第3幕 お祭りという名の文化祭あるいは秘密(1)
嗣原枢子が通う全日制の私立雅ヶ丘高等学校は、全寮制ながら自由な校風を標榜することで知られている。
例えば完全な私服はNGだがYシャツであれば多少色つきでも大丈夫で、女子の場合はリボンの着用、スカート丈なども各自の判断に任されており、染髪に対しても甚だしく見苦しいものを除けばさしたる規制はなかった。
他にも校則の大半は、創立時の生徒会が中心となって起草したものだという。
それは雅ヶ丘と名付けられた巨大な丘陵地の上に、近隣の商店街や住宅から隔絶した形で敷地が設けられている立地条件と、多少は関係があるのかもしれない。
外部の影響を被りにくい環境が生んだ、大らかな校風でもあるのだろう。
詳しくは知らないけれど、近場で古代の文書が掘り出されたりしているらしく、その筋では有名な発掘現場もここかしこに点在しているという。
――――――✂キリトリ線✂――――――
他の生徒らと同様、枢子も休み明けの本日より、実家を離れて寮と学校を行き来する元の生活に戻ることになる。
長い休みが終わったばかりの朝の教室は、去っていく休日に対する昨日までの名残惜しさが嘘のように、個々のテンションが恐ろしく高いものだ。
ベルが鳴る三分前に普通科一年一組のドアを開けた枢子は、雑然とした音の塊がムワッと迫り来るのを感じ、一瞬だけ尻込みした。
「おっはよー」
「おはよ」
「オッス」
いつもの何気ない挨拶まで新鮮に聞こえる。
枢子は自分の座席の近くに眼をやった。
斜め後ろの席に無愛想な顔つきで座る航也。
その隣席の盟は学生鞄を置いたまま出払っていた。
ふと眼を転じると、盟は数学の成績クラス一の女生徒の許で黙々と転写に励んでいる。
あとで見せてもらおう……そんな調子のいいことを考えつつ鞄を机に投げ出した。
「航也、おはよう」
「おう」
「ねえ、机一つ増えてない?」
左後方の、誰も座っていない机一式を指し示して言うと、
「転校生じゃないのか」
「ふぅん。どんな人か知ってる?」
「知らん。興味もない」
取りつく島もない態度は、新しい学期になっても改まっていないようだ。
他愛ない雑談は、授業開始を示すベルの無機質なメロディに早くも中断された。
「皆さん、早く休みボケから立ち直りましょうね。先生も本調子には程遠いですが」
朝のホームルーム。
そんな冗談に続いて担任の若宮葉摘が口にしたのは、今日来る予定だった転校生が、家の都合で転入を延期することになったという話だった。
平均以上の視力がある枢子の見た限り、担任の容色は休み前と比較してもそれほど磨きが掛かっていないようだ。
いよいよストップ高に達したか?
もっとも、これ以上手を加える必要がないくらい、既に若宮先生の目鼻立ちは充分整っていたのだが。
先生、質問! とお調子者が挙手をする。
その転入生が可愛いかどうかは先生知りませんよ、と先手を打つ担任教師。
どっと沸き返る教室内。
女子なんですか、それとも男子? と別の女子生徒。
来れば判ります、お楽しみはあとに取っておいたほうがいいでしょう、と思わせ振りな担任。
今年この学校に赴任してきたばかりだが、若いながら生徒のあしらい方は充分心得ている模様。
「かなり急なスケジュールだったらしいので、日程が合わなかったんでしょう。もしも来たら皆さん仲良くしてあげて下さいね」
「夏休みの宿題もやらないで、いきなり来るのは図々しいよなー」
調子乗りがずけずけと言ってのけると、担任は、編入試験の結果は全教科ほぼ満点、文句なしだそうですよ、とやんわり返した。
これまた騒然となる室内。
一方、枢子は数学の宿題を写させてもらう約束を後ろの盟に取りつけていて、クラスメイトたちの様子をほとんど気にも留めていなかった。
それでも冷ややかな視線を送る航也だけは、どうしても意識しないではいられなかったのだけれど。
――――――✂キリトリ線✂――――――
担任の先導で体育館に赴き始業式に参加したのち、午前中の授業を滞りなく終え、昼食は盟を含む仲の良い女子数人と教室内で。
