第188話 1ヶ月の月日と出発の日
横浜第三ダンジョン、地下八十階層。
空気が重い。湿っているわけでもないのに、肺の奥に微細な粉塵が溜まっていくような感覚がある。そんな中、視界の端で黒い粒がざわりと動いたのを確認した。
次の瞬間、それは“波”となった。地面を覆うほどの働き蟻が、数百単位で一斉に押し寄せてくる。
「……地下80階層はいつ見ても意味わからない難易度だよな」
岩井剛志が息を吐き、指先を軽く振る。空間に魔力の線が走り、前衛の位置に小型ゴーレムが次々と展開された。
蜂の羽音が、上から降ってくる。働き蜂が層を作り、針の雨みたいに突っ込んでくるのが分かる。避ける余地なんてない数だ。
「上も来るぞ、剛志!数が洒落になってねえ!」
臼杵健司が杖を引き寄せるように構え、足元の雪気を薄く広げた。床の表面が一瞬で凍り、蟻の先頭が滑って崩れる。
『前方三十メートル、指揮官種を確認。魔力反応が突出しています。推定、レベル一〇〇〇近い個体です』
イチロイドの念話が、冷静に状況を切り分けて届ける。群れの動きが一瞬だけ整い直したのは、その個体が“合図”を出したからだと分かる。
蟻はただ多いだけじゃない。退路を潰し、足場を崩し、上から蜂を落としてくる。戦術として成立している。
「了解。臼杵、上は薄く削って。俺は面で潰す」
剛志は言いながら、視線を一段遠くへ投げた。前線のゴーレムが一斉に“壁”の形へ変わり、その裏からさらに別のゴーレムが飛び出していく。
『展開速度、問題ありません。補給ライン維持。消耗率は想定内です』
イチロイドが戦場の“回転数”を上げる。剛志は途切れさせないために、失った分を補うようにゴーレムを召喚し続ける。
「地下80階層は普通の探索者だと体力が持たない恐ろしい階層だけど、無限にゴーレムを召喚できる剛志にとってはある意味戦いやすいな。まあ、だからと言って簡単ということもないけどな」
臼杵が苦笑しながらも、目は笑っていない。雪気の膜を張り替え、蜂の突撃の角度をずらして被害を減らしていく。
剛志が戦いやすいのは、人間の体力で受けないからだ。ここは、耐久と回転を要求する階層だ。普通の探索者は持久戦の時点で折れる。
だが剛志の前線は、消耗するのが人間ではなく“物量”だった。尽きる前に補う。補う前に展開する。戦い方が階層に噛み合ってしまっている。
『右側面、蜂群が厚いです。臼杵さんの射線に合わせ、ゴーレムの高度を三メートル上げます』
イチロイドが淡々と調整し、空中を滑るゴーレムが蜂の列を裂く。臼杵がそこに合わせて魔法を叩き込み、群れの一部が凍りついて落ちた。
剛志は一瞬だけ前線を見渡し、頷いた。戦線は維持できる。維持できるなら――この場所は“稼ぎ場”になる。
そして、その稼ぎ場に辿り着くまでの一ヶ月は、体感では瞬きみたいに短かった。
新宿で“日本代表”としての枠組みを固めた直後から、剛志たちには時間が足りなくなった。ダンジョンで強くなる必要は増したのに、ダンジョンの外でも動きが求められる。
だから剛志は、効率を“上げる”のではなく、道のりそのものを“短縮する”決断をした。
横浜第三ダンジョンの過去の最新到達記録は、地下七十四階層。そこから先は、現役の最上位でも足を踏み入れない領域だった。
「一気に行くぞ。臼杵、万葉。今回はちょっと無茶しようと思う」
剛志がそう言ったのは、ちょうど一ヶ月前。万葉と臼杵の力があったからこそ、剛志の“無茶”は現実になった。
最初の一週間で、七十九階層のボス部屋を突破し、地下八十階層へ繋がる転移陣を解放した。山場の象徴は、ブラックドラゴンだった。
巨大な影が天井を塞ぎ、炎と鱗の圧で呼吸すら削る。あれを倒して初めて、横浜第三は“地下八十階層”に手が届く場所になった。
