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付き合いのいいオークさん

作者:きー子
下品注意。
 清新な木洩れ陽が降りそそぐ。穏やかな明るみがひとりのオークの体幹を照らし出している。静かな鳥のさえずりが耳を心地よく楽しませ、涼やかな風がオークの肌をそっと優しく撫でつけていく。
 オークの戦士ベオルは、森の中をのっそりと歩んでいた。巨木のように野太く、巌のようにそびえ立つ逞しい巨体。真緑色の肌は鮮やかな自然の彩りに溶けこむも、むき出しの白目は端的にいって凶相。歩を進めるたび、緑なす脚元に点々と赤い雫が垂れ落ちていく。胸元に深い矢傷があり、血はそこから伝い落ちていた。敵対した大隊規模の冒険者集団と打ち合い、全滅させるのとひきかえに無数の手傷を負ったのだった。
 まさにその命を潰えさせようとしている彼の表情は、しかし落ち着き払ったものだった。生き足掻こうと慌てふためくでもなく、必死になって助けを呼ぶわけでもない。そのようなつまらぬことで、この森の静寂(しじま)を打ち破りたくはなかったのだ。
 ベオルの知る森は、率直にいえば地獄である。無秩序に黒々とした葉をひしめかせ、隙間を埋めるかのごとく乱立する木々は昼間であっても陽を届けることはない。脚元にはたやすく人を呑みこむ沼地が広がり、昼夜を問わずして餓えた魔物が跋扈する。それがオークの知る森というものだ。
 だがここは、まるで違った。
 ゆえにこそ、聖域とさえ思えるようなこの静寂が忍ばれる。惜しみもする。"冒険者の死地"──そう呼ばれる未開拓の暗黒地域にこのような場所があることが、ベオルにはたちのわるい皮肉に思えてならなかった。

「お、お……」

 ゆっくりと、緩慢に歩み続けた先に、彼はそれを見た。
 かすれた声が喉から漏れだす。その音に、驚嘆とさえいうべきものがにじみ出ていた。
 ベオルの見上げる先に、あまりにも巨大な樹木があった。それはもはや悠久、悠遠の代物ではないかとさえ思われた。その天辺が、ベオルにはまるで見えなかったからだ。
 ベオルは一〇フィート(三メートル)ほどもある巨漢だ。オークの中でも雄大といっていい、恵まれた体格である。その逞しい体躯を生かして時には畑を耕し、またある時には積極的に戦を買って出た。
 そのような己が、彼にはひどくちっぽけに思われた。事実、その樹に比べればベオルはほんの豆粒程度のものでしかない。
 慨嘆しながら、ベオルはほとんど倒れこむように樹の幹へと寄りかかった。その表面を血に汚してしまうのを恐れ多く思う。心中で謝罪をのべながら、一方で確信があった。天を突く塔のごとき悠遠なる自然の象徴は、そのような些末事を意に介するような器ではあるまいと。
 ベオルは樹の幹に背を預ける。それはオーク一匹の重みごときで傾ぐような柔さでは断じてない。ごつごつとした樹皮はいたく分厚く、おまけに瑞々しさが満ち満ちている。これほどの威容をほこりながら、それは枯木めくどころか若々しくさえあるのだ。この上ない死に場所だと思った。最後にしてはつまらぬ戦であったが、この場所に導くためのものであったならば悪くはない。
 オークから力が少しずつ抜けていく。虎のように牙もあらわにする口蓋が、あらぬ呻きをふいに漏らす。空を見上げた途端、さながら天の恵みに浴するかのごとく眩き陽光が降りそそいでひとりの戦士を祝福する。
 ──白目をむき出しにする目蓋がゆっくりと下りていく刹那、ベオルは美しき天の御使(みつかい)を垣間見たような気がした。

「──────」

 だから、刹那に聞こえた声はベオルにも予想外のものであった。
 まるで透きとおるように澄んだ声音が、まさに天に召されんとしていた一匹のオークを現世に繋ぎ止める。聞き慣れない、というより耳にしたことのない言葉だ。意味は全くわからないせいで、ベオルにはそれが歌のようにさえ思われた。死者の行路をあらまほしく舗装する葬送歌。報われぬ魂を慰撫する鎮魂(しずたま)の挽歌。
 だがそれにしてはあまりに短すぎる一節で、要はベオルの思いこみに過ぎない。それほどに澄み切った、鈴鳴りめいて涼やかな音色であったのだ。
 ベオルは傷口を開かせる胸元を押さえ、ゆっくりと目を見開く。不思議と痛みはなく、意識を揺り起こすのも億劫ではなかった。天の木洩れ陽に癒やされたかのよう──しかし流れる血潮は変わらずしてある。

