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100 翡翠姫 Ⅱ



 『翡翠宮(ルーナキャッスル)



 その場に霧のように深緑の靄が生まれ、その空間を支配する。

 蠢くように漂う靄は次第に定まり、ガラスのように硬化していく。

 その姿を例えるのならば、王城の謁見の間。


 煌びやかではないが、重厚で格式高い荘厳さ。

 それが、深緑のガラスで創造されていく。



 明らかに目を惹く光景。

 だが、それ以上に目を惹くものがある。


 それはこの魔術の根源で、この空間の主。


 ティアラ。


 彼女から溢れる深緑の靄はまるで、王が身に纏うマントのようで、彼女の絶対さを強調するかのようだ。


 そして何よりティアラが背負う『月』。


 まるで天輪を背負うかのようにその背後に鎮座する『月』。


 

 翡翠の月。



 それこそがこの空間の核であると一目でわかる存在感と神々しさ。



 まさに、『月の妖精(フェアリー)』の名に相応しきティアラ。



 「さすが・・。翡翠宮のお姫様(ティアラ)と謳われる所以は伊達じゃないですわね」



 ミルが息を呑むのは何も圧巻の光景だけのせいではない。

魔術師で無くとも感じられる程に圧倒的な魔力圧。それが、魔女ともなれば幾許か。



 『星屑(スターダスト)



 空気中を漂う深緑の靄が集束し、多種多様の武器へと姿を変える。

 この空間と同じようにガラスのようになったそれは下手な装飾をしたものより、よっぽど美術的な美しさを持っているのに、細やかな作りまであるため、神具と言われても信じられるほどの神秘的な麗美さがある。



 「ティアラ様は、『翡翠姫』ですからね、です」



 『月の妖精(フェアリー)』とは、あくまで魔導王として授けた名。

 だが、元より魔術師、ひいてはファミリアでは『妖精』とは忌諱される歴史を持つ存在。そんな誉れ以上に忌名のような呼び名で、ファミリアの者が魔導師を呼ぶはずがない。

 魔導師というのは、憧れであり英雄なのだ。


 故に人はティアラへの敬意を込めて『翡翠姫』と呼ぶ。


 それは、魔導師という偶像以上に、ティアラの想いを守る配慮だった。


 そして、アンヌのように若い者にとっては、その名の方こそが普通であり、寧ろ『月の妖精(フェアリー)』の呼び名など知らない事の方が多い。



 「アンヌ!」



 ティアラの声に反応し、アンヌが一歩深く踏み込み、手を伸ばす。

 その手に翡翠の光が集まっていく。


 アンヌはそれを見やる事もなく掴む。

 そして、身体を回転させながらミルに向けてその手を振るう。


 握られた光はアンヌの手に合った柄となり振るわれた。

 その柄は振るわれる最中も光を集め続け長く伸びていく。



 カシャンッ



 軽い音と共に弾ける光。

 しかし音とは裏腹に大きな衝撃が生まれ身体の芯まで響く。



 「不愉快ですわね」



 忌々しげに呟いたミルは扇子で翡翠の剣を受け止めていた。

 扇子も無事ではなく刀身が食い込んでいる。



 「12枚ですか・・。やっぱり剣術は苦手です」



 そう言って拗ねたように口を尖らすアンヌだが、明らかにミルの方がこの結果に遺憾としている。


 先程まで仁王立ちのまま不動で受けていたアンヌの剣。

 だが、紙のように魔障壁を切り裂かれ、強化した扇子まで傷つけられた。


 実害云々よりも、自尊心にこそ深く傷をつけたのだ。



 『翡翠宝殿、流星(ルナ・ミーティア)



