第2幕 勉強会という名の雑談あるいは〈反則〉(2)
「やっぱさぁ、御厨先輩は不動先輩とデキてんのかなぁ」
「恐らくね。部長も副部長もそんな素振りちっとも見せないけど、まず間違いないよ」
「やっぱそうだよねー、お似合いだもんなぁあの二人」
勉強どころか恋愛もやる気が失せた、とばかりに盟がカーペットの床に大の字になりウーンと唸った。
それに応じてか、網戸の向こうの風鈴が涼しげに鳴った。
「あんな美男美女のカップル、そういないもんね。くっつかないほうがおかしいよ」
二日前までの夏期合宿では、二人とも結局初めの数日に軽く顔を見せたきり、残りは凡て大学受験に向けての講習に参加していた。
常に明るい茅逸先輩と憧れの太鳳先輩、それからほんのちょっと気になるようなならないようなの航也がいてくれれば充分楽しい合宿ではあるのだが、やはり最上級生二人が欠けていると華がないというか物寂しい感じは否めないし、実際そんな日々だった。
しかも、だ。
顧問の月島曰く、あの二人は超強力な異能を有しているのだという。
神仏や伝説上の人物の名を冠した特殊能力……通称〈反則〉。
事実、ほかの部員たちも皆超人的な技能を持っていた。
武器を〈創出〉する太鳳、茅逸の桁外れの格闘能力、航也の人間離れした敏捷性、といった具合に。
そしてそれらを上回るかもしれぬ、まだ見ぬ部長と副部長の〈反則〉。
オスターバーグは、そういった隠れた〈反則〉を嗅ぎつけ、探し当てているのだ。
墓守としての使命を全うするために、〈反則〉を駆使することは必要不可欠なのである。
……それに引き替え、わたしときたら。
「おーい、聞いてる? 何暗ーい顔しちゃってんのよ」
物思いに耽っていたところを、いつしかグラスにお代わりを注いでいた盟に呼ばれた。
「あ、ありがと。なんでもないよ」
「部室の備品壊したの思い出してブルーになってんでしょ。今日のチャリみたくさ」
「うるさいな」
それに引き替え枢子ときたら、他人に誇れるような〈反則〉など欠片ほども持ち合わせていない。
何故わたしが選ばれたのかと思い悩むこともしばしばで、何か常人と異なる点があるとすれば、精々が身に着けた物や手に触れた物を壊してしまう、持ち前の巡り合わせの悪さくらいか。
こんな負の能力、たとえ〈反則〉の一種だとしても、ないほうがましだった。
性格の悪さでは前後に落ちない顧問に〈解体屋〉と渾名されたのも、この非常に困った体質が災いしてのことだ。
枢子は脚を崩して己が右脚に視線を落とし、ふうと息を吐いた。
「そんなに落ち込むなって。ほら飲みな。お代わりたんとあるから」
「はいはい。頂きます」
「グラス割らないでよね」
「あたしゃゴリラか」
大体、枢子の場合はその選出方法からして異様だった。
前述の通りオスターバーグは啼き声により墓守部に相応しい人物を選び出す。
例外はそれまでただの一度もなかったという。
枢子と顔を合わせるまでは。
――――――✂キリトリ線✂――――――
現に入学して間もない航也に対しては、従来通りワンワン吠えることで入部資格があることを示していた。
登校時に偶然そこを通り掛かった枢子は、その眼で現場を目撃したのだ。
見たこともない新入生の男子と、白犬を連れた可憐な少女を。
「ワウワウワウワウワウワウワウ、ワン!」
「えっ、な、何、どうしたのワンちゃん」
「……?」
「オスターバーグ……お主もしや、二人目も見つけたのか?」
それなのに、犬の挙動に眼を瞠る散歩係の――のちに一学年上の簓木太鳳という女子生徒だと判るのだが――美少女を尻目に、かのお犬様はすかさず枢子の前に立ち塞がったばかりか、金縛り状態の彼女の右足首に、豪快に咬みつくという荒業をやってのけたのである。
「ガウッ」
「きゃーっ!」
「ワフーッ」
「こら、やめよオスターバーグ! 離せ、離さぬか」
「……なんスかこの犬」
――――――✂キリトリ線✂――――――
やんわりした咬合圧のお陰で怪我には至らなかったけれど、この一件で完璧に眼をつけられた枢子は、初対面の航也共々墓守部の部室に連れて行かれたのだった。
それがどれほど奇矯な部活であるのかなど、知る由もなく。
私立雅ヶ丘高等学校生徒会治安維持特務機関〈駆逐士会〉。