「ぐ……お」

 うめき声を漏らしながら、ベオルは視線をゆっくりと上げる。
 目の前にあったのは、天女かと見紛わんばかりの美貌。しかしそうでないとわかったのは、その姿が木洩れ陽の影から浮かび上がるかのごとく生じたからだ。黒き水面にわきたつ泡沫めいた華奢な陰影は、果たして今際の際にまみえる幻影か否か。あるいは魂を刈り取りにきた悪魔のたぐいか──悪辣なるものはみな美しく魅惑的なのだと、冒険者としての教訓が警鐘を鳴らす。だが、今のベオルにしいて抗うような余力はすでにない。ただ見惚れるように、眼前の人影を見つめるばかりだ。
 それは人間によく似ていた。小柄な身体はオークの半ばにも満たず、まるで枝のように華奢である。白皙の美貌はしかし日照を知らぬ身体では断じてなく、葉脈めいて健康的な血色を肌に浮かばせる。腰に届くような白金(プラチナ・ブロンド)の輝きはやはり天女めいていて、冴え冴えとした蒼穹の双眸がじっとベオルを見つめている。
 痩躯ではあったが、羽衣めいて揺蕩う長衣を豊かな乳房がくっきりと押し上げている。それは母性の具現であり、抱擁を知ろしめすものであり、また豊穣の象徴でもある。身体(しんたい)に重なる神秘性の証だ。一歩距離を縮めると、押さえつけるものの無きように房が奔放に揺らぐ。一方で、近づくちいさな面差しには幼さが残っているようでもある。涼しい表情の裏側にたたえたものを推し量ることは、何人たりともままならない。その顔に寄りそう流麗な耳朶は、さながら葉っぱのようにぴんと尖っていた。
 エルフのようだ。じかに眼にしたことはないが、ベオルは率直にそう思った。
 オークの彼がエルフを知らぬも、無理はない。オークが広大無辺な荒れ地を耕す農耕民族である一方、エルフは鄙びた森に極少数で隠れ棲む狩猟民族であるからだ。
 巨躯のオークは自然を狩りつくしてしまわぬよう農耕に励み、長命であるがゆえ栄えすぎることのないようエルフは森にひっそりとある。彼らの選び取った生き方は自然との共生という一点で根底を同じくしたが、その姿形や環境はあまりに違いすぎた。
 ゆえに、オークがエルフと交わることは決してない。本来ならば。
 あり得ざる邂逅にベオルが呆然としているあいだ、彼女は何度か呼びかけと思しき声を口にした。しかし、よもやその意味が伝わろうはずもない。ベオルは鷹揚に首を振り、またぐったりと樹の幹に寄りかかる。拍子に胸元を押さえつけていた掌を地に突き、鮮血も生々しい傷痕が眼にもあらわにさらけ出されてしまう。

「かまうな。行け」

 この土地に侵入した身の上であまりにもぶしつけな物言いだが、ベオルは構わなかった。己は、彼女の心持ちをわずらわせるには値しない存在だと思ったからだ。もちろん、オークの言葉が伝わる可能性は無きに等しいが──実際、少女の表情は全く変わらなかった。蒼い瞳にも感情らしきものをあらわにせず、その眼はベオルの傷口を一瞥するばかりであった。
 妖精めいた少女が、一歩下がる。そのまま背を向けるでもなく、両の手を胸の前で組み合わせる。
 ゆっくりと瞳を閉ざし、少女は朗々と紡ぎだした。
 それは(まじない)のごとき歌を。

「なにを──」

 オークのか細いうめきがかすれて消えた。果てたのではない。ただ絶句しているのだ。
 呪歌(じゅか)──それは呪術の一種というべきものだ。今ある世界の道理をねじまげ、あらまほしき理想へと書き換える非理の術。
 だからということでもないが、べオルにその歌の意味は一切わからなかった。それはただの音だ。ただの、あまりに美しい音の連なりだ。かよわいまでに華奢な喉から奏でられる旋律が、不明のままにベオルの体躯へと染み渡っていく。その意味が取れるかどうかなど全くの無関係であるかのように、強引なまでに容赦なく──望まれた結果を押し付けられる。
 (きよ)らな唱歌をつなぐ娘に、黒い影がまとわりつく。奇妙だが、不吉なものは感じられなかった。ただ、かくも目映き陽のもとにあるにも関わらず、月影に囲われたような錯覚があった。明暗のふたつに事象を分かつとするならば、この女は間違いなく暗きものだ。それでいて、かくも触れ得難い神秘性になんら変ずるところがない。影が光を色濃く彩るような、そんなふしさえあるのだった。
 緩やかに上下する胸元につれて唱和が高鳴り、葉擦れの音色が天高く秘めやかに聞こえる。妖精のささやきのような風が、喚ばれたかのごとく緩やかに吹きつけていた。穏やかな陽光が燦々とベオルに照りつけ、その身を暖かな天の恵みに包みこんでいく。
 神秘性をまとった森は、儀式場の役目をもなす。この土地はまごうことなき彼女の庭だった。娘のいと高く謳いあげた結実は、今ベオルのもとに成就する。神の定めし道理をも差し置いて優先される、なによりもあるべき形として。

「これ、は……」

 ベオルが呆然としてつぶやく。無理もなかった。
 オークの身体に刻まれたはずの傷は、その全てを完膚なきまでに消し去られていた。致命傷の大きな傷口どころか細やかな手傷すら余すところなく、だ。深緑色の肌を伝っていたはずの朱い血液は、はじめから無かったかのように影もかたちも見当たらない。
 寄りかかった上半身さえ倒れかけていたところを引きずるように起こす。万全とはいかないが、確かに身体が動いた。一度は半ば失われたはずの命が、オークの身体に立ち戻り──その魂に紐付けされ、しかと根付いているのだった。試すように握っては開く拳の動きは緩慢だが、それもあからさまな異常ではない。せいぜいが一過性の不調くらいのものだ。
 ベオルははっとしたように顔を上げる。そして娘を見た。
 彼女は一本ずつかぼそい指先をほどき、手をおろした。瞳がゆっくりと見開かれ、ベオルの顔を覗きこむように見すえる。

