第190話 世界探索者サミット・初日
会場の入口をくぐった瞬間、空調の冷たさが肺の奥まで刺さる。
明るい照明、磨かれた床、柔らかい絨毯の足音。それらは一流ホテルのそれなのに、漂う緊張だけが場違いに濃い。各国の警護が同じ方向を向いていて、誰もが「相手の背後」まで計算して立っている。
「……すげえな。ここ、戦場じゃねえのに戦場みてえだ」
臼杵が、声を落として呟く。剛志は返事を言葉にせず、短く頷いた。返事をするだけでも耳が拾う。そんな空気が、受付の列にまで染みている。
カウンターの向こうでは、バッジが次々に発行されていた。名前、国、階級ではなく“探索者”としての識別番号。タグの色で役割が分かる仕組みらしい。剛志は自分の首元にぶら下がったカードを見下ろし、軽く指で弾いた。薄いプラスチックが、妙に重い。
『周辺監視、継続します。会場内の監視網は非常に密です』
イチロイドの念話が一定の温度で届く。変わらない声に、剛志は呼吸を整え直した。
受付を抜けると、広いホールが視界いっぱいに開く。国旗の列が天井から垂れ、中央には巨大なスクリーン。そこに映っているのは“島”の衛星映像と、ダンジョン空間を示す解析図だった。
「見せつける気満々ってわけね」
万葉が肩をすくめる。口調は軽いのに、目は一切笑っていない。
その視線の先、人だかりの中心に、見覚えのある顔が二つあった。
一人は、鋭い目をした男――ジャクソン・グレイ。写真よりも落ち着いた佇まいで、周囲の騒がしさを背中で遮っている。
もう一人は、温度の消えた女――アリシア・モーガン。歩幅の揺れすらなく、まるで“決められた手順”だけで前へ進む人間みたいだった。
剛志が視線を向けた瞬間、アリシアの目がこちらを掠めた。気づいたのに、気づいていないふりをする。そんな視線の切り方だ。
「……あの人が議長役、ですよね」
百花が小さく呟く。声が震えているのを隠すように、帽子のつばを押さえ直した。町田所長が横で気づいたのか、ほんの少しだけ身を寄せて距離を詰める。
「大丈夫。緊張してもいいのよ。」
柔らかい語尾なのに、支える手は迷いがない。百花は唇を結び、浅く頷いた。
ホールの奥から、案内のスタッフが手を振った。日本代表の導線だ。剛志たちは、視線を感じながらも歩みを崩さず、指定された区画へ向かった。
そこは“表の会場”から一段奥まった場所で、壁も扉も厚い。入り口に立つ警護が、金属探知のゲートではなく、魔力反応のスキャンを持っているのが見えた。
扉が閉まると、外のざわめきが嘘みたいに消える。
会議室は楕円形のテーブルがある。そして各国の席が円を描き、中央にはホログラムの地図が浮かんでいるのが見える。さらに島の周囲、領空、領海がダンジョン空間に覆われているのが、線で明確に示されていた。
アメリカの代表、アリシア・モーガンは席に着くなり、視線で全員を一周した。確認ではない。数える目だ。
「始めるわ」
低い声が、室内の空気を一枚硬くする。
「ここに集まったのは、“顔合わせ”のためじゃない。A.B.Y.S.Sを前に、世界が同じ土俵に立てるか――その最低条件を決めるためよ」
彼女は指先で端末を叩き、議題を映し出す。文字は簡潔で、容赦がなかった。
『共同交戦規定(暫定)』
『救助優先順位と撤退基準』
『探索者の保護枠と情報管理』
『統合指揮権(案)』
「結論から言うわ。統合指揮がないと、現場は崩れる。崩れた現場は、必ず政治の責任に回る。そうなる前に、手順を作る」
“手順”。その言葉に、剛志は喉の奥が乾くのを感じた。
そんな中。中国のリン・シャオロンが、椅子の背にもたれずに口を開く。声は静かだが、硬い。
「指揮権は国家にあるべきだ。探索者は国家資産だ。資産の運用は国家が決める」
まるで当然の前提のように言い切る。その瞬間、空気が一度だけざらついた。
「資産、ね」
万葉が鼻で小さく笑う。笑いは短く、刃だけが残る。
西園寺が、万葉を制するように一度だけ手を上げた。動きは穏やかなのに、止める力がある。
「リンさん。日本は探索者を資産とは見ません。協力はする。でも、従属はしない。そこは譲れない」
言い終えた後、西園寺は視線を逸らさずにリンを見る。言葉より、姿勢で線を引いた。
アリシアは眉を動かさないまま頷く。
