第三幕2場 二重唱「代わりがいると言われても/お前の代わりはいないのだ」
せっかく湖水地方に行ったので旅行記も書き、ゲンスフライシュ商会が発行している月刊誌に、湖水地方を舞台にした恐怖小説の連載を始めた。
『もし悪』で、少女小説という枠からはみ出せたおかげだ。
以前書いた『二人の令嬢』にオペレッタ化の話が舞い込み、そちらの準備を進めていたところ、とんでもないニュースが入ってきた。
かつての婚約者、フランシス様が投資詐欺に連座し、逮捕されたのだ。
ニュース週刊紙の記事によると、他国から嫁いでいらした奥様の金遣いが荒く、悪い人に担がれて悪事に手を染めてしまったらしい。
フランシス様は名を使われただけと主張されたけれど、フランシス様ご自身の勧誘で被害に遭った方々の証言もあり、言い逃れできなかったようだ。
フィリップス先生のお宅に夕食に招かれた時におうかがいしたら、次期侯爵という立場でたくさんの貴族を騙した前代未聞の事件なので、詐欺罪の上限の懲役10年に近い判決が出るのではないかとのことだった。
多額の損害賠償請求も行われるだろうから、出所してもおそらくは債務者監獄入りだ。
お母様がおっしゃるには、侯爵家は解体されるという噂もあるらしい。
フランシス様の被害者のリストにはジンバルドー伯爵家も入っていた。
コンチェッタはどうしているのかと『貴族年鑑』を見てみたら、未婚のまま家にいるようだった。
昔婚約していた方は、別の方と結婚している。
今にして思えば、コンチェッタはフランシス様に妙に気に入られたがっていた。
フランシス様の好みに合わせたり、折々、小さな贈り物をしたり。
私とフランシス様の婚約がなくなり、後釜を狙って果たせず、当時の婚約者からも見限られてしまったのだろうか。
フランシス様は別の方と結婚したのに、伯爵家がお金を出したのがよくわからないけれど、妻とは離婚するとかなんとか言いくるめられてしまったのかもしれない。
ふたりとも、断罪型の「悪役令嬢」物でよく描かれる、悪事を働いた者の末路のようだ。
でも「ざまをみろ」とは到底思えなかった。
舞踏会の事件がなく、私と結婚していたとしても、フランシス様はどこかで身を持ち崩していたのではないかと思った。
きっと私は止められない。
フランシス様も私も、自分に軸というものがない、ふらふらと流されるしかない人間だから。
きっかけになったクラウディア様には本当に申し訳ないけれど、ヴェルロットと縁が切れていたのはよかったのかもしれない。
オペレッタ『二人の令嬢』の上演が始まった。
初日から悪くはなかったけれど、特に第一幕終わりの二重唱「代わりがいると言われても/お前の代わりはいないのだ」が、ニュース週刊紙の演劇欄で、「みずみずしい若さに満ち溢れ、人の胸を打つ」と評されて、満員御礼がぼつぼつと出るようになった。
弟王子と比べられ、いざとなったら弟王子に王位を継がせるといつも追い立てられている兄王子と、逆にお前の代わりに王太子妃が務まる者はいないとプレッシャーをかけられている令嬢が、苦しさを吐露し、自分自身を認めてほしいと救いを求める歌だ。
私も一度観に行くことにした。
人目につきにくい席をと、奥のボックス席をとってもらい、フィリップス先生にエスコートしていただいて、開演直前に滑り込むように席に着く。
「向かいのボックスが、今回のスポンサーです。
『よろしければ、幕間にでもサインをぜひお願いしたい』と。
どうされますか」
「は!? なにを仰っているの!?」
私が人に会えない事情は、先生もよくご存知なのに。
たとえ興行のスポンサーでも無理だ。
今更なにを言っているのかと問い詰めようとしたら、向かいのボックス席にかかっていた紗のカーテンが開かれた。
お父様だ!
お兄様夫婦も!
見知らぬ紳士に寄り添った、おなかの大きなルーシアも!
もうお一方……最新流行のドレスに身を包んで輝くばかりにお美しいクラウディア様もいらっしゃる!
皆、私の本を1冊ずつこちらに向けるように持っていた。
お父様は『二人の令嬢』。
お兄様は『もし王立学院の悪役令嬢がジョナーリの「観光客の視線」を読んだら』。
アンジェリカ様は『目が覚めたら伯爵令嬢になっていた時に読む本』。
ルーシアは『乙女座の淡き星影』初版。
その隣の紳士は3作目の『不器用な女騎士』。
クラウディア様は『乙女座の淡き星影』特装版の婚約者バージョンだ。
懐かしい姿に涙が溢れた。
お父様、少し老け込まれている。でもお元気そう。
でもなぜ?