「それは──私の、力」

 そして、言葉があった。意外や意外というべきか、その声には一片たりとも気負ったところが見当たらない。全くの自然体である。一匹のオークの命を救い上げながら、それをほとんど何とも思っていないかのよう。それに大した価値を見出していないか、あるいは──そうするのが当たり前という価値観であるのか。
 声はずいぶん落ち着き払ったもので、かすかに子どものような幼さを残してもいる。ために可愛らしくもあったが、"綺麗"という感が大いに勝った。
 娘はぱちぱちと瞳を瞬かせ、ベオルをじっと見つめている。あまりに真っ直ぐなその瞳にわけもなく罪悪の気持ちを呼び起こされながら──オークは不意にはっとする。凶相といってさしつかえない白目が見開かれる。

「言葉も、つうじるはずです。あなたのいうことも、わかりますから」

 淡々と言い切ってみせるその内容が、ベオルにとってどれだけの衝撃であったことか。それはさながら、ベオルという一個の存在が瞬時にして彼女に調律されたかのごとくである。彼はほとんど声もなく、その野太い首を縦に振ることでのみ応じた。
 娘もまた、ゆっくりと頷きを返した。歌声を除いては感情というものが見られなかった彼女が、その時ばかりはいささか満足気であったように思われた。さながら突き出すかのように胸を張っていたからだ。無表情で。

「なにものなのだ、おまえは」
「エレンディラ。いっぱしの精霊種(エルフ)です」

 失礼な言動であるとは分かっていながら、粗野な言葉がオークの口をつく。こればかりは育ちかもしれない。それは少女の得体の知れなさに対し、畏敬をもって遠ざけようとする一種の防衛本能でもあったのだろう。しかし彼女──エレンディラは気を害した様子もまるでなく、平然として答える。エルフのようだ、というベオルの直感に間違いはなかったらしい。
 そこでようやく敬意を失したという気持ちに急き立てられ、ベオルはその大きな頭をぐいっと下げる。それは踏まれることも辞さない、というオークにとっての最敬礼だ。

「なぜかはわからんが、お救いいただいたこと礼を言う──おれはオーク第三氏族の戦士ベオルと申す」
「あなたこそ。なぜ。ここに」

 話が飛ぶな、とベオルは思う。言葉が通じあっているとはいえ、根本的に言語を理解しているわけではないから齟齬が生じているのかもしれない。あるいは、世間ずれしていないエレンディラの地か。だが、こちらから無理にわけを問いただすのもまたオークとしては失礼に思われた。善意を疑っているかのようであるからだ。
 さてどうしたものかと思う。ベオルがここに至った経緯を簡単にいえば「死にかけて迷いこんだ」、ただそれだけのことである。しかしそれではあまりに言葉足らずだ。多大な恵みを授けてくれた恩人に対する礼にしては、あまりにすげない。腹を据えて話そうと、ベオルはそう考えた。

「話せば、少々長くなるが」
「エルフを襲いにきましたか」
「えっ」

 変な声が出た。

「オークという種は祖父母の代より女を見つけて捕らえるやいなやその(はら)を苗床にするのだとかねがね聞き及んでいます」
「しません」

 思わず敬語になる。

「よもやこのような秘境にまでとも思われましたがまさにそのオーク族とあってはしかたありません」
「聞いてください」
「すでにこの地にあるエルフは私ひとりですが、誠心誠意この身ひとつで種を受け止めさせていただきます」
「きいて」

 静々と膝に手を揃えて礼をするエレンディラに、ベオルの心境はもはや懇願の領域に達していた。泡を吹きそうだった。生き返って早々だが死ぬかもしれない。
 腹に決めた決意がどこかへ飛んでいく。ついでにエレンディラがまとっていたような気がする神秘性もいずこかへ吹き飛んでいく。錯覚だったといわれればそれまでの話である。
 思わずベオルは後ずさろうとするが、後ろは樹の幹だった。あれほど頼もしく思われた大木が、今はオークの後方を鎖す巨大な壁としてあった。

「おれは、そのようなことは、しない。ただ、救われた礼がしたいのだ」
「お礼ですか」
「うむ」

 そうつぶやくエレンディラの白い頬が、うっすらと紅葉めいて紅潮している。あまりにも恥じらいのない物言いではあったが、羞恥を持ち合わせていないわけではないらしい。ベオルは少し安心した。

「そんなに大仰なことはしていません」
「だが、そうでなければ死んでいた」
「なんか治しただけです」
「なんか」
「なんか痛そうだったので」
「なんか」
「なんか」

 つまるところ、エレンディラのなした所業に大した意味はなかったのだ。やるせないとはこのことである。神秘性というべきものは想像以上に損なわれてしまったが、超常性はむしろ増したような気がする。この地はいわば彼女固有の術的領域であるから、ということも大いに関係しているかもしれないが。