それが墓守部の正式名称なのだが、知る者はごく僅か。
のみならず、治安維持やら特務機関といった物々しさに対応する活動内容のほうも、一風変わったものだった。
少なくとも、仔細を耳にした枢子にはとんでもなく風変わりに聞こえた。
基本とも言える第一の活動は、学校の飼い犬であるオスターバーグの世話。
これだけである。
墓守というより、限りなく犬の飼育係に近い。
墓の在処は誰にも――役員職の二人はもちろん顧問の月島にも――判らないそうなので、別段中身の伴わない伝統的な作業なのだろう。
更にオスターバーグは散歩以外の目的では中庭を離れたがらないため、犬小屋はそこの一角に建てられているし、周辺の手入れや掃除など中庭に関すること全般も墓守部の役割だ。
しかし、である。
第一と言うからには、ちゃんと二番目の仕事も用意されている。
〈反則〉なる特殊能力は、この第二の部活動に深く関わってくるのだけれど……。
「まだブルーになってんの? 引き摺るタイプなのは知ってるけどさ」
「べっ別に」
「桐沢が若宮先生に気に入られてるのが心配なんだ」
悪戯っぽく微笑む盟。
「あんたまたそういうことを」
「ホントだって。授業のあと呼び出されてたもん、あいつだけ。そんなに成績悪くないのにさ。変でしょ?」
彼女のゴシップ収集能力は大したもので、これがもし〈反則〉に認定されていれば、晴れて墓守部の仲間入りを果たしていたかもしれないと枢子は常々思っていた。
決定的瞬間に立ち会う確率の高さは、確かに非凡なものがあった。
問題は、それを利用してやたらに不安を煽ってしまう悪い癖を、度々発揮してしまうことだ。
「若宮先生すっごい美人だし、桐沢にその気がなくても先生の誘惑に負けちゃうかもよ」
「何よ誘惑って」
「ねーどうすんのどうすんの」
「うるさいわね。ほら、古典の課題やるよ。先生に怒られたくないっしょ」
「へーい。あー暑……早く秋になんないかねぇ」
風流な鈴の音に聞き入りながら、改めて机に向かう女子二人。
秋を形容する名詞は多々ある。
読書の秋、スポーツの秋、食欲の秋。
けれども枢子の心に去来するのは、そのどれでもなかった。
秋は文化祭の季節だ。
文化祭が始まれば……。
……墓荒らしどもと、戦い合うことになる。
――――――✂キリトリ線✂――――――
盟は構わないと言っていたものの、シャワーまで借りるのは気が引けたので、帰る間際に洗面所で顔だけ洗うことにした。
ふと航也に貸したタオルで顔を拭きたい誘惑に襲われたが、イカンイカンと首を振り、海棠宅のものを拝借する。
あとで触れてみたタオルはすっかり乾いており、少し拍子抜けした。
「じゃあね、また明日」
「バイバーイ」
盟と別れ、独り家路に就く。
夕陽の沈みきった住宅街。
外の温度は幾分下がっていたが、湿気が多くて不快指数はまだまだ高い。
楽しかった夏休みも今日でお終いだ。
修理に預けておいた例のブツを自転車ショップにて受け取り、調子を取り戻した自転車に乗って軽やかに走り出す。
万が一にも航也ともう一度逢うようなことがあれば、今度こそ減らず口はやめて素直に喋ろうかな……なんてことを思っているときに限って、一向に出くわす気配がない。
邂逅の神は、無欲な者にしかご利益がないようだ。
人気のない脇道に入る。
たまにはあいつでも喚んでみようかと様子を窺ってみたが、こちらもさっぱり応じる気配がない。
一抹の寂しさを覚え、自転車を止めてスマホを取り出す。
未読メッセージを示す通知はゼロ。
母からの買い出しの電話もない。
一層寂しくなった枢子は、かぶりを振ってペダルを踏み回し、すぐさま自転車をトップスピードに乗せた。
ちょっと前までは全然気にならなかったのに。
ボクサーが不覚にも貰ったボディブローのように、盟の放った航也と担任の女性教師に関する一撃が、じわじわと臓腑を締めつけていく。
これは……焦りか?
ったくもう。
さっすが焚きつけの天才だよ盟。
あんたが思ってる以上に、さっきの目撃談、効果覿面だったみたいだし。
航也のメアドすら知らないことが、実はとんでもないハンディキャップなのではないかと急速に思い始め、気持ちは夕暮れよりも早く、暗く落ち込んでいく。
……〈お祭り〉開催まで、あと二十三日。