「いいわ。意見が割れるのは分かってる。だから“暫定”なのよ。まずは現場を死なせないルールだけ作る。管理の話は後でいい」
その“後でいい”が、本当に後になるのか。剛志は考えかけて、思考を止めた。今は、流れを読む方が先だ。
もう一人のアメリカ代表、ジャクソン・グレイが、椅子の肘掛けに置いていた手をゆっくり外した。彼の発言は、場の温度を変える。
「現場は、理屈より先に人が死ぬ」
短い言葉なのに、重い。彼は一度だけ息を吸い、視線をアリシアへ向けた。
「統合指揮って言い方は強すぎる。混乱の元だ。俺が欲しいのは“共通言語”だよ。撤退基準、救助優先、交戦禁止ライン。そこだけ揃えれば、命令系統が違っても動ける。そうだろ?」
アリシアの目がわずかに細くなる。反論ではなく、計算の目だ。
「分かったわ。じゃあ言い方を変えましょう。“指揮権”じゃなく“交戦規定の統一”。それなら飲める国も増えるはずよね」
イギリスのエドワードが、紅茶でも持っていそうな余裕の笑みを浮かべたまま口を挟む。
「言葉を整えるのは大事です。人は単語で戦争を始めますからね。まずは規定、私は賛成ですよ」
その柔らかい声に、場の角が少しだけ丸くなる。だが、丸くなったぶん、次の刃が入りやすくもなる。
アリシアが視線を剛志へ向けた。真っ直ぐだ。逃げ道のない直線。
「日本のゴーレム使い。岩井剛志。あなたはどうなの?」
名前を呼ばれた瞬間、室内の視線が一斉に集まる。剛志は背筋を伸ばし、言葉を選びすぎないようにした。ここで詰まるのは弱さだ。
「俺は、現場を回すためにゴーレムを使ってます。誰かの道具になるためじゃありません」
言い切ったあと、剛志は一拍だけ間を置き、視線を外さず続ける。
「共通ルールは必要だと思います。撤退の線引きとか、救助の優先とか。そこが揃わないと、味方同士で死ぬことすらある」
ジャクソンが小さく頷いた。万葉は口を開かずに、剛志の横顔だけを見ている。
アリシアは、淡々と結論を置いた。
「いいわ。じゃあ第一分科会は“交戦規定”。第二は“保護枠と情報管理”。第三は“共同訓練”。今日中に枠組みだけ作る。賛成?」
返事は同時ではなかった。国ごとに間が違う。だが、反対の声は出ない。出せない空気を、アリシアが作っている。
その瞬間、ホログラムの地図が切り替わった。島の周囲に、赤い点が複数浮かぶ。襲撃地点――ではない。拉致未遂の発生地点だ。
アリシアの声が一段だけ低くなる。
「そして最後。ここが本題よ。A.B.Y.S.Sは、もうすでに動いてる。優秀な探索者を狙った“回収”が始まってるわ。そして連れて行けない場合は――消す」
言葉が落ちた瞬間、会議室の温度がさらに下がった。
剛志の背中に、嫌な汗が滲む。万葉の指先が、テーブルの縁を一度だけ叩いた。音は小さいのに、怒りが分かる。
「……つまり、私たちは“会議”をしてる間にも、狩られてる可能性があるってことね」
万葉の声は冷えている。でも、芯は熱い。
アリシアは頷く。
「そうよ。だからこそ、我々はここに集まった。見せる必要があるの。世界に向けて――探索者はバラバラじゃないって。A.B.Y.S.Sに“手を出すと面倒だ”って思わせるためにね」
その言い方は、脅しに近い。だが、今はそれが必要だとも思えた。
町田所長が、初めてはっきりと声を出した。主導ではない。補強だ。場の動きを、現実へ落とす声。
「……なら、見せ方もルールに入れましょう。誰が前に立つか、誰が守りに回るか。そこが曖昧だと、狙われた瞬間に崩れますよ」
アリシアは視線を町田所長へ向け、短く笑った。笑いは薄い。
「同意するわ」
室内の空気が、無言で締まる。
剛志は息を吸い、吐く。今日ここで決まるものが、世界の形を少し変える。そんな予感がした。戦闘じゃないのに、心拍数だけが戦闘のそれに近い。
『周辺に不審な魔力反応はありません。ただ――視線が増えています』
イチロイドの念話が、淡々と告げた。
剛志は、椅子の背に沈み込まずに座り直す。これからは、言葉も武器だ。沈黙も武器だ。
世界探索者サミット。
その核心は、今まさに動き出したばかりだった。
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