「それはそれとしてですね」
「はい」
「このあたりに根を下ろす予定はありませんか」
「ないです」
「今ならお嫁さんがついてきます」
「そういうことを気軽に言うものではない」
「やめてください。惚れますよ」
「やめて」

 エレンディラの白いかんばせがベオルの眼前にゆっくりと近づく。威圧的では決してないが、圧迫感がある。真に迫るものがあった。
 少なくとも、恩に着せて要求を押し通すような真似をするつもりはエレンディラには無いらしい。直接的な物言いでありながら、その気質は存外に清廉なところがあった。今もなお頬に赤色の残滓がくすぶっているように、恥というものを知っているのだろう。
 単に頭が悪いのかもしれない。

「どうしてなのでしょう……」
「どうしたもこうしたもねえ」
「こんなにもドスケベボディなのに」
「それがよくないのだ」
「すらりとしたほうが、お好みですか」
「違うそうじゃない」

 胸元にちいさな手をやり、たぷたぷと豊満な双丘を揺らしてみせるエレンディラ。それは扇情的というより、色事を知らぬ子どもの戯れめいたところがあった。寄せてみたりと、あるいはそれも誘惑のつもりであるには違いないのかもしれないが。
 しかしベオルには──というよりおおかたのオークの視点から見れば、エレンディラは細すぎる。そしてちいさすぎる。魅力的であるのは確かだが、それは性の対象たるに一歩足りない。エレンディラの不均衡でありながら乱れなく整った美貌は、いわば傑出した芸術に覚えるものに近しい。オークとて、陶芸を筆頭に芸術を解する心はある。ゆえにエレンディラから受ける印象は、造形物の備える完璧な美──非日常の象徴でもいうべきものである。
 反面、それはオークの情欲を喚起するものではない。性的な欲求とは文化的背景や個人的経験によって規定されるものであり、いわば日常を裏返した根っこに潜むものだ。
 エレンディラはあまりに、現実離れして可憐に過ぎた。

「やはり種の壁は厚い、ということですか」
「うむ」
「ところがオークとエルフは始原を同じくするという説もあるのです。姿形こそ違えどもその種すなわち本質は植物の精霊であるともいわれています」
「そうなの」
「そういうわけなので、繁殖行為をしましょう」
「やめて!」

 ──その言動があまりにも卑俗であろうとも。
 思わず生娘めいた拒絶が野太い声となって飛び出ていた。オークの口から零れた言葉とはとてもではないが思われないだろう。
 さすがに無理やりどうこうされるいわれはない。ベオルはゆっくりと身体を引きずるように立ち上がる。エレンディラはその傍らに寄りそうが、手を伸ばすようなことはしなかった。ベオルよりずっと目線が低いところから、少女の蒼玉が揺らめくようにしてかかげられる。

「礼は、したい。だが、そのようなことは、御免こうむる」
「私も、対価として要求するつもりはありません」
「ならばなおさらだ」
「ですが、一晩はとどまったほうがよいです」
「おれはそれほど気が長くない」
「辛抱堪らなくなってきましたか!!」
「ならぬ!!」

 意気揚々として瞳を輝かせたエレンディラの横を通り抜けるべく、ベオルは肩を怒らせて歩み出す。本気で怒っているわけはないが、いいかげんきりがないと悟ったのだ。つまりは彼女の執着を振り払うための格好であり、他に順当な対価が示されるならばそれでよかった。なにせ、救われた命に代替するものなのだ。並大抵の要求でオーク戦士の魂がひるむことはない。柔らかな草地を、ベオルの野太い脚が力強く踏みしめる。
 そしてそのまま、まるで脚をもつれさせたかのように派手にすっ転んだ。
 ベオルほどの巨躯が倒れこむのは、ちょっとした衝撃を周囲にもたらす。しかも顔面からだ。これは痛い。何事かとベオルは慌てるが、何もない。少なくとも彼の足を取るようなものは何ひとつともなかった。

「ぐ──」

 かすかな屈辱に煽られるように立ち上がろうとして、気づく。あまりにも己の身体が重いことに。
 無論、物理的にベオルの重みが増したわけではない。ただ単に力がまともに入らないのだ。

「だから、いったのに」
「な、なにを」
「一晩は泊まったほうがよいと」
「それが、どうした」
「同じベッドで」
「きいてない」

 断じて聞いていない。倒れ伏したまま、突っ伏した顔だけを持ち上げて首を振る。まるでさらし首のようだった。
 エレンディラはまるで目線を合わせるよう膝を屈め、ベオルの顔をそっと覗きこむ。近い。非常に近い。
 間近に見ればわかるが、睫が長い。濡れたようなそれが艶めいて白金に輝いている。潤んだような瞳の水面を瞬かせ、しんしんとエレンディラはいう。

「休むべきなのはほんとう。離れかけた命をつなぎとめる代償を払うのは私でなくあなた」
「安くはない、ということか」
「一日も安静にすれば治ります」
「安い」

 ただごとではなく安上がりな命に辟易するが、今さらだった。ここは"冒険者の死地"。この森が台風の目のようであったため失念していたが、その事実は決して変わることがない。諸族の国家圏域に属する命に比べれば、その値段は比べ物にならないほどに安い。
 激しくため息を漏らして、次の瞬間一気に意識が遠のいていく。ベオルは咄嗟に何かを言葉にしようとするが、それはまとまることもなく泡のように弾けて消えた。

