープよりギターの方に興味を持ったらどうしよう・・タンタのギターはしばらく隠そうかな。


 休みの日は、一緒に公園に行って。いっぱい風を感じて。いっぱい笑って・・。


 ・・パンの焼き方も教えなきゃ。


 彼氏ができたらタンタは忙しなくなるのかな・・。


 彼女ができたら私が嫉妬するのかな・・・。




 赤い視界に空が広がる頃には、涙が止まらなかった。


 これは、『私』の涙。


 生憎の空模様だが、なんだかこれ以上ないほどに光が滲み、綺麗に見えた。



 金の魔法陣。

 光りは弾けては零れ、胞子のように舞う。


 さっきまでの麦穂の海とはまた違った黄金の絨毯。

 美しく荘厳で、畏れを抱かせる神々しさ。


 その中心にいた、金髪の天使と黒髪の魔女はどちらもあまりに整った容姿と、その幻想的な雰囲気から、まるで神や天使にさえ思えた。



 だからだろうか。

 無意識に手を伸ばしていた。



 すると、目が合った。


 私は、その瞬間、その冷たい目に安らぎを得た。

 あの方は本当に、神様なのかもしれない。


 目を離せず、陶酔するように見つめるその視界に光が溢れた。


 その正体は光の聖母。

 彼女は微笑みを向けたまま、私を優しく包み込んでくれた。


 日溜りのような暖かさと、柔らかな麦の香りに、微睡むような心地良さを覚えた。

 だけど、私は、そんな彼女の肩口からも黄金の夫婦神から目を離さなかった。

 金の神様は相変わらず感情の無い視線を向けていたが何故か安らぎ、黒の女神は切なそうに、悲しそうに見つめていた。そこには形は違えど慈愛に満ち、心が暖かくなっていくようだった。



 そして、そんな安らぎの中、私の身体は穿かれた。


 いや、これは穿かれた訳じゃなかった。

 私の身体の内から食い破るように、麦穂が芽吹いたのだった。



 身体が、魔力の残滓となり泡となっていく。


 だが、そこに苦痛は一つもない。

 寧ろ心地よさに意識が微睡む程。


 私は最後まで黄金の夫婦神を見つめ続け、あちらも最後まで目を逸らさず私を見送ってくれる。




 それでも、最期の最後だけは、彼を。


 私の大切で、世界一の夫。


 大好きな人。


 貴方だけを想って逝きたい。




 タンタ・・ごめんね。











 「――――っ」



 思わず目を逸らしたティアラ。

 視界の端には崩れた壁からの展望。


 そこには、光が弾け、麦穂が鋭い槍のように、身体の内側を穿かれた、無残で残酷な光景が幾つもあった。


 ティアラとて初心ではない。戦場にだって出たこともある。

 それでも、この光景だけは、思わず目を背けてしまう程に無慈悲で凄惨なものだった。

 

