46話 錯覚
「みんなおはよー!」
たった一人のその一言が教室に響き渡れば、餌を貰う水槽の魚の様に人が集まった。
「白亜ちゃんおはよう!」
「昨日テレビ見たよー!」
「新曲買ったよ! めっちゃ良かった!」
「私もー! 白亜ちゃん応援してるからー!!」
一瞬にして集まった群衆に屈託の無い笑顔を返す。
登校頻度の低さから、正直誰が誰だか完全に把握している訳では無く名前も疎覚え。友人と言える程に仲を深めた人も皆無。
それでもこの馴れ馴れしさ。芸能人、著名人という理由だけで、皆はその相手を完全に肯定してしまう。皆と何一つ変わらない一個人であるのにも関わらず、特別視し、異常なまでに持て囃す。
作られた偶像を追いかけて自分の中で肥大化された理想の人物は、最早その者の本来の人格などお構いなし、勝手気ままに神格化されていく。
それでも、夢乃白亜はそれを生業としているのだから、それらを否定する訳も無く、勿論嫌な顔をする事も無い。仕事の一貫になってしまった笑顔を周囲に振り撒きながら愛想を振り撒く。
「みんなありがとう~これからも頑張るからね!!」
歌手として正式にデビューして早1年。
芸能人・夢乃白亜の多忙は正直言って想像を絶している。本来ならこうして学校に来ることは正直難しい。ほぼ不可能。
それでも私は学校に来なければならない。私自身がそれを望んだのだから。
教室の大多数の生徒達が私の元に集まって来ていても、別に全員が寄って来る訳じゃない。芸能人に興味を持たない者も勿論存在する。
その中でも教室の隅。
奇抜な色の髪色が視界をチラつく。
とても一般的とは言えない髪色は正に真っ白。
そこから覗くとても一般的とは言えない顔立ち。特徴的な大きな瞳。整い過ぎているそれは、目の大きい西洋の人形を連想させた。座っている状態でも分かるほどに、身体の線もスラリと細い。
傍から見て明らかに常軌を逸脱していると思ってしまう程に綺麗だ。
芸能界にそれなりに長くこの身を置いていたからこそ実感する。あの子の綺麗さは普通じゃない。
可愛い子、綺麗な子なんていうものは案外沢山いる。実際このクラス、この学校にも「美しい」「可愛い」という表現に当てはまる人物は沢山存在するだろう。それでもその全員が特別な存在になれる訳でも無く、周囲から多少持て囃される程度の人生しか送る事は出来ない。
そういう中でも飛び抜けて一線を画す者というのは、やはり特別な雰囲気を醸し出しているものだ。そこに居るだけで自然と目を引いてしまう。息を呑んで見詰めてしまうう。
彼女はそういう種類のカテゴリに入る側の人間だという事は一目で分かる。
それなのにも関わらず、誰も彼女に注目しない。持て囃さない。色目を使わない。皆が彼女を「あの子は良い子だ」と思っている。良い友達だと。対等だと。
そんなに好印象とその見た目なのにも関わらず、男が彼女に迫っているのを殆ど目にした事が無い。登校頻度の少なさ故に気が付ける違和感。客観的に見ていて明らかに不自然な光景だった。
何かしらの手を打っておかなければそういう状況は起こり得ない。
そんな異常な状況が、逆に彼女の能力を物語っている。
圷唯。
教室の隅で友人と大きくない声で会話しながら、風景に溶け込んでいる。
そんな彼女と目が合った。見つめられた訳でも無く、一蹴された訳でも無い。だた一度だけ此方を見て、目を逸らす。
そんな彼女に近づけば、逸らされた目線は再度此方に向けられた。
「おはよ~唯ちゃん!」
気さくな声を発すれば。
その言葉に返事を返したのは、彼女の隣に居る友人の方だった。
名前を何と言ったか。確か、長谷川心愛だった筈。
圷唯の隣に居る事が多いが故に、自然と名前を憶えてしまった一人。
「夢乃さん、おはよう!」
「心愛ちゃんもおはよう!」
コミュニケーションが得意そうな彼女は軽快な笑みを此方に飛ばす。
「新曲聞いたよ~! すっごい良かった!」
「ほんとー!? 嬉しいよ~!」
「うん! 歌詞がめっちゃ良かった! 切ない片思いの曲だよね!」
「あ! 嬉しいな~気が付いて貰えたんだー!」
新曲というキーワードに、「片思いの曲」。それだけ聞けば、どの曲を言っているのかは明白。
つい最近リリースされた夢乃白亜3rdシングル。「放課後ルーフトップ」の事を言っているのだろう。
「あれめっちゃ好き! 「ずっと屋上で待ってる~♪」だよね!」
「やだー! 心愛ちゃん恥ずかしいよ~!!」
長谷川心愛に馴れ馴れしく触れて、女子高生2人が戯れる光景。
「えーいいじゃんいいじゃん! でもあれってやっぱり体験談なのっ!?」
心愛は頬を少し染めながら質問を繰り出す。
在り来たりな問いだ。よく聞かれる。そればかり聞かれ過ぎて、用意されているとはいえ、答えを応えるのも億劫になる程に。
