第187話 一般市民の声と時間経過
《どこかにいる子育て中の母親視点》
スーパーの特売コーナーは、普段通りの声と音で満ちていた。なのに天井のテレビだけが別の世界で、ミサイルが空中で弾け、何か光るものが返されていく映像を流している。
レジ待ちの列で、娘が私の袖を引っ張った。
「ママ、あれなに?花火?」
花火、と答えられたら楽だった。私は娘の目線をそっと下げるように、手を握り直す。手のひらが汗ばんでいるのが分かった。震えているのは、娘じゃなく私のほうだ。
「……遠いところで、危ないことが起きてるのよ」
曖昧な言い方しかできない。周りの母親たちも、似た表情でテレビを見上げていた。誰かが言いかけて、やめる。子どもが聞いている。声にすると現実になる。そんな空気がある。
そんな中、近くで年配の男性が鼻で笑い、買い物かごを持ち上げた。
「探索者ってのは結局、国が管理しなきゃダメなんだよ。あんなの放っといたら、何しでかすか分かったもんじゃねえ」
その言葉に、別の女性が反射的に反論しかけた。けれど息を飲み、視線を娘のほうへ滑らせて口を閉じる。私は胸の奥で頷きかけて、同時に嫌悪も感じる。怖いから管理しろ。怖いから縛れ。そんな理屈で、誰かの人生を決めていいのか。でも恐ろしいのも本心だ。
会計が進み、レジの人がいつも通りの声で「袋いりますか」と聞く。その日常の丁寧さが、逆に異様だった。私は袋を受け取り、娘の手を引いて出口へ向かう。自動ドアが開いた瞬間、外の風が冷たく頬を叩いた。
駐輪場で自転車の鍵を開けながら、近所のママ友が小声で話しかけてきた。
「さっき、学校から連絡来たの。もしものときの“避難訓練”、増えるんですって」
もしものとき。何の“もしも”なのか、言わなくても分かる。私は笑って誤魔化そうとしたけど、口角が上がらない。
「……うちの子には、ただ普通に大きくなってほしいだけなのにね」
娘は何も知らず、買ったばかりのパンを抱えてはしゃいでいる。その姿が眩しくて、私は目を細めた。
守るべきものが、急に増えたんじゃない。守れると思っていたものが、急に薄くなっただけだ。
《ダンジョン配信者の視聴者視点》
スマホの縦画面に、推し探索者の切り抜きが流れてくる。巨大な魔物を倒して、笑って、視聴者コメントを拾って。昨日まで、それは現実逃避の一番いい形だった。
なのに今日は、コメント欄が荒れていた。
「探索者は兵器」
「国が管理しろ」
「A.B.Y.S.S.みたいなのが出るから」
俺は布団の上であぐらをかき、片手で頬を掻く。腹が立つのに、反論の言葉が出てこない。怖い、という感情が先にあるのが分かるからだ。
配信のアーカイブが更新され、通知が鳴った。見れば、いつもの「攻略」じゃない。雑談枠。タイトルは短い。
“今のニュースについて”
開いた瞬間、推しの声が少しだけ硬い。画面の向こうで、机に手を置き、視線を一度落としてからカメラを見る。いつものノリがない。
「普段俺たちが戦ってるのはダンジョンで、相手は魔物だ。……でも、ここ最近は色々と世間が騒がしい。政治とかのしがらみがこっちを見てきたなら、無視できなくなる部分もあるよ」
コメントが一気に流れた。「無理しないで」「守られて」「行くな」。俺は息を止めて画面を見つめる。守ってほしいのはこっちだ。今まで、探索者が“勝ってくれる”から、俺たちは日常を維持できた。なのに今は、その探索者が“管理される側”になりかけている。
推しが小さく笑う。けれど目は笑っていない。
「引き抜きとか、圧力とか、そういう話が裏で動いてるって噂を聞いたよ。でも俺は、誰の道具にもなるつもりはない」
その言葉に、なぜか涙が出そうになる。格好いいからじゃない。怖いからだ。道具にならないと言った瞬間、彼は敵を増やす。敵は魔物じゃない。国だ。組織だ。世論だ。
俺はコメント欄に打つ。指が震える。
「俺らは何したらいい?」
送信してから、すぐに後悔する。何かしていいのか分からない。推しが画面越しに少し黙って、肩で息をついた。
「……俺たちが勝手に背負わされてた“期待”を、いったん降ろしてくれ。俺らも人間だから。さすがに抱えきれないよ」
その瞬間、コメント欄の空気が一度整った気がした。俺はスマホを握りしめたまま、天井を見上げる。
英雄を応援していたつもりで、英雄に逃げていた。
現実が追いついてきた今、俺の“応援”が、重荷にならない形を探さなきゃいけない。
《元自衛官視点》
動画の一時停止を押しても、頭の中で爆発音が鳴り続ける。俺はリビングの椅子に深く座り、膝の上で両手を組んだ。若い頃、似た匂いの現場を見たことがある。だからこそ分かる。これは訓練じゃない。作戦でもない。事故に近い。