「おやすみなさい────」

 天に仇なすがごとく高くそびえ立つ大樹──その木陰から黒い触肢が群れをなして伸びる。非実体のそれらはベオルに次々と絡みつき、オークの巨体を這々の体で持ち上げてみせる。それがエレンディラの操る術の一端だと、今のベオルには知る由もない。
 影の手は秘めやかにベオルの頭を撫で、その無意識を深い夢の中へゆっくりといざなう。

「よい夢を」

 故郷(おうち)帰りたい。


 背中が柔らかい。そう思った。
 目覚めてひとつめの感想にしてはずいぶんなものだが、事実である。
 近ごろのベオルの寝床はもっぱら二択である。土か、岩肌か。そのどちらかだ。
 土は程々に柔らかいが湿っていることも多く、不安定なうえに不快である。なにか変な虫が土中から顔を出すこともあるので歓迎しがたい。
 一方、岩肌はとても硬い。前言を撤回することになるが、あれは寝床ではない。岩である。それでも雨に浸され泥と化した土の上よりはずっと良いので、ベオルはしばしば世話になる。ならざるをえない。
 そして、今ベオルの背中に当たっている柔らかな感触は間違いなくどちらでもない。
 腰の下には丸太の寝床の硬さ、そしてそれを和らげるべく隙間なく敷き詰められた乾草(ほしくさ)があった。質素だが、必要十分である。ベオルはその歓待を好ましいと思った。
 だが、やはりベオルの味わっている感覚はそのいずれでもない。これはなんだ。なかば寝惚けたままの頭でぼうっと思考を働かせはじめる。
 ゆっくりと全身に血が回りだす。倒れた時はどうなることやらと思ったものだが、さして大事にはならなさそうだった。果たしてどれほど眠っていたかは気になるところだ──エレンディラの言葉通り、一日で済んでいれば幸いなのだが。
 そう考えながら上体を起こそうとする。しかしそれはままならなかった。肉体のほうが悪いわけでは決してない──ベオルの身体を引き止める手が、背中のほうから縋るように絡みついていたからである。ちいさいうえにか細い指先は引き剥がそうとすればたやすいが、それだけにはばかられるものがあった。ベオルは静かに横たわったまま、さてどうしたものかと考えた。まさにその時だった。
 いや待て、と覚醒を始めたオークの理性が警鐘をかき鳴らしはじめる──この手の持ち主は誰だ。この柔らかなものはなんだ。そしてこの身は今どこにいる。広大な背を滝のように流れる冷や汗がオークの内心を秘めやかに物語る。

「ウワアアアアアアアアアアアアアアア」
「つれないひと。もう少し朝の共寝を楽しませてください」
「ウワアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア」

 白目になりながらベオルはベッドから飛び退いた。
 白目は元からだが、叫び声をあげつつ飛び退いた。
 寝具には乱れひとつなく、巨体が床を打ったにも関わらず足音もない。武技に熟練したオーク戦士の歩法──独特の体捌きである。
 かくしてベオルは背後より迫り来る魔手から速やかに逃げおおせた。
 というか、エレンディラから逃げ出した。全力で開かれた間合いは室内の端から端までにおよぶ。これが彼我の心の距離である。さして広い部屋ではなかったのが問題だ。

「お、おれは」
「はい」
「手を出してはいまいか」
「出しました」
「ウワアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア」

 ベオルが絞りだすような悲鳴をあげる。膝から崩折れかける。虫の息である。

「私のほうから」
「はい」

 それはそれで十分に衝撃のはずだったが、最悪の事態を免れたという安堵感のおかげで感覚が麻痺していた。
 オークの脳みそとはつまるところこんなものである。か細い指先から伝わった娘の体温、矮躯からあてがわれた柔らかな肉の感触もそうしようと思えば忘れられる。ベオルはつとめてそうした。
 ゆっくりと落ち着きを取り戻しながら、ベオルは周囲を見渡す──暖かみのある木造の装い。手狭だが過不足はない。小柄なエレンディラひとりであるならば、むしろ十分な広さといってもいいだろう。

「ここは」
「私の部屋です」
「なるほど」
処女(おとめ)の部屋です」
「なぜ言い直した」

 そう言われるとベオルとてはばかられるものがあった。自ら望んでの滞在では決してないのだが。

「すまぬな。一度ならず二度までも」
「これも一度のうちです」

 一度関わりを持ったならば、面倒は話がつくまできちんと見る。つまりそういうことなのだろう。できた娘である(情緒的な側面を除けば)。
 エレンディラは緩慢な動きで閨から這い出て、床に足を着ける。彼女は先日とは違い、寝間着なのだろう──ゆったりとした夜色のローブを身にまとっていた。裾からはほっそりとした白い足先が秘めやかに覗いている。

「お加減はいかがですか」
「大過はない。おそらくだが──先のようなことは、何度もあるものか」

 疲弊の自覚もなく倒れこんでしまうような事態は、一冒険者にとりほとんど致命傷といってもいい。火薬を内包しているようなものだ。あまり世話はかけたくないが、ベオルにしても無闇に死ににいくような馬鹿はよけたかった。
 死を畏れはしないが、死にたいわけではない。生への渇望が死への恐怖を打破するのだ。それがオークの戦士としての資質というものである。

