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妹フレグランス  作者: かいうす。
3章 栞
40/50

38話 鼻歌


 もう夕方だというのにも関わらず、まだ陽は高い。

 日光がジリジリと音を立てているかのような気温。このまま頭から冷水を被りたい気分。蝉の音が季節を強調している様に感じる。気が付けば7月も、もうすぐそこまで迫って来ていた。


 心愛から放課後にカラオケでも行かないかと誘われたが今日はキッパリと断って、そそくさと下校した。


 今日、涼が退院する。

 たったの2泊の検査も含めた入院だったのに、体感時間では物凄く長い時間が経った気がする。実際、この2日は殆ど眠れていなかった。


 今日は本当なら病院に迎えに行ければ良かったのだが、涼に来なくていいと言われてしまったので仕方ない。まあ、涼が帰って来るまでにやらなければならない事がそれなりに溜まっているという事もあり、潔く今日は了承した。


 玄関の鍵を差し込みながら回す。

 いつ涼が帰って来ても良いように、玄関のカギは開けたままにしておく。いつもそれで不用心だと少し怒られるのだが、私が帰宅してから涼が時間差で帰宅するまでの短い時間だけだし、その事実のおかげで少しでも早く帰って来て貰いたいから鍵を開けっぱなしにしてしまっている。

 リビングに入れば散らかったコンビニ弁当のガラが積まれている。よくよく見れば埃も少し積もっている事に今になって気が付く。

 私は腰に手を当てて溜息を付いた。まずは掃除から取り掛からなければ。流石にこれはとてもじゃないが見せられるものじゃない。


 手際よくゴミ袋に散乱しているゴミを入れて行く。ここ数日は忙しいのも相まって大分家事を疎かにしてしまった。生徒会の役員への手回しや、新聞部部長へのフォローなど。

 別に涼が居なくて寂しいからとか、そういう理由では断じて無い。


 テキパキとゴミを纏めれば、次に掃除機を取り出す。

 とりあえずは時間も無いので、リビングとそこに至るまでに目に付く場所全般。スイッチを入れれば騒音に近い掃除機のモーターが回る音が家中に響く。

 この音を聞くのも酷く久しい気がする。今までは毎日欠かさず行っていた習慣も、涼が居なくなった途端に面倒に感じる事に、自分がどれだけ彼に精神的に寄り掛かっているのか今回痛感してしまった。


 今回の戦争も、勿論涼を傷付けた蛍光院栞に私が激怒した事が事の発端なのは紛れも無い事実。けれど、それ以上に涼が帰ってこないこの二日がその感情を余計に増幅したのは間違い無かった。それ故に、過剰な手回しに躍起になって家の中がゴミ屋敷3歩手前くらいになってしまったのかも知れない。


 ゴミ捨てと同時に、掃除機を掛け終えれば、我が家は元の姿を取り戻す。

 窓を少し開けて換気をしながら、今日の夕食の下準備を始める。


 病院食というものは、美味しく無い様に作られているという話を聞いた事がある。入院中に毎日美味しい御飯が出てくれば、このままずっと入院するのも悪くないと思ってしまうからだとか。

 涼とは、入院中も毎日欠かさずメールと電話を交わしていた訳だが、その会話の中に、「不味い訳では無いけど、味が薄くて味気が無い」という一文があった。


 折角なら、我が家に帰って来て初めての食事には美味しい物を食べて貰いたい。今日は彼の好きなメニューを用意するつもりだ。

 口元が軽く緩んでしまう。


 料理の下準備をしながら、ポケットに入っているスマートフォンを取り出した。


 連絡先の中から広瀬春ひろせはるを選択、そのまま通話発信ボタンをタップする。耳に当てなくても話せるように、スピーカー通話の設定を選択した。


 長いコールの音。何時まで経っても応答されない。


 新聞部部長の広瀬春ひろせはるは私の電話には出たくないらしい。

 私は鼻歌を口ずさみながら、野菜や牛肉を切っていく。


 コールが2分程度続いた所で、観念した広瀬春がようやっと通話に対応する気になったらしく、雑音と共に震えた彼女の声がキッチンに響いた。


{……は、はい……。}


 その声には明らかに恐怖が滲んでいる。


「やっと出た。いつまで待たせる気?」


{……ご、ごめんなさい。気が付かなくて……。}


「嘘ばっかり。本当は出たくなかったんでしょ?」


 私は一通りの食材を切り終えると鍋にバターを熱して玉ねぎを炒める。

 目線を合わせて、火を調節する。牛肉としめじを加えて、更に火を通す。

 途端にキッチンに良い香りが充満した。


{そ、そんな……ことないよ……?}


「あっそ。まあいいや。言っておいた例の物用意出来た?」


 その一言に通話の向こうでビクリと反応するのが音も無く伝わって来る。


{出来てるけど……。}


 検査のためとは言え、今日退院したばかりなのだし明日は休ませたいが、涼の事だ。きっと明日から学校に行くと言い出すだろう。それならば、事を起こすのは明日がベスト。


「じゃあ、明日早速やりましょ。」


{え!? 明日!? そんな急すぎるよ! 私まだ心の準備が……}


 彼女の声には酷く動揺している様子が伺える。

 ここまで扱い易いと、逆に苛立ちすら感じてくる。


「そう。じゃあもう勝手にすれば? 明日やらないなら、私はもう広瀬先輩とは関われない。私だって先輩に協力するのは自分の身が危ないんだから。」


{待ってッ! 分かってる! 分かってるから! 明日やるから……。}


「そうだよ。明日やらなきゃ、広瀬先輩には明後日があるどうかも分からないんだからね。」


{う、うん……。わかってる……。}


「じゃあまた明日……ね?」


{……。}


 鍋から焦げた匂いが少しだけする。再び目線を合わせて火を弱火に調節した。

 気が付けば、もう通話は終了していた。無言で通話を切る程、広瀬春は追いつめられている。自分を追いかける影にビクビクと怯えながら。実際には誰も広瀬春なんて注目してなどいないのに、自分の中ではたった今学院内で起きている事件の首謀者として追われる身だと思い込んでしまっている。

