48話 優劣
物心が付いた時にはもう既にシャッター越しに人と話す事に、私たちは慣れ切っていた。
双子子役。夢乃白亜と夢乃黒亜。
母親の強い希望の元、幼少の頃より厳しく演技の指導を受けていた私たちは、比較的運も良かったらしく、早い段階でブレイクを果たした。
毎日学校から帰ると同時に夜遅くまで演技の指導。
少しのミスも許されない。間違えた途端に厳しい折檻が私達を襲う。
一日も休む事無くそれは続く。
毎日毎日演技の指導。自由な時間など私達には殆ど無い。母に怒られたくないという、只それだけの理由の為だけに私たちは従い続け、自身の技術の向上に努めた。
その頃から私達は学校を休みがちだったのも相まって、友達を作る時間も無かったのを良く覚えている。
それでも私の大雑把な性格のおかげか多少の友達は作る事が出来たが、気の弱い白亜には限られた時間で誰かと親しくなる事が難しく、今まで誰かと楽し気に話している所を見た事が無かった。
白亜の友達は昔から私だけだった。
日々の努力の成果か、順調に人気が少しずつ上昇していくにつれて、毎日の指導も比例するかのように厳しくなっていく。強い孤独感と共に折檻も厳しいものに変わっていった。
私達を女優に仕立て上げるのが母の夢だった。
――――自分の叶えられなかった夢を、娘たちに叶えさせたい。
まあよくある話だ。
小さい子供が芸能界に入るのに、別段珍しい理由でも無い。私達はこの仕事を楽しいと思った事も無いし、やりたいと言った訳でも無い。親の意向に不満を感じる事も無く、だた漫然と「やらなければいけない事」という認識で毎日を送っていた。
それでも十分にその対価は在った様に思う。
知名度は全国区。学校でも持て囃されるし、人気者になれた。但し、私だけ。
別に白亜が虐められていた訳では無い。
―――――白亜ちゃんはおとなしいから。
皆がそう言って白亜に近づくのを辞めてしまったのだ。
白亜は口数の少ない子だった。それでも優しい良い子だったのだが、周囲はその白亜の短所を必要に避けた。
元々人と話すのが苦手だった白亜は、人気が出た途端に誰かに近づかれても戸惑う事しか出来ず、自然と人が此方に吸い寄せられてしまうのは仕方が無かった。
一度そうなってしまえば、私と白亜の間に距離が出来始める。
学校にいる間、登下校、あらゆる場面で白亜と一緒に過ごす時間が減っていく。
例えそれが媚びの類であっても私は友達が沢山出来た事に強い喜びを感じた。だからこそ、白亜の事を蚊帳の外にしてしまっていた。気に掛けず、自分の願いを優先させた。
そのくらい大した事では無いと思っていた。
学校や登下校で一緒に居られなくても、家の中ではお稽古をずっと一緒に熟しているのだ。共に過ごす時間が少し減るだけ。
一番大切なのは白亜だから大丈夫。
そうやって自分に言い訳をした。今思えば、学校内と登下校の時間を除けば、当時の私達には共に時間を過ごそうとも殆ど会話をする時間などありはしなかったのに。
平日は帰ってから寝るまでの殆どの時間演技の指導。土日は一日中仕事で駆け回らなければならない。
しいて言うなら、寝る前の少しだけの間。見つからない様に布団の中でコソコソと話す真っ暗な二人だけの特別な空間。ヘトヘトになった身体で、それでも許されたほんの少しの自由時間。
私が学校の友達と親しくなってからは、白亜は就寝前の秘密のお喋りを何よりも楽しみにしているようだった。
結果から言えば、それすらも私は面倒臭さを感じてしまった。
もう疲れているから今日は寝ようと言っても、「もう少しだけ」と駄々をこねる白亜に。
最終的に決して我儘を言わない白亜の唯一の望みに対して、私は苛立ちと怒りを白亜にぶつけた。
「ねえ白亜」
「ん? なあに黒亜ちゃん」
「あたしもう白亜と話すのやめるから」
「……え……? な、なんで……?」
「だってめんどくさいんだもん」
「やだ! だって私黒亜ちゃんの事大好きだもん!」
「私は嫌い!」
そんな子供染みた喧嘩。
勿論嫌いな訳は無かった。私も大好きだったのに、意地を張って傷つけた。
物心が付いてから今に至るまでで、私達の唯一の喧嘩。
意地っ張りの黒亜と、気弱な白亜。
そんな二人が喧嘩をすれば、すんなり仲直りなんて出来る筈も無く、私は意地を張って話すのを止め、白亜はそれに狼狽える事しか出来なかった。
それでも双子。相手が何を考えているのかなんて分かっている。
そう思っていたのに。
ひと月も経たない内に、白亜が過呼吸で倒れた。
それを聞いた私は、全身から一気に血の気が引く感覚に襲われた。意識を無くして救急車で運ばれたと。
病院の診断では、心因性の精神疾患。強いストレスによる発作が出たとの事だった。
私は泣いて謝った。
懇願する様に、縋る思いで。
白亜をこんなになるまで追い詰めてしまったのは、紛れも無く私の責任だ。子供ながらにそんな自責の念が強く私を襲った。
「ううん。黒亜ちゃんの所為じゃないよ」
病室のベッドで天使の様な笑みを浮かべて、いつもの様にニコニコと笑みを浮かべる白亜。
私はその笑顔を見て決意した。
これからは白亜の事を一番に大切にしようと。
しかしそんな決意を嘲笑うかのように、それからの白亜は短い間隔で過呼吸と発作を起こす様になってしまった。短い入退院を繰り返し、医師からは休養が必要だと告げられた。
勿論仕事なんて出来る訳も無く、双子の片割れは芸能活動を休止する運びとなった。
事実上引退。
白亜と黒亜は二人で一つ。黒亜だけなら、「黒」が入る名前は世間のイメージが悪いかも知れないと危惧した母親は、倒れたのは黒亜の方だという事に事実を捏造した。
その時から、この世界で私の名前は白亜になった。
夢乃白亜として芸能界で活動していく事になったのだ。
ぼうっとした頭でゆっくりと瞼を開く。
窓からは、既に高く昇った陽の光が強く差し込み、起きたての焦点の合わない瞳を刺激する。もう朝だ。
昔の夢を見ていた。
あれは小学生の時の記憶。
ふとした違和感。何故アラームが鳴っていないのかと。いつもはアラームで目覚めるのが習慣であり、今日はそうでない事に強い焦燥感を覚えた。
恐る恐る枕元に置かれたスマートフォンの画面を照らせば、時刻は9時を回ってしまっていた。
それを見た途端に、まるでバネの如く上体を起こした私は自室を飛び出して声を大にして叫んだ。
「寝坊したああああぁぁ!」
広いマンションに後悔を滲ませた苦悩な叫び声が響き渡った。
今日の予定は「白亜」としての登校。双子とはいえ、人の名前で学校に通うのだから、そういうミスをしないように心掛けていたのに、今日に限ってアラームの音に気が付かなった事にオロオロと狼狽える。
まずは着替えなくては。ああ、でもその前にシャワーを浴びて、寝癖を取らなければ。しかしもう9時を回ってしまっている。そんな時間は無いかも知れない。
そんな焦りが自分の中を覆い尽くし、とても冷静とは言い難い精神状況のさなか、ふとキッチンの方からクスクスと笑い声が聞こえて来た。
「ふふふっ。おはよう黒亜ちゃん。朝から元気いっぱいだね」
声のする方に意識を向ければ、お湯を沸かしながら此方に笑みを飛ばしている白亜がそこに立っていた。どうやら今日はまだ出掛けていないらしい。
「白亜おはよう、今日は仕事じゃないの?」
「今日は午後からなの。コーヒー入れるけど黒亜ちゃんも飲む?」
そんなおっとりとした雰囲気で呑気に此方に笑みを飛ばして来る白亜。
「ああ、ありがと……って、そうじゃなーい! 遅刻! 絶賛遅刻中なの!」
「そっか~それは大変だね……今日は何処かに行くの?」
「なに呑気な事言ってるの! そんなの学校に決まってるでしょ!!あー急がないといけないわ! 急がないとっ」
「え……でも今日は日曜日だよ……?」
慌てふためく私に対して、申し訳なさそうに白亜はそう言った。
それを聞いた私は、ポカンとするしか出来ない。そう言われてみれば、今日が日曜日だという事を思い出す。昔の夢なんか見てしまうから、ついつい失念してしまった。
別に時間に追われてなどいない事に気が付けば、大きな溜息を衝動的についてしまう。
「はあぁぁ~~……なんだあぁぁ。」
「ふふふ。黒亜ちゃんはいつも忙しないんだから」
「白亜~じゃあ私にもコーヒーくれー」
「はーい」
そういって白亜はいつものニコニコを此方に向けながら、戸棚からペアになっているカップをもう一つ取り出す。
リビングのソファでテレビを見て、ぼけーっとしていれば画面には自分そっくりな女の子が映り込む。
今画面に映り込んでいる彼女は夢乃白亜。今話題沸騰中の大人気の歌手だ。
そして私、夢乃黒亜と瓜二つ。まあ当たり前だ。今テレビに出ているのは、たった今此方にコーヒーを二つ運んできた、双子の兄妹なのだから。
「はい黒亜ちゃん、コーヒー」
それを笑顔で受け取り、一口啜った。
「ありがと。……うん、うまいっ」
「よかった」
「夢乃白亜」は歌を歌うだけに留まらず、様々なジャンルで多方面に活躍している。
バラエティ番組やドラマ、CM出演。本格的に人気が出て来た最近は彼女を主演とした映画の依頼まで来ているのだとか。
それは一概に夢乃白亜に人気があるだけでは無く、今までの実績が含まれている。
幼少の頃より子役として活躍して来た実績と演技力も過分に評価されての事だとか。
今朝の夢。
そう。数年前に芸能活動を休止した夢乃白亜は実の所、夢乃黒亜だった。
芸能活動を休止した理由はなんてことない理由で。
ただ単に詰まらなかった。
意味を感じられなかったし、思春期に入った事も大きかった。自由が欲しかった。母親の人形をいつまでも続ける事も嫌気が差していた。
様々な理由はあったけれど、やはり一番は白亜との時間を作りたかった。
その頃の白亜は未だに情緒不安定で、定期的に発作を起こしていた。
成長しても気弱な所はあまり変わらず、新しい学校に入っても友達すら作れず家でも一人、学校でもずっと一人。
当時の白亜は傍から見ていて、不安になる程に塞ぎ込んでしまっていた。だからこそ、私が傍に居たかったのだ。支えてあげたかった。
しかし今から丁度、一年前。
白亜は急に歌手になると言い出したのだ。
元々、そういうオファーが来ていた事もあったが、白亜が歌を歌うのが好きだったのが歌手を選んだ理由なのかも知れない。
それを聞いた私は、必死に止めようとしたのを良く覚えている。
お互いあんな世界に何一ついい思い出なんて無いのだ。身体の事もある。そんな事、不可能だと私はきつく言い付けた。
それでも白亜は私の忠告を聞こうとはせず、今まで見た事も無いような強い目をして、一歩も引く気は無いと言いたげな態度。
白亜が我儘を言ったのは、あの時から数えても2回目。
仕方なく理由を尋ねてみれば、私は更に驚かされる事になる。
゛好きな人が出来たから。゛
私が、人生で一番唖然とした瞬間だった。
手に持つコーヒーの熱が少しづつ失われて行くにつれて、自分が一人物思いに更けてしまった事に気が付いた。
白亜は私の隣に座りながら、いつもの様にニコニコしている。
「ねえ白亜、あんな奴の何処がいいの?」
「黒亜ちゃんいきなりどうしたの?」
「だって未だにあいつの何処を好きになったのか分かんないし、それが理由で薬まで飲んで芸能続ける意味なんてなくない?」
ふと思う。
白亜はただ単に、寂しいという理由だけであの男を好きになったんじゃないのかと。あの時の白亜は本当に独りぼっちで、相手なんて誰でも良かったのではないかと。
「先輩はね、凄く優しいんだよ……」
「優しいだけの奴ならいくらでもいるでしょ?」
「いないよ……優しい人って案外いないよ……」
そう言って、何処か遠くを見つめる様な仕草を取る白亜。
今、彼の事を考えているのかも知れない。
別に白亜がどんな人を好きになろうとも、私がとやかく言う事じゃないのは理解している。それでももし私の所為で今の状況を作ってしまっているのなら、そんな恋は無かった事にした方がいい。
そんな思いを浮かべていれば、白亜は此方をチラチラと伺いながら申し訳なさそうに尋ねた。
「でも、ごめんね……? 黒亜ちゃんに協力して貰っちゃって……」
「それは全然いいんだよー! 私がやるって言いだしたんだし、仕事ばっかで好きな人と殆ど接点無かったら、実るものも実らないでしょ?」
そう。私はそう言って白亜を説得したのだ。
もしかしたら悪い男に捕まっているかも知れないと危惧した私は、白亜の代わりに偶に学校に行くという話を取り付けた。
それにバレる心配は無かった。私達の違いに気が付ける人間なんていない。
「う、うん。ありがと……でもたまには私も学校に行きたいなーって……えへへ。だからたまにでいいから仕事の方を変わって貰えたら嬉しいなあなんて……」
「もう!それは出来ないって言ってんでしょうっ! 私は白亜みたいに歌上手く歌えないんだから!」
「も、勿論それは分かってるよ? でも、でもね……ほら……撮影とかなら……」
そんな事をモジモジと言い出す双子の兄妹にわなわなと怒りを感じてしまう。
「なにそれ嫌味!? 胸! 胸の大きさでばれるから!」
「え~……そこまで変わらないよ~……」
「変わる! 変わるから! BとDは全然違うから!」
何故神は双子の容姿を全く同じように作ったのに、その一点だけに優劣を付けたのか。
まあ兎に角、白亜には今は仕事に集中して貰わなければならない。
「折角仕事上手くいってるんだから、今はそっちに集中しなさい」
「うぅ~……はぁい……」
「よしよし……こっちは上手くやっておいてあげるから安心しておいて。あの先輩の気は私が引いておくから。先輩に気持ちを伝える為に頑張るんでしょう?」
そう言って可愛い白亜の頭を撫でる。
未だに少し納得が行かない顔を見せているものの、白亜は基本的に私の言う事は聞いてくれる。
白亜はあいつを好きになってから何度も気持ちを伝えようとしたらしい。
しかしその悉くを邪魔され、結果的に思い付いたのが歌の歌詞に乗せて気持ちを伝えるという方法だった。
有名になればなるほど、曲が売れれば売れる程、彼の耳に気持ちが届く。
たったその為だけに白亜はこの一年、精神安定剤に頼りながら歌を歌っている。
「大丈夫……学校の方は私が上手くやっておくから……」
圷唯は手ごわい。きっとどんな手を使っても彼女の妨害は消える事は無い。
気の弱い白亜では太刀打ち出来ないだろう。私でもどこまで対抗できるかは分からない。実際、現状思った様に事を上手く運べていない。
しかし最近になって気が付いてしまった。
あの男、圷涼が消えればすべてが解決する事に。




