22話:音楽の旅・アメリカ南東部5
シャーロットの空港で昼食を食べて、グリーンズ・ボロのピエモント・
トライアド国際空港に隣接するホンダ・エアクラフトの工場を見学させて
もらった。まだまだ、これからの会社で、小型ジェット機を開発して、
10年、15年後に利益が出るが、今は、まだ赤字で、小型飛行機の開発
が主な仕事だと笑いながら言った。
その晩、芝山一郎と次子の招待で、近くのレストランでビールを飲んで、
食事をして、昔の思い出話を時間のたつのを忘れて語り、午後21時に、
シャーロット空港近くのホテルへ70分かけて送ってくれ、元気でと
言い、ハグして別れた。園と。木、あらだけ強気の次子が、別れが辛いと
泣き出し、母と抱き合っていたのが印象的だった。
翌4月24日、朝7時に起きシャーロット空港11時発アトランタ行きの
飛行機に乗り込み。アトランタに正午に到着した。直ぐにホテルに入り、
音楽の聴ける所を聞くとブラインドウィリーズだと言い予約をお願いした。
名所としては、まずワールドオブコカコーラ、ジョージア水族館、
アトランタ動物園といった。
今日は、ジョージア水族館とブラインドウィリーズと決めた。ホテル
で昼食を取り、タクシーでジョージア水族館へ到着した。まず、その大きさ
に驚いた。係員に聞いて見ると、この水族館は世界最大で、魚や生物の
収容数が群を抜いて多いのが魅力だと言った。長く続く水中トンネルは
まるで海中にいるようで。中でもジンベイザメやベルーガ白鯨は他の水族館
よりも数が多く、その悠々と泳ぐ姿は圧巻だった。
そのためにカメラのシャッターばかり押して、ここでも多くの写真を
撮りまくった。館内を回ると広くて、足が疲れて、16時にタクシーで
ホテルに戻り、仮眠して18時半に起きて、シャワーを浴びて、19時に
タクシーに乗り、15分でブラインド・ウィリーズへ到着した。
ちなみに、ブラインドウィリーズは、ジョージア州出身のブラインド・
ウィリー・マクテルにちなんで命名された。到着し夕食をゆっくり取った。
その後、20時、ブルースの生演奏が始まり、目を閉じて、じっくり聴き
つづけた。じっくり聞いてると、山谷ブルースが思い出されて、笑いがこみ
上げてきた。
しかし、綿花で働く黒人が1日の厳しい労働の後、その苦しみ、悲しみを
歌ったと言う点では山谷ブルースとも共通するものがあると妙に納得できた。
その後、2時間くらいすると酒も回り、疲れてきて、終了となりタクシー
でホテルに戻ると、直ぐ爆睡した。翌4月25日、朝8時に起き、朝食後、
アトランタ歴史博物館へ行った。ここには南北戦争の情報が多い。
1861年、奴隷制存続を主張するアメリカ南部諸州のうち11州が
合衆国を脱退、アメリカ連合国を結成し、合衆国にとどまった北部23州
との間で戦争が開始された。南部では農業中心のプランテーション経済が
盛んで、特に綿花をヨーロッパに輸出していた。プランテーション経済は
黒人奴隷の労働により支えられていた。
そして、農園所有者が実質的に南部を支配していた。南部の綿花栽培の急速
な発展は、英国綿工業の発展に伴って増大した綿花需要に負うもので、英国を
中心とした自由貿易圏に属することが南部の利益だったため、南部は自由貿易
を望んでいた。1860年11月の大統領選挙では奴隷制が争点のひとつ
になり、奴隷制の拡大に反対していた共和党のエイブラハム・リンカーン
が当選した。