 人間の思い込みとは誠に恐ろしい物だ。


 勿論、計画が順調に進めばの話だが、広瀬春は使い捨てにするつもりは無い。新聞部を思うがままに操れるというのは、それなりのカードになり得る。情報操作をしやすくなるのだから校内新聞と言えど貴重な戦力だ。


 まあそれも計画が順調に進めばの話だが。想定外の事態に陥れば、惜しくても消えて貰う他ない。


 時計に目を向ければ、もうすぐ午後7時。そろそろ涼が病院から帰宅してくる時間。料理の方は十分間に合いそうだ。時間が経過するにつれて、私の機嫌は良くなっていく。

 もう1件の用事も早めに済ませておかなければいけない。


 到って業務的に今度はスマートフォンの連絡先から、生徒会会長補佐の水島紫みずしまゆかりを選択して通話のボタンをタップした。


 此方も同様にスピーカー通話の設定。

 コールの音がそう長く響かない内に彼女が対応する音が聞こえた。



{はい。}


「こんばんわ水島先輩。」


{何の用かしら……?}


 此方は先程とは打って変わって警戒の色を放って来る。


「いえ、またお願いを聞いて貰おうと思いまして。」


 料理の続きを再開しながら、可愛らしく話し掛ける。


{また……ですか……。一体いつまでこんな事を続けるつもりなの!?}


 その声には明らかな怒気が含まれている。

 私は鼻歌を口ずさみながら、鍋にデミグラスソースとトマトソースを入れた。

 残された工程はこのまま火を通して、調味料で調節するだけ。


「隠し味は何がいいかなあ……。」


 顎に指を付きなが宙に目線を置く。

 涼の好みは甘さ控えめなだけあって、甘めに作れば喜んでもらえる様な簡単な物では無い。デミグラスソース事態が多少の甘さを含んでいる所から、味の調節事態が難しい。


{圷さん? 聞いているの!?}


 スピーカーからヒステリックな喚き声が漏れてくる。

 その大声がスピーカーを通して少し割れた音となって此方に届く。彼女の声では無く、その雑音の方に不快感を少しだけ感じた。


「黙れ。お前いつから私にそんな態度取れる様になったんだ?」


 低く暗い声。そのたった一言だけで、水島紫の態度と雰囲気を吹き飛ばすのには十分な圧力だった。通話先の向こうからは、もう文句を言う気も失せたのか、無料通話特有の微小なノイズ以外は何も聞こえて来ない。

 そんな可愛らしい対応に自然と笑みが零れてしまう。私は再度可愛らしい口調で囁く。


「それでね。頼み事の事なんだけどね。」


{……今度は一体何をやらせる気なの……?}


「大した事じゃないよ。明日の昼休みに生徒会長を体育倉庫に来るように伝えて。一人でね。」


{栞さんに何をするつもり……?}


「誤解しないでよ。只の話し合いだよ?」


{そんなの信じられる訳ない……。}


 そんな彼女発言に対して、私はスピーカーのすく近くで声を発する。


「お前の信用なんて必要無いんだよ。」


 二度目の私の棘のある声を聞いて再度少しの空白が訪れる。

 この女は何度も同じ事を繰り返すタイプの人間かも知れない。

 黙ってしまった彼女の言葉をただ黙って待っていれば、ポツリポツリと言葉を発して来た。


{で、でも何故私に言うの……? そんな事本人に直接伝えればいいじゃない……。}


「昨日から校内で私を嗅ぎ回ってる奴がいるんだよ。この雰囲気だとあの生徒会長にも。こっちの分はこっちで何とかしとくから、そっちの尾行は紫先輩が何とかしておいてね。勿論、何か少しでも問題が起きれば、あなたの責任。」


{そ、そんな……。}



 水島紫は蜘蛛の糸に絡まってもう身動き一つ出来ない中で、未だに蛍光院栞の事を心配している余裕があるらしい。結局は裏切るくせに。

 能力は断じて低くは無いが、内面に多少難あり。今後、駒として使って行くに当たって毎回この面倒なやり取りが発生するなら、今回で捨てるべきかも知れない。

 先程電話した広瀬春とは大違い。


「それじゃあ頑張ってね。」


{は、はい……。}



 少しの余白と共に切断される通話。

 その間も、私は腕を止める事無く、涼が帰って来るまでに夕食の用意を完了させるという自己に課したノルマを達成していた。

 スプーンで一口分を掬ってペロリと舐めれば、程よく味付けされていて我ながら美味しい。メイン以外にも、サラダとマッシュポテトを片手間に作っておいたので、見栄えはそこまで悪くは無いだろう。残った時間でコンソメスープでも作ろうか。


 少し遠くで鍵を回す音が聞こえて来る。

 私が帰宅しているのだから玄関は開けてあるのに、毎回鍵を回して結局閉めてしまう行為を繰り返す彼に微笑みが止まらない。


 私はいつもはしない出迎えにスリッパをペタペタと鳴らしながら向かった。

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