食事は朝昼夕の三回とも住み込みの配膳係により支給され、昼食の弁当は敷地内であればどこで食べても良い決まりになっている。
花火大会の写メの回し見や、休み中に観たバラエティー番組などの話が終わると、話題は枢子の恐れていた方向へ転じていった。
航也がいないのをいいことに、合宿の出来事を詮索しまくる友人たち。
おかずを何品か犠牲にしてどうにかやり過ごしたが、実際何もなかったのに、あれこれ問い質されるほど困ることはない。
何もないよと言い返せば、どうして何もないのかと訊かれる始末。
「こうなったら、うちらがセッティングするしかないね」
「なんの話よ」
「ほら、今月〈お祭り〉があるじゃん。後夜祭の、フォ・オ・ク・ダ・ン・ス」
「フォークダンスなんてあるの?」
「知らないの? ま、参加するのは希望者だけだけどね。んでさ、うちの部の先輩が言ってたんだけど、曲が終わるタイミングで運良く好きな人が隣にいれば、かなりの確率でカップル成立しちゃうんだって」
「ウッソー、でもなんかありがち。都市伝説?」
「どっちかっつーと学園七不思議じゃない?」
よくある話だ。
しかも途轍もなく胡散臭い。
枢子は閉口した。
「こりゃ踊っちゃうしかないね。枢子も桐沢も」
「じょ、冗談じゃないって。誰がいい歳してフォークダンスなんか」
「そんなこと言ってると、マジで若宮センセイに持ってかれるね」
「あのねぇ」
「あーそっか、墓守部って〈お祭り〉のとき忙しいんだっけ。踊りたくても無理かもね」
「墓荒らしを追っ払うんでしょ? ねえ、なんなの墓荒らしって?」
「……さぁ」
「でもさぁ、真面目な話、枢子あんまりうかうかしてらんないと思うよ。転校生が女の子で、しかもとびっきりのキレイめだったりした日にゃマジヤバいって」
「引く手あまたってやつ? イケメンと年中一緒だと、苦労が絶えないねぇ」
「…………」
弁当の味が、どんどん味気なくなっていく気がした。
――――――✂キリトリ線✂――――――
午後の授業も恙なく終わり、清掃後の午後四時。
学業優先の生活サイクルに未だ慣れない重い体を大きな伸びと欠伸で強制リセットした枢子は、盟や女友達らと別れの挨拶を交わして部室に向かった。
航也は少し遅れていくとだけ言って先に教室を出て行ったが、なんの用かまでは訊いていない。
一緒にいるところを茶化されるよりは幾らかましだろう。
けれども、いくら自意識過剰気味とはいえ、向こうが故意に時間をずらして同行を避けているのだとすると、これはこれで厄介な問題ではある。
悶々としながら北棟三階へ。
生徒会室のすぐ隣が墓守部の部室だ。
治安維持という大義名分を掲げているせいか、平常時の地味な活動内容に比べ、待遇自体は悪くない。
専用の部室も充てられているし、枢子のように志望動機もなく、単に犬に咬まれたという理由で漫然と身を置いている者には、なんだか申し訳なく思われて気後れしてしまうほどだ。
年季の入った木製の札に記された〈墓守部〉の文字。
正式名称の〈駆逐士会〉はここでも採用されていない。
教室側の小窓を覗き見ると、既に何人かが入室しているようだ。
「どーも」
「おっ枢子ちゃん、航也は?」
一番近くにいた茅逸にいきなり言われ、枢子は戸惑いがちに、少し遅れます、と答えた。
出会い頭の先制パンチ。
さすが武闘家肌。
「こうなったら首輪でも巻いて繋ぎ止めておくしかないな。鎖が入り用なら、いつでも調達してやるぞ」
窓に寄り掛かっていた太鳳は真顔でそんなことを言い出した。
すると、
「あらまあ太鳳さん、悪趣味ですわ。まるで航也くんを愛玩動物みたいに」
と、副部長・不動軻遇夜の澄んだ声が響いた。
墓守部副部長にして生徒会書記を兼任する三年生。
口調がおっとりしているので、声質以上に物腰が柔らかく感じられる。
「ですけど、一度くらいなら見てみたいものですわね。航也くんくらい背丈があれば、ビザールなボンデージ衣装もさぞやお似合いでしょうし。ふふふ」