「大丈夫です。丸二日は眠っておられましたから」

 二日もかと驚くベオルを尻目に、エレンディラははめ込み式の窓を開く。天からそそぐ陽光が差しこみ、室内がにわかに照らし出された。陽はすでにずいぶんと高く、刻限は昼前といったところか。
 ベオルもつられて外を見て、ふと違和感に襲われる。窓のすぐ向こう側──目と鼻の先に、めいっぱい生い茂る葉擦れの音色を聞いたからだ。
 気がかりになって彼女のかたわらに歩みより、窓の外を見る。
 そして驚愕した。

「……高い、な」

 ふたりがかつていたはずの地上は、はるか彼方。ここから見下ろしてみれば、ベオルとエレンディラの区別さえもつかぬことだろう。この家はそれほどの高みにあると知り、気づく。
 おそらくは、かの高き大樹。あれこそがエルフの住まいであり、ひいては集落であり村でもあったのだ。なればこそ、寄りかかるベオルの存在が彼女の目についたのだろう。

「ここに、ひとりか」
「はい」

 エルフは私ひとりしかいませんが──と、彼女がそういったのは誇張でもなんでもないらしい。エルフどころかこの森に生きるものはエレンディラを除いて獣一匹たりとも見当たらない。なかば聖域と化した森は人の目につくことも滅多にないという。
 破落戸や魔物のたぐいから侵略を受けぬのは幸いといえよう。だがそれは、いかんともしがたい彼女の孤独を意味していた。森を出ようにも、周囲には水場にも事欠く過酷な荒れ地が広がるばかり──彼女が力ある術師だとしても、娘ひとりで放浪できるような土地では決してない。
 そこにきてのベオルという闖入者は、いわばエレンディラにとって久方ぶりの客人だったのだろう。余人ならば眉をひそめるところに、歓待一色で迎え入れられたのにも理由があったというわけだ。

「──人恋しと察すれど、下手な色目を使うものではない」
「えっ」
「え?」

 あるいはこれも酷な言葉であろうか、といった矢先にエレンディラが目を丸くする。
 悲嘆の色はまるでなく、むしろ呆気にとられたように口がぽかんと開いている。

「オークはエルフを襲わないのですか」
「襲わぬ」
「ですが二日も寝込んでいれば溜まるものもあるのでは」
「溜まらぬ」
「辛抱堪らぬという意味のそれですか」
「全くもって違う」

 振り返っていうエレンディラの態度は全くの素である。面差しは平然としているがために表情はうかがえない──白い頬に薄っすらと朱が差しているばかりだ。ほのかに息が上下している──それにつれて、布越しにもかたちのわかる胸元がかすかに揺れる。
 そしてエレンディラはちいさく屈みこむと、ベオルの脚元にひざまずく。獣めいた姿勢は精霊種の誇りを傷つけるに至らぬのだろうか。そのちいさな身体は両足爪先の狭間を割って入るようにして、気圧されたオークの顔をじっと見上げる。
 近づきすぎた、という失態の感が悪寒とともに迫った時にはすでに襲い。
 エレンディラのか細い指先が伸びる。咄嗟に飛び退こうとして、窓際の壁に背中がついた。そして背後は──断崖絶壁とはいわぬが、地上を遥か彼方に見下ろすほどの高所だ。

「今すこしお待ちください」
「なにするんですかちょっと」
「おめしものを少々」
「脱がさないでやめて」

 万事休すとはこのことだった。

「待て、待つのだ、ちょっとなんだその影はんほおおおおおおおおおおおおッッッ」

 あらぬ野太い声が響きわたったが、それを聞くものはエレンディラをさしおいては誰もなかった。


「残念です」
「ゆるせ」
「至極残念です」
「勘弁してください」

 殺される前に逃げようと思った、わけでは無論ない。
 果実と木の実に木の根などを主体にした食事をご相伴にあずかり、その日のうちにベオルはこの森を辞することにした。
 この場所は居心地がよく、エレンディラは彼を拒みもしないが──だからこその決断だ。ずるずると滞在を長引かせれば決断が緩む。いたずらに長居を続けることは、彼女にもいらぬ期待を起こさせるかもしれない。ならば、早いうちに去るべきだった。

「ろくに返礼もできぬは、心苦しいが」
「すでにいただきましたとも」
「──と、いうと」
「苗床に」
「えっ」

 オークは訪れたときと同じよう、大樹の根本に降り立った。エレンディラは彼に向き合い、その背を見送るかのごとき様子である。
 当の娘に告げられたベオルは思わず体を硬直させる。エルフの乙女を穢したという事実にも大いにはばかられるものがあったからだが、彼女の口にしたようなことは身に覚えが全くない。

「うそです」
「そ、そうか──責任を取らねばならぬところであった」
「そうしてくれましたか」
「無論」

 ベオルは戦士である以前に男だった。戦争はいつでも男がやるものであり、つまり戦争は不幸な女を生む。それを減らすのが戦士の仕事だ。ゆえに、自ずから不幸な女をつくりだしては世話がない。頷くベオルに、エレンディラの静謐をたたえる面差しがちいさな笑みをしのばせた。
 物憂くも淡く花咲くように。

