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99 翡翠姫 Ⅰ



 「あぁ。あれは、漁師のグリンドさんですね。最近お孫さんが出来たおかげで一層仕事に精が入り、漁獲量も過去最高を更新し続けているらしいんですよ。あ、あの緑髪の彼は、石材屋のルーシュ君ですね。昔、まだ幼い頃、私に小さなお花をくれたんですよ。顔を真っ赤にして、可愛らしかったです」



 流暢に話しだしたティアラが見つめる先。

 崩れ落ち、最早、牢の役割を果たせないその部屋からは硝煙と喧騒の戦場を広く見渡せた。


 砂塵が舞い。朱炎が破裂する戦場。

 それは自然現象でもなければ、何かの産物でもない。


 純粋に魔術によって生まれた現象。


 天変地異のような眼前の景色。

 魔導合戦といっても、正直、異常な惨状。


 何故なら一つの魔術。それもレオンハートではない魔術師。もっと言えば、先のティアラの発言からも分かる通り、職業術師ではなく、徴兵された一般人か、今回の募集に参加した一般兵。

 そんな、お世辞にも軍人とは呼べない者たちが放つ魔術。

 それが空気を灼き、天を慟哭させる。


 レオンハートたち、一線級の魔術師たちは、意図せず産物として自然現象にさえ影響を与えるが、それを、そんな一般兵が成している。


 ファミリアの魔術師は基準が高い。

 一般庶民でさえ、他の土地では魔術師として遇されると謂われる程に。


 だが、それでも、異常であることには変わらない。



 「『黄金獅子ノ咆哮(レグルスロア)』。・・面倒な事をなさいますわ」



 ミルの呟き。

 そこに忌々しさが含まれているのも仕方ない。


 『黄金獅子ノ咆哮(レグルスロア)


