第193話 違和感の正体
ギデオンが消えた会場には、奇妙な静けさが残っていた。
歓声も悲鳴もない。ただ、魔力が抜け落ちたあとの、薄く冷えた空気だけが漂っている。
剛志は深く息を吸おうとして、喉がひどく乾いていることに気づいた。指先に、まだ力が入ったままだ。
「……安全は、一応確保できたわね」
町田桃花が静かにそう告げる。声は落ち着いているが、視線は忙しなく会場全体を巡っていた。
破壊はほとんどない。建造物の損傷も軽微だ。
だが、それで終わりだと誰も思っていない。
「世界中に流れた、ってのが一番厄介ね」
万葉が短く吐き捨てる。腕を組み、苛立ちを隠そうともしていない。
剛志は頷きかけて、途中で動きを止めた。
胸の奥に、嫌な既視感が浮かび上がってくる。
――前にも、似たことがあった。
日本にA.B.Y.S.Sが宣戦布告してきた、あの時。
表では大きな騒ぎが起きて、皆の目がそちらに向いている間に、裏で“本命”が動いていた。あの時の本命は“全ダンジョンのスタンピード”だった。
剛志は会場を見渡す。
天井、照明、観客席の段差、機材の陰。
視線を走らせるほどに、その感覚は強まっていった。
何かきな臭い。うまくは言い表せないが、直感のような部分がそう警告を発している。
「……これ、似たようなことが前にもあったよね。A.B.Y.S.Sのやり口だ。大胆な行動をしつつ、それを本命の隠れ蓑にする。その動きにそっくりだ」
剛志がそのようにみんなに話しかけると、その反応は予想通りと言わんばかりに、町田所長が頷くのが見える。
返事はすぐには来ない。端末に目を落とし、数秒の間を置いてから顔を上げる。
「わかってるわ。だから、もう本国とは繋いでる。今、問題が起きていないか確認中よ」
その言い方が、剛志の感覚を裏づけた。
すでに“次”を見ている。それも感じ取っているのは自分だけではないということは、その懸念は概ね当たっていると見ていいだろう。
そこで町田所長が本国からの連絡を受け、剛志達に共有してくれた。
「国内は、今のところ大きな異常なしね。ただし速報ベースよ。確定じゃない」
「……なるほどな」
臼杵が低く呟く。
視線は床ではなく、空間そのものを探るように彷徨っていた。
そんな中、剛志の発言が沈黙を割く。
「それと、もう一つ」
剛志は言葉を選ぶように、ゆっくり続ける。
「今回はギデオン本人が、直接来た。あれもかなり引っかかる。インパクトだけなら、映像をいきなり映すだけとか、やりようはいくらでもあるだろ?」
万葉が片眉を上げる。何かを考えているような表情だ。
「A.B.Y.S.Sの戦闘力を見せつけに来たってだけではない、ってことかしらね」
「あるいは……何らかを置いていったか」
西園寺正義が即座に継ぐ。
真っ直ぐな視線が、剛志と交差した。
「見落としは致命的になりうる。徹底的に洗おう」
その言葉を受けるように、イチロイドの声が割り込む。
『報告があります。探索精度を一段階引き上げました。その結果、会場内に多数の微弱な魔力反応を確認しています』
剛志は即座に詳細情報をイチロイドに問う。
「数は?」
『かなり多いかと。ただし、戦闘力は極めて低いと思われます』
イチロイドは投影した簡易マップに、点在する反応を示す。
『おそらくは観測、伝達に特化した存在と推測されます。……見て、知らせる役割でしょう』
「なるほどね。諜報用ってわけね」
万葉がそう言って納得する。
それに対し、剛志も小さく頷いて返す。
「本人が来た理由は……これだろうね」
その瞬間、剛志の迷いは消えた。
やるべきことは、もう決まっている。
「西園寺さん」
剛志が視線を向ける。
「各国にも、状況を共有してください。あなたが言ったほうが連絡が早い」
西園寺は即座に頷き、通信を繋いだ。
ほどなくして、各国代表の反応が返ってくる。