「それは、惜しいことをしました」

 面白がるようにゆがむ口許を秘めるように掌が隠し、瞳をすがめる。ベオルは視線を切って背を向けた。未練を押しつぶすためだった。

「ではな」
「はい」
「我が名を出せばもしもの時、同朋はよくしてくれるはずだ」

 それは餞別といえるほどのものでもないが、せめてもの礼代わりというものだった。
 エレンディラはすこし考えたあと、物思わしげに首をかしげていう。

「心配いりません。私には勿体無いものでしょうから」

 エレンディラが深々とお辞儀をする。そしてベオルが確かな歩みを踏み出す最中、背後でとぷんと音がした。
 それは水面のごとき影の暗闇に娘が沈みこむきざしであったが、オークはもはや振り返らない。
 交わっていた大樹の影とオークの影が離れ、そしてゆっくり遠ざかった。

 一歩一歩、地を確かめるように草地を踏み分けていく。なかばさまようように踏みこんだ森であったが、開けた視界のおかげで迷う心配はほとんどない。穏やかな日差し、清浄な空気、冷たく清らな水──それらとはしばしのお別れだろう。いささかならず惜しみながらも、ベオルは考える。
 それは自分に出来ることは無かったのか、ということだった。
 エレンディラはこの森にただひとりでいる──あり続ける。それが望んでのこととは思われないし、望ましいことでもないだろう。なにか神聖なものがこの森を守護しているかのようであったが、それが保証するのは安全である。それだけだ。それで十分ではないかといえるかもしれないが──エレンディラに、この地を離れるをよしとせぬわけがあったか。
 今はエレンディラただひとりしかいないこの森も、以前からそうであったとは限らない。種を同じくする者の、約束された土地。その忘れ形見こそが、この森であったとするならば。
 ──考えても、詮無いことだった。歩み続けるうち、次第に荒れ地が地面の割合を増していく。森をかき分けた向こう側に広がるのは無謬の荒野だ。草木一本とて嗅ぎ回るように探さなければ見つかりもしない。
 ここが"冒険者の死地"。かの森と決定的な一線をもって隔絶された場所。名残りを惜しむ気持ちと、あるべき場所に戻ってきたという実感がベオルの胸の内にわきあがる。そして、感慨を覚える暇もなくそれを見た。

「──ああ、」

 全身装甲(フルアーマー)小鬼(ゴブリン)大隊、その一隊。百体規模の魔物で構成されたそれが、"冒険者の死地"における敵戦力の基本単位である。この地における最も単純な遠征任務(クエスト)、"鬼退治"は大隊一個の殲滅を意味した。
 それぞれが重金属の鎧や兜をそなえ、思い思いの武器を手にする悪鬼の群れ。圧倒的な数の暴力が、ベオルのほとんど目と鼻の先にある。辺境から足を伸ばせば辿り着く"死地の虎口"ではさして珍しくない戦力だが、早々と出くわすのは不運の証だ。彼らの餌食になった野党崩れの死体がほうぼうに転がっているが、ベオルはそれを気にも留めない。
 小鬼の大隊はそれぞれに楽器のごとく武器を打ち鳴らし、耳障りな戦場の凱歌を謳いあげながら戦列をベオルへと向けた。ただ一匹の孤立したオークは、彼らにとって蹂躙すべき外敵と見られたのだ。数の圧倒的優位がそれを妥当な判断として補正する。
 対するベオルは大隊に向かって一歩踏み出す。そして力強い吸気を行った。よどんだ大気が全身にみちていく。オークの逞しい肉体が一周り膨らんだように強張りを帯びる──瞬時に戦闘状態へと遷移したのだ。野太く張り詰めた血管が全身に激しく気血をめぐらせている。
 べオルは非理の術を使えない。まずもって才能がない。エレンディラがやってみせたような呪術などもってのほかだ。自然界に充満する力(エーテル)を媒介して世界を改変するというのがあの手の術の基本だが、オークという種族にはそもそも術への適正が全くなかった。
 だが、似たようなことならできる。力への確信とでもいうべき意志が現実の世界をねじ曲げ、筋力だけでは説明のつかない威力が敵に対して発揮される。それは結果だけを見れば、神秘にも等しい超常の顕現だろう。
 人々はそれを、武術と呼んだ。

「オオオオオオオオオオオオオオッッ!!!」

 "周天功"──全身に張り巡らせた力を存分に躍動させ、ベオルが駆け出す。得物は何も持っていない。
 だが、武器はある。それは男の身体にふたつ、決して欠くことなくそなわっていた。
 振りかぶり、何のためらいもなく鋼の全身鎧に叩き付けられる拳。それは呆気無く装甲を打ち抜き、小鬼の胴体を貫き、背中から突き抜けるまで抉った。
 横合いから槍や剣先が突出されるが、ベオルは止まることがなく突き進んでいる。小鬼の死体を投げつけながら、ひるんだ瞬間に地を踏みしめる。