 それはレオンハート家が参戦する際の儀式のようなもの。

 だが、それは決して形式だけのものではない。確かな意味、効果があってのもの。


 端的に言えば、魔術の効果増幅。小さな火の玉を作り出すような初歩の魔術さえ、人一人を軽く飲み込む程の火球へと昇華される範囲結界のような術式。


 だが、それは支援と呼ぶにはあまりに諸刃の剣でもある。


 大幅な増幅。しかし、そこには代償がある。

 当然、魔術である以上、その代償とは『魔力』だ。


 いつもなら爪お先ほどの魔力で使える魔術も、この支援の中では枯渇するほどの魔力を消耗することもある。

 その特性から、『擬似魔法』とも揶揄されるレオンハートの謂わば切り札。

 大きな魔力を代償に強大な威力を得る、まさに魔法のような効果。


 多大な魔力量を持つレオンハートにとって、これ以上ないほどの支援効果。


 だが、その効果は、個人のみではなく、その場にかかる。

 つまりは、魔力に乏しい者がいても関係なく。


 それが、敵であれば何の問題もない。

 寧ろ、身体が重くなり、それは副産的な支援となる。

 しかし、味方もまた同じ。どんなに優勢な戦況であろうと、長引けば両者共倒れだ。


 それでも、これが使われるのは、言うまでもなく、レオンハートの絶対性と信頼があっての事だ。

 この魔術が使われた時。レオンハートに負けはない。

 それも、超短期決戦にて蹂躙する。


 魔導王の絶対的戦力。

 その、確かな証。



 そしてその恩恵を受けたのはティアラも同じだった。



 「・・貴女」


 「魔術阻害の術式が崩れかけていますよ?」



 ゼウスの見境ない破壊。そして、湯水のように魔力を吸い上げる術式。


 ティアラの身体からは鱗粉のように光の粒子が溢れ漏れていた。

 そこには先程までの痛々しいまでの弱った姿は無く。


 畏れを抱かせるほどの圧倒的な存在感をその身に纏っていた。


 『月ノ妖精』


 黄昏。黄金。

 視認できるほどの眩い魔力を全身に纏う。


 蜂蜜色の髪は神々しく懈い。

 翡翠の瞳は光を蓄え、蒼く澄んだ水面のような宝石となり闇にさえ飲まれない。



 ティアラは魔導師である前に妖精。

 魔力そのものが身体を構成する妖精。

 魔術の阻害さえなければ、『黄金獅子ノ咆哮(レグルスロア)』の効果も相まって、その身は瞬く間に蘇る。


 回復魔術など使わなくとも、自然治癒が魔術に近い妖精である。

 多大な魔力を贄としなくとも、単なる魔力循環で、その効果を得られる。


 傍目に見れば、超人的な超速再生。


 神々しく。そして美しい。

 それは、絵にすれば、信仰絵画のような荘厳さを持った光景。


 思わず息を呑み。

 抱き抱える、天使も相まって、聖母のようにさえ錯覚させる。



 「見つけました!です!!」



 ガラスが割れるような甲高い音と共に細剣がミルの首筋を掠めた。



 「ゼウスの所の子猫ですわね・・」



 ふわりと揺れるように下がったミル。その動きはあまりに自然で優雅なものだったが、少しでも遅れれば、その首は胴体より離れていただろう。


 そして、崩れた壁から飛び込んできたのは、一人の少女。

 子供といってもいいほどに幼い少女はティアラをかばうようにミルと相対して間に入った。



 「アンネ!!」


 「ティアラ様。お待たせしましたです!!」



 あどけなく笑うその少女は、まだこの世の不条理を何一つ知らぬような純粋さだけの笑みを見せてティアラに答えた。

 だが、低く腰を落とし、戦闘態勢を取る少女からは、尋常ならない魔力が感じられる。



 「・・一瞬で、防御障壁を三枚も割られるなんて、驚きですわ」


 「むー・・やっぱり剣は苦手です。本当ならその首貰ってたのに・・です」



 アンネは別に煽っているわけでも、舐めているわけでもない。

 しかしそれ故に余計、その純粋さがミルの癇に障る。



 「そんな事ないですよアンネ。ありがとうございます。助かりました」


 「えへへ」


 「剣技はゼウス様の勧めですか?」


 「・・はい。魔術師といえど近接戦闘で遅れを取るのはダメだと・・。別に、近接でも負けないのに・・です」



 むくれるアンネは年相応にも見えるが、その内容は決してそぐわない。



 「・・今度、騎士様とも演習するのですけど、そんな時間があるのなら、もっと魔術を教えて欲しい、です」


 「フフ。でもゼウス様のおっしゃる事も確かですよ」


 「・・はい。お師様にも言われました・・です」



 ゼウスとグレースによって教育されたアンネは、元々から綺麗な言葉使いだった。なのに、丁寧な言葉を意識して変なことになっている。

 そんな所に幼さを感じるものの、先程から変わらない構えには全くの隙もなく、幼いどころか玄人の軍人さえも顔負けの慣れを感じる。

 これもまたゼウスとグレースの教育の賜物なのだろう。


 その、最たる例。


 和やかな会話と雰囲気の二人。

 そんな中にあってもアンネの視線だけは、鋭く射抜くようにミルから離れることがない。


 だが、一瞬だけ、アンネは守るべき対象に視線を動かし、戻す間もなく再びの絵に書いたような二度見。



 「きゃわーーー!!天使!!天使がいます!!すっっごく可愛い天使がいます!!」



 花が咲くように喜色を表すアンネ。

 女の子らしいその反応に、ティアラの愛好も優しく崩れた。



 だがその瞬間、

 僅かに砂が擦れる音がしたと同時に、瞳孔を開き、獣のような鋭さでアンネが振り返った。

 目に止まらぬ早さで再び振るわれた細剣。

 白銀の軌跡を残した残像。そこには迷いなどなく。あまりに綺麗で鋭利で、恐ろしい。


 そしてその剣が無為に振られた訳もなく。

 再び空を切るのみで終わったわけでもない。


 沈黙の降りる空間に、重く、ドサりと落ちる音だけが鈍く響いた。


 地面に転がったのは、男の頭。

 本来繋がっているはずの身体は剣を構えた姿勢のまま置き去りとなり、己が状態にさえ気づいていないのではないかと思えるほどに、そのまま。



 「・・ぐ、軍そ、う・・」



 もうひとり。扉近くで剣を構えていた男が震える声を上げた。

 しかし、その場を支配するアンネの鋭い殺気の中、それ以上の声を上げる事など出来なかった。


 いつの間に入ってきたのか。二人の男。

 気配もなく、外の喧騒に掻き消えてもおかしくない程の小さな音しか漏らしていない。


 だが、アンネの剣は迷いなくその首、一つを飛ばした。


 まだ、手を引かれ歩くような歳の幼い少女が、何の感情もなく、作業のように。



 そんな中ミルは、その獰猛で鋭い殺気にも、目の前で飛んだ首にも、眉一つ動かさない。

 まるで、何もなかったかのように無反応。


 その後ろで今にも腰を抜かしそうなほどに震えて剣を構える男との対比もあって、言葉にできない薄気味悪さがある。



 「アンネ。魔術は極力控えてください」



 ティアラの声にアンネはチラリと視線を向けた。

 そこには戦場に似つかわしくない、穢れなき天使が安らかな寝息をたてている。

 それだけで、説明は十分だった。


 小さく頷いたアンネは一層、低く構えた。



 「それで、どのくらいまでなら大丈夫ですか?」



 アンネの問への返答。それは一気に膨れ上がった金の鱗粉。

 ティアラの身体全体から弾けたように溢れた鱗粉は羽となり、舞い。

 その舞った羽は大きな花弁のように腕の中のリーシャを包みこんでゆく。


 黄昏のような眩さの中。ティアラは力強い瞳を蓄え、口角のせいか、微笑んでも見える表情で悠然と立ち上がった。


 アンネはそれを受け、笑みを見せた。



 「十分すぎます、です」



 獰猛に。

 狂喜すら孕んで、笑った。



 鈴の音が響いた。




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