 その声が聞こえたと同時にアンネは飛び退くようにして距離を取った。


 次の瞬間。

 風切る音と共に翡翠の武具が射出された。

 速度は一瞬のうちに加速し、翡翠の粒子を軌跡として残す。


 数多の宝武具たちはミルに向かって飛んでいく。


 ミルに届かず地面や壁に激突するものもあったが、その威力を見れば驚異を抱かせるのに十分だった。





 【4(キャトル)】





 膨張するようにドーム状の膜が現れ、降り注ぐ宝武具たちとぶつかり合い打ち壊した。


 崩壊した石牢の瓦礫と砂塵が視界を塞ぎ、音に敏感になる。

 瓦礫音や罅割れる音がうるさい程に聞こえる中、足音は聞こえないが風きり音だけが耳に届く。


 次の瞬間、煙幕のような視界を翡翠の一閃が切り裂く様に、鋭く通る。



 キィーーンッ



 その時響いたのは、かち合った音。

 だが、それは想像していたような金属同士の打ち合う音ではなく、ガラスの弾けるような甲高い音。



 「・・やっぱり、剣は苦手です・・・・」



 切り裂かれた砂塵の切れ目が広がり見えたのはアンネの顰めた表情。

 アンネは、大きく横薙ぎに剣を振り切った体制で呟いた。


 アンネの手には最早、刀身の砕け弾けた翡翠の剣の持ち手のみ。

 砕けた翡翠の欠片が派手に弾け舞っている。



 そしてそれを成したのは、障壁などではなく、もっと物理的なものだった。


 棍棒のような双鎚。真ん中の持ち手を持ち、構えられることもなく垂直に、只々アンネの剣を迎え入れ、その刀身を砕いた。



 だが、それだけでは終わらない。


 横薙ぎに剣閃を放ったアンネは、まだ幼い体躯故に、その威力を高めるため体全部を使う必要があった。それ故に、体重を乗せた一閃を放ったアンネの足は地面から離れていた。


 アンネの足が地面に着くまでの一瞬の隙。


 そんな間を逃さずに双鎚は、大ぶりにアンネに襲いかかった。



 「っ――――」



 当然、踏ん張ることも出来ない、小さな身体はその勢いに抗えず、吹き飛ばされた。

 瞬時の反射でどうにか防御はしたものの、勢いと衝撃だけは防ぎきれない。



 双鎚のスウィングは一瞬の動きの範疇を超えた威力を持ち、周囲の砂塵をもそのひと振りで吹き飛ばし、視界を奪っていた全てをなぎ払った。



 「アンネっ!!」



 開かれた視界。その中、最初に目に入るのは吹き飛ぶアンネの姿。

 思わず叫んだティアラの声が響く。


 だが、その心配に答えるように、アンネは吹き飛ぶ最中に身体を捻り、両足で滑るように着地してみせ、更には戦闘態勢のまま腰を落とし、顔を上げた。


 ホッと息を吐きかけたティアラ。確かに、抱いた心配は不必要なものとなったが、顔を上げたアンネの顔にその不安は再燃した。

 アンネの口端から溢れる一筋の血。そして、飄々たる様子の消えた射殺すような鋭い眼光。


 ティアラは息を呑み、改めて警戒を高めアンネの視線の先を睨んだ。



 「へぇ・・アンネって言うんだぁ。僕の名前はアントワーヌ。僕もアンネって呼ばれたりするんだよぉ。お揃いだねぇ」



 間延びするような喋りと、纏わりつくような声色。

 それは、身体中を這い回るような粘着性と舐め回すような気色悪さが混同したような感覚を抱かせる。


 遠く耳に掠める鈴の音に、耳を傾け、気持ち悪さを誤魔化した。


 視界を奪っていた砂塵をなぎ払ったのは、間違いなくそんな不快な存在。



 踊り子のような、艶やかで華やかな装飾と露出。

 黒を基調としながらも、地味と真逆の派手さ。


 しかし、顔を薄手のベールで覆い目元しか見えないとは言え、全体的に露出が多い格好、なのに、その性別は判断がつかない程に中性的。


 身の丈を軽く超えるほどの双鎚を振るう腕さえ、細く丸みを帯びたような線で、豪腕には決して見えない。


 そして――――



 「・・・人、じゃないですね、です」



 見た目はともかく、対峙していれば否応なしにわかる。目の前の存在の特異性。



 「・・悪魔」



 そして、半分とは言え妖精である、ティアラには目の前のアントワーヌと名乗る存在の正体は、疑うべくもなくわかってしまう。

 大精霊でありながら、人類の敵。



 「アンヌ。貴方はそちらのお嬢さんのお相手を頼みますわ。あたくしは、『妖精女王(ティターニア)』と『ウル』に用がありますの」


 「はぁい――――じゃぁ、アンネちゃんは僕と遊ぼうか」



 そんな悪魔の後ろで相も変わらず動かなかったミル。

 だが、この悪魔を召喚したのは間違いなく彼女だろう。


 その証拠に、悪魔はミルに対して従順だ。

 何の反感もなく、寧ろ当然の事として疑いすら持っていないよう。



 だが、そんな事は当然アンネたちには関係ない。

 アンネはミルの言葉に警戒を更に増し、瞬時にティアラの元へと移動して、庇うように前に出た。



 「ティアラ様たちには、指一本触れさせない、です」


 「・・アンネ、無理をしないで。・・流石に、貴女一人では分が悪いです」



 自分たちを庇うように立つ幼い背中。だがその安心感は大きい。

 それでも、この状況を任せるのは流石に荷が勝ちすぎている。


 腕の中の宝物を抱き抱えるように、力が篭る。



 『星屑(スターダスト)