私は家から切り捨てられた人間なのに。
「クラウディア・デュロン伯爵夫人はたまたま『乙女座の淡き星影』をお読みになり、大変感動されるとともに、もしかしてテレーゼ様がこの作品をお書きになったのではないかと直感されたそうです。
ブラッドリー先生は人前に出ないことで有名ですから、クラウディア夫人は人を介してファブリーツィオ侯爵家に連絡を取られました。
本当にテレーゼ様があの作品を書かれたのならば、ぜひ和解したいと」
「ああ……」
夢中で書いた、あの時の思いが伝わっていただなんて。
「クラウディア夫人は、侯爵家の方々にことの経緯を詳しく説明されました。
夫人は、卒業されるテレーゼ様に一言謝罪するつもりだったのですが、言葉を交わす前に、テレーゼ様が急によろめかれたとかで。
周囲の反応のせいで、わざとテレーゼ様がワインをかけたということになってしまいましたが、しばらく経って落ち着いてから思い返すと、どうも故意には見えなかったと。
学院を退学されていましたから、改めて訂正することもならず、あの場で違うとはっきり声を上げるべきだったと悔やまれていたそうです」
「そんなこと……クラウディア様は、被害者なのに」
侯爵家の長女で、卒業生だった私でも、咄嗟に対応できなかったのだ。
まだ1年生のクラウディア様が、上位貴族で年上でもあるコンチェッタやフランシス様に抗って、流れを変えるのはいくらなんでも無理だったろう。
そうでなくても、私がお母様のドレスを駄目にしてしまって、ショックを受けられていたのだし。
「夫人が連絡を取られる前から、侯爵家の方々も、テレーゼ様はあの時、本当のことをおっしゃっていたんじゃないかと思うようになられていたそうです。
立派に自活されるだけでなく、心温まる、素晴らしい作品を次々と世に送り出されていましたから」
「あんな少女小説を……お父様やお兄様も!?」
先生は苦笑した。
「もちろんです。
ともあれ、夫人の説明を聞いたご家族は、やはりそういうことだったのかと腹落ちされた一方、テレーゼ様が家を出られたのは、ご自身達を見限ったからなのだ、今更どう償えばよいのかと思い悩まれたのですが。
サラさんが、テレーゼ様のお心はご家族から離れているわけではないと皆様を説得して、このようなかたちになったのです」
「サラが?」
どうしてそんなことを、と聞き返しかけて、思い当たった。
きっと、家族がどうしているのか一度だけ訊ねた、あの夜のことだ。
私は、家族に捨てられたのだと思っていた。
だから、あの夜以外、家族の動向をジーヴスにもサラにも聞くことはなかった。
でも、そうではなかったのだ。
ずっと、皆、私のことを思ってくれていたのだ。
おずおずと手を振ると、皆、手を振り返してくれた。
思わず笑みがこぼれる。
あちらも皆、ほっとしたような笑顔になった。
片手でそっと振るのでは足りなくて、両手をぶんぶんと振る。
貴族の女性がして良い所作ではないけれど、知ったことじゃない。
ルーシアも、涙ぐみながらめちゃくちゃ手を振っている。
クラウディア様が茶目っ気たっぷりに投げキスをしてくださったので、泣き笑いしながらお返しした。
「幕間と言わず、今からあちらにいらっしゃいますか?」
「ええ! ええ!」
先生は、ボックス席の重いドアを急いで開けてくださった。
開演のブザーが鳴り響く中、誰もいないロビーを全力で走る。
「お姉様!! ごめんなさい!!」
ルーシアが飛び出してきて私にしがみついた。
慌てて受け止めて、おなかに障らないよう気をつけながら抱きしめる。
お兄様が出てきて、しいっと唇の上に人差し指を立て、私達はこっそりボックス席に入った。
泣きじゃくるルーシアをなだめながらもう一度抱き合い、クラウディア様と抱き合い、アンジェリカ様と抱き合う。
お兄様とも、お父様とも。
お父様が涙ぐんでいらっしゃる姿を初めて見た。
なるべく静かに、皆で着席する。
私の右にはお父様。
左にはクラウディア様。
序曲が終わり、幕が上がる。
私はクラウディア様と笑みをかわし、お父様の手をぎゅっと握りしめた。
最後までご覧いただき、ありがとうございました!
オペレッタ観劇の場面で終わったので、カルロス・クライバーの「こうもり」序曲でもおひとつ。
https://www.youtube.com/watch?v=tMpw61jE6Rs