画面の中で、ミサイルが空中で消える。迎撃。しかも、島からの反撃が“魔法”だの“弓矢”だの、ふざけた単語で説明される。ふざけてるのは説明じゃない。現実だ。
隣の妻が洗い物の手を止め、こちらを見た。
「……ねえ、あれ、本当に現実なの?」
俺は返事が遅れた。返す言葉を探している間に、喉が乾く。
「現実だ。だから厄介なんだ」
テレビのコメンテーターが“国際社会の枠組み”とか言う。俺は鼻で笑い、リモコンを握り直す。枠組みで止まる相手じゃない。戦力で止められないから枠組みを作る。順序が逆だ。
「国が負ける映像を、一般人が見ちまった」
俺がそう言うと、妻が眉を寄せた。俺は続ける。言葉にしないと、飲み込まれてしまう。
「今までは、国が守る。危ないのは外。そういう物語があった。でも今日、守る側が手も足も出ないってバレた。これから世論が荒れるぞ。探索者を管理しろって叫ぶ。怖いからな」
妻は唇を噛み、黙って頷く。キッチンの水音が再開しない。家の中まで、音が消えている。
俺はテレビを消した。暗くなった画面に、自分の顔が映る。
「……管理したって、間に合わない。世界が変わった以上、こっちも変わるしかない」
妻が小さく言った。
「じゃあ、私たちはどうなるの」
俺は一度目を閉じ、息を吐く。
「どうにもならないようにするために、変えるんだ。守り方をな」
探索者に全部背負わせるのは違う。だが、探索者を縛るだけでも足りない。国の戦力と、探索者の戦力と、社会の覚悟。全部が噛み合わないと、次は日本が“見せられる”側になる。
その想像が、腹の底を冷やした。
《“探索者反対”の市民活動家視点》
市民センターの小会議室は、蛍光灯が白すぎた。白い光は、どんな顔色も同じにする。だから都合がいい。ここでは、誰もが“正しい側”に見える。
ホワイトボードには大きな文字で“探索者管理法案を求める”と書かれている。拍手が起き、マイクを握った男が声を張った。
「我々は差別を望んでいるのではありません!ただ、危険物は管理すべきだと言っているだけです!」
その瞬間、胸の奥が熱くなった。俺は椅子に深く腰を落としたまま、手のひらを叩く。軽い音がした。小会議室の拍手は薄い。だが、その薄さが逆に確信に似ていた。ここにいる人間は、日常を守りたいだけだ。
壇上のスクリーンに、例の島の映像が映る。ミサイルが空中で弾け、戦闘機が落ちる。画面の向こうで起きている破壊の規模が、生活のスケールと合っていない。だから余計に怖い。
「見てください!探索者は国家を超える戦力です!ならば国家の管理下に置くのが当然でしょう!」
当然、そうだ。俺は頷く。頷きながら、腹の底で別の感情が蠢く。怒りだ。
なんで、あいつらは“選ばれた側”みたいに振る舞えるんだ。なんで、法律の外側に立てるんだ。俺たちは、税金を払って、ルールを守って生きてるのに。
隣の女性が、拳を握りしめて頷いた。
「そうよ。あんなのが野放しだから、テロリストが国を作るのよ」
俺は息を吐き、胸の中で同意を重ねた。野放し。まさにそれだ。
探索者がいるからダンジョンから守られている? そんな理屈は分かっている。分かっているからこそ腹が立つ。守ってる側だからって、何をしても許されるのか。
質疑応答で、若い男が手を挙げた。声は震えていた。
「でも、探索者がいなかったら、今頃もっとダンジョンに食われてませんか」
会場の空気が一瞬だけ止まる。俺は思わず舌打ちしそうになって、喉の奥で止めた。こういう“善意”が、一番厄介だ。善意は、危機感を鈍らせる。
壇上の男は笑顔を崩さないまま、マイクを握り直した。
「もちろん功績は認めます。だからこそ、功績ある人々を国家が“正しく”守る仕組みが必要なのです」
正しく。俺はその言葉に安心する。首輪? 支配? そんな言い方をする奴がいるから議論がこじれる。
これは首輪じゃない。免許だ。銃や車に免許があるのに、国家を超える力に免許がないのはおかしい。俺たち一般人の“安全”が、探索者の気分ひとつに左右される社会なんて、狂ってる。
会場の拍手が起きる。俺も強く叩く。手のひらがじんと痛い。痛みが、正しさの証明みたいに感じる。
怖いから縛りたい? 違う。怖いから“整える”んだ。秩序に戻すんだ。例外を例外のまま放置するから、A.B.Y.S.S.みたいな連中が生まれる。穴があるから、そこから人が落ちる。
会が終わり、駅前でビラを配る。紙束が風で揺れ、指先が冷える。俺は背筋を伸ばし、通り過ぎる人に声を出した。
「お願いします。署名だけでも。探索者の管理を、法で――」
受け取らずに通り過ぎる人もいる。睨む人もいる。けれど、それでいい。嫌われてもいい。
好かれるためにやってるんじゃない。守るためにやってる。俺たちの生活を。子どもを。明日の仕事を。いつもの夜を。