 再び、翡翠の宝具たちが顕現した。


 それと同時に、翡翠の霧も一層濃く生まれ、ティアラを取り巻く周囲の翡翠も色を増し、煌きを鋭くさせた。



 ミルがチラリと後ろへ視線を流すと、そこには恐怖に顔を青ざめ、ガタガタと震える先程の男がまだそこにいた。

 男は、ミルの視線に肩を跳ねさせ気づいた。



 「貴方は、急ぎ司令官殿に撤退の指示を仰ぎに行きなさいまし。・・戦端は開かれました。それで役目は十分果たしたでしょう?」


 「し、しかし、よ、予定では――」


 「他の事は、あくまで『おまけ』ですわ。・・速度も、戦力も、更にはレオンハートの数も、想定を超えているのです。・・夢見がちな司令官殿でも、自身の立案された作戦の落としどころくらいはわかるでしょう?」



 小馬鹿にするような笑い声と共に送られる鋭い視線。

 男は短く息を呑むと同時に悲鳴を漏らし、その場を逃げるように駆け出していった。


 ミルはそれを見送り、ゆるりと視線をティアラたちに戻した。



 「ごめんなさい。お待たせしましたわ」



 そう言って微笑んだミルだが、ティアラたちは何も待っていた訳ではない。


 赤黒く、纏わりつき、息苦しい程にむせ返るような。

 血なまぐさいような。


 尋常ならぬ魔力の濁流。


 それは、先までの感情の機敏に漏れ出たものとは比べ物にならぬ、異常な魔力。



 二人は、本能が鳴らす警鐘に抗うのがやっとで、指先どころか、微動だにさえ出来なかった。



 「・・・う・・」



 その時、小さな呻きが漏れた。

 ティアラはその呻きに視線を落とすと、腕の中の小さな赤子が、苦しげに顔を顰めていた。


 慌てて魔力の膜を重ね、少し表情は和らいだが、ティアラの焦燥は増した。


 この場にいるだけで、リーシャには大きな負担だ。

 即座に、目の前のミルから離れなければ。


 そして、そんな考えを抱いた時点で、ティアラの眉間には皺が寄った。



 すでに、ティアラは無意識にミルに敵わないと考えてしまっていた。

 どう逃げるかを、迷いなく探していた。


 ミルの魔力に察してしまった。

 端的に言ってしまえば怖気付いてしまった。


 それは、魔導師としてあまりに屈辱的な事だった。

 況してや、ファミリアの魔導師。その自信は絶対的なほどにあったのだ。



 「・・ティアラ様だけじゃないです。・・・だけど、今はお姫様が一番です」



 目の前の少女が、歯を食いしばるように呟いた。


 アンネはティアラの雰囲気だけで察して、ティアラを励ましてくれた。


 そう。今は、魔導師云々なんてどうでもいい。

 腕の中。頼れるのはティアラだけの小さなお姫様を守る。


 魔導師以前にティアラは乳母として、母として、勝つことではなく、リーシャの無事だけの為に全てを賭けるのだ、と気持ちを切り替えた。



 「アンネ、ありがとう」



 目の前の少女は幼くとも、魔術師。

 それも、最高の魔導師の弟子だ。


 魔術師とはいうものの、ファミリア以外であれば『魔導師』の称号も得られるだけの実力もある。


 そんな彼女だ。ティアラ同様に大きな屈辱を抱いただろう。

 それも、まだ幼い彼女がだ。直情的になっても仕方のない年頃。


 それでも、アンネは自身の守るべきものを見失わなかった。


 ゼウスの教えか、グレースの教えか・・。


 素直に頭が下がる。



 「では、始めると致しましょう」



 ミルのその声に、ティアラとアンネは身構え警戒を強めた。


 そんな二人とは反して、緩やかに、揺れるようにミルは、扇子を仰いだ。

 



 だが、そんな緩やかなのは、見た目だけだった。


 扇子は、一つ仰ぐ事に、魔力の波紋を生み津波のように、勢いを増して広がる。

 その波紋はその一室を超え、大きく、広く、広がる。


 赤の魔力は、広がった先から血のような濃霧を生み出していく。



 「ティアラ様っ!?」



 そのアンネの驚きの叫びはティアラにも届いている。

 だが、その声に返すことは出来ない。


 ティアラもまたアンネと同じものを見て驚愕していたからだ。




 ティアラの周囲に浮かんでいた翡翠の宝具たちが、赤い霧に触れた先から、煌びやかな黄金に変わっていっていた。

 そして、その金塊たちは、ティアラの意思も関係なしに、地面に落ちていく。


 さらにそれだけに留まらず、黄金の侵食は周囲の翡翠全てを犯していく。



 「・・月が・・・」



 アンネのその呟きにようやく反応したティアラは慌てて自身の真後ろを振り返った。


 そこには、神秘的で幻想的だった満月が、欠けたように侵食され。



 「・・・鮮血の月」



 血のような朱色の月が成り代わろうとしていた。



 その時、頭に響くような唄が聞こえた。


 


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