表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/4

トラちゃんの野生が死んでいる件

「ねぇサトシ! 買い物をして帰るなんてどう?」


 トラちゃんは「ナイスアイディア」と目を細め、胸元を押さえた。

 胸元を押さえたのには意味がある。

 神様から貰ったお金が下着の中に隠してあるからだ。


「このまま帰っちゃうなんて、すごーく勿体ないよねぇ?」


 上目遣いに「ねぇ?」と言われると弱いが、即答は出来ない。

 無垢な子供みたいに、店内をはしゃぎ回るトラちゃん姿が容易に想像できるのだ。

 ハッキリ言えばめんどくさい。

 痺れを切らしたトラちゃんが、右腕に絡み付いてぶら下がってくる。斜め下で目が合う。


「ねぇー良いでしょ?」

「……欲しい物があるなら、俺が買っとくけど」

「買い物がしたいんだって、私。神様と練習したから!」


 言ってトラちゃんは目をキリッと三角にさせた。


「ヒマワリの種、一つ下さいな! 『五千円になりまーす』 はい! 五千円の紙です! 『おめでとうございます!』 ね?」


 声色が高い方が神様のようだ。


「なんだよ、最後のおめでとうございますって。それに、ヒマワリの種はそんなに高くないから」

「そうなの? そんな感じにやっとけって神様が」


「適当な神様だな」俺が言うと、トラちゃんは「ハム神様だからね」とケラケラ笑う。その足元を見れば軽くステップを踏んでいた。


「まぁ、イイじゃん? 行こ行こ?」


 トラちゃんがいつまで人間の姿でいるかは分からないけど、生活に必要な物は買う必要があるのかもしれない。

 が、何を買えば良いのかまったく思い浮かばないし、女の子の物となればなおさらだ。


「まぁ、歯ブラシくらい買っとくか。万が一にも虫歯になったら大変だもんな」

「わお! 歯ブラシ! 人間だねぇ!」


 目を輝かせ「良いねぇ」と白い前歯をのぞかせる。


「歯みがき上手にできるかなぁ、かじるのは得意なんだけどね」

「ああ、かじり木好きだもんな」


 トラちゃんのケージに入れた、リンゴの木の枝が思い浮かぶ。

 皮はトラちゃんが全部かじってしまったので、今は白い幹が剥き出しになっている。

 ハムスターの前歯は一生伸び続けるので、硬い物をかじらせて伸びすぎを防止しなければならないのだ。

 言うなれば、かじり木がトラちゃんの歯ブラシだ。


「サトシに磨いてもらおっかな」

「怒って噛みつかれそうで怖いんだが……」

「まぁ、嫌だったら噛むよね」


 トラちゃんはニヤリと笑い、歯をカチカチと鳴らす。

 冗談か本気なのかが分からないところが怖い。


「歯ブラシ、歯ブラシ嬉しいなぁ」

「んじゃあ、駅前に出るか。人通りがあるから気をつけてな」

「私、人間のプロですから! (わきま)えてます! 二本足です」


 ほっぺの横でVサインを作るトラちゃん。


「心配だなぁ。あんまり浮かれるなよ」

「大丈夫、大丈夫」


 言ってまた胸元を押さえたので、お金はポケットに入れて置くようにと伝えた。





 ****





 トラちゃんが神様から貰ったのは、靴と下着とお小遣いの五千円だけだった。


「せめて一万円だろう」

「これ弱い? 歯ブラシ買えない?」


 トラちゃんはジャージの右ポケットを押さえる。


「歯ブラシは余裕で買える。弱くもないけど、心強くはない」

「えぇー! 神様はハムスター五匹以上の強さって言っていたのに!」


 トラちゃんは唇を尖らせ憤慨しているが、ハムスター五匹分の強さが俺には分からない。

 ハムスターの事はハムスターに尋ねる。


「ハムスターって強いの?」

「弱いよ!」


 即答だった。


「じゃあ妥当だな」

「そっかー。まぁ、そうだよね。ハムスターだからね」

「でも可愛いから」

「まぁね! 可愛いし、恰好も良い」


 強さを可愛さに置き換えれば、ハムスター五匹は相当強い。

 少なくとも俺はトラちゃん一人に勝てそうもない。

 そんなトラちゃんは俺の右腕に絡みつくと「ハムスターはすごく可愛いから」と、適当な節を付けて歌い始めた。

 人間を楽しんいでる。そんな感じだ。


 しばらくは陽気に「ハムスター可愛い」と歌い続けていたトラちゃんだったが、駅に近づき人通りが増えるにつれ、歌は消え、口数も減ってきた。


「ねぇ……サトシ……」


 探るような声は小さい。

 続く言葉を聞き取るために、腰を落として首を傾けた。