しかし今回その返事をしたのは、珍しくも白亜自身の口では無かった。
「――――そんな訳ないでしょ。」
冷たい声。
「えー唯は夢が無いなー。わかんないじゃん!」
そんな背筋が凍り付きそうな声に慣れているのか、臆する事も無く心愛は圷唯に文句を漏らした。
「アイドルに好きな人が居たらまずいでしょう? ね? そうよね夢乃さん? 好きな人なんている訳無い」
私は目を細めた。
圷唯の口元には少しの笑みが滲んでいる。
確かにそう答える予定だったのは間違いない。
しかしそれをこの女に代弁される事に納得出来る訳も無く。
自身の中に衝動的な苛立ちをつい感じてしまう。毎回毎回、人の恋路を邪魔するくせに、何故そんな事を飄々と言ってこれるのか。
だからこそ毎回私は圷唯に対して熱くなってしまう。
「えー? どうかな~いるかも知れないよ? ――好きな人」
その挑発に圷唯の目は決まって細く鋭く尖る。
―――――――
見慣れた風景。
屋上に続く階段を、「夢乃白亜」は今日も一人登る。
因みにこれは今日2度目。昼休みと、放課後の今である。
夏は気温が高く、日差しが強い。9月に入った今でもその勢いは中々衰えそうにない。長い時間、直射日光の元で過ごせば、日に焼けてしまう恐れがある為に屋上には出ずに扉の前で時間を潰す事の方がこの時期は多い。
流石に夏休み中、一日も欠かさずにこの屋上に通ったのは少々大変だった。実際そこまでして、何の「成果」も得られ無かったのだから完全にやる気が空回りしてしまった訳で。
人間はその状況に慣れると自然と傾向を探る習性があるように思える。
確率で言えば、20回通えば1回居るかどうかという所だろう。
昼休みと放課後に欠かさず通って居れば、10日に1回は会える計算である。まあ所詮そんなものは只の気休めで、1か月丸々待ちぼうけを食らう時もあれば、夏休みが始まるまでの1学期の間は比較的何度も鉢合わせていた気もする。
それでも今日は2学期の初日という事もあり、今日くらいは日の光の下で時間を過ごそうかなんて考えが思い浮かぶ。
時間の潰し方はその時其々だが、ここ最近はやはりリリースされたばかりの「放課後ルーフトップ」を聞きながらボケーとするのが一番。ポケットに雑に入れられて絡まったイヤフォンをほどきながら両耳に嵌め込めば、一切の雑音を掻き消して聴覚は音楽しか聞こえない不思議な世界へと姿を変える。
鼻歌を口ずさみながら屋上に続く扉を開くと。
途端にギラギラと降り注ぐ熱を上空から感じた。手を翳して空を仰げば、そこには晴天が広がっていて。
時期的にも人影はゼロ。今日も変わらず屋上は貸し切りらしい。
いつも腰を掛けている扉のすぐ隣の窪み。
特に意識する事もせず惰性的に座り込む。風が心地いい。
私は少しずつ気分が良くなり、鼻歌のボリュームが自然と大きくなっていく。
チョンチョン。
それを邪魔するかのように、肩を叩かれる感触を感じた。
ふとそちらに意識を向ければ。
超至近距離に、圷涼の顔が此方を見つめていた。
「ギャーーー!!!」
私は飛び上がる程に驚きを露わにした。
その反応が伝染するかのように、彼も同様に驚きを見せる。
「ぎゃーーーー!!!」
二人しかいない校舎の屋上に、二人の絶叫がこだました。
「せ、先輩っ!? なんでいんの!?」
「いやお前驚き過ぎだろ……俺も釣られて驚いちゃったじゃん……ていうかずっとここにいたからな? お前が鼻歌全開でこっちに全く気が付かなかっただけで……」
「――――っ!! 聞いてたのっ!? うわー!!!!」
まさか一人きりだと思って歌っていたのがバッチリ聞かれていたとは。
なんという恥ずかしい場面を。
「めちゃめちゃ楽しそうだったな……」
先輩は何やら此方を気遣う様な、憐れむような視線を向けてくる。
その目を見て、頬に熱を感じる。
「なんだよその目は! 忘れて! 忘れてよ~……くぅぅ。」
「ま、まあ気にすんなよ……あるあるだよ。そういうのって……」
「くぅぅ……フォロー下手くそかよ~……」
完全に意表を突かれた。
毎日この屋上に通っているが故に、屋上の人気の無さに気を緩めた結果、一番粗相を見られたくない相手にこんな恥ずかしい姿を見せてしまった。
まさか先程思い浮かべた「低確率」が今日だとは。
「……にしても久しぶりだな。白亜」
「うん~。久しぶり~……はぁ……てか私より先に先輩が屋上に来るなんて珍しいね」
深い溜息を付きながら、彼の隣に腰を掛ける。
過ぎてしまった事はしょうがない。今回の失態は無かった事にしておこう。
「あー、白亜に会いに来たんだよ。此処なら待ってれば来るかなって思ってさ。今日は登校してるって聞いたからさ」
なんとも予想外な言葉がその口から飛び出した。