「オーケー。動けるぜ」
そう言ってやってきたのはジャクソン・グレイだ。彼は肩をすくめておちゃらけた様子だが、その目は真剣そのものだった。
「ただし、情報の共有は絶対だ。独り占めはナシな」
そこに、ジャクソンと一緒にやってきたアリシアが話し出す。
「手順はこちらで整えましょう。連絡等も、こちらが引き継ぎます」
アリシア・モーガンは微笑みを浮かべたまま、声だけは平坦だ。
そして英国紳士のエドワード・ブラックウッドが、手袋を整えながら冷静に言い放つ。
「混乱は、これ以上広げません。今回の件は、ここで食い止めましょう」
剛志はそれを聞きながら、すでに指示を飛ばしていた。
「イチロイド、Cゴーレムを展開して。俺たちの得意分野だ。会場に散らばったウイルス達を、殺菌消毒といこうか」
剛志のその一言でイチロイドが動き出し、会場は一気に“作業場”へと変わる。
Cゴーレムが壁際、照明、床下、機材裏へと散開していく。
剛志の指示に、ゴーレムが即応し、どんどんと会場内にばら撒かれた諜報用の魔物達が倒されていく。
淡々と、確実に。
そして、ほどなくして、会場内の反応はすべて消えた。
『マスター。殲滅作戦、完了いたしました』
イチロイドの報告に、ようやく剛志は一息をつく。
その時だ。アリシアが剛志の前に立ったのは。
拍手も賛辞もない。ただ、真っ直ぐな視線を剛志に向けたまま、アリシアは話し出す。
「今回はとても助かったわ。ありがとう。でもあなたの能力は、もっと多くのもののために使われるべきだと思うわ。我々と一緒に来るつもりはない?」
剛志は一拍置いてから、軽く頭を下げた。
「ありがとうございます。でも、その提案は丁重にお断りさせていただきます」
視線を上げ、はっきり続ける。
「協力はします。ただ、現時点でどこかに所属するつもりはありません」
ジャクソンが小さく笑った。
「言うじゃねえか。嫌いじゃねえぜ、その返し」
そんなこんなで、なんとか会場内の異物の排除を終えた剛志達は、一息ついていた。
そこに、本国と再度連絡を取っていた町田所長が、状況を伝えてくれる。
「国内は、現時点で大きな事件は起きていないわね。依然、警戒レベルは維持だけど……」
西園寺が静かに呟く。
「今回は……こちらの会場で、先程の奴らを放つことが本当の狙いだったのかな」
西園寺の呟きを受け、剛志は会場を見渡しながら応える。
「そうだといいですけどね」
場面は変わり、A.B.Y.S.Sの本拠地に戻ったギデオンが、現在進行形で排除されていっている自身の諜報用精霊達を通して、サミット内の状況を確認しているシーンへと移る。
ギデオンは、離脱先で流れてくる情報を見ていた。
「……そのうち見つかるとは思っていたけど、思ったよりも早いね」
諜報用精霊の反応が、予想より早く途切れている。
少しだけ目を見開き、すぐに楽しそうに笑った。
「やっぱり、君か。岩井剛志。君の存在は厄介だな」
その時、ギデオンの元に部下からの報告が入る。
『各国ダンジョンへの監視装置、設置完了しました』
「うん。上出来だ。こっちのお遊びはバレてしまったようだけど、そっちは問題ないようだね」
ギデオンは軽く頷いた。
「今はダンジョンの状況を正確に把握することが一番重要だ。それを、まだ誰も知らないのだからね」
そう言って通信を切ったギデオンは、とても楽しそうに笑っている。まるで、新しい玩具を与えられた子供が、それでどう遊ぼうか考えているかのような表情だ。
彼の本当の目的は、まだ明かされていない。しかし、ただ地上すべてをダンジョン空間にするというA.B.Y.S.Sの目的だけが、ギデオンの目的ではないということなのか。それとも、その目的のために必要な動きなのか…
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