「……私ってハムスター感、出ちゃってるのかな?」


 ヒソヒソと囁く息がくすぐったく、逃げるように背筋を伸ばし、トラちゃんを見下ろした。

 大きな黒い瞳が、心配そうにこちらを見ている。


「どう?」


 黒い毛先と淡い栗色の髪の毛は特徴的だが、どこからどう見ても人間の少女。


「……人間にしか見えないけど」

「なんか、ジロジロ見られてる気がする! あ! もしかして、ハムスター臭いのかも」


 トラちゃんはクンクンと鼻を鳴らし身体の匂いを嗅ぐ。


「わっ!」


 トラちゃんが俺のワキに鼻をくっつけたのだ。


「俺の匂いを嗅ぐな! トラちゃんは臭くないし! 普通にしてれば変じゃないから! 離れろ、離れろ」

「でもさー……」

「トラちゃんの気にしすぎじゃないか?」


 トラちゃんは「うーん」と納得のいかない返事をすると、俺の右半身に体をピッタリと寄せて歩く。


「トラちゃん、そう絡みつかれると、歩きにくい」

「隠れてるんだって! イイからイイから、前を向いて歩いてて」


 トラちゃんは俺の横っ腹に、おでこをくっつけ、下を向いた。


「ぎゅーって目を閉じとくから! サトシが私の目ってことで」

「俺が恥ずかしいし、余計目立つよ」

「私いま隠れてるから! 見えてないから大丈夫なんだって!」

「トラちゃんから見えなくても皆からは見られてんだよ」


 トラちゃんは目を閉じたまま歩くつもりらしい。

 商店の呼び込みやアーケードの放送に、トラちゃんの背中が警戒している。


 ……ハムスターって神経質なところあるもんなぁ。


 豪胆な事を言ってのけるくせに、音と視線に刺激され緊張しているのだ。


 ハムスターが野生で生きる姿なんて、まるで想像できない。


 音と振動、熱さや寒さにも弱い。

 生まれ持った気の強さだって、弱さの裏返しだ。


 まして、ペットとして生まれたトラちゃんは、絶対に野生には戻れないだろう。


 トラちゃんの後頭部を見ながら思い浮かんだのは、昨日までのトラちゃんの姿。

 ふわふわの短い毛に覆われたお腹を丸出しに、薄桃色の口を半開きにして眠るのだ。

 もし、そこが大草原であれば、外敵に襲われた事にも気づかないまま天国だろう。


「ねぇ、もう着いた?」


 野生には戻れない箱入り娘が俺の隣でビクついている。


 警戒する小動物の心を開くには……。


「トラちゃん。お団子食べる?」


 通りがかった和菓子屋の前で立ち止まる。

 店先で焼かれた串団子に、店員の女性が餡をたっぷりと塗っていたのだ。

 餅を焼く香ばしさに、トラちゃんは顔を上げ、それを興味深そうに見ていた。

 俺はトラちゃんの答えは待たず、団子を一串買い、トラちゃんに手渡す。


「持ち手の串は食べられないからな? 餅だけを一個ずつ食うんだぞ」

「分かった! 頑張る」


 トラちゃんは獲物を狙う吸血鬼のように歯を見せて構えると、持ち手側三個目の餅に齧りつき、一気に引き抜いた。


 あ! そう思った時には、餅は全部口の中だ。


「コラ! 一個ずつ食えって言っただろう」


 口を餅でいっぱいにしたトラちゃんは、苦しげだ。


「んぐー!」

「バカトラ! 餅は詰まるからな! 飲み込むなよ! ゆっくり噛め! 良いか、ゆーっくりだぞ! 出すなら俺の手に出して良いから、無理すんなって!」

「んんん……!」


 意地でも出すまいと、首を振り、差し出した俺の手を払いのけた。


「食い意地をはるなよ」


 人間になってもハムスターはハムスターなのか……。


 トラちゃんの大きいとは言えない口の中を、団子が行ったり来たりしているのが、膨れた頬の動きから見て分かる。


「ふぇぇ……」

「待っててやるから、焦らずゆっくり食べろ」


 トラちゃんの様子に慌てた店員が、店の中から水を持って戻ってくる。


「大丈夫ですか?」


 口では言うが、顔を見れば呆れている。

 俺だって呆れている。


「バカだなぁ……」


 どうにか餅を水で流し込み、涙目で「美味しかった」と言うトラちゃん。


「お前の野生は死んでるよ」

「悪口やめてよね! バカトラとか言ってたでしょ」


 今度は空気で、ほっぺたを膨らませているが、少しは緊張が解けたようだ。


「サトシには私が買ってあげるよ。お団子ひとつ下さいな」


 ポケットの五千円札を握りしめ、トラちゃんは笑顔だった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