そこから残りの三週間。剛志は“稼ぎ方”を分けた。
剛志と臼杵、そしてイチロイド本体は地下八十階層へ張り付いた。ここは推奨レベル一〇〇〇の化け物領域で、臼杵はまさにこの帯域で戦える人間だった。
一方、宮本万葉と宮本百花は地下六十階層へ戻った。剛志が再設置したモンスタードームに魔物を集め、剛志が貸し出したゴーレムで処理する。
だが、その場にいる探索者は宮本姉妹だけだ。経験値は彼女たちだけに入る。そういう“仕組み”を利用して百花のレベルを引き上げ、空いた時間は万葉が百花に修行をつけた。
剛志たちは、必要なものを必要な場所に集め、最短距離で数字を伸ばしてきた。ダンジョンの外が騒がしくなった今、遠回りはできない。
地鳴りのようなざわめきが現実へ戻す。目の前の八十階層は、今まで見なかった系統の魔物に塗り替わっていた。
働き蟻と働き蜂。末端が大量に襲い、数百という群れが平然と形を変える。その中に、レベル六〇〇〜七〇〇相当の個体が当たり前に混じる。
さらに厄介なのが、レベル一〇〇〇近い“指揮官種”だ。そいつが混じるだけで、群れの質が跳ね上がる。
まだ浅いエリアなのに、これだ。クイーンの存在は未確認だが、上位がいるのは構造上ほぼ確実だった。
「剛志、左の壁際。指揮官っぽいのが動かしたぞ」
臼杵が短く言い、顎で示す。剛志は視線を合わせ、すぐに魔力の線を引き直す。
「了解。そこだけ潰す。イチロイド、集中マーク」
『了解。対象の周囲に誘導圧を付与。群れの再編を阻害します』
イチロイドの指示で、空中のゴーレムが“壁”ではなく“楔”になる。群れの形が崩れ、指揮官種の周辺が一瞬だけ孤立した。
剛志はそこに合わせ、ゴーレムを一段厚くした。数の暴力で押すのではなく、数で“形”を作る。八十階層の戦い方は、もう身体に馴染み始めていた。
やがて前線が落ち着く。剛志が手を軽く握り、展開を止めた瞬間、戦場の音が一段遠くなる。
「……よし。今日はここまで。転移で上がろうか」
臼杵が頷き、肩の力を抜く。息を整える仕草が、疲労の深さを物語っていた。
この一ヶ月、激動で、一瞬だった。だが積み上げたものは確かにある。
地上へ戻ると、組合の動きが増えているのが分かる。チェックが厳格化し、移動の導線が短く切られている。誰かが狙う前提で、世界が回り始めていた。
そして、今日は。世界探索者サミットへ向けて飛び立つ日だ。
正直、百花を連れていくかは迷った。だが、剛志たちや会長が動くサミット帯同の方が、国内に置くより安全だという判断になり、同行してもらうことにした。
百花は荷物を抱え、少しだけ不安そうに視線を上げる。万葉がその肩に手を置き、何も言わずに目を細める。剛志はその二人を見て、小さく頷く。
守るべきものが増えるほど、守るために強くならなきゃいけない。剛志たちは、そのためにここまで走ってきた。
そんな剛志たちのステータスがこれだ。
【名前】:岩井剛志
【職業】:ゴーレムマスター
【パーティメンバー】:臼杵健司・宮本万葉・宮本百花
【スキル】:所持制限無視・多重思考・二重詠唱・自動記録・高速展開・自動防御補助・全属性耐性・不屈の心
【職業スキル】:ゴーレム作成・ゴーレム再作成・支援魔法【ゴーレム】・ゴーレム強化・ゴーレム異空庫・ゴーレム償還・ゴーレムカスタマイズ・特殊ゴーレムコア作成・ゴーレムアップデート・高速召喚
【レベル】:876(414up)
HP:6,061/6,061(3,130up)
MP:17,156/17,156(8,694up)
攻撃力:3,375(1,706up)
防御力:6,840(3,544up)
器用:8,578(4,554up)(+121%)
速さ:7,247(3,726up)
魔法攻撃力:10,253(5,200up)