 人魚や兵士、もちろんセイレーンも・・。

 見慣れた装備はなかった。だがそんな事が救いになどなろうはずがない。



 そしてそれは離れた光景のみではなく、自分たちの目の前にもあった。


 露出の多い悪魔の踊り子のような装い。それは身体の内から食い破り穿つ麦穂の根元までよく見えた。

 精霊であるその身は血こそ溢れないものの、代わりに黒い墨のような何かを吹き散らしていた。



 「グガァァァッ!!!」



 だが、それで絶命はしない。

 悪魔は叫び声と共に仄暗い魔力の波動を勢いよく発散した。


 悪魔の身体を穿いていた麦穂も弾き消されるように霧散し、黄金の粒子が飛び散った。



 「・・はぁ、はぁ・・・」



 悪魔の腹は綺麗な肌のまま。だが、大きく揺らす肩と、切れ切れに乱す息から、傷は見えなくとも無傷とは思えない。



 「・・・死ぬかと思った・・。化物かよ・・」


 「だから、いつも言っていますでしょう。視野は広く持ちなさいと」



 明らかに憔悴した悪魔に比べ、相変わらず変わらぬミルの落ち着いた声。

 ティアラとアンネはそんなミルを見つめて目を見開いていた。



 無差別殲滅魔術。

 効果が大味な為に、隙も粗も目立つような術だが、それをレオンハートが使えばそれも瑣末なほどで、決して無傷など有り得ない。



 それを、ミルは何事もなかったかのように、何一つ変わらずそこに立っている。


 そしてそんなミルの特異性をわかりやすく見せつけられた。


 ミルの目の前。

 そこには、セイレーンたちのみならず、悪魔さえ穿いた原因の聖母が『金の像』となって、ミルに手を伸ばした状態で動きを止めていた。


 それはティアラの術さえも金塊に変えたことから、間違いなくミルの仕業。



 何が起きたのかわからない。

 ティアラもアンネも考えが追いつかない。


 だが、ひとつだけ間違いないのは、ミルのそんな息をするような術さえ見抜けない自分たちに、勝ち目はないと言うことだけ。



 「・・どうやらレオンハートの術はここまでのようね」



 足元に広がっていた闇は干上がるように消え、石畳に戻り。

 稲穂の海も真珠の実も吹き消えるように空気に溶けていく。



 「っ・・」



 アンネはティアラを庇うように再び前に出た。

 しかし、そこに滲んでいたのは、幼くとも感じられた目の前の恐怖に対する感情。

 それでも、精一杯の矜持で自身の役目を遂行しようと前に出た。


 そんな幼子に庇われるティアラだが、彼女も理解してアンネの後ろに下がった。

 この規格外の怪物相手に優先させるべき事。


 はっきり言って分が悪いなんて次元の話じゃない。

 生き残れる可能性なんて微塵もない。


 だからこそ。

 二人が優先。いや、その命を賭しても守るべきはその小さな姫。


 ティアラは腕の力を強めると同時に小さく呟きながらリーシャの繭を補強させた。



 息を呑み、瞬きさえ出来ず、杖握る手に力がこもる。

 足元の僅かな擦れ音も怖々に、二人の覚悟を逆なでる。





 その時、壁が吹き飛ぶように崩壊した。

 その砂塵が広がるより早く、瓦礫が宙を舞う最中に、それらを全て置き去りにするように剣閃がミルの首元に届く。


 重く鈍い、軋むような金属音。

 甲高さはなく、弾けず響くような音。


 それをその一瞬で受けたミルの扇子。


 火花を散らし、扇子に喰い込む刃。

 切り口は緋く熱を持ち、空気さえも歪める。




 次の瞬間には振り切られた剣は、中程から焼き切れたように刀身を失い。

 その刀身を喰い込ませた扇子はミルの手から弾かれ宙を舞うように吹き飛ばされた。

 

 しかし、それで終わらず直様追撃。


 身体を捻り、回転すると同時に折れた剣を振るう。


 しかも、刀身のないはずの剣は空気を切り裂き、壁を切り裂き。

 まるで見えぬ刀身があり、更には長く伸びてミルに襲うかのよう。


 逆袈裟の下からの剣閃。


 ミルはそれを素手で迎えた。



 先程よりも甲高い、弾けるような金属音。


 見えない刀身と素手。

 だが、そこに生まれた火花は先のものより大きい。



 ミルがそのまま手を握ると、更に弾けるような甲高い音と共に、緋い刃のような魔力が砕け弾けた。


 目が眩むほどの火花。

 それを傍目にミルの横を影が過ぎ去る。



 ガラガラララ・・・



 そこでようやく瓦礫の音が響いた。

 瞬く程の一瞬。



 「ティアラァァァァッッ!!」


 「お兄様ッ!!」



 飛び込んできたのはニコライ。ティアラの兄。



 それと同時にアンネも動いた。

 弾丸のように飛び出し、彼女を包み守っていた枝の眉を突き破って姿が消える。


 そして、吹き飛んだのは悪魔。

 声すら漏らすことなく外に吹き飛ばされた。



 そして、入れ替わりティアラを守り庇うように立ったのはニコライ。



 ティアラの表情に小さな安堵が浮かんだ。



 「ティアラ、無事か!?」


 「・・えぇ」



 込み上げる目頭の熱を堪えようと、言葉を飲み込んだ。



 「・・だが、お前、その魔力――――」


 「随分不躾な挨拶ですわね」



 微笑むミル。

 だがその目に揺らめく炎からは、その表情とは真逆の感情が見える。



 「・・・久しいな。ミル」


 「あら。前にお会いした事ありまして?」


 「お兄様?」


 

 ティアラは知らない。

 目の前のミルこそが、自身の人生を狂わした張本人だと。


 知る機会がなかった訳ではない。

 だが、今の私を大切にしてくれる人達がいる。

 その人たちの後悔に歪む顔を見たくない。


 自身の心さえ無視して、そんな想いで触れてこなかっただけ。



 「その魔力。相変わらずの禍々しさだな。直ぐにわかったよ」


 「・・・貴方・・。もしかして、あの時の。何度踏みつけても、泣きじゃくりながら縋ってきた坊や?・・『お兄様』って・・・。ハハッ!そう!そういう事!!そこの『なりそこない』は、あの時の子ですのね!!」



 花が咲くように楽しげに話し出すミルに、ニコライは何の表情もなく鋭い目を向ける。



 「確かにあの時もレオンハートの横槍がはいりましたわね。口伝の情報だけで、失念していましたわ。・・・それにしても『妖精女王(ティターニア)』の才があって、あたくしのお膳立てもありましたのに、『なりそこない』だなんて・・・。嫌悪するどころか殺意が湧きますわ」



 鋭い眼光。

 だが眼光だけじゃない。


 そこに乗せられた魔力は、弾丸のようにティアラに向かった。


 その魔力は蝋燭の火を吹き消すかのように、ティアラを包む枝の繭。

 防御結界を消し去った。


 衝撃も何もない、死の眼光。



 ティアラは背中に伝わる冷たさに息を呑んだ。




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