「グッ」

 脇腹に槍が突き刺さるが構わない。地を蹴る。
 オークの戦士に伝わる体捌きにして特殊歩法"縮地"。それはただの一歩にして千里を進む武術の極地だ。ベオルはそれを移動ではなく、攻撃に転用する。圧倒的な加速と、その制動力を敵へと叩きこむのである。

「ガアアアアアアアアアアアアアッッ!!!!」

 その速度は目に見えるものではない。事実、小鬼の大隊は一匹たりとも反応することができなかった。"縮地"からの"鉄山靠"──肩を全力でぶっつける体当たり。"羅刹身弾(らせつしんだん)"という名の絶技が一匹を襲い、撥ね飛ばされた一匹がその勢いで二次災害を引き起こしながら四七匹をすりつぶした。大隊の一列が玉突き式に崩壊し、まともに受けた一匹は骨も残らない。
 血と肉にまみれた土を踏みしめながら、ベオルは大隊の中心に堂々と立つ。敵大隊はすでに萎縮しきっており、半数以上は戦意を喪失してしまっていた。潰乱した部隊がまともに戦えるはずがない。
 なおも迫る小鬼を果実のように握りつぶす。それがまさに皮切りであったように、小鬼大隊は潰走を始めた。全身装甲であるがゆえの裏目──機動力のなさがあらわになっていたが、ベオルはそれをさして追うことはなかった。士気を損ないばらばらとまとまりなく逃走する彼らを殲滅するのは大変な面倒だからだ。

「おれのやれることなど、こればかりか」
「けれども、十分です。私はそれにきっと助けられる」
「いらぬ慰めだ」

 ぽつりともらしたつぶやきに、澄んだ声色が返ってくる。それにベオルは肩をすくめながら応じた。

「────えっ?」

 聞こえるはずのない声を聞いた気がする。声のした方にすわ幻聴かと振り返ったベオルはそれを見た。
 まごうことはない。とぷりと水面が泡立つように、ベオルの影から白金の髪先を覗かせるエレンディラの姿だった。

「ウワアアアアアアアアアアアアアアアアアア」
「よろこびすぎです」
「違います」

 どうやってここに、とは言うまでもないだろう。己の影に沈んだかと思われたエレンディラは、その実ベオルの影に沈んでこっそりとついてきていたのだ。
 あいにくエレンディラの影は大樹のそれに覆われていたせいで見えなくなっていた。つまり、ベオルの影と重なっていても区別がつくことはない。彼には避けようのないことだった。

「なぜ、ここに」
「もう冒険に出るしかないと思いました」
「良いのか、あの森は」
「たまには里帰りしたいです」

 それでよいのかとベオルは思わず白目を剥いた。元からだが。

「ここは、危険だぞ」
「承知の上です。冒険ですから。それに」

 エレンディラは影から生ずるように姿を現せば、何の気なくベオルの傍らに立った。遥か巨体をちいさく見上げ、あっけらかんという。
 その表情は、いやに自信に満ちたものだった。

「お礼はまだでした。護衛を、してほしいです」
「本気か」
「ついていきたいだけです」
「正直なのはいい」

 ベオルの表情が思わず引きつりそうになる。皮肉のたぐいだが、エレンディラは静かに笑った。どこか嬉しげでさえあった。

「あなたを見ていて、私といえど気がつきました」
「というと」
「清純なお付き合いから始めるべきでした、と」
「なんで……?」
「"押して駄目ならもっと押せ"、祖母の教えです」
「壊れるぞ」

 この場合に壊れるのはベオルだから問題はないといえばない。
 逡巡するベオルの尻を叩くようにエレンディラが寄りそう──つとめて距離を取るようにすれば自然と歩み出すかたちになる。エレンディラは彼に従うよう、ごく自然についていく。

「──やれるだけはやるが、守り遂せる確信はない」
「あれほどでも、ですか」
「おまえが初めておれを見たとき、どうなっていたか、忘れたか」

 自嘲するような様子では全くなかった。強大な力を持っているがゆえに、厄介事も寄せざるをえない。それがベオルというオーク戦士──その勇士ともいえる強者の境遇だった。
 しかし対するエレンディラは事も無げにいう。

「あなたが死にかけたら、引きずり戻します。例え手遅れになろうとも。黄泉路を渡って引っ張ってさしあげます──何度でも」

 あまりにも、決然と。

「エルフの女は、こわいな」
「子孫代々お伝えくださいましたら」
「全くだ」
「私たちの子に」
「はめたなおまえ」
「私ははめられるほうです」
「やめて」

 荒れ地を進みながらの丁々発止──歩幅はまるで違ったが、その歩みは自然と合わさっていく。

「それと、おまえではなく、エレンと」
「すこし距離が近い」
「私は、ベオと」
「非常に距離が近い」
「注文が多い口を塞ぎましょうか」
「物理的に近い!!」

 迫るちいさな身体はベオルの掌に呆気無く押しやられる。それでいて気圧されたところは全くなかった。
 というより、ベオルのほうがよほど気圧されていた。

「では、行きましょうか」
「目的があるのか」
「愛の巣を求めて」
「聞いたおれが間違っていた」

 親子以上にもかけ離れた身の丈ふたつが、戯れめいて掛け合いながら行く。
 後年に有数の二人組と知れる冒険者、"鉄血"ベオルと"呪祷"エレンディラの出会いは、つまるところこのようなものだった。
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