そう言って上品に微笑む彼女の知的そうな黒縁眼鏡が、一瞬妖しい光を宿したのを枢子は見逃さなかった。
「おー乗ってきた乗ってきた」
「ふん、お主のほうがよっぽど悪趣味ではないか。副部長の肩書が泣くぞ」
上級生に対しても、太鳳は全く歯に衣着せぬ物言いをする。
こういう毅然とした態度が、枢子の尊敬の対象となる所以でもあった。
「そうおっしゃらないで下さいな。今の愚見は、純粋な好奇心の現れに過ぎませんのよ。ねえ部長」
「僕も見てみたいね」
白い歯を見せてそう言ったのは、副部長と肩を並べて教壇に立っていた部長の御厨聚一郎。
さも面白いと言った風情で細長い指を口許に当てている。
「興味深い考察が可能かもしれない。ただオスターバーグに気に入られ過ぎて、嗣原くんが嫉妬してしまわないかが唯一心配だけどね」
「ちょっともう、なんですか部長までっ」
「あははは、部長ナイス。サイコー」
歓談に場が和んだところで、部長は隣に眼で合図を送った。
それを受け、副部長が白チョークを手に黒板に向かう。
ロングストレートの艶やかな髪が見事な光沢を帯びて長袖シャツの背筋を覆っている。
そんな副部長を眺める部長の眼差しがそれはもう優しくて優しくて……。
生徒会長にして墓守部の現部長でもある三年生の御厨は、文武を極めた俊英として学校の内外における有名人だ。
その人気の高さはいつ私設ファンクラブが結成されてもおかしくないほどで、枢子の悪友・盟も熱狂的ファンを自認する一人であった。
いつ見ても絵になる二人だなぁと、疎らにしか置かれていない長机の最前列に坐した枢子は思った。
片や眉目秀麗こなた容姿端麗。
典型的な理想の男女像だ。
その上双方共に成績優秀でスポーツもそつなくこなすとあっては、当然異性からの好意と同性の羨望を一手に引き受けるはずなのだけれど、既にカップル的状況が言外に成立しているため、彼らに水を差すような野暮な連中は盟も含めて表面上は独りも存在しない。
ともあれ、二学期初となる墓守部のミーティングは始まった。
「桐沢くんはもう少し遅れるそうなので、二学期の活動スケジュールの確認だけやっておこうか。校内の警邏担当、中庭の清掃係、及びオスターバーグのエサやり兼散歩当番のシフト組みは、全員揃ってからにしよう」
部長の発言に合わせ、黒板にサラサラと議題を書き出す副部長。
見た目に違わぬ美しい文字。
議事録を大学ノートに記しているのは、窓辺からど真ん中の机に移動した太鳳だ。
出入り口近くの茅逸は暇々オーラを発散しながら髪の先端を指で弄んでいる。
「あの、部長」
「なんだい」
「今日は月島先生は……」
「多分来ないだろうね。さっき会いに行ったら、シフトも何も全部任せると言われたから」
「まっ、いなくても問題ないっしょ。来たところで鼻毛抜きか居眠りしかしないんだし」
生徒たちの主体性を尊重するのは悪いことではないが、ちと放任し過ぎではないか。
夕方の犬の散歩くらいは、やってくれているのかもしれないけれど。
二学期に入ると、日頃の中庭管理・オスターバーグの世話だけでなく、今月下旬に開催される文化祭の準備及び見回り作業が新たな部活内容として加わる。
文化祭実行委員は当然ほかにいるのだが、墓守部にも別働隊として一任されている仕事があるらしく、〈駆逐士会〉たる墓守部員にとっては、むしろそちらのほうが重要度の高い、本来あるべき部活動の姿なのだという。
「今年もゲストは来ないの?」
露ほどの期待もない口調で茅逸が言う。
「その予定はないみたいだよ」
「お笑い芸人とか呼べばいいのにさァ。私立なんだし、そのくらいの金あるっしょ」
「あら、ゲストでしたら毎年たくさんいらっしゃるじゃありませんか」
にこやかに話しかける副部長。
「それってさ、呼んでもないのに性懲りもなくやって来るあの連中のことでしょ。ありゃ、いらっしゃるじゃなくて襲来でしょーが。ゲストっていうか〈招かれざる客人〉だね、あたいに言わせりゃ」