魔法防御力:12,127(6,160up)
(※所持ゴーレム数は省略)
【名前】:臼杵健司
【職業】:賢者
【パーティメンバー】:岩井剛志・宮本万葉・宮本百花
【スキル】:雪魔法・怜耐性・視界良好・気配遮断
【職業スキル】:全属性魔法・支援魔法・MPバリア・MP自動回復・魔力暴走
【レベル】:1023(111up)
HP:5,197/5,197(437up)
MP:20,841/20,841(3,638up)
攻撃力:2,388(437up)
防御力:2,435(437up)
器用:3,802(582up)
速さ:2,454(437up)
魔法攻撃力:25,230(4,074up)
魔法防御力:23,212(3,201up)
【名前】:イチロイド
【種類】:マザーゴーレム
【スキル】:【増加】・【成長】・並列思考・思考加速・解析眼・自動記録・情報整理・思念伝達・情報共有・意識連結・模倣・シミュレーション思考・自動修復・再生・構造把握・魔力循環・魔力吸収・持久・分体生成・遠隔操作・形状記憶・自立思考・インベントリ
【レベル】:690(473up)
HP:7,210/7,210(4,257up)
MP:16,660/16,660(6,622up)
攻撃力:4,240(2,838up)
防御力:9,400(4,730up)
器用:25,800(9,460up)
速さ:15,470(6,149up)
魔法攻撃力:8,100(4,730up)
魔法防御力:12,780(5,676up)
【名前】:宮本 百花
【パーティメンバー】:岩井剛志・臼杵健司・宮本万葉
【職業】:気功闘士
【スキル】:自動回復
【職業スキル】:気功術・身体強化・移動術・格闘術
【レベル】:409(394up)
HP:2,156/2,156(2,109up)
MP:719/719(703up)
攻撃力:2,157(2,109up)
防御力:2,156(2,109up)
器用:1,439(1,406up)
速さ:2,156(2,109up)
魔法攻撃力:123(123up)
魔法防御力:231(231up)
【名前】:宮本万葉
【パーティメンバー】:岩井剛志・臼杵健司
【職業】:刀聖
【スキル】:一刀両断・肉体制御・気配察知・空間把握
【職業スキル】:刀聖術・抜刀術・歩行術・HP自動回復・絶対領域
【レベル】:1325(4up)
HP:27,073/27,073(260up)
MP:4,127/4,127(28up)
攻撃力:27,728(308up)
防御力:19,107(182up)
器用:18,436(172up)
速さ:25,492(345up)
魔法攻撃力:2,874(28up)
魔法防御力:2,865(24up)
数字が並ぶだけで、世界がどれだけ変わったかが分かる。剛志たちは、もう“国内の一ダンジョン”で完結する存在じゃない。
臼杵が小さく息を吐き、視線を遠くへ向けた。そこには、これから向かう空の果てがある。
「……準備はできてるな」
剛志は頷き、百花の手荷物の位置を確認してから、イチロイドの方へ意識を向ける。
『搭乗までの導線は組合が確保済みです。周辺の監視も並列で回します。移動中の情報遮断も問題ありません』
イチロイドの念話はいつも通り落ち着いている。その落ち着きが、剛志の背中を支える。
こうして剛志たちは、世界探索者サミットへ向かうため空港へ向かった。
ダンジョンの戦場から、世界の戦場へ。舞台が変わるだけで、求められる強さの種類も変わる。
それでも剛志は、足を止めない。止める選択肢が、最初から存在しないからだ。
本作品を楽しんで頂きありがとうございます。
ブックマークや評価、感想、リアクションなどをしていただけますと幸いです。