首をくるりと回して、先輩の顔を眺めれば屈託の無い笑顔を浮かべている。
「んー? なんか用あったのー?」
「まあな。てか、この前のお礼しようと思ってさ。結局夏休み挟んじゃったけど、お礼しとかないといけないなって思ってさ」
「ん? ……お礼?」
「ああ。この前ここで励まして貰っただろう? あれのおかげですっげー助かったよ。本当にありがとう」
「あれ」とは一体どれの事を言っているのだろうか。
「んーそうだっけー? 忘れちった~」
「え~……まじかよ、覚えてねえのかよ……まあいいけどさ。」
少し肩を落とす仕草。
そんな情けなさそうな姿を見て笑いが込み上げてくる。
「ぶひゃひゃひゃ! ひゃっ……ひー……やっぱ先輩ってウケんね。意味分かんないもん。身に覚えが全くありません~」
「そこまで笑う事ないだろ! まあそういう天真爛漫な性格のおかげなのかも知れないな……あはは」
そこまで話した所で、先輩は両膝に手を着いて立ち上がる。
その仕草は、まだ何もその口では告げていないが、会話の終わりを告げている様な雰囲気を滲ませる。
「えーもう行っちゃうのー?」
我儘にも似た口調。
そんな様子を面倒臭がる事もせず、優し気な目付きを返してくれる。
彼が優しい人物なのは最初に会った時にすぐに分かったくらいだ。
「ああ。今日はそれだけ伝えたかったからさ。またいつでも話せるだろ? 同じ学校なんだからさ」
「毎回そう言って、いつもすぐに帰っちゃうじゃん!」
「あはは……ごめんごめん。今日はちょっと妹にお使い頼まれててさ。また今度な?」
「う、うん。そだね……」
そう言って先輩は歩き出す。
彼の去って行く背中を見つめながら、深い溜息を付いた。
先輩が下校してしまうのならば、今日の所はもうこの屋上に居る意味も失われてしまったのだ。
夢乃白亜と話したい男子なんて腐る程居ると言うのに、先輩は此方にはさほど興味も無さそうで。決まっていつも先にこの屋上から去って行ってしまう。
地面に置かれていた革製の学生鞄は、いつの間にか倒れてしまっていた。しゃがみ込みながら、それを拾い上げ再度空を見上げる。
もうすぐ夕方だと言うのにも関わらず太陽の位置は未だに高い。
いつもより早い帰宅に向けて、蛍光院学院の屋上唯一の扉を開いた。
学院から出てすぐの場所。校門付近ででタクシーを拾う。
我が家は、学院から徒歩で10程度の場所にあるタワーマンション。勿論そこが実家という訳でも無く、地元という訳でも無い。それでも知名度故に早々外は出歩けない。下校もこうしてタクシーを利用することが多い。
このマンションも通学の為に用意したものだ。
芸能人というのは本当に面倒なもので。
こんな仕事をしている人間の気が知れない。
「夢乃白亜」が芸能活動をしているのは、別にそういう立場に憧れているからでは無く、夢を追いかけているからでも無い。はっきりとした目的があるからだ。
徒歩で10分なんて、車ではほんの数分で。
気が付けば見慣れた扉の前に到着してしまっていた。
財布を取り出して運転手にお金を渡す。
バックミラー越しに此方の顔を怪訝な目付きで伺って来ている所を見るに、「私」に見覚えがあるのかも知れない。
これもまた仕事の一貫。万弁の笑みをタクシードライバーに送れば、ハッとした様子を見せて応援の一言を送ってくれた。
マンションのオートロックを開錠しながらエレベーターに向かう。
ボタンを押せば都合良く即座に扉が開き、34階のボタンを押しながら「閉」のボタンも器用に同時押し。
ここまで来てようやく仮面を取り外せる。
深い溜息を付けば、1日のドッとした疲れを感じる肩を落とす。
今日屋上で繰り広げられた会話を思い出しながらも、事が上手く進まない事へ苛立ちを感じてしまう。
まただ。また妹。
あの妹が居る限り、いつまでも邪魔され続ける。
此方の動きを制限される事は無い。しかし圷涼の動きに多大な影響を及ぼせる彼女の存在は非常に厄介。
トントントン。
貧乏ゆすりから生まれる靴底の音だけが、エレベーター内に響く。
ピンポーン。
長い静寂の末にようやく34階に到着すれば、気だるげに3401号室に向かう。此処が一応今の住処。エレベーターの扉のすぐ隣の部屋。高級マンションだけあって、広く綺麗な4LDK。
鍵を回して開錠した。
家の中に入れば、いつもは居ない同居人が扉を開く音に気が付いて、出迎えをしてくれた様で。こんな時間に家に居るという事は、今日は仕事では無いらしい。
スリッパをパタパタと鳴らす彼女に視線を移せば、映し鏡が置いてあるのかと錯覚してしまう程に自分とそっくりな姿。
彼女は此方にふわりとした笑みを飛ばしながら、嬉しそうな声を放った。
「おかえりなさい、黒亜ちゃん」
「ただいま、白亜」