A.B.Y.S.S.の異常さが怖いんじゃない。
異常な力を持った人間が、“どこにも所属しない”まま生きられることが怖い。
だから俺は、国家の檻を肯定する。檻がない世界の方が、よほど地獄だ。
《探索者の家族視点》
父が探索者だと、昔はちょっと自慢だった。だけど今は、学校でその話をしたくない。
帰宅すると、母が玄関先で靴を揃える手を止めた。顔が白い。テーブルの上には、父の連絡先がメモされ、何度も書き直した跡がある。
「おかえり。……ねえ、今日、学校どうだった」
母は笑おうとして、失敗した。私はランドセルを置き、テレビを見た。画面の中で島が燃えているように見える。ニュースの言葉は難しいのに、怖さだけは分かる。
「……ねえ、探索者って、悪い人なの?」
私が言った瞬間、母の目が揺れた。怒りじゃない。悲しみと疲れだ。母は私の前にしゃがみ込み、目線を合わせる。指先が冷たい。
「悪い人じゃない。むしろ……守ってくれてる人たちよ」
その言葉の後、母は言葉を探す間を置いた。口元が震える。
「でもね、世の中が怖くなると、“守ってくれる人”が“危ないもの”に見える人もいるの」
私は理解できたようで、できない。守る人が危ない。何それ。母は私の頭を撫で、視線をテレビから外した。
玄関の鍵が回る音がした。二人とも跳ねる。ドアが開き、父ではなく宅配便が立っていた。母が受け取りながら、笑って謝る。笑いがぎこちない。
荷物を置いた後、母が小さく呟いた。
「誇りがね……標的に変わっちゃったのよ」
その言葉が、胸に刺さった。私はテレビを消し、母の手を握った。
父の戦う場所が、魔物だけじゃなくなった。
それが、こんなに怖いなんて知らなかった。
《海外出身の日本在住者視点》
コンビニのレジ前で、店員の日本語がやけに速く聞こえた。流暢じゃない自分の耳が悪いのか、世界が急に忙しくなったのか。どちらでも同じだ。置いていかれる。
店内のテレビが、島の映像を流している。周りの客が顔をしかめ、誰かが「アメリカが攻撃してもダメってどうなってんだよ」と吐き捨てる。私はカップを握り、熱さで現実に戻る。
外へ出ると、同郷の友人からメッセージが来ていた。
“帰って来いって親が言ってる”
“こっちも危ないかも”
危ない、という言葉が、国を跨ぐ。私は返信を打ちかけてやめた。どこが安全か、誰にも言えない。
職場の休憩室でも話題は同じだった。上司が冗談めかして言う。
「海外の探索者とかも、これから日本に来るかもな。お前の国はどうなるんだ」
冗談だと分かっているのに、胸が痛む。私は笑って誤魔化し、視線を紙コップへ落とす。コーヒーの表面が小さく揺れている。自分の手が震えているせいだ。
「……分からないです。ニュース見ても、分からないです」
そう言うと、同僚が気まずそうに頷き、話題を変えた。変えられる話題じゃないのに、変えるしかない。空気がそうさせる。
帰りの電車で、乗客同士の会話が耳に入った。
「引き抜きとか始まるぞ、絶対」
「外国人の動きも制限されるんじゃね?」
“外国人”。その単語が、急に自分の肩に乗る。私は窓に映った自分の顔を見た。ここに住んで、働いて、税金を払って、友達もいる。それでも世界が怖くなった瞬間、私は“外側”に押し出される。
家に着き、ニュースを消した。静かになる。静かになっても安心しない。私は深呼吸し、家族にビデオ通話をかけた。画面の向こうで母が笑い、すぐに泣きそうな顔になる。
「大丈夫?そっちは安全?」
私は笑って頷いた。
「大丈夫。……たぶん」
たぶん、が一番怖い。
国が変わるとき、境界線は地図じゃなく人の心に引かれる。
その線を越えないように、私は今日も日本語で丁寧に笑う。
《主人公視点》
新宿ダンジョンでの話し合いから、約一ヶ月の月日が流れた。
その間、もちろん剛志たちは今までよりも効率を考えたレベル上げを行っており、それによってこの一ヶ月は凄まじい成長が見られたのだが、そのことに触れるのはもう少し後になるだろう。
A.B.Y.S.Sが建国を宣言してから約一ヶ月。世界の情勢はかなり変わり、色々なものが動き出そうとしていた。
この一ヶ月は、いきなり発生したA.B.Y.S.Sの国(まだ正式名称も決まっていない)との戦争状態や、世論などが荒れた一ヶ月だった。
それがある程度落ち着き出した現在。若干遅いかもしれないが、ようやく国同士が手を取り合うための体制がまとまってきたというのが建前だ。
そして今、剛志たちのパーティーと西園寺たちのパーティーのどちらも招待されて、世界各国の優秀な探索者たちが一堂に会する世界探索者サミットが開